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お寄せいただいたメッセージをご紹介しています

匿名希望 30代 男性

今日の放送(11・13)。

キャスターの締めのコメントは福島の怒りを正面から受け止めていただいたコメントだった。大変ありがたい。原発事故から半年以上がたち、福島の苦悩や怒りは少しずつ忘れ去られ始めている。原発棄民をゆるすな!!

千葉美幸さん 30代 女性
震災によるトラウマも少しは癒えてきました。今日の放送を見て、作家として何ができるかを改めて考えさせられました。どこもそうですが、特に福島は、もはや差別です。知らない人にここまで冷たく、無礼にできるものかと呆れ果てています。確かに放射能は怖いかもしれない。しかし、見えないものを信じるよりも、目に見える誰かが痛感する痛みを、被害や温かさを信じることが必要なのではないでしょうか。 私たちは放射能と喋ったり、付き合っているのではありません。放射能を恐れすぎて、その結果、傷つけられ、悲しむのは、放射能ではなく、そこに生きる生身の人だと、ひとりひとり、胸に刻んでほしいです。
宮城県仙台市 匿名希望 30代 女性
私の実家は亘理町荒浜です。津波被害にあい、両親もなんとか命が助かりました。多くのボランティアの方が来てくださり、片づけもやっとひと段落。その中に埼玉県和光市から来てくださった男性(Yさん)のボランティアさんがいらっしゃいます。その方は被災した荒浜小学校を救おう!子供たちを救おう!と和光市に戻っても看板を掲げ、募金活動を今なお続けてくれています。そして小学校への多くの寄贈。そんなYさんの心温まる励ましと行動に私の両親はいつも感謝の念から涙を流しています。今月13日和光市内で市民祭りが開かれる際もYさんは荒浜小学校を救おう!と荒浜の郷土料理のはらこ飯を作り、その収益を荒浜小学校へ寄付する計画をたてていました。それを知った私の両親や友人たちは「是非恩返しをしたい」と13日はらこ飯とアラ汁を作りに材料をもって出向くことにしました。亘理町もバックアップをしてくれることとなり、米や鮭・パッピなどを準備してくださいました。多くの方が心を痛めたこの災害の中、被災者とボランティアの深い絆、人としての温かい心に触れることができ、多くの方に知って欲しいと思いメールしました。ニュースの片隅でも良いので取り上げていただけたらと思います。
秋田県山本郡 秋田県から応援する一県民さん 40代 女性
被災されたすべての方へ 毎週欠かさず見ています。先週の「いつまで被災者でいるつもりか」というコメントは、多くの意見があるという現実とはいえ、日本人として、悲しい言葉でした。津田アナウンサーも震災以来、この取り組みに希望や夢の何倍も空しさや、憤りを感じてきたことと思い、それでも呼びかけ続ける強さに頭の下がる思いでいっぱいです。名古屋にいる親類が、先日法事で秋田に来た時、この番組をみて「あぁやっぱり東北って被災地なんだな。名古屋でなんか震災のことなんて全くやらないよ。」と聞きました。すべての地区で震災、復興の出来事がニュースにならない日が来ることは、望ましいことですが、まだまだこんなに大変な思いをしている方がたくさんおいでになるのに・・・と悲しくなりました。大変でしょうけれども、被災者の方々の痛みをせめて東北の人たちにだけでも届け続けてほしいと思い、なにもできないただのおばちゃんですが、メッセージを送ります。 厳しい寒さがやってきます。暖房機など、必要なものを送ってあげられる情報も番組で教えて下されば助かります。
宮城県石巻市 阿部直美さん 40代 女性
初めは親戚や避難所にいた人たちも家がかろうじて残り、無理をすれば二階に住める人たちは自分の家の二階に戻り生活しています。家族を亡くした人もいます。家に戻った人たちは生活するために最低限のトイレと給湯器そして壊れた窓ガラスを治し、それ以外は何の援助もなく自分たちで生活用品をそろえてきました。テレビや現地では仮設生活だけが被災地被災者と言われ、いろいろ支援してもらい羨ましく思ってました。一階が壁も何もなくて外から人が入れる状態の人も階段に自分でベニヤをはって何軒もない近所の人たちとがんばってきた人もいます。今でも私は疑問に思います。家が全壊で無くなってしまって仮設生活の人と全壊と判断され中途半端に家が残って二階生活してる人とどこが違うのでしょうか。私の家は犬が5匹います。娘と旦那さんがいるので狭い仮設に入るのは無理です。アパートも探しましたが無理でした。入りたくても入れなかった私たちのような人をどう思いますか。
宮城県栗原市 千葉美幸さん 30代 女性
今日も被災地の声、聞いています。見ています。病気で折れそうなか細い心が、背筋を正される思いです。どうしても、遠くの人、無関心な人たちに、被災地のことを知ってほしくて、自分の体験や人から聞いた話、番組を元に詩集を書いたり、エッセイを書いたりしていますが、なかなか見てもらえません。でも、たまにまったく知らない人が、共感してくれることがあります。そんなとき、少しは役に立てたかな?などと思いますが、まだまだですね。自分の力の小ささを思い知らされている日々ですが、これからもあの日のこと、そして今現実に向き合わざるをえない人たちの声を、忘れ去られないよう、自分なりに頑張ってみます。声高に叫ばれる、悪意のない、「頑張れ」の持つ毒やトゲに負けないように。
宮城県岩沼市 水間善春さん 40代 男性

初めてこの番組を拝見したのは確か5月頃のゆりあげ小学校避難所での放送でした。

老婦人に掛けた津田アナの一言がとても感激致しました。

震災をテーマに報道番組は民放を含め、数多組まれる中、ここまで被災者の方々の心に寄り添い、心の奥底に秘めた辛い思いや将来への希望などのありのままの声が伝わって来たものが有っただろうか?これこそがジャーナリズムの真髄だと思いました。

地方局だからこそ出来ること 地元出身の津田アナウサーだから伝えられること 今後もクオリティの高い番組つくりに期待します。何度か見逃した放送も有りましたので総集編として再放送して頂ければ幸いです。

宮城県名取市 佐野浩さん 40代 男性

今回の放送をみて思ったこと。・・・津田アナウンサーの冒頭のお話しに衝撃を受けました。ネットの書き込みにて、いつまで被災者づらしているのか。という意見があったとか。なんとひどい話しでしょうか。書き込みをした人の視野の狭さにあきれしまう。

被災の状況・度合いは人それぞれ。地域差も極めて大きく、深刻な現状も継続していると思える。拡大・進行中の問題、新たな課題の発生も非常に多いのではないか・・・。

うわべの復興・復旧にあざむかれてはいけない。と感じる。復興・復旧に、いわば、取り残されてしまっている人々・地域、問題の数々は どうすればよいのか。とりあえずの現状が日常化してはいまいか。

・・・私たちの意識の中で、3・11大震災、が早くも風化しはじめているのではないか。不理解、偏見、差別・・・等々が意識の中で固定化しはじめてはいけない。と自らに語りかけている。

宮城県栗原市 千葉美幸さん 30代 女性

私は統合失調症を患っています。震災前の一番怖い妄想は、巨大地震が起きることでした。何より心配していました。それが現実になった今では、頭では、これは自然の摂理で関係ないんだと言い聞かせるのですが、心が恐れおののいて、余震が起きるたび、心臓が潰れる思いで毎日を過ごしています。

栗原市志波姫地区は、小学校がプレハブ校舎です。突き出た下水管のマンホールや、穴の開いた道路、割れた地面、工事はしていますが、完全復旧の目処は立っていません。あくまで応急処置のままのところが多いのです。

きっと、あちこちがそうなんだろうな、とは思います。液状化していない分、でこぼこ道など我慢しなくちゃいけないとも思います。ましてや、津波の被害にあわれた地域の方々の苦悩に比べたら。

でも、三年前の内陸地震からちゃんと立ち直らないまま今回の地震にあった私たちも、被災者です。みんな地震の話になります。崩落した栗駒山を遠くに眺めながら、どうしてこんなことになったのか、子供たちが小中合同校舎に通い、給食センターが被災して簡易給食に切り替わらなければいけなかった苦労など、誰に語ればいいのでしょう?

津波の被害が大きすぎて、原発の被害が想像を凌駕して、私たち内陸の被災者は、不満を飲み込んで七ヶ月以上、耐えてきました。 でも、正直、私の心は限界です。
誰に話せば救われるのでしょう?何度涙を流せば、この恐怖は拭えるのでしょう?
地震以上、津波未満。私たちも、苦しんでいます。

宮城県名取市 佐野浩さん 40代 男性
今回の放送を拝見して思ったこと、ある被災者の方の声に、言葉として、頑張るって、なに・・・?というお話しがありましたが、おっしゃるとうりだと思います。さしあたって日本語として適切な表現・言葉が見あたらないからか、安易に言いがちな傾向と感じます。 人様に向ける言葉ではなく、自分自身が自分のために宣言するべき言葉だと思います。・・・被災者の方々へ頑張って!と言葉をかけることはしたくありません。「頑張る」に代わる言葉・表現はないものでしょうか。・・・被災者の方々 とどう向き合うべきか?自分は何をするべきか?何ができるのか?等々考えてしまいます。・・・皆様の幸せを、やすらぎを 願うばかりです。
宮城県石巻市渡波 mihoさん 20代 女性
私、家族一同は7月に仮設住宅が当たり、山の方の不便で土地慣れしない場所ではありますが何とか暮らしています。テレビを見ても必ずと言っていいほど映るのは女川、雄勝、気仙沼、南三陸等です。渡波地区や鹿妻地区、湊の方はどうなっているのでしょうか?復興・復旧の取り組みや支援の手が全く分かりません。他の市や地域と比べて、かなりの差が出てきてる様に思うのですがこれは何故ですか?市長をはじめ、市役職員の方々や市民の方々の思いや取り組み等について何一つ知りようがありません。個人でいくら頑張っても限界があります。何とかこのバラバラになってしまった石巻市を皆で再び再生したいと微力ではありますが強く思っています。東日本大震災から、はや7ヶ月を過ぎました。世間では少しずつ大震災の話題も薄れていき、私達が今もなお暮らしている痛みを抱えた被災地。どうか忘れないで下さい。私達はまだまだ戦っている最中なのです。
福島県白河市 匿名希望 50代 男性
私はボランティア活動を中心とした地域活動をしているNPOの代表をしています。毎週、この被災者からの声はかかさず見させて戴いております。私達NPOは、震災直後からの復旧活動や、今は復興イベントを行っています。テレビからの被災された方々の生の声もそうですが、私は津田さんからのコメントにいつも胸を熱くしております!津田さんは取材だけで、講演活動などはされておりませんか?同じ被災県の福島県人でも、災害へはかなりの温度差を私は感じています。被災者支援への思いを風化させないために、津田さんの講演活動を是非やって頂きたいと心から思っています。ちなみに私達の活動はNPO表郷ボランティアネットワークのホームページで公開しています。最後に、いつかは忘れましたが、津波はあらゆるものを持ち去ってしまった!しかし、浜の人々の生きる気持ちまでは持ち去ることはできなかった!という津田さんのコメントが今の私の胸に残っています。ありがとうございました。
宮城県名取市 佐野浩さん 49代 男性
被災者の皆様や被災地への差別・偏見が、実に根深いことに心が痛みます。番組中の薬局の方の500万の代金の件、何とかならないものでしょうか?。最終的には国が保証するべきことと思います。ガラス屋さんへの融資についても、もっと柔軟に対応ができないのでしょうか?。いずれについても市民の目線、立場、状況に立った対応が行政サイド、広くは政治に、欠けていることが悲しいです。差別・偏見がさらに固定化・浸透化してしまうのではないか、心配です。
福島県浪江町 匿名希望 50代 女性
二十キロ圏内の浪江町に住んで農業をしていました。今、主人の生まれ育った仙台市に来てアパートに主人と81歳の私の母と三人で暮らしています。パートの仕事を見つけて、表面的には落ち着いて避難生活を過ごしています。しかし、緊急時避難準備区域の解除の仕方を見ていると、何も整っていないのに解除をして、普通に生活できますよ、と、放り出されたように感じます。補償金を無くすためだけのように思います。五年後十年後浪江町産の野菜を出荷して、買って食べてくれるのか?これから十年のブランクがあって私たちは農業を収入の糧に仕事をしていけるのか?体力勝負の農作業をしていましたので。自分の将来の事を考えると、明るい未来は見えてきません。今日と明日のことだけを考えて毎日過ごしています。 いつ我が家に帰れますか?野菜を作って売れますか?皆さん買って食べますか?浪江で生まれ過して来た母を自由に浪江で生活させてあげたいです。
宮城県仙台市 Rさん 30代 女性
自宅半壊程度の被災者で、番組をよく見ていますが、東北ではなく関東以西の人達に見てもらいたい内容だと思います。
宮城県名取市 佐野浩さん 40代 男性
毎週、番組、拝見しております。福島の原発にまつわる状況、実に深刻で、現在進行中であること、実感できました。差別とも言える実態に心が痛みます。本当の復興・復旧がまだなにも始まっていないことに怒りがこみ上げます。私たちは、住民の皆様の真実の声、揺れ動く心、等々に、もっと関心を持たなければ、と感じました。
秋田県横手市 A-Cさん 40代 女性
東北は、全部の地域が被災地であり、全員が被災者です。私の住む横手市は、この前の冬、大豪雪に見舞われ、そこに地震がきました。3月でも冬並みに寒く、停電は非常にこたえるものでした。被害の程度と大きさは違っても、同じ被災者。こちらに支援は必要ありませんが、どうぞいろいろな場所の声を細やかに報道してください。
宮城県気仙沼市 匿名希望 40代 女性
私は職場で被災し、家族とは3日目に会うことができました。家は気仙沼市鹿折地区にあり全壊です。その当日から私の実家で世話になっています。始めは「実家だから気を使わないで」と言われながらの生活でした。しかし、いまだに仮設住宅が当たらず、実家の家族も私の家族も精神的に限界を超えたように思えます。あまりにも長く居候しているので親戚関係も今までより悪くなる一方です。アパートも申し込みしていますが、全く物件がありません。避難所の方々とも違い、支援物資や支援活動の範囲からは遠退いています。とにかく情報が入って来ません。テレビのニュースで地元に寄せられている支援活動を知るような様です。生活必需品、食料すべてを自分で買わなければいけません。自分の家族だけではなく世話になっている家族の分も用意します。避難所も大変だと思いますが 、私達のように親戚宅に避難している人も大勢います。始めの頃避難所に行き情報提供や物資をお願いしましたが、拒否され、それなら避難所に移り生活しろとのことでした。いつも避難所や仮設住宅にいる人だけが避難者として扱われていますが私達も避難者です。行政は把握しようともしてくれません。避難してから一度も連絡も何もありません。仮設住宅を申し込む際、話しているはずですが全く気にされることもありません。義援金もそうです、被災時の住民票ベースの世帯主にしかもらえず、家族数が多くても一口だけ。私達は6人家族だったため義父母2人と夫と私、子供の4人に別れて避難している状態です。仮設住宅にいる間は同居は出来ません。かかる費用も倍です。家を建てるにしても全員が住める大きさにしなくてはいけません。不満を言ったら切りがありませんが、もう少し行政は市民の今の状況を把握しようと努力をして欲しいと思います。
福島県福島市 東北産まれ関東育ちさん 40代 女性
私は山形で産まれ父の転勤に伴って神奈川で育ちました。2年前から夫の転 勤で福島に移住し3月の震災に遭いました。幸い被害が少なく避難する必要なく、今は余震に怯えながらも暮らしています。自宅は神奈川にあり、両親や子供も神奈川に いるので、帰ろうと思えば帰れるのですが。震災後、何度か神奈川に帰省し悲しく思う事がありました。「被災地からの声」は全国放送ではないのですね。両親も関東でテレビを見ている以上、故郷である東北の悲惨な状況、地震や津波や原発の恐ろしさを実感できていない様子。とある公共浴場の大画面テレビがある休憩所では、番組を中断して地震情報が流れた際、まただよ!と罵声 やため息を口にして続々と休憩所を出ていく人たち。被災地の声を被災地に流す…これではまるで被災者の傷の舐め合いです。津田さん、「ゆうどき」にももっと出てください。せめてNHKだけはもっと伝え続けてください。
宮城県大崎市 匿名希望  40代 女性
女川町から東松島市を経て大崎市に引っ越して来ました。娘の高校は石巻市立女子商業高校。津波で人的被害もあり校舎が使用できなくなって各学年ごとに他の高校に分散し授業を受けています。学校行事や部活動もほとんど出来ない状態が続いています。市女商や同じように被災した宮城水産高校の話題が震災後ほとんど取り上 げられてないと思うのですが、何故でしょう?気仙沼、南三陸町の様に毎日報道される町があるのに何だか取り残されてる様な気がします。故郷を離れている今、少しで も生まれ育った地域の話題や情報が見られたら嬉しいと思います。