熊本城 一日に積める石垣は3つ?復興まで30年?工期延長理由は
- 2023年04月12日
熊本のシンボル、熊本城。
7年前の熊本地震で大きな被害を受け、いまも復旧工事が続いています。
石垣の現状は?復旧完了はいつ?そもそも熊本城って?
最新の状況を解説します。
(熊本放送局 記者 武田健吾)
Q熊本城って、どんな城なの?
戦国時代の名将、加藤清正が1607年に築いた城です。
東京ドーム21個分の敷地面積の中に、宇土櫓をはじめとする13の重要文化財のほか、20の復元建造物が建っています。
復元建造物とは、明治時代に解体されたり、火災で焼失したりした建造物を、鉄筋コンクリートなどで再建したもののことです。
1877年(明治10年)にはじまった西南戦争では、薩摩軍が反乱を起こし、それを迎え撃つ新政府軍およそ3300人が熊本城に立て篭もりました。そのころ、1600年頃に作られたとされる天守は焼失し、1960年に鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建されました。
Q石垣はどのようにできているの?
石垣は基本的に3層構造で出来ています。最も内側が盛り土、その外側が「ぐり石」というこぶし大の石が詰められた層、最も外側が「築石」と呼ばれる重さ300キロから2トンほどある比較的大きな石が積まれてできた層です。
こぶし大の「ぐり石」は石と石の隙間から水を逃がすことで、石垣内部の水はけをよくする効果がありますが、熊本地震では一部の石垣で、ぐり石が大きく揺れ動いたため「築石」を内側から押し出し、崩落につながったと考えられています。
熊本城の石垣は、武士でも容易には登れないことから「武者返し」と呼ばれています。
「武者返し」は地面付近は傾きが緩く、上に行くにつれて傾きが急になっていく独特な作りで、その反り返るような美しい傾斜は見る人を惹きつけます。
Q2016年の熊本地震ではどのような被害を受けたの?
敷地内の33の施設すべてで、やぐらが倒れたり、瓦が落ちたりする被害がありました。
このうち、天守閣は鉄筋コンクリート造りの復元建造物であるため、建物の倒壊はありませんでしたが、大天守の最上階ではほとんどの瓦が落ちたほか、天守閣を支える石垣の一部が崩壊しました。
また、石垣については、およそ1000ある面のうち、半分以上にあたる517面で石が崩落したり、石垣が膨らんだりする被害が出ました。積み直しが必要な石の数はおよそ10万個。城全体の被害総額としては、およそ634億円にものぼりました。
Q現在の復旧状況は?
復旧工事は、熊本市が策定した熊本城復旧基本計画に沿って進められています。これまでに、天守閣と長塀の復旧は済み、復旧はおよそ2割ほどの進捗状況です。
ただ、去年、計画の見直しが行われ、当初20年かかるとされていた工期が15年延長となり、2052年度までかかる見通しとなりました。
これまで災害で熊本城ほど大きく被災した城はなく、傷ついた石垣の調査や復旧方法の検討、それに専門性が求められる石工などの技能者の育成には時間を要することが主な理由です。
Q石垣の復旧はどのくらい大変なの?
熊本城は、国の特別史跡に指定されています。特別史跡とは、文化財のなかで学術上の価値が特に高く、日本の文化の象徴ともいえるものとされています。
そのため、石垣復旧は石を元あった場所に、そっくり元通りに戻さなくてはなりません。石を積むのは絶妙なバランスが必要で、全国から集められた職人が作業にあたっていますが、1日に積める石(築石)は平均で3個ほどです。
Q復旧が進む熊本城、その見どころは?
2021年の6月からは、天守閣の内部公開も始まっています。天守閣内は、さまざまな展示物が設置されていて、加藤清正の築城当時から現代までの歩みを模型や映像を通して楽しむことができます。
また、敷地内では現在も工事が続いていることから一部の区間は入ることができないものの、場内には長さ360メートル、高さが6メートルほどある「特別見学通路」が設置されており、通路を歩きながら天守閣や復旧中の飯田丸五階櫓などを観覧することができます。