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【被災地の声】珠洲市蛸島町の漁師、山崎伸次さん 15分前まで一緒にいた義兄を亡くす「残った人たちでがんばるしかない」能登半島地震

  • 2024年02月01日

2024年1月1日に発生した、石川県能登半島地震。

1月30日までに石川県内で「災害関連死」の疑いを含め、238人の死亡が確認されています。

こうした状況の中で取材にこたえてくださった被災者の方たちがいます。

珠洲市蛸島町の漁師、山崎伸次さんの声です。

15分前まで一緒にいた義理の兄が

珠洲市蛸島町の漁師、山崎伸次さん(65)は、1月1日の午後1時ごろ、新年のあいさつ回りで近所に住む妻の兄、安宅一男あたか かずおさん(69)の自宅を訪れました。

訪れた住宅には、当時、義理の兄の安宅さんのほか、安宅さんの母親、それに山崎さんの孫など親族およそ10人がいたということです。

山崎さんが安宅さんの家を出た約15分後、地震が発生。

山崎さんにけがはなく、家族を避難させたり船の安全を確保したりして、翌朝の7時半ごろ、安宅さんの家を再び訪れたところ1階部分がつぶれて倒壊していたということです。

“気遣いを欠かさない人”

取り残されている人がいないか声をかけたところ、倒壊した住宅の中にいた安宅さんの母親から返事があり、その後、駆けつけた消防などに救出されました。

しかし、安宅さんは意識がない状態で見つかり、その後、死亡が確認されました。

安宅さんは気遣いを欠かさない人で、山崎さんが去年、新しい漁船を購入した際には大漁旗をプレゼントしてくれたということです。

山崎さん 
「物静かでおとなしく、気のいい人だった。本当に紙一重で、あと少し家を出るのが遅れていたら、その場にいた親族は全員死んでいたかもしれない。義兄が守ってくれたと思うしかない」

山崎さんはいま、自宅近くの小学校で家族とともに避難生活を送っています。

「いつ仕事ができるようになるかわからないが、漁が再開すれば町の活気も変わると思うし、残った人たちでがんばるしかない。それまではこの生活を我慢するしかない」

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