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【随時更新】熊本地震から7年 2023年4月14日 熊本の動き

  • 2023年04月14日

2023年4月14日、熊本地震の前震から7年。犠牲となった人を悼み、被害を見つめなおす一日です。県内各地の祈りや動きの最新情報をお伝えします。

熊本市 熊本城 6:00ごろ 夜明けを迎える熊本城

前震から7年目の14日、夜明けを迎える熊本城の様子です。復活した天守閣を照らすように、朝日が昇ります。二の丸広場を多くの人が散歩したりランニングしたりする、日常の光景が広がっていました。

益城町 6:00ごろ 朝の益城町

2度の震度7を観測した益城町では、今もなお区画整理や道路の整備などが進められています。
早朝に町を歩いていた人に話を聞きました。

地震の前年に引っ越してきたという30代男性
当時と比べると景色がだいぶ様変わりしていて、さみしく感じます。
当時の出来事はきのうのように強く記憶に残っています。子どもたちにも伝えていけたらと思っています

宇城市 7:30ごろ 前震の日に生まれた小学生が登校

熊本地震の前震が起きた日の朝に生まれた男の子が、両親に見送られて小学校に登校しました。

きょうが7歳の誕生日、11日に小学校に入学したばかりです。

入学式の日には「数字が好きだから、算数の勉強をするのが楽しみです。友達もつくりたい」と話していました。

益城町役場仮庁舎 8:30ごろ 黙とう

2度の震度7に襲われた益城町役場の仮庁舎では、始業前に犠牲者に黙とうがささげられました。

その後、益城町の西村町長などが献花台に花をたむけました。

熊本県庁 10:00ごろ 追悼式

熊本県庁では犠牲者の遺族が参列して、追悼式が行われました。
遺族など23人が参列。黙とうをしたあと、花を手向けて祈りました。

娘の花梨ちゃん(4)を亡くした宮﨑さくらさんです。

花梨ちゃんは、入院していた熊本市民病院の被災によって転院を余儀なくされ、その後、転院先の病院で亡くなりました。

さくらさんは、今日の追悼式に病室で撮影した笑顔でポーズをとる花梨ちゃんの写真と、大好きだった犬のぬいぐるみを手に参列しました。

宮﨑さん
どれだけ時間がたっても娘を亡くしたつらさは変わりません。この場に来ると『もう娘はいないんだ』と感じますが、できるだけ頑張って顔を上げて、生きていくことを誓いながらここに来ました

大和卓也さんは大学生だった息子の晃さんを亡くしました。

大和さん
若者の姿を見ると、いまだに息子と重ね合わせてしまいます。『生きていたらどんな仕事に就いていたかな』と考えることがあります。7年が経ちますが、年月の経過は私たちには関係がなく、5年、10年たとうが、いつも息子のことを考えています 

追悼式のあと蒲島知事は以下のように話しました。

蒲島知事
住まいの再建では、益城町の復興まちづくりが終わっておらず、ジレンマや苦しみを味わったかたもおられる。1人ひとりの痛みを最小化し、今後も誰1人取り残さないという強い決意のもと、被災地の創造的復興に全力をあげてまいりたい

益城町 10:00ごろ 消防が震災救助の訓練

地震があった際の救助技術の継承と向上を図ろうと、地震で倒壊した家から救助をする想定での訓練が行われました。地震当時は高校生だった隊員なども参加しました。

熊本市 12:00ごろ 遺族が防災への思い込めた花壇に

旧熊本市民病院の被災により亡くなった宮﨑花梨ちゃんの母親のさくらさんは、新しく建て替えられた熊本市民病院の一角にある花壇で、
東日本大震災で亡くなった6歳の女の子の遺族から譲り受けたフランスギクの種を育てています。

ことしも追悼式に参列した後、この花壇を訪れました。

宮﨑さくらさん
フランスギクを通じて、東日本大震災や熊本地震の記憶が風化しないように伝え続けたいです。

あのときどうすれば娘が助かったのか考えてもらうことが防災につながると思います。
災害は必ず起こるので、『自分には関係ない』と思わずに、少しでもいいので、『もし自分だったら』という気持ちを持ってもらえたらうれしいです

南阿蘇村 立野駅 12:30ごろ 南阿蘇鉄道の新型車両が立野駅に

南阿蘇鉄道では7月の全線開通を前に、新型車両の試運転が行われています。新型車両はきょう、立野駅に初めて入線しました。

益城町 食堂 13:00ごろ 仮設食堂の店主が黙とう

被災後、仮設の店舗で営業を再開した益城町の食堂です。

避難所で食べた炊き出しのありがたさが忘れられず、地震の翌年に恩返しの気持ちで仮設商店街でいまの食堂をオープンしました。

地震から7年のきょうも食堂には常連客が訪れていました。

営業がひと段落した13:00ごろ、店主が黙とうをして犠牲者に祈りをささげました。
 

益城町 14:00ごろ 遺族が手作りの祭壇で祈り

林田末吉さんとヨシコさんは、地震で娘の宮守陽子さんが倒壊した自宅の下敷きとなり亡くなりました。さら地にした自宅の跡地を訪れ、手作りの祭壇に手を合わせて、静かに祈りを捧げました。

母親の林田ヨシコさん
娘を忘れられません。地震がなければといつも思うばかりですが、亡くなって7年たっても多くの人が娘を覚えていてくれることは幸せです

益城町 14:00ごろ 復興のシンボル にぎわいみせる複合商業施設

熊本地震の復興のシンボルとして益城町惣領に去年5月にオープンした複合商業施設「BOXPARKマシキラリ」にはきょうも多くの客が訪れ、にぎわいをみせました。

このうち、ずんだやあんこなどの串団子が人気の和菓子店「菓子処つつみ屋」は熊本地震で益城町の自宅が被害を受けた吉田貴さんが店長を務めています。吉田さんは宮城県出身で実家は東日本大震災で被災したということです。

吉田貴さん
町全体を元気にしたいという思いでこの店を立ち上げました。7年経って少しずつ町が元気になってきたと感じます。店には宮城県出身の人もわざわざ買いに来てくれるので励みになります

益城町 15:00ごろ 復旧進む益城町の神社

境内のすべての建物が全壊した木山神宮では一部の建物は再建されたものの、いまも拝殿の復旧工事が続いています。

工事は6割から7割程度進んでいて、ことし6月中に完成する予定だということです。

祢宜の矢田幸貴さん 
地域や全国の方に励まされあっという間の7年でした。多くの方にお参りいただけるような拝殿になってほしい

熊本市 15:00ごろ 地震被害の銭湯 自慢の湯で「地域盛り上げたい」

熊本市中央区の銭湯「世安湯」は熊本地震で煙突が壊れるなどの大きな被害を受け、およそ1年半にわたり休業するなどの影響がでました。営業再開から5年あまりが経ち、銭湯ではきょうも熊本の地下水を薪で丁寧に沸かした自慢の湯がなみなみと注がれていました。

経営者の坂﨑友治さん
あっという間の7年でした。私たち自身も地域の力に支えられてきました。銭湯を通して人を幸せにするのはもちろんですが、今後は新しく作ったイベント用のスペースで読書会などを開いて地域を盛り上げていきたい

益城町 19:00ごろ 追悼の祈りと復興への願い込めた竹灯籠

益城町の復興まちづくりセンターでは追悼の祈りと復興への願いが込められた竹灯籠に火が灯され、犠牲者を追悼する黙とうが行われました。

手作りの竹灯篭には「頑張ろう」とか「笑顔で未来へ」などとメッセージが書かれたおよそ550本の竹灯篭がひとつひとつ並べられました。

熊本城 20:00ごろ 地震の風化を防ごうとライトアップ

熊本地震で被災した熊本城。 
4月15日まで地震の風化を防ごうと、日没から日の出まで終夜、天守閣が白くライトアップされます。

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