第4回(2001年)

囁く砂

「囁く砂」
(インドネシア=NHK)

グレーマンズ・ジャーニー

「グレーマンズ・ジャーニー」
(イラン=NHK)

ザ・ロード

「ザ・ロード」
(カザフスタン=NHK=フランス)

きらめきの季節/美麗時光

「きらめきの季節/美麗時光」
(台湾=NHK)

囁く砂

囁く砂
Whispering Sands
2001年/インドネシア=NHK/カラー/110分

●2001年 プサン国際映画祭 ニューカレント部門出品
●2001年 アジア・パシフィック映画祭 最優秀撮影賞・最優秀音響賞・新人監督審査員特別賞
【物語】
1960年頃、海沿いの村。ブルリアンは、娘ダヤと一緒に粗末な家に住んでいる。夫アグスは、草人形を使って客寄せする行商の薬売りで、ダヤが小さい頃から旅に出かけたままだ。ダヤが覚えているのは、人形を操る父の面影だけだった。ブルリアンは薬売りのかたわら産婆を手伝い、出産や堕胎の手助けもしている。
ある日ダンサーとして旅暮らしをしている、ブルリアンの妹ドゥリマが訪れた。妹は、反乱軍が迫っているし、治安も悪化しているので、逃げるように説得するが、ブルリアンはここに残ると言いはる。しかし家は火を放たれ、母子はわずかな荷物を手に村を逃げ出す。
パシール・プティ(「白い砂」の意)を目指して砂の中を彷徨った2人は、ようやくあばら家に落ちつく。ブルリアンは、砂が吹き付ける小屋で薬を売る商売を始め、ダヤは、スクマという名の、体は不自由だが美しい声の少女と友達になる。スクマには両親がなく、年老いた祖父と2人で暮らしていた。
ある日、一座とともにドゥリマがやって来る。彼女はダヤに赤い伝統衣装を与える。ブルリアンは、娘に踊りを見せることには反対するが、ダヤはこっそり夜通しでショーを見に行く。翌朝家に帰ったダヤは、母親が赤い衣装を燃やしているところに出くわす。ダヤはヒステリックに、なんでお母さんは自分が好きなものを全部取り上げるのだ、父さんのことも取り上げたのだと言う。
しかし、アグスが突然あばら家を訪れ、自分を引き取ってほしいと懇願する。アグスはダヤに、都会の豊かな暮らしを語り、俺はいつか偉くなってみせるのだ、そしたら、お前とお母さんに何でも買ってやると語る。
スクマと遊んでいるダヤ。そこへ反乱軍が現れる。一団が通り過ぎたあとには、殺されたスクマが残されていた。ダヤは耳を砂につけ、地中に行ってしまったスクマの声を聞こうとする。
アグスは悲しむ娘を散歩に誘い、金貸しの家に連れて行き、何やら相談事をしている。そしてある日、アグスはダヤを再び金貸しの所に連れて行く。そこで金貸しはダヤに、マスターベーションしてみせるように言う。
砂に倒れこみ、打ちひしがれているダヤを見て、ブルリアンは全てを悟る。彼女は自ら薬を調合し、夫に飲ませる。ゆっくりと倒れていくアグス。
翌朝、小屋は砂に埋もれている。アグスは生き埋めになったのだ。金貸しの家も焼け落ちている。今はただの砂山になった場所で、ダヤは地下の声を聞こうと耳をあてる。
―村外れ。ブルリアンはスクマの祖父にダヤを預け、旅立たせる。母子はすがり合って泣くが、ブルリアンの決心は変わらない。そして娘を送り出した後、ブルリアンは一人立ちつくし、悲しみに暮れるのだった。

【解説】
女たちの涙を吸いとる砂粒/片岡真由美(ライター、編集者)

まだ髪を後ろで束ねることもうまくできない少女ダヤと薬草売りの母親。2人は風が強く吹きつける貧村でひっそりと暮らしている。幼い頃に出て行ってしまった父を今も慕い、外の世界へ興味を抱きはじめた娘と、厳しい生活の中で威厳を持って娘を見守る母親。深い親子の愛情で結ばれながらも、2人には隔たりが生まれている。やがて娘も一人で生きて行かねばならないことを知る母親は、その心配と不安を冷徹な表情に変えている。まだ大人の世界を知らないダヤには母親の心配は理解されず、彼女はただ、今を楽しみたくてうずうずしているのだ。
過酷な運命に吹き飛ばされそうになりながらも雄々しく生きる女たちを描いたこの作品は、同時に、神話世界のように美しく容赦ない自然の姿を映しとり、豊かな映像美を誇る。風に運ばれる砂、ダヤとスクマがたわむれる草原。人々が踊りながら進んでくる海岸。強く美しく荒々しくも、蜃気楼のようなはかなさも持つ土地。
一方、この世界の中で男たちは大地に足を踏ん張ることなく流れ流れている。焼き討ちが目前に迫った村を後にしたダヤと母親が道中で出会う男は親切にも2人に食糧を与えるが、緊迫した2人に比べて彼はのんびりした速度で歩き去っていく。ダヤにお守りの面を差し出した男もまた、彼女たちの食糧を屈託なく奪い、いずこかへと走り去る。そして、唐突に姿を表すダヤの父親。彼もまた、一人現実に向き合うことなく流れているが、前述の2人の男とは違ってダヤと母親を手ひどく裏切る。
人生の辛酸をなめつくした母親にとって、生きるとは絶え間なく吹きつけてくる砂粒に皮膚を刺され続けるようなものだ。その砂粒からできる限り娘を守りたいから、教育を受けさせたいし、「女」になることからできる限り遠ざけたい。でも、ダヤは「娘」と呼びかけられるのではなく、「ダヤ」と名前を呼んでほしい。私は私という一人の個性であることを認めてほしいと母親に訴える。 だが、憧れていた父親から、父親への愛情を示してくれと言われてさせられた行為はダヤを打ちのめす。彼女にその行為の意味は完全には理解されなかったろうが、「女」である自分が男の欲望にさらされる存在であることは瞬間に察した。それこそが、母親がずっと恐れていたことだった。
母親はいつまでも娘を手元に置いて守りぬきたかっただろう。母親にとってダヤだけが宝物なのだ。離れたいわけはない。だが一方で、手元に置きつづけてもダヤの未来に希望がないことも母親には見えている。だから、この先、だんだんと老いく自分が一人きりになる悲痛を飲み込んで、ダヤを老人とともに旅立たせるのだ。
そして母親の涙を、砂は、こともなげに吸い取り、いずこへと運びさっていく。 女たちは絶え間ない風によって姿を変えられていく砂地のごとく周囲に翻弄され、流れる砂は彼女たちの悲しみの声を受けとめると同時にそれをかき消していくのだ。それはインドネシアの一地域の特殊な環境に閉鎖せず、あまたの女性たちの声に、母親の深い愛と苦しみという普遍に、重なっていくのだ。
【監督・原作・脚本】
ナン・トリフェニ・アハナス

ジャカルタ芸術学院映画・テレビ学科卒。専攻は監督。卒業制作作品『The Only Day』が1992年アセアン・ヤング・シネマ・フェスティヴァルで大賞を受賞。ブリティッシュ・シェヴニング賞奨学金を得て、英国のイースト・アングリア大で映画学修士を取得。短編、ドキュメンタリー、テレビドラマ、コマーシャルの脚本、監督を手掛ける。
ほか、映画学校で講師も務めている。ドキュメンタリー『僕はガヨの歌い手 "TheLittle Gayo Singer"(Ceh Kucak Gayo)』(1995)は、山形国際ドキュメンタリー映画祭'97に招待された。1998年には、女性監督ミラ・レスマナ、それに男性監督リリ・リザとリザル・マントヴァニらと共に4人の監督によるオムニバス映画『Kuldesak(袋小路)』を完成させる。本作が長編劇映画初監督作品となる。

【スタッフ】
脚本:ライヤ・マカリム
エグゼクティブ・プロデューサー:シャンティ・ハルマィ、上田信(NHKエンタープライズ21)、クリスティン・ハキム、ハリス・ラスマナ
制作:シャンティ・ハルマィ 、デシレ・ハラハップ
撮影監督 :ヤディ・スガンディ
音楽:トルシ・アルゲスワラ
音響デザイン:ビル・ジェド
美術:フランス・X・R・パアト
編集:スントット・サヒッド

【キャスト】
ブルリアン:クリスティン・ハキム
アグス:スラメット・ラハルジョ・ジャロット
ダヤ:ディアン・サルトロワルドヨ
スウィト:ディディ・プテット
ドゥリマ:カルリーナ・イナワティ
産婆スリ:デウィ・サウィトリ
スクマ:デッシ・フィトリ
祖父:ドクター・プルノモ
反乱兵:ディク・ドアンク

日本語字幕/西廣咲子

【ナン・トリフェニ・アハナス監督からのメッセージ】
この物語が生まれたのは、5年ほど前、東ジャワのブロモ山でドキュメンタリーを撮影していた時の事でした。砂漠の壮大な眺め、実に美しい日没、そして一日を通じて現れては消える霧というロケーションに、非常にインスパイアされました。
ブルリアン、ダヤ、アグス、スウィトといったこの映画の登場人物たちは、私が今までに会ったり、本で読んだり想像したりした多くのキャラクターたちの混合物です。ブルリアンがその典型なのですが、彼女は私がまだジャカルタの映画学校の生徒だった頃バスに乗り合わせた、一人の女性が元になっています。この女性は、娘の手を固く握り、空いているただ一つの席に座りました。残りの乗客も見つめていました。娘の顔は焼けただれ、醜い痕になっていて、頭髪も、耳たぶもありませんでした。母親はハンカチを袖から取り出して、45分間、誰の手も借りずに、娘の顔の前にかかげていました。
私がブルリアンという登場人物によって描きたかったのは、この、一種の無条件の愛、力、忍耐なのです。ブルリアンの娘への愛は、娘自身は母を好きになることを恐れてしまうような、強迫観念的なものなのです。苦く、理解不能な夢。
「囁く砂」は単に、人の精神にとって母の愛というものが、いかに息苦しく、かつ自由にさせてくれるものであるかということについての物語であるだけでなく、人々が人生に時折招く、社会における通常の規範とは殆ど無縁な、ある判断と力についての物語でもあるのです。