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石川県珠洲市から帰還 小川赤十字病院の医療救護班が見た被災地 「まだまだ支援は届いていない」

  • 2024年1月12日

「やっと来てくれた」被災から1週間以上がたち、訪れた先には泣いて喜ぶ住民の姿がありました。断水で傷口も洗えない。薬が切れてしまうがどうしたらいいか。長引く避難生活で寄せられる相談。医療救護班が見た被災地には課題が山積していました。

(さいたま局 記者・玉木香代子 秩父支局 記者・目崎和正)

夜の帰還

多くの医療スタッフが出迎える中で帰還(1月10日21時すぎ)

能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市で支援活動を行った、日本赤十字社埼玉県支部の医療救護班が10日夜、小川町にある小川赤十字病院に帰還しました。

「お帰りなさい」「お疲れさま!」待ち受けた同僚からのねぎらいに、涙する医療スタッフの姿もありました。

医療支援を届けたい

小川赤十字病院の医師や看護師など10人の医療救護班は、1月7日から3日間、石川県珠洲市に入りました。珠洲市に入る途中でも、多くの家屋や道路が壊れた状況を目のあたりにして、被害の大きさを実感したといいます。

寝泊まりするテントを市内に設置して活動

雪が降る中、救護班は市内の駐車場にテントを張って寝泊まりしながら、6か所の避難所で巡回診療や衛生環境の調査などにあたりました。
 

医師の吉田裕さん(左)と看護師長の大石留美子さん(右)

現地の状況を知ってほしいと取材に協力してくれたのは、医療救護班のリーダーの吉田裕医師と大石留美子看護師長です。東日本大震災で被災した石巻市などで医療支援にあたった経験があり、今回石川県に派遣されました。

医師 吉田裕さん
「まだ医療救護班が確認出来てない避難所もあったので、避難所がここにあるという情報が毎日あがってきていた状況で、とにかくそれをしらみつぶしにあたってどのような方が避難されているか、避難所の衛生環境がどうなってるかを見るところから始まりました。具合が悪い方がいれば、いかに早く医療をいれてあげるかということを考えていました」

看護師長 大石留美子さん
「被災者の人たちは、被災されて暮らされてきた日常が非日常に変わっている。ほんとにひどい  状況だと思うんですけど、そこで日常を過ごさなくてはいけない。本当に、お辛い中で過ごされているなと思ったのが率直な思いだったので、避難された方の心に寄り添ってお話しできればと思い、お声がけをしていました」

傷口も洗えない

現地では、断水が続いていました。(11日時点)

診察を廊下で待つ人たち

このうち300人ほどが避難する小学校では、断水のため顔も手が洗えない状況が続いていました。足の傷口が洗えずに化膿してしまった子どもに消毒の手当をしたり、咳やのどの痛みを訴えるお年寄りも相次いでいて、咳止めを出したりしたということです。

断水でうがいや手洗いといった感染対策もとれないうえに、寒さを防ぐために靴をはいて過ごす人もいて、ほこりがたつなど、衛生面がとても気になったといいます。

医師 吉田裕さん
「衛生面は非常に危惧すべき状況にあると感じています。インフルエンザといった感染症や皮膚疾患や皮膚感染症が増えてくる可能性があるのではないかなと感じました」

薬はどうしたら…

小学校の保健室で被災者を診療する医師の吉田裕さん

さらに課題だと感じたのが、避難生活が長引く中での薬の問題です。

「薬が切れます、どうしたらいいでしょうか」

高血圧や糖尿病の持病のあるお年寄りから相次いで相談を受けたそうです。着の身着のままで避難してきた被災者の多くは、地震で家が壊れているため、家の中に取りに行けない状態でした。お薬手帳もなく、これまでどの薬を飲んできたのかが把握できないため、すぐに薬を処方することが難しかったといいます。

珠洲市では当時、地元の総合病院に行けば、カルテがなくても薬を処方してくれる仕組みがあったそうですが、多くは車の移動手段がないお年寄り。吉田さんは、「薬を求める被災者を病院に運ぶシステムをはじめ、支援する仕組みづくりが必要だ」と珠洲市で医療支援の拠点本部にも伝えたといいます。

医師 吉田裕さん
「皆さん正月前にもらっていた薬が、避難生活が長引く中で切れてきたタイミングなんですね。これまでの被災地でも避難生活が長引いてくるタイミングで必ず出てきた問題なんです。薬を処方してきた記録をもとに、薬を必要とする人にどう届けるかもとても大事な課題だと感じます」

「やっと来てくれた」

自衛隊車両に乗る医療救護班

8日。医療救護班は、孤立してしまった山あいへも診療に向かいました。多いところで20センチ以上の積雪があり、救護班の車両では入れないため、自衛隊の車両に乗り込んで自宅にたどりつきました。

孤立していた自宅に到着

そこで、泣いていた家族とみられる女性に声をかけた看護師長の大石さん。女性は、携帯やSNSで何度も助けを呼ぼうとしたそうですが、電気も止まり携帯電話も通じなくなってしまっていたため、うまくSOSを出せなかったのだといいます。

ろうそく1本で

山あいの自宅に入ると、家族はろうそくの明かりを頼りに生活していて、日が暮れかけたころだっため、顔も暗くてよく見えない状態だったといいます。医療救護班はヘッドライトを頼りに90代のお年寄りの健康状態を確認しました。

 

看護師長 大石留美子さん
「ライフラインも支援もない中で、耐えて十分頑張ってこられた方にどう声をかけていいか、迷う瞬間もありました。本当に辛かったですね、と声をかけました。被災者の心のケアも今、とても大切だと感じています」

もとの日常に近い生活を

長引く避難生活でストレスがたまり、めまいや耳なりといった症状を訴えるお年寄りも多かったと話す医師の吉田さん。

現地では、沿岸部の集落で半壊した自宅に、寝たきりの90代のお年寄りが取り残されているという情報を受けて、救急搬送することもありました。

特に、動くことができない高齢者は、寒さで厳しさも増す中で、いち早くより日常に近い環境に避難してほしいとしています。

医師 吉田裕さん
「寒い中に長時間いることで医療面でも生活面でも具合が悪くなる可能性があるので、いち早く避難していただく必要があるなと思いました。地元から離れたくないというお年寄りの声も聞きましたが、とにかく屋根のある温かい環境で、温かい環境で清潔なトイレを使用する。今は、被災者が普段の生活に一刻も早く戻れるように整えることが大事なのではないかと感じています」

取材後記

取材していて印象に残ったのは、帰還して一区切りではなく「これからも支援を続けていく」と、言い聞かせるように答える医師の姿でした。それだけ被災地の状況は厳しさを増しているのだと思います。

断水が続くと、子どものけがの傷口すら洗えなくなってしまうということも、子どもはもちろん一緒にいる親の心境も想像すると胸が痛みます。被災すれば当たり前の日常が失われて不自由を強いられるということを突きつけられる気がします。

また、地震で助かった命を守るためにも、いざというとき、水や電気がない中で自分たちはしのげる状態にあるのか、日頃の備えについても考えなくてはいけないと感じさせられました。

1月12日からは、埼玉県内の14の病院からも、DMAT=災害派遣医療チームが14隊、あわせておよそ70人の体制で被災地の医療支援に入りました。支援が行き届かなかった地域にも、1日も早く支援が届くことを願います。

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