お使いのブラウザはJavaScriptが無効になっております。有効にすることですべての機能が利用できます。
ページの本文へ
トップページ
番組情報
被災地からの声
メッセージを読む 2013年度
番組紹介
メッセージを
読む
メッセージを
送る
キャスター津田より
お寄せいただいたメッセージをご紹介しています
2022
年度
2021
年度
2020
年度
2019
年度
2018
年度
2017
年度
2016
年度
2015
年度
2014
年度
2013
年度
2012
年度
2011
年度
1
2
3
>
福島県伊達郡 太田香織さん 40代 女性
震災以来、被災地からの声を放送して下さってありがとうございます。私や家族も毎回ではありませんが、拝見しております。私達は被災地におりますので、忘れた事はないですが、しかし、被災経験は一人一人が違っておりますから、皆さんのお気持ちが聞けるのは大変重要な機会かと思っております。あの震災と被災経験を思い出したくない人もおられるでしょうが、しかし、忘れずに更に何とか希望を持って生きていく事は大事だと思いますし、この番組はそれに繋がる橋をかけてくれるように思います。
やはり今こそ更に皆で助け合い、手に手を取り合う事が大切だと思います。長い道のりかもしれませんが、つらいけれども一歩ずつでも前進していくしかありません。いい古された言葉かもしれませんが、皆で力を合わせ、協力し叡智を結集していけばきっと出来る事だと思っています。しかし精神的にもキツイ事が多くあると思いますので、そのサポートも重要になってくるのではないかと思います。皆もう十分、頑張るだけ頑張っているのですから・・・。
あらみなりくさん 20代 女性
震災から3年。あの時私は自宅で2歳息子と友人との3人で過ごしていました。主人は息子の保育所入所説明会のあと、用事で仙台にいました。
そして2時46分。小さい揺れで、あっと思った瞬間にはもう揺れと同時にテレビが消え、台所で物が落ちる音、電気の笠が揺れ、落ちるんじゃないかとすごく怖い思いをしました。昼寝していた息子を抱き抱え、寒くないように最低限の物を持ったまま、近くの中学校へ避難しました。津波の被害に遭ったわけではありませんが、私自身が地震の揺れが怖く、当時の職場でも周りは頑張ろうという思いと、どうしてそんなすぐに忘れられるんだと温度差を覚えました。震災から1年たった時、私の心はぼろぼろになり、うつ病と診断されました。今でも震災関連のニュースはみれません。携帯の地震速報も鳴らないようにしています。
被害の酷かった沿岸沿いだけではなく、内陸にも苦しんでいる人がいることをわかってもらいたいと思い、投稿しました。
サッカー少女さん 10代 女性
あの日から3年、地震が起きるたびに思い出します。私の住んでいるところは関東地方なので、当時は震度5強の被害を受けました。おととしに家族で被災地の様子を見に行かせていただきました。がれきの山や建物が壊れた跡が、どれも当時のことを物語っていて、あのとき苦労がってた自分がとても惨めに思えました。
つい最近のニュースで、がれきなどがなくなり、町がとてもきれいになった様子の映像を見ました。小さいことではあるかもしれませんが、少しでも早くの復興ができるよう私たちにも協力させていただこうと思っています。
わたしたちは一つです。
これからも苦しいことや逃げ出したくなることがあると思います。辛いときこそ団結をして助け合うことができる、それが人間の素晴らしいところです。希望を捨てずに、上を向いてこれからも復興活動をしていきましょう。
上からの意見になってしまい申し訳ありません。皆様のご健康と一日でも早い復興を心からお祈りしています。
千葉県館山市 七条飛鳥さん 20代 女性
約6年、今年で7年と毎年、東北を家族で観光しています。なんだかもう一つの故郷だと私はひっそり思っています。素敵で人情のあふれたところで、毎年観光に行くのが楽しみです。
一昨年の七夕祭りの頃の話ですが駅の周辺、マップを片手に家族で目的地を調べていたら、サラリーマンの方が「ここなら」とわかりやすく教えてくださったことを覚えています。また、私が行きたいお店を、別のお店の店員さんに尋ねていたとき「そこなら私も行くので連れて行きます」と一つ上の方が連れて行ってくれたことを覚えています。みなさん、笑顔で教えてくれました。人の暖かさを改めて感じさせて貰いました。
その一つ上の方は「この七夕祭りの飾りは地元の小学校中学校が作ったの」と教えてくれました。松島周辺のお土産屋さんで「ここも津波すごかったんですね」と店員の方に聞くと「凄かった。でも、みんながんばっているから、わたしもがんばれる。」
3.11。
それを乗り越えようとする彼らが私にはとても美しく気高いと思います。
負けけない東北
3.11のことは忘れることのない、いや、忘れてはいけないことです。ちっぽけな私ですが、どうか彼らの力になりたいと思って今日、ここにメッセージを送らせて貰います。
匿名希望 40代 男性
私は、原発事故の影響で、福島県の浪江町から隣の南相馬市に避難しています。テレビや新聞などのマスコミが伝える浪江町の現状を見るたびに、思う事があります。浪江町と言えば、津波の被害が大きい沿岸部(請戸地区)や、地震の被害が大きい駅前や中心部(権現堂地区)の映像が流れる事が多いですね。または、放射線量が高い山間部(津島地区)とか・・・。しかし、浪江町の全域が震災の大きな被害を受けたわけではありませんし、全域の放射線量が高いわけでもありません。例えば、沿岸部の高台にある北棚塩地区は、津波の被害も受けず、地震による被害もそれほど大きくなく、放射線量は同じ福島県内の福島市や郡山市の中心部と大差ありません。同じ町内でも地域によって被害に差があるのが現実です。しかし、被害の大きな地区ばかりをマスコミが伝えては、それを見た人は「浪江町全てが、大変な状況なんだ」と思うでしょう。詳しい実情を知らない他県の人は、特に。浪江町に限った話ではありませんが「被災地は、こうなんだ」と単純に一括りにしないで、もっときめ細かく現実を伝えてほしいと願っています。
盛岡市 マイバ〜バさん 60代 女性
毎週木曜日見ています。この番組が東北6県しか放送してないことが分かりました。「なぜ?」と、お互いが傷をなめあっている感覚にとらわれました。震災が風化しているとか、忘れ去られている、復興が遅れていると言われていますが、目や耳に入ってこなければ仕方ないことではないでしょうか。全国放送を望みます。
秋田県にかほ市 田村豊子さん 60代 女性
震災には心を痛めている。3年たち、関連番組は少なくなっているが、津田キャスターが被災者の声を聞いて回るというのは、とても良い寄り添い方だと感じている。人はわかってもらいたい。聞いてもらえれば気持ちが軽くなるんじゃないかな。家族を亡くして家を流された東北の人が明るく頑張る姿をうつされると、逆に私も頑張ろうと思う。あの番組は私たちの為でもある。日本海側に住む者としてこの正月、復興の応援を兼ねて気仙沼に宿泊し、爪切りやわかめ等を買ってきた。特別なこともできないので、春になったらまた出かけて何かしら応援したい。お手伝いできることなんだろう?と思う。
匿名希望 20代 女性
偶然このページが目にとまったので拝見しました。
東北のことを東北内だけで共有するのは何だか違和感があります。東日本大震災は日本全体がかかわったできごとではないのですか?
私は東松島市野蒜の出身です。自宅は地震により大きく傾いたのち、津波で1階部分をだるま落としのように壊され、全壊しました。当時自宅にいた弟が2階に逃げ奇跡的に助かりました。2階部分も数百メートル流された模様です。その夜は自宅近くで電車内で過ごし、次の日避難した小学校で何とか父と会えたとのことです。私は仙台の大学におり、仙台から身動きが取れず、仙台に住む伯父の家で2か月弱を過ごしました。テレビもラジオもネットも情報が錯綜状態、東松島市内勤務の父とも数日間連絡が取れず、野蒜の様子が全く知ることができず、とにかく無力でした。
私がなけなしのお金で仙台市内で1人暮らしを始め、弟も父の仙台の実家から通勤と、新しく生活を始めていく一方、戦い続けてきた父は1か月半もの間車中で寝て過ごしました。抽選に漏れ仮設になかなか入れなかったためです。結局その年の夏には東松島市を離れ、別の場所に中古住宅を実家として構えました。お金があるのではありません。結果的に二重ローンを抱えています。それでも家を持ちたかったのは、ちゃんと帰る「家」が我々2人の子どもには必要だからという父の思いからだそうです。
家族こそ無事でしたが、愛猫2匹はどうしようもなかったですし、たくさんの知人や同級生も命を落とし、家や思い出の品々はもちろん、野蒜の自慢の美しい風景や観光資源など多くのものを失いました。現場に居合わせなかった虚しさもある一方、もし当時そこに居たら自分は助かっていただろうかと思うとぞっとします。長い年月をかけてこつこつ作りあげてきたものは、そう簡単に元には戻せません。戻ってたまるかと思うくらいです。私が好きだった野蒜は、もう戻って来ない。そう割り切っているところもあります。
震災は私にとっては得ることも多く、家族関係を見つめ直し、私自身がきちんと自立するきっかけになりました。しかし、ありがたく大学に続けて通わせてもらいながら、アルバイトの給料だけで生計を立てていくのは本当に辛かったです。
ただ、命さえあればどうにでもなるのだと強く感じました。
被災者がするべきことは、ずっと悲観的になっていることではありません。真実の情報と自分の思いを発信し続けることです。被災者の現時点での生活水準は境遇によってそれぞれ異なるのは事実です。実際、私も今は労働環境に恵まれ、並みに生活できるくらい稼ぐことができています。本当にありがたいことです。たくさんお金を持っている人ほど薄情だと私は思います。なぜならその人々が少しでも支援して下されば、1人でも多く人の生活が潤うと考えているからです。それをできない人々は本当に高慢です。事実から目を背けています。意図的に見ないようにしている。しかし、そういう私も自分が生活するだけで精一杯なので情けないです。私はこの世で一番お金が嫌いです。お金で解決する世の中は嫌いです。震災はお金だけで解決する問題ではありません。日本全体が抱える問題であることを自覚している人が少な過ぎます。だから語り継ぐ必要があります。そしてその伝えていく場もより多く作られるべきです。全国放送して下さい。日本全体で向き合うべきことです。
匿名希望 20代 男性
いつも皆さんのご様子を、同じ被災地から同じような生活基準で拝見させていただいております。皆さんのこれまで生きてこられた歴史と被災状況によっても、様々な形での思いが生まれているのだと思います。ただ、私は勘違いしてはいけないと思います。震災による悲しみやそれに伴う社会的な問題点と、昔から懸念されている過疎化や社会的な孤立などの既存の問題点を、混同して議論してはいないでしょうか?
また、被災者だからという理由で、国民や市民の皆さんから税金などの形で助けていただいている事を、当たり前に感じてはいないでしょうか?あるいは被災者の意見だからという理由で、自分勝手になってはいないでしょうか?都合のよい歪んだ「絆」ではなく、先人が思いを込めて作り出した本来の意味での「絆」によって、震災を乗り越えましょう。
石巻市 匿名希望 50代 女性
毎週木曜日震災にあった皆さんのお気持ち、お辛い心のうち涙でるくらい感じ入る日々です。先々の不安や過去への思い・・・とても納得できない現実だと思います。
でも、そんな中、皆さんのお力になるため各地から東北に赴任して来ている人達がいることを知って欲しいです。家族を残し単身で来ている人達、仕事を辞めて夫についてきた私とか・・・どれだけ力になれているかどうかわかりませんが、皆さん必要とされている職場で頑張っています。中にはご病気になったり、お命を失くされたりした方もいらしゃいます。私の主人も昨年12月体調不良で病院のお世話になりました。慣れない土地での生活の苦労は、被災者の方々だけではなく、各地からいらしている赴任者の方々も感じていることだと思います。お住まいの街やご自宅を無くされた方たちには本当にお辛いことと思いますが、応援に来させて頂いている人々も頑張っていること知って欲しいです。生きている限り苦労や苦悩はあることでしょうから。
釜石市 匿名希望 40代 男性
お疲れ様です。今、みなし仮設のお話をされていましたが、震災直後の環境下で「みなし仮設」に入る事は私達の様な「体育館生活」をしている人より、より良い環境を求めた決断だったと思います。お話された内容はほとんどの人が予想していた範囲内だと思っています。
先日、いとこの姉さんに「オメーだけ大変なおもいしたってがー」・・・と言われました。あの日の出来事は一人一人が人生の中で最も良くない時間を生きていると感じていた私にとって、とても悲しい一言になりました。誰と比べることのなく、ひとりひとりがお互いを敬い、同じ空間で過ごすことが「津波が残したチャンス」の様な気がします。
匿名希望 40代 男性
福島県では、原発事故の影響で避難生活を余儀なくされ、その避難先で亡くなる震災関連死の方が、日に日に増えています。体調を崩したり、精神的に苦しい状態にある人は、その数倍はいるでしょう。将来の放射線の影響を心配する気持ちは分かるのですが、除染作業にこだわるあまりに住民帰還が遅れ、その結果として避難先で体調を崩したり亡くなる方が増えているのでは、一体、何のための避難なのか分かりません。ましてや「同じ町民・村民で、賠償金や帰還する時期に差が出るのはおかしい」という理由で、早期帰還出来るはずの住民をわざと帰還させない事は、絶対にあってはならないはずです。そんなおかしな事が「絆」だとは、絶対に言ってほしくありません。帰還慎重派の意見ばかりを聞き、早期帰還を希望する意見に耳を傾けず、避難先で体調を崩す人が続出している・・・。これは、東京電力や政府のせいと言うよりも、原発事故の被災自治体の判断が誤っているようにしか思えません。賠償金を増額させ、みんなで一緒に帰る事が、本当に、そんなに大事な事なんですか?本当に、町民・村民のみんなが、それを望んでいるんですか?
匿名希望 40代 女性
3*11私達の目の前で住み慣れた家が黒い真っ黒い水に飲み込まれてなくなった。一晩中、暗闇の中で聞く爆発音と火事の火、何度も死を覚悟した。とてもとても長い日だった。
あの日から3年近くたった今でも、地震のあとや地鳴りの音に近い音を耳にすると、足がすくみ身体を縮めてしまう。今まで沢山の暖かい支援や暖かい言葉を頂いたが、辛い思いも…今、政府にお願いしたい。被災者には平等に支援してほしい。家や車、着る物全て津波で無くしてしまった人、人命救助だからと言って、残った家をつぶした人がいるが、その人たちは、これから沢山の借金をして家をたてます。しかし、同じ地区でも家が残った人には移転料金として、家が建てられる位のお金をだしている。お国は、なんにも無くなってしまった人を一番にしてくれないのか?!平等に支援してほしい。
匿名希望 40代 女性
東日本大震災で被災し、自宅が全壊した者です。内陸のため津波の被害ではありませんでしたが地盤が歪み、建物が傾いてしまいました。今は市営住宅の「みなし仮設」で暮らしています。
震災から今日まで、みなし仮設の世帯には何の援助もありません。テレビをつけると、仮設には多くのボランティアが訪れ、「餅つき」や「出前商店」など、様々なイベントが毎週のように開かれているのに、みなしにはボランティアさえ来ない。みなし仮設の被災者は捨てられたのでしょうか?自分は障害者で、近くに親戚もなく、いきなり今の住宅に入るよう言われ、それっきり。まるで無人島にいるみたいです。友人知人もいないので、今日までほとんど誰とも接触していません。なぜこうも差をつけられるのでしょうか?
山形県 匿名希望 50代 女性
個人事業者の被災者です。事業所の二重ローンをしてます。山形県に来たがために何の救済措置も、受けられません。一つだけありました。被災前に借りた分の利息2%位のうち1%を救済してくれる措置があるとのことです。が、地方銀行とのローン審査が必要。そのために山形県から何度も宮城に本店がある銀行へ行かなければなりません。来たくて山形に来たのでは無いのに自宅の再建なんて到底出来ません。
この番組を見ても被災者の苦しい声だけであって、苦しみの分かち合いにしか過ぎません。この番組から地域の復興!更には被災者が皆が救われるような情報も必要なのでは無いのでしょうか。ぜひ、この番組より、国が動き出してくれるような番組作りをして欲しいです。山形に来た当初、支援物資も何も無く、全て家財道具を自己資金で用意して引越し後1か月以上経って赤十字の家電セットの物資が届くあり様です。後、家賃だけです。それも、山形県庁に行き自分で手続きしました。被災地に残られた方は何事も恵まれているのではないでしょうか。
色々書いてすみません。
福島市 匿名希望 40代 女性
この番組が大好きです。いつもありのままの現状を映してくれて、そしてなにより、津田さんがひとりひとりの心に寄り添い共感してくださることに涙がでます。復興も除染もほしいけれど、一番胸のこわばりがほぐれるのは、やはり「わかってもらえる」という安心感です。わたしも津田さんのような人になりたい。みんなの気持ちを受け止めてくださって、ありがとうございます。
匿名希望 40代 男性
私は原発事故の影響で、浪江町から南相馬市へ避難しています。私は、一日もはやく浪江町に戻って生活を再開させたいと考えています。しかし「地元に店や病院が元に戻らないと、生活なんて出来ないよ」と考えている人がいます。行政側も、そのように考えているようです。でも、浪江町の住民や事業所にアンケートをとると、半数近くが「浪江町には戻らない」と回答しています。
つまり、浪江町が原発事故以前のような賑わいを見せるのは、あり得ない話なんです。「戻りたい」とハッキリ答えている住民が2割にも満たないそうですから、店や病院や会社も、原発事故以前の2割程度しか戻らないかも知れません。もしかしたら、10年後や20年後には、元のような賑わいを見せるかも知れませんが、それは「もしかしたら」の話です。私には、実現するかどうかもわからない話を悠長に待っていられるほどの余裕はありません。多少の不便さは承知の上で、浪江町に戻りたいと思っているんです。そして、その不便さをフォローするのは、行政の役目だと思っています。私の家族も、浪江町で近所に住んでいた人達も、同じような考えを持っています。行政もマスコミも、私達のような考えを持つ人が何人もいる事を知って欲しいと思います。
兵庫県西宮市 武田伸幸さん 10代 男性
オリンピックが東京であることが決まりました。自分はただ単に国民としてうれしかったのですが、同時に被災地の方々の声をテレビやSNSで知りました。震災から2年9か月ほどが経ち、正直僕は今まで震災に関して目をそらしていた訳ではないのですが、何も行動には起こせていませんでした。しかし、大学生2年になった今年に知り合った友達が、「被災地に今できることをやりたい。」と声をかけてくれました。その時自分にも何かできることがあるはずと思い、友達といっしょになって先月宮城県の石巻市に行きました。仮設住宅に住まれてる方々、仙台の小学生とお話するなかで、涙を流しながら話してくださった方や、「人の心を元気付けることのできる人になりたい!」といってくれた小学4年生の子などがいて、すごく心が動かされました。今夢中になってやっているダンスや、周りの多くの友達がいることなど、大学生の自分だからこそできることができればなと思い、2月にまた石巻へ行かせてもらおうと考えています。その時はその場所により多くの笑顔が生まれる時間にできるよう、自分のやれる精一杯のことで、石巻の方と笑顔になりたいです!!
匿名希望 40代 女性
いつも「被災者の声」を拝見しております。大変な境遇の被災者の方々も前向きに生きてらっしゃる姿に被災していませんが、日々くじけそうになる自分はとても励まされます。
一般の方々は、うちに抱えていらっしゃる思いを適切に表現できないときも多いと思いますが、津田アナウンサーの補足のコメントは短い時間と1枚の紙では表現しきれない心やつらさ、不合理な現状などをその方々の立場になって、非常に公正に、冷静に、かつ温かく、伝えていらっしゃると思います。
大震災から年月が経ち、震災関連に割かれる放送の時間も少なくなっていくのかもしれませんが、被災者の方々の思いをこれからも伝えていっていただければと思います。
匿名ですみません。
気仙沼市 匿名希望 40代 女性
東日本大震災の復興のお手伝いに、夫が今年10月から東京から気仙沼に赴任し、妻の私も一緒に来て仮設住宅に住ませてもらっています。今日、初めてこちらの番組を見ました。福島のあんぽ柿に携わる方々の回です。いろんな想いを感じることができました。
関東の実家に電話したところ、この番組は放送されてないと聞き残念に思いました。この放送を見たら、応援したい気持ちと、安心して福島のあんぽ柿を買ってくれるお客さんが増えると思います。被災地の東北にだけ放送して意味があるのでしょうか。是非、検討していただきたいです。
1
2
3
>
ページの先頭へ