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【被災地の声】珠洲市宝立町 市町俊男さん「津波にのまれ一命を」

  • 2024年01月19日

2024年1月1日に発生した、石川県能登半島地震。

疲れが出て体調が悪化する人や、避難生活の中で亡くなる人も相次いでいます。

そんな大変な状況の中で取材にこたえてくださった被災者の方たちがいます。

珠洲市宝立町鵜飼地区の市町俊男さんの声です。

珠洲市宝立町 津波にのまれ一命を

石川県珠洲市では、津波に巻き込まれながらも一命を取り留めた男性がいます。

珠洲市宝立町鵜飼地区の市町俊男さん(75)です。

市町俊男さん

市町俊男さん  
「もともとここは大きな地震、あんな大きな津波がくるというのは考えられない、本当にまさか、という感じなんです」

市町さんは妻と、妻の両親の4人で暮らしていました。

今月1日、地震の揺れは今まで経験したことのない、ものすごい揺れでした。

「これはだめや」と思い、「地震だ地震だ、早く逃げるぞ」と家族4人で一緒にすぐに玄関を出て、近くの避難所を目指しました。

ふだんから、どうやって避難所まで行くかは想定していましたが、その経路の幅1.5メートルほどの狭い道路は周囲の住宅や塀が倒れ、通ることができませんでした。

そのため遠回りしながら避難所へ急ぐ途中、津波が襲ってきたといいます。

市町さん  
「最初に来た時はたいしたことないなと思ったんです。でも第2波か第3波か、その時は道幅が狭いので一気に海水が上がった。私もなんとか逃げようとして、海水の中くるっと一回転して海水を飲みました」

「もうだめかな」と思いながらなんとかもがいているうちに、すーっと波が引いていき、助かることができたということです。

「運がよかったと言うか、その時は柔らかく優しく引いていって、そのおかげですぐに逃げることができました」

一緒に逃げた義理の父の姿が…

しかし、一緒に逃げた義理の父親の衆司さん(89)の姿が見えません。

大きな声で「こっち行くぞこっち行くぞ、逃げるぞ逃げるぞ早く早く」と声をかけていましたが、津波に襲われる中でわからなくなったということです。

捜しに行くべきか迷いましたが、津波に再び襲われるおそれもあったため、妻と義理の母親と一緒に避難所に向かわざるをえませんでした。

衆司さんは地震から2日後、自宅からおよそ200メートル離れた場所で遺体で見つかりました。

義父のポケットに入っていた携帯電話や腕時計

市町さん  
「安置してある所に私と妻とで行きました。『申し訳ありませんでした』と、2人で頭を下げました。10月末に脳梗塞で歩くのも不自由だった中での避難で、やっぱり一緒に逃げれんかったのが非常に悔やまれます」

地震があった1日の朝も、衆司さんは日本酒、市町さんはビールで、おせち料理で一杯飲んでお正月を祝いました。

「次は夕方、残りの料理もたくさんあったもんでそれでやろうと思っていたんですが、こんなことになって残念です。残された私らがこれからのことをよく相談して次に進んでいこうと思っていますがまだ気持ちの整理がつかず、時間はかかるかなという状況です」

「みなさんに訴えたい」

市町さんは阪神大震災のあと、防災士の資格を取得し、地区の代表として地元の人たちに防災を呼びかけていたということです。

市町俊男さん

市町さん  
「珠洲でそういうこともあったということで、ほかの地域で大地震があった時にはとにかく海岸線の人はいち早く逃げる、何も持たなくていいからすぐに逃げる。高台の方へ。山の方は土砂災害が起こる可能性が十分にあるのでそのへん考えながら判断して逃げていただきたいなと思います」

「とにかく命が大事ですので、何がなんでも早く逃げる。逃げてたいしたことがなかったと、それはそれでいいんです。とにかくいち早く、ああいう津波警報が出た時は体を一番大事に、いちはやく高台に向かって逃げるということを改めてみなさんに訴えたいと思っています」

そして最後に市町さんは、行方不明になった人たちの捜索にあたっている自衛隊や消防士、支援にかけつけた人たちへの感謝の気持ちを口にしました。

市町さん 
「『この人を探している』というと、その親戚や、よくつきあいのある人とも連絡を取りながら必死でやっていただいているので本当にありがたいなと思っています。県外から炊き出しに来てくれた方々もいて、心まで暖まる食事の提供に本当に助かっています」

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