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【動画も】静岡沼津マダイ養殖正月前に大忙し!稚魚をいけすに移す技とは?

みかん農家から大規模養殖へ “海と魚が好き!” 
  • 2023年12月13日

全国有数の魚の養殖で知られる静岡県沼津市。富士山を望む養殖いけすでは、正月用の出荷を前に大忙しです。12月上旬、取材したこの日は4000匹のマダイを生け締めにして東京のスーパーなどへ出荷。稚魚12万匹あまりをいけすに入れました。12時間以上にわたる船上などでの作業。えさ代が高騰する中、漁師たちは奮闘していました。

ショート動画 マダイが飛び跳ねる!出荷作業

最大規模の養殖いけす

雪化粧をした富士山を望む駿河湾。沼津市西浦平沢の港のすぐ沖に養殖用のいけすが浮かんでいます。その数72。そのほとんどでマダイを養殖しています。この養殖業者は茨城県から愛知県にかけて最大規模だということです。

この日は、生け締めにしたマダイ4000匹を出荷。いけすの網を狭めて、マダイを集め、大きな網ですくいます。出荷するのは、重さ2キロ前後のマダイ。いけすで2年から3年育てたものです。

みかん農家から大規模養殖業者へ

この養殖業者の社長大木晴夫さん。もともと実家はこの地区のみかん農家でした。でも大木さんは子どものころから根っからの魚好き。中学のときには、隣の地区の養殖を手伝っていたそうです。農家を継ぐよう育てられましたが、みかん農家では食べていけなくなり、父親が45年前に養殖業を始めたそうです。大木さんも水産高校から大学の水産系学部に入学。20歳のときからここの養殖を切り盛りしています。

養殖業者の社長 大木晴夫さん

「みかん農家のころは豊かではなく、食卓には刺身も出てきませんでした。海も好き、魚も好きな子どもで海に憧れていました。養殖をやるようになってからは、それはそれは一生懸命働きました。いけす1つからの出発でしたから。規模もどんどん大きくなって、今でも夢は尽きません」(大木晴夫さん)

“えさ買い占めで高騰”

養殖を初めて40年。コロナ禍がこれまでで最も心配だったといいます。外食産業からの注文がなくなり、大木さんは「どうなるかわからず、怖かった」と話します。

さらにここ数年、餌代が3割から4割も高騰し、厳しい状況が続いているといいます。

「餌はアンチョビなどの魚粉ですが、原産国のペルーが漁獲制限しています。国内産も中国が魚だけでなく、養豚の飼料などとして使い始めて買い占め、日本では流通しにくくなっているんです。これから日本の経済どうなるんだろうと思いますね」(大木晴夫さん)

静岡県によると、沼津市の養殖は昭和30年に真珠の養殖からスタート。昭和50年代半ばにはマダイやマアジの養殖が本格化したそうです。昭和50年代に103の養殖業者がありましたが、今では11業者にまで減っているということです。

こん包作業まで担う

今ではマダイを中心に年間700トンを出荷しています。マダイの梱包作業も大木さんたち漁師が行っています。役割分担をしながら作業に追われていました。

「ここには、今、魚を卸す問屋がありません。なので自分たちで出荷の作業もするんです。大変な仕事でしょ。今はまだ週に3日の出荷ですが、正月用はクリスマスのあと、毎日出荷します。追い込み作業で、口ではいえないほど忙しいですよ」(大木晴夫さん)

稚魚12万匹をいけすへ その技は?

この日は、愛媛県の宇和島から活魚船が到着。マダイの稚魚を運んできました。

その数12万5000匹。なんと、この稚魚を活魚船の船体の脇の穴から直接いけすに移すというのです。どうやって移すんでしょう?。

魚の「走光性」光に向かう習性利用

「走光性」。魚が光に向かって移動する習性を利用します。活魚船にある水槽。この上にシートをかぶせたり、外したり。船体横の穴から外の光のあるいけすへ誘導していきます。

すーと流れ出る稚魚たち。最後まで船の水槽に残った稚魚は網ですくうなどしていけすに移します。ひとつのいけすは10m四方、深さは11m。あわせて2万5000匹を入れていました。

ショート動画 稚魚をいけすへ

この日の作業は朝6時半から夜7時すぎまで。そのほとんどが船上での作業でした。みな腰に手を当てながらも体を動かし続けていました。本当にお疲れ様でした!

鵜が稚魚を狙うためいけすにはネットを貼っています

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  • 長尾吉郎

    静岡局 ニュースデスク

    長尾吉郎

    1992年NHK入局
    初任地大分局で釣り覚える
    報道局社会部・広報局など
    ヤエンによるイカ釣り好き

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