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お寄せいただいたメッセージをご紹介しています

宮城県名取市  名取ゴローさん  60代  男性
番組を時々観ています。 年数が経つほどに込み上げるものがあります。被災当時は、感情のコントロールが、難しかったです。年数が経つと冷静に観て、いろいろ判断出来るようになりました。震災は、とても辛い体験です。私は、あれ以来酷い体調の不良に悩まされています。被災者それぞれ、いろいろな思いがあると思いますが、震災非体験の人達は、10年と思わないでほしいです。
熊本県熊本市  朝隈啓雄さん  40代  男性
コロナできついと思っていましたが被災地の皆様の声を聞いて自分本当に勇気を頂きました。皆様地元愛して素晴らしいです。コロナに負けません。家を失い、家族失い、仕事失い、それで生きていく強さ、敬意を表します。避難所も不具合多く、暑くて寒い、言葉がありません。自分で改めてちゃんと行きます。
チャッキーさん  20代  女性
震災から10年、初めて震災の事について投稿します。私は震災を経験して、「生きる」ことが怖くなりました。苦しみを背負って「生きる」ことは、幸せなのか分からなくなりました。 それでも、明日を生きたかった方々の分までと、「生きる」ことは止められませんでした。 あれから10年経ち、今年の1月で新成人です。今年は、あの日必死に生きようとした自分をちょっと褒めてみようと思います。 生きていてくれてありがとう。あの日を絶対忘れないから、どうか強く生きて。
神奈川県藤沢市  細川直哉さん  40代  男性
こんにちは。私は1991年3月に宮城県石巻高等学校を卒業しました。津田さんとは同期生となります。1995年から神奈川県に住み始め現在に至ります。職業はトラックドライバーです。2011年3月11日の地震発生時も神奈川県内で運転中でした。下から突き上げてくる揺れを感じた後、物凄い横揺れに変わり電柱や信号機が折れるのではないかと思いながら停車していました。直ぐに石巻の両親に電話をかけましたが全く繋がりませんでした。実家は当時、南浜町1丁目でしたので、神奈川で観るニュース映像に私は、ただただ呆然としました。幸いその日のうちに両親の無事を確認できました。今年で震災後10年になるわけですが、あの時の、言葉では言い表せない気持ちは、なかなか消えませんね。ふとした時に現れます。心の復興を必要とする人は実際の被災者数よりも多いかも知れません。その意味でこの番組が果たしている役割は大切だと思います。あとは、ここから得たものをきっかけとし、私や津田さんを含め、一人一人がこれからの自分の生き方を、人生でより重要なことは何かを見極めて一歩づつ進むだけだと思います。お体に気をつけてお仕事を続けてください、お互い年頃ですから。
匿名希望  60代  女性
録画をとりながらずっと見ています。津田さんの温かい目線を感じます。同じ方を何度もたずねてくださっていて、ずっと見守ってくださって居るのが伝わります。ありがとうございます。私の住む須賀川市は内陸部ですが、震度6強の揺れに見舞われ、農業用貯水池の藤沼湖の堤防が壊れ、7名が亡くなり、赤ちゃん1人がまだ行方不明なのが、大きな心の傷になっています。そして有機農業を営んでいた方が、原発の爆発後まもなく自殺した所でもあります。ともすれば沿岸部の大規模な津波と原発事故の避難に目が行きがちですが、内陸部でも、頑張って乗り越えようとしている人達がいることも忘れないでいただきたいと思います。
秋田県秋田市  沼澤益子さん  60代  女性
本日の番組を視聴しました。番組の冒頭で津田キャスターの出身が、石巻市と初めて知りました。放送開始当初から、キャスターとして皆さんに寄り添い、声を受けとめる姿を見てきました。これからも、皆さんの声を届けてください。ありがとうございます。