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お寄せいただいたメッセージをご紹介しています

仙台市宮城野区 やっちんさん 50代 男性
大震災から、早、1年。被災者も被災地住民も一生忘れられない日(3月11日)がまた、来ます。忘れたいけど、忘れられない。否、忘れてはいけない日。私は、青葉区の会社(8階建てのビルの8階)で地震に合いました。あの時、「自分は絶対ここでビルの下敷きになる。」と思いました。家族の顔が浮かびました。しかし、運よく命は助かりました。そのすぐ後、ワンセグで津波の襲来を目の当たりにし、これがすぐ近くで起こっている事とは信じられませんでした。ヘリからの実況でした。車が必死で逃げていました。”早く!早く!”と心の中で、念じていましたが、それ以上見ていられませんでした。多くの方が、星になりました。残された遺族の方々を思うと今も涙が止まりません。仙台の街角で毎週、支援の募金をしているおばさんがいます。私は、会う度に少ないながら募金箱にチャリンと入れさせてもらっています。被災された方々に届くように!いつも思います。多くの遺族の皆さん!今も痛みを抱いたままだとは思いますが、いつの日かきっと、いい事があります!人生、捨てたもんではありません。亡くなられた方々に対しても、一生懸命、生きようではありませんか!私は、これからも、街頭募金に少しではありますが、募金を続けます。貧乏ですが、一緒に頑張りましょう。自分に勝ちましょう!人生、これからですよ!
麻由美のママさん 40代 女性
2011.3.11から一年経とうとしていますね。本日の放送の普代村から八戸市までの被災地の声拝見させていただきました。特に岩手県普代村の漁師さんのインタビューがとても印象深かったです。笑顔の漁師さんがカメラの前で沈没した自分の船を引き上げた時の事を、感慨深そうに「奥さんと一緒に泣いたよ」と当時の心境を赤裸々に告白した時は、テレビの前で私も、わぁーと泣いてしまいました。修理中の自分の漁船を見つめる彼の眼差しはとても温かく優しい表情で「修理完了したら又この船で張り切って仕事を頑張るよ」と前向きだし、最後にぽつり一言「これでやっと漁師に復帰出来る」と。こちらの心が熱くなりました。あの笑顔の一言が、彼の長く苦しい一年をもの凄く簡単に物語っている一言だと感じました。お体に気をつけて東北のこれからの発展のエンジンになります様に応援しています。駄文ですが、まだまだ仕事に復帰復活出来ないであろう見知らぬ多くの人々の完全なる復旧復興を祈って止みません。がんばろう東北!
千葉美幸さん 30代 女性
普代村や洋野町のようなところを取り上げてくださって、ありがとうございます。被害が少ない、というだけで、被災地指定から外れ、目も向けられないところはたくさんあります。みなさん、口癖のように、「沿岸部やよそに比べたら」等といって、自分達のつらさを軽いもののようにしていますが、なくしたものの重さは、巨大地震や津波被害として報道されてもいいくらいです。これからも、報道に埋もれた被災地を、取材しつづけていただければ嬉しいです。
匿名希望 30代 女性
震災以降、仙台では震災特例目当ての求人募集が増えています。若年者の手当も絡めて雇用して手当が入金されると業務態度が悪いという理由で解雇されます。地元以外のよそから来た企業ばかりです。長引く不況で地元企業の倒産が相次ぐ中、せっかく生き残っている地元企業にはなんのメリットもない支援ばかり。ハローワークは求人内容を精査すべきです。 公共事業も人件費高騰で入札価格が折り合わないせいで、最近になって価格引き上げと入札参加企業を地元企業以外にも拡大されました。大手ゼネコンが落札して実際に工事をするのは地元の下請け企業なんておかしくないですか? また、賃貸物件が不足していると騒がれていますが、借家やアパートが津波で流されても大家には義援金も支援も一切ないのですから、わざわざ再建しようなんて思いますか?
宮城県亘理郡 磯田 美恵さん 30代 女性
本日の「岩沼・玉浦(蒲崎)」の放送を拝見しました。八百屋の方がおっしゃったように『誰かが帰ってこないと、誰かがそこで生き続けないと、地域はなくなる』のだと私も思います。その玉浦から、1KMも離れていないところに私の家もあります。この八百屋さんのように、私の父も『先陣をきるわけではないが、誰かが帰ってこなければ、誰も近寄らなくなる』と言って、家を建て直し自営業を再開しました。不運なことに再開して間もなく、事故によって他界してしまいましたが、私は先陣をきってこの土地に帰ってきた父を誇りに思い、その父の遺志を引き継いで父の生前の時と変わらずここに生きています。これからも生きていきます。『誰もいないところに、住民がいないところに観光も発展も復興もあり得ない』私たちの意見を気持ちを聞いてください。住民がいてそこに住む人がいて、初めて復興が現実となるのだと私は強く思います。
栗原市 鈴木美紀さん 50代 女性
こんにちは!番組当初から欠かさず拝見しています。はじめのころ、津田さんが被災者の前に正座して涙ながらだったのを拝見して「この人は本気だ」と思いました。 それから、テレビオンエアをTwitterで中継し続けたのです。放送されない全国の皆様からはんきょうがあり、毎回リツイートされました。残念ながら昨日Twitterを退会しました。わたしのささやかな津田さんへのエールも全て消えました。今後はテレビで応援いたします。ありがとうございました。m(__)mお元気でご活躍くださいませ。
栗原市 匿名希望 30代 男性
宮城県内の建設工事下請け会社で働いています。職人が足らず、メーカーを頼り応援をもらってこなしていますが、高額な手当です。以前から居る職人さんも納得できないでしょうね。それで以前から居た職人の手当も多少は上げていますが、下請け会社の当社は全額「赤字」を自腹で吸収しているのが現状です。復興景気といいますが、確かに仕事の量は嫌になるくらい多すぎます。キャパオーバーです。但し、こなせばこなすほど、会社体力の疲弊、現地職人の不満、会社運営側の精神が異常を来たしているのが現状です。
栗原市 千葉美幸さん 30代 女性
私の拙い投稿が津田さんに声にしていただいて、一年になろうとしています。栗原市は除洗や道路、志波姫小学校のようなプレハブ校舎、内陸地震の影響にいまだにてこずっています。栗駒山の崩落部分はおそらく手付かずのままです。私自身、東日本大震災の被害が大きすぎて、それまで後世に伝えようと決意した内陸地震のことをはっきりと思い出せず、大変つらく悲しいです。誰かは、「自分のことのように思わなくていい、忘れていいんだ」と言ったそうですが、私はそんな恐ろしいこと、考えるだけで血の気が引きます。私たちがいくら伝えても、記憶のどこかに置いてもらうか、感じてもらえなければ無意味です!この番組が始まって一年がたったら、何か新しい手法が必要になるかもしれません。私は、被災地の声が途絶えたときが一番恐ろしく、悲しいです。私が内陸地震を、忘れてしまったように。忘れては、いけない。そのために何をすべきか、考えなければいけないときが、来ていると思います。
福島県耶麻郡 ritsuconconさん 50代 女性

おはようございます!今朝の『被災地からの声』を拝見しました。あの佐々木正志さんと言う方・・・素晴らしい方だと思いました。心の中には、言いたいことは山ほどあったとお察しします。怒りや切なさや責める気持ちもすべてを呑み込んで、明るく笑顔でお話下さる姿に感動しました。何と素晴らしいこと!ひとりでも仲間が増えて支えあって励ましあって進んで行って頂きたいと思いました。「ほかに行くことは死ぬことと同じだから・・・」というようなことを言われた時、ドキッとしました。覚悟のようなものを感じました。あの方のコメントを聞いて、前向きな生き方を見せてもらいました。潔いです。カッコイイです。きっと、佐々木さんは、どんな状況でも乗りきって行かれるでしょう。見ているこちらも勇気をもらいました。とても人間味あふれる佐々木さんを、また是非取材してください!そして、佐々木さんにエールを届けてください。みんな応援している声を!!
それから、雪が降る前の頃にインタビューされた、福島市南矢野目の仮設住宅の鈴木さんっていらっしゃいましたよね。花を一生懸命植えてる方です。あの放送された日に、私は訪ねて行きました。実は、南矢野目の仮設のすぐ近所に私の息子が住んでいて、その日に行くことになっておりました。テレビで矢野目の映像が映った時に、すぐに矢野目だってわかりました。そこで、鈴木さんを訪ねてみました。ちょうど川端の所の花壇で手入れをなさっていました。実際会って、こんな訳で来ました、とお伝えました。やっぱり素晴らしい方でした。私は、チューリップの球根を少しばかりですが持っていきました。「春になってチューリップの花が咲いたらまた来ますから、お体大切にして元気でいてくださいね」と言ってきました。そんな風に話してる所に、近くのおばさんが通りかかり「あのじいちゃんは、大した腕の良い漁師さんだったんだよぉ〜」と教えてもらいました。どんな環境に居ても生き方次第だと思いました。素晴らしい方に出会えて私も嬉しくなりました。雪がとけたら、また訪ねてみたいと思っています。

大震災で、大変な状況や事情があると思います。被災された方もそうでない方も、関係ないと思わずに、「いきる」という事を、皆で考えていきたいですね。『被災地からの声』ずっと継続していってほしいです。そして、いろいろな方々の姿を発進していってください。番組を楽しみにしています。

福島県郡山市 根本淑栄さん 40代 女性
あっという間に時は過ぎて復興という言葉で事故をなかった事のようにしてしまう。本当の事をおしえず、日本人の優しさにつけこむ政治のやり方に納得できません。私は未来の子ども達に美しい日本を渡すことができませんでした。でも取り戻すために頑張って生きたと胸を張れる大人でいたい。野田さん胸を張れますか?終息宣言を出して胸を張れるんですか?
須賀川市 エンジャンジャンさん 40代 女性

今年も放送が継続されていて、心底ホッとしています。仙台放送局の意地に期待しております!津田さんとスタッフさん、どうか声を拾い続けて下さい。

さて、こちら須賀川市にも仮設住宅が二カ所。一ヵ所は地元では昔から水が上がると知られていた低い土地で、役所も酷なことをと思っていたら、落ち着いた矢先に豪雨災害に見舞われたわけです。千年に一度の災害・人災から避難した方々がここでも人災に遭ったのだと思うとやりきれません。堅い選択には地元の古くからの知恵を生かすものだと、改めて思いました。入居者の悲痛な声は当時はニュースになったものの、その後何もないのも気掛かりです。元の隣人の方々との交流はあるのか、須賀川市として親しく関わっているのか、それともプライバシー上関わらないのか?車で通り過ぎる道すがら、気にし続けています。

福島県郡山市 エンデンさん 30代 男性
「被災地からの声」はよく見ていますが、メッセージ送りますのは初めてです。私の住んでおります福島県郡山市は、地震そのものの被害は小さいですが、放射線量が非常に高く(私の住む辺りは、毎時0.7マイクロシーベルトほど)、色々と心配になることが多いです。健康被害もさることながら、それ以上の問題は、いわゆる「風評被害」ですね。農作物が売れない、観光地に人が来ない(郊外の磐梯熱海温泉が最たる例)等の現象面の他、郡山市や市民を明らかに侮蔑するような言葉を多数目にします。特に酷いのはネット上でして、様々な罵詈雑言が溢れています。一例として、県外の某大学に所属の教授が「郡山市の毒コメを給食に出すとは何たることか」と発したことがあります。郡山市の米は一部を除きほとんどが放射線量ND(検出限界以下)であるとの情報を得ず、一方的な思い込みでこのような書き込みをネットにしている訳です。実に許しがたい所業です。とにかく、放射線による健康被害より先に、こうした「風評被害」による経済的被害や健康被害によって郡山市が立ち行かなくなるのでないか、いや、それ以上に、市民一人ひとりがやがて生きる気力を喪失してしまうのでないか・・・との懸念を抱いています。しかも、この「風評被害」は、同じ市民が加害と被害になる可能性も高いから、実に厄介です。先に挙げましたような危険を煽る専門家(この場合大学教授)の意見を信じる市民の方も、残念ながら多数おられるようですし・・・。どうやったら解決できるのか、途方に暮れます。
東京都立川市 みかやんさん 50代 女性
3月11日の震災直後、私たちは東京で空手の全日本大会を行いました。諸外国の選手は皆原発を恐れ渡航禁止になりました。しかし、東北、宮城の子どもたちは、がれきの中で稽古をして、交通状況もままならぬ中、11人参加してくれました。目標や夢が無くなってしまった中、この大会を一筋の夢にしてくれました。今月1月29日、11時から仙台体育館で、その子どもたちも含め、82名と少ないですが、続けることを目標に東北選抜少年少女空手道選手権大会を行います。子どもたちを応援してあげてください。
コッシーさん 10代 女性
被災地からの声、山形市からの回を見ました。 わたしは山形出身で、山形で生活している避難者の方の話もよく聞きます。わたしが聞くかぎりでは、山形での生活に馴染んでいる方が多いようで、出身者としてとても嬉しく思っています。最後の方で二人の女の子を持つお母さんの話がありましたが、私も同じような不安があります。東北以外の方にとっては、東北出身というだけで差別されるのではないか。就職できるか。結婚できるか。まだ東北を出たことがないので、すごく不安です。東北以外の方、特に若い人たちはどう思っているのか知りたいとも思いました。
福島県郡山市 匿名希望 30代 女性
いつも番組を拝見させて頂いております。被災地の現状を知るにはやはりその場所で暮らす方の声を聞くのが大切だと思います。アナウンサーさんの被災者に寄り添うコメントも大変共感させて頂いております。今朝の放送で山形に避難している福島県民の方々が出てらっしゃいました。福島や郡山の方々もいらっしゃった事に驚かれていましたが、福島や郡山は放射線量が南相馬市の一部よりずっと高い状況が続いております。私の家は郡山市の中心部で郡山駅からも近いですが、特定避難勧奨地点の指定に向けた調査が行われている区域からも近いです。だから、避難者が増え続けているのです。福島は中通りの地震の被害も酷く、そして浜通りのいわき市や相馬市より放射線量も二倍以上高い場所ばかりです。だから米が暫定規制値を超えたものが中通りからばかり見つかっているのです。除染が進まない以上、避難する人が増えるのも私たちにしてみれば当たり前なのです。福島は中通りも被災地です。
岩手町 瀧本忍さん 40代 女性
1月8日の朝拝見しました。福島の方々の思いを知り胸が締め付けられ涙がこぼれました。もし自分がこのような境遇になったら・・と考え私にできることはと考えさせられました。この仙台放送局の作っている番組を是非全国、世界に発信していただきたいと思います。まとめてエキスを1週間に1回でもよいです。もっともっとたくさんの方に被災地の声を届けてください。私は今まで他国の難民と聞いてもぴんときませんでした。でも、自国の被災者難民の方々の苦労や不安を聞くにつけ、自分の・仕事・土地・家・家族同居を失った方々の辛さを知りました。もっと国民みんなで分かち合えることがあるのではないでしょうか。例えば、避難者の雇用主に行政は補助金を出すとか・・。避難者の住んでいる各自治体の役場や公報に被災者コーナーやボランティア窓口を設ける・・など、今一度みんなで自分の立場で被災地のためにできることを考え行動に移すべきだなぁと、考えるチャンスをもらいました。さっそく私にできること・・・とメールさせてもらいます。東北以外に避難している方もいます。是非被災者の声を全国放送してください。またBS衛生放送してください。きっと一日も早い復興につながります。どうかご検討ください。
千葉美幸さん 30代 女性

新しい年を迎えるにあたって、どうしても自分には言えない言葉がありました。「おめでとう」私には重苦しく、切ない。だから、「あけましてよろしくおねがいします」といいました。周りも、同じ気持ちだったようでした。

「おめでとう」

それは、被災した人、一人残らず幸せを見つけられたら、そんなニュースがNHKで流れたら。そのときに、ぽつりとつぶやきたいのです。ああ、終わったな、と腰を落ち着け、震災の教訓を胸に、明日何するか、わくわくする。そんな日がくることを祈り、行動していきたいです。

にんじんさん 40代 男性
福島県民の本当の苦痛は汚染された場所に住んでいるという事実。そして、これから起こるであろう健康被害に対する不安、怒りだと思う。津波による復旧復興は時間がかかるが達成するだろう。しかし放射能汚染は余りにも長い時間を要する。我々は国、県、市町村をしっかり監視しなければならない。選挙も出来るだけ立候補者の今までの言動、行動を調べ見極めなければならない。政治家のごたごたで復興が遅れているのは事実なのだから。
亘理町 磯田美恵さん 30代 女性
「大津波に耐えて残された地域や家を壊さないでください」亘理・荒浜も海からの波と阿武隈川からの波で町が大きな被害を受けました。その中でも荒浜小学校を囲む集落は、堤防も壊れることなく、死者を出すこともなく助かりました。私の家は、1階部分を津波でやられ,自営業の食堂や調理場にはがれきや車やわけわからないものでぐじゃぐじゃでした。心がおれそうになりながら、葛藤の中、「柱と2階,形が残っているだけでも。」と思い,9月11日に直す意思を明らかにし、12月25日にお店を再開しました。堤防がかさあげのため立ち退きになるかもしれないという噂や不安がまだ私たちを苦しめます。でも、残されたものを壊さないでください。私たち「加藤屋」はこれから先もこの場所で在り続けます。 お願いします。いま在るものはいかしてください。もう津波には勝てません。強固な堤防なんてこの世にはありえない。必要なのは、逃げようとする住民の意識と堤防自体を道路とする逃げ道。私たちが望むのは、コンピューターが計算した安心や安全よりも、ここに生きる人間の確かなる未来です。
富谷町 玉山理華さん 40代 女性
初めのころは見ることができませんでしたが、いつの日からか欠かさず見るようになりました。一番聞くべき人たちの元に取材に行かれ継続しているからです。飾らず、変に編集されていない、そして津田さんのメッセージに共感するからかもしれません。大切な番組です。