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【被災地の声】石川県珠洲市三崎町 前田洋一さん「現実受け入れられない」

  • 2024年01月22日

2024年1月1日に発生した、石川県能登半島地震。

疲れが出て体調が悪化する人や、避難生活の中で亡くなる人も相次いでいます。

そんな大変な状況の中で取材にこたえてくださった被災者の方たちがいます。

珠洲市三崎町の前田洋一さんの声です。

珠洲市三崎町 友人宅訪れていた父が

珠洲市三崎町の前田進さん(74)は、1月1日、新年のあいさつで近所の友人の住宅を訪れていました。

そして、地震で倒壊した住宅の下敷きになりました。

長男の洋一さん(44)は住宅に進さんが閉じ込められている可能性が高いと考え、大声で進さんに呼びかけましたが返事はありません。

倒れた住宅から捜し出して救出しようと思ったやさき、津波警報が鳴りました。

前田洋一さん
「苦しすぎますね。呼びかけてる最中に津波警報が鳴って、その場から離れなくちゃならんという現実もありましたし、何もできない歯がゆさ、無力感ですよ。ああいう思いはもう二度としたくないですよ」

「親身になって目線を合わせて」

進さんは、洋一さんにとって家族思いで頼りがいのある父親だったといいます。

前田洋一さん

「厳しいところもありますけど、人の話をしっかりと聞いてくれる、ものすごく優しくて男気があって熱い男でした。優しさのほうが大きかったですよ。やっぱりいろいろつまづく時ってあるでしょう。そういう場面になったときに親身になって目線をあわせて話してくれました。息子の目線からいっても頼りがいのある人でした。思い出はたくさんありすぎてひとつでは語れないですね」

漁師だった進さんは、自分の船に長男の洋一さんと次男の孝さんの名前から「洋孝丸」と名付けていました。

「われわれ息子2人の文字をひと文字ずつつけてくれたのはうれしいですし、それだけ思ってくれてるんだなということも感じました」

「一番悔しいのは本人ですから」

去年病気を患い、それでも漁師としての仕事がしたいと前を向いていたと話し、悔しさをにじませました。

前田洋一さん
「でも一番悔しい思いをしたのは本人ですから、私らよりも。病院の先生に泣きながらお願いしてましたよ。『また釣りがしたいから治してくれ』って。そこから病気になったことを受け入れてやっと前向きに生きとるなと思い、その後も頑張って生活してて、さあ新しい正月を迎えましょうかという時にこのような形で亡くなってしまって、ものすごく悔しかったと思いますよ。この地震で亡くなられた方たくさんいますので、みんな悔しいと思います」

父の前田進さん

「釣って帰ってきたときなんて、顔がいきてましたわ。(遺影を示しながら)こんな顔ですわ。この顔見てください。いい顔しとるでしょ」

形見を身につけ「一緒に時間が」

洋一さんは進さんの形見である腕時計を身につけ、父親を少しでも近くに感じたいと自宅の遺骨のある部屋で寝ているということです。

前田洋一さん
「ふだん海に行くときにつけてたやつです。それがたまたま部屋に残ってたんでそれをつけさせてもらってますわ。形として残るものだし大事にしようかなと。自分自身もこれをつけられる時はつけようかなと。そうすれば一緒に時間が進んでいくみたいな、そういう気持ちですね」

「ひとつのことばでは言えないですよ。『ありがとう』『お疲れさま』『助けられなくてごめん』『つらかったね』とか、いろんなことばが出ます」

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