今年最後の番組ですね。思えば、津田さんに私の投稿したメッセージが読まれたとき、私は正直生きる希望を失くしながらこの番組を見ていました。物凄くたくさんのもの、もちろん沿岸部などに比べたら些細なものばかりですが、思い出や喜びや生きがいは失って死んでいました。でも、この番組とかかわったことで、毎回泣きながらでも他の被災地と向き合ってきたことで、私はだいぶ強くなりました。そんな自分を震災前より好きになれました。
津田さん、スタッフの皆さん、他の被災地の皆さん、生きる力をくれて、ありがとうございます。私はこの胸の痛みを抱えて、真摯に生きてまいります。皆様のことを、忘れたりしません。本当に、ありがとうございます。そして最後に。
本当の幸いは、みなさんの命とともにあります。どうかそれを忘れないでください。
私は、福島県郡山市に住んでおります。母、父、嫁、子供小学校一年生、一歳7か月の6人暮らしです。あの日平成23年3月11日過去に経験したことのない大地震を経験しました。私は、生活には欠かせないライフラインを守る仕事をしております。今までは、災害が起きた場合は第一線で活動しなくてはいけないという認識はありました。しかし、行政及び同業者、私も含め災害というものは、手伝いでほかの災害現場へ駆けつける程度の認識で、まさか被災するとは夢にも思っていませんでした。
14:46私は仕事の打ち合わせの為、移動中でした。緊急地震速報をラジオで聞き車を止め様子を見ることとしましたが、はじめグラグラと揺れ、おさまるのかなぁと思ったら下から突き上げ車が倒れるんじゃないかというくらいで、なにもできず車の中でただただ早くおさまってくれと祈っていました。おさまりかけたころラジオの第一報が7m以上の津波が襲うと聞こえてきました。恐怖でしばらく聞き入ってしまっていたことを覚えています。そんな中、まず家族本当に心配でしたが、安否も確認できず仕事をするしかない状況でした。こういう時こそ一家の大黒柱としてそばにいてあげられないということは本当に申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになっていました。震災というのはこれほど辛く過酷なことというのは、経験してみないとわからないと思います。仕事をしながら聞こえてくる辛い情報、家族、親戚、友人、知り合いの心配事、過酷な仕事状況。そんな中追い打ちをかけるように噂で飛び交っていた話が確定的になったことでした。
私は、震災以降家に帰ることもできず仕事をしており、2日後くらいに仮眠を取りに行った程度で日にちの感覚は全くなく、ただひたすら復旧作業にあたっておりました。みんな、早く復旧してやる って気持ちで一致団結本当に頑張っておりました。しかし、原発が危険な状態となってしまったのです。復旧作業を頑張りながらも噂には聞いておりましたが、みんな聞かないふりをしていたんだと思います。何日か後の夜、対策本部の会議で、全員マスク、ヘルメット着用の命令がでました。率直に、恐怖感で倒れそうでした。そんな状況下、私たちは作業するしかありませんでした。街中の静けさにヘリコプターの音、東北自動車道の緊急援助隊の列、異様な世界でした。家族の心配、避難させるべきか?本当に悩み悩みしかし、復旧作業を止められない。仕事している場合じゃないのではとも思いましたが、逃げられない。自分を責めました。涙が出ました。やる気も出ません。そんな時、支えてくれたのが家族でした。パパ頑張ってね。と・・・もやもやしていた気持ちが少し晴れました。国を信じるしかない!と。もう一つ、支援に来てくださった方々の支えです。横浜、鳥取、奈良、埼玉、福岡、長崎、来てくれただけで安心しました。中にはこんな言葉をかけてくれた人もいました。私たちは、覚悟はできていますから。と・・・また泣いてしまいました。そんな状況下で徐々に復旧も進み誰一人とも仲間たちは避難することもなく作業を行いました。4月11日頃にはほぼ100%の復旧率となりひと段落となりました。
そして、今できることはこの震災で得た経験を復旧マニュアル作りにいかすこと。あとは、除染。私は、やっぱり郡山が好きです。がんばろう福島!がんばろう郡山!全ては子供たちの未来のために。
は今、家族と一緒に被災地をめぐっています。私と母の、体と心の具合も、震災後、忙殺された父のスケジュールも、一段落ついたからです。
デジタル化になって、画質が良くなったこともあり、また、瓦礫撤去が進んだのもあって、想像していたよりショックは受けませんでした。
子供の頃遊びに行った、鮎川の浜辺が壊滅したのを見たとき、「ああ、これが天災というものか、天災は、心を守るため、感情を殺したのだな」と思いました。復旧、復興、高らかに叫ぶ前に、まだ私たちはやり残したことがあるような気がしました。
被災地を忘れないで。テレビに流れなかった、被災地も、知ってほしい。そう願います。
「被災地からの声」がようやく全国へ!と喜んだのもつかの間、1分スポットなんですね。
いつもは、山形県内在住の知人に録画を頼んでいます。15分でも30分でもいいので、全国放送で「声」を伝えないと、どんどん震災が風化します。特に東京では震災関連の報道内容が偏って来ているような気がします。食を通じての支援や東京に来て記念イベント、などとにかく上っ面だけ「がんばれ!」「がんばってます!」のような一見明るい話題が多いです。被災された方々の様々な「本当の気持ち」が伝わりません。それを理解していかなければ何も始まりません。
この番組は、斬新で、制作には非常に手間がかかる分、心がこもった良番組だと思いますので、ここから少しでもつかんでいけたらと思います。