第3回(1999年)
「ペパーミント・キャンディー」 (韓国=NHK)
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「リトル・チュン」 (香港=NHK)
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「欲望の仮面」 (ネパール=NHK)
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退屈なオリーブたち (オーストラリア=NHK)
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柳と風 (イラン=NHK)
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ペパーミント・キャンディー
Bakha Satang/Peppermint Candy
1999年/韓国=NHK/カラー/135分
●1999年 プサン国際映画祭オープニング
●2000年 デジュン(大鐘)映画祭グランプリ・最優秀監督賞・最優秀脚本賞・最優秀新人男優賞・最優秀助演女優賞
●カンヌ映画祭監督週間出品
●カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭審査員特別賞・FICCドンキホーテ賞・NETPAC賞スペシャルメンション
【物語】
1999年春。かつて同じ工場で働いていた仲間たちの集い。20年前に同じメンバーで来た川岸でのピクニックで、今や40代になった男女が飲み、歌っていると、連絡がとれなかったはずのキム・ヨンホがひとりだけ場違いなスーツ姿で現われる。だが、久しぶりの再会だというのにヨンホはほとんど喋らないまま急にマイクを握って熱唱したあと、鉄橋に登ってしまう。近づいてくる列車の汽笛にも微動だにせず鉄橋の真ん中に立ったままのヨンホの脳裏に、次々と自分の過去が現れては消えていく。事業に失敗し、妻子とも別れ、自暴自棄になっていた数日前に思いがけず果たした、遠い昔の初恋の人スニムとの悲しい再会。5年前は事業が成功し、豪華な新居に引っ越したところだった。その6年前は……その3年前は……妻の浮気があり、自分の浮気があり、刑事だった自分がいて、思いとは裏腹にスニムに冷たくしてしまった自分がいた。いつも手紙にペパーミント・キャンディーを入れてくれたスニム。やがてヨンホの心は初めてスニムと気持ちが通じあった20年前のあのピクニックの日に戻っていく。輝く未来を信じ、人生は美しいと心から思えていた、今となっては遠い遠いあの日に。そして、列車は近づいてくる……。
【解説】
『ペパーミント・キャンディー』はデビュー作『グリーン・フィッシュ』が韓国国内はもとより、バンクーバー映画祭など、海外からも絶賛されたイ・チャンドン監督の2作目。生きていくことに絶望した四十男ヨンホが、死の直前に過去20年の自らの人生を逆回りにたどって行くという時間旅行を描いている。
流れ行く「時間」を効果的に表現するのに監督が小道具として選んだのは、写真と列車。主人公ヨンホが20歳の時に憧れていた写真家という職業は、消え去ってしまう今この一瞬を、永遠にとどめておきたいという人間の空しいまでの欲望を具現化した存在として描かれる。
そして全体が7つのチャプターに分かれたこの映画のインタールードとして挿入されているのが、高原を走って行く列車。よく見ると、その横には後ろ向きに進んでいく自動車や鳥の姿が。「フォワード・トゥ・パスト」と監督自身が説明するように、単に過去に「戻る」のではなく、ヨンホが自分の人間性の原点を探し求めながら進んでいく旅なのだ。
彼がさかのぼる過去20年間の歳月は、そのまま韓国という国の現代史に重なっていく。特にヨンホのその後の人生に大きなトラウマとして残るのが、1980年の光州事件。すべての韓国人に深い傷跡として残るこの事件も臆することなく真っ正面から捉えている。
主人公ヨンホに扮したソル・ギョングは、『虹鱒』『虚空に立ち止まる鳥』『幽霊』そして本作と、その出演作4本がまとめて今年のプサン国際映画祭で上映され、『八月のクリスマス』『シュリ』のハン・ソッキュに次ぐ若き演技派として一躍、注目を浴びている。演技というより、まさしくヨンホになりきった鬼気迫るその表現力は、ソル・ギョング本人が『ペパーミント〜』はあまり思いだしたくない映画、と公の場で発言したほど熱が入ったもの。純朴な青年が、兵士として光州事件に遭遇してしまい、一人の少女を撃ち殺してしまったことから人生を狂わされていく様を全身全霊をこめて演じきっている。
プロデューサーのミョン・ケナムは、韓国を代表する名バイプレーヤーで、『グリーン・フィッシュ』ではハン・ソッキュ扮する主人公が与した組織に敵対する大ボスを演じていたのが印象的。昨今の韓国映画界の最大の問題である「スクリーン・クオータ制度死守運動」のリーダーの一人としても活躍している超大物。(三原 繁美)
【監督・脚本】
イ・チャンドン
1954年大邱(テグ)に生まれる。1980年慶北大学国語教育学科教育大学韓国文学部を卒業。1981〜87年学校教師として勤務。1983年小説「戦利」で小説家デビュー。東亜日報新春文学賞受賞。1987年小説「焼紙」「親忌」「紐」などを次々に発表。小説「運命について」で李箱(イ・サン)文学賞最終選考に残る。1992年小説「鹿川には糞が多い」発表。1993年第25回韓国日報文学賞受賞。友人パク・カンスーの依頼により、映画『あの島に行きたい』の脚本を執筆。助監督としても参加。1995年『美しき青年 全泰壱(チョン・ティル)』の脚本を執筆。1996年映画『グリーン・フィッシュ』の脚本を執筆。ムン・ソングン、ミョン・ケナムなどの俳優たち、ヨ・ギュンドン監督とイースト・フィルム社を結成。イースト・フィルム社第1回製作作品『グリーン・フィッシュ』で映画監督デビュー。1997年2月、『グリーン・フィッシュ』が韓国で封切られる。第33回百想芸術大賞最優秀新人監督賞、最優秀脚本賞受賞/第17回映画批評家賞最優秀新人監督賞受賞/第35回大鐘映画祭特別審査員賞、最優秀脚本賞受賞/第18回青龍賞最優秀監督賞受賞/第16回バンクーバー映画祭ヤングシネマ部門龍虎賞受賞。1998年シネ21最優秀監督賞受賞。「国内映画割り当て監視委員会」のスポークスマンとして活動。1999年韓国の芸術振興を目的とする投資会社「ユニコリア文芸投資株式会社」にて指導的役割を担う。
イ・チャンドン監督はその後「オアシス」(2002)でベネチア映画祭監督賞を受賞。4年間の韓国文化観光部長官を経て製作の現場に戻り、「シークレット・サンシャイン」(2007)でカンヌ映画祭女優賞を受けるなど、活躍が続いている。
【スタッフ】
製 作:ミョン・ケナム、上田 信(NHK)
製作補:チョン・ジェヨン、ジェイ・チョン、飯野恵子(NHKエンタープライズ21)
撮 影:キム・ヒョング
照 明:イ・ガンサン
美 術:パク・イルヒョン
音 楽:イ・ジェジン
【キャスト】
ヨンホ : ソル・ギョング
スニム:ムン・ソリ
ホンジャ:キム・ヨジン
【イ・チャンドン監督からのメッセージ】
『ペパーミント・キャンディー』では過去に向かって時間が逆に流れる。私やほかの韓国人が通り過ぎてきた時間とはどういうものだったのか?そんな疑問に答えを見つけるため、時間という外殻や色褪せた錆を取り除きつつ時を遡り、“20歳の若者”を探しに行った。この作品においての時間を遡るという行為は、感傷的なノスタルジアや、現在よりも過去に重きを置くという趣向からくるものではない。現代に生きる若者にとってある時期の若者と接点・共感を見出すきっかけを提供するものになれば嬉しいし、少しだけ先の時代を生きた世代から多少なりとも何か学ぶべきものを汲み取ってくれれば本望だ。ラストシーンで描かれている純粋でフレッシュな20代の若者に、今の若者が共感してくれればと願っている。
リトル・チュン
Xilu Xiang/Little Cheung
1999年/香港=NHK/カラー/115分
●2000年 ロカルノ国際映画祭準グランプリ・C.I.C.A.E.賞スペシャル・メンション
●2000年 香港電影金像奨7部門ノミネート
【物語】
9歳の少年チュンは学校から帰ると父母が営む食堂を手伝って電話とりから出前まで大活躍。出前先は近所のヤクザ、葬儀屋、売春宿などだ。チュンには優しいおばあちゃんがいるが、家に篭もりっきりで、フィリピン人のアーミが面倒を見ている。実はチュンには年の離れた兄がいるのだが、数年前、地下組織に入ってしまい、父親が追い出してしまったのだ。チュンは同い年の少女ファンと友だちになる。ファンもまた親の手伝いをよくする子で、2人は一緒に店の出前をやって小遣い稼ぎをしたり、ファンの幼い妹を連れて自転車で街を走りまわる。なぜかファンは学校にも行かず、警官の姿に異常に脅える。おばあちゃんから兄の数少ない写真の1枚を借りたチュンは近所の老人に兄のことを知っているか聞きまわる。それを知った父親にチュンは厳しく罰せられ、家出してしまう。居所をファンが告げ口したと思い込んだチュンはしばらくファンを許せずに過ごす。そんなある日、おばあちゃんが亡くなる。チュンが母親以上に慕っていたアーミも去ってしまう。そして、ファンは、不法入国者として中国本土へ強制送還されてしまう。ファンを乗せた車を必死に追いかけるチュンだが、いつのまにか別の車、救急車を追いかけていた……。
【解説】
『リトル・チュン』は香港の下町にある食堂で両親を手伝う9歳の少年、リトル・チュンの目を通した返還前後の香港が描かれている。出前の配達でチュンは黒社会の住民や娼婦、中国本土からの不法労働者、警察官、葬儀屋など様々な人の生活の一端に触れる。客は時には料金の支払いを渋ったり、ツケを希望したり、払わなかったりとチュンの周囲は決して恵まれた状況にないことが示唆される。はっきりとは明示されないが、チュンの兄ハンも小さな食堂の跡取りに納まるのが嫌で、地下組織に入ったのではないだろうか。
1997年7月1日の返還が近づくに連れて香港では将来に希望が持てず、地下組織に走る若者が増加した。同時に自殺者も増え、それに気づいたフルーツ・チャンは1996年、死に急ぐ若者たちの姿をチャウ、ロン、ペンの3人を通して描いた『メイド・イン・ホンコン』という映画をスタッフ5人という少人数で製作した。完成した作品は主人公の刹那的な生き方が返還を前に揺れる香港人の共感を呼び、1997年の香港を代表する映画となった。翌1998年には返還のため、英国軍をリストラされた中年男性たちが黒社会に落ちていく姿を強烈なブラック・ユーモアで描いた『去年煙花特別多(The Longest Summer)』を発表。『リトル・チュン』は返還三部作の最後を飾る作品となる。各作品は様々な角度から返還を写し、花火大会など時に同じ光景が交差する。しかし、『リトル・チュン』の最後に『メイド〜』のチャウとロンが妊婦姿のペンに仲睦まじく寄り添いながら街角を歩くという、悲劇的な結末を迎えた本編とはまた違う人生が映し出される。
フルーツ・チャンは「100年後の観客にとっても、リアルな記録として見られるような映画作りを目指している」と語り、その姿勢が毎回、プロの俳優ではなく、市井に生きる人々の起用に繋がる。今回も「チュンが見つからないと撮影しません」と断言していたというが、「香港で育った子供たちは多くのものを見すぎていて、大人と同じ目をしている。僕は無垢な瞳の少年が欲しい」とキャスティングは難航した。最終的に下町の路上で泥んこになって遊んでいるユイユエ・ミンを発見したわけだが、彼は中国本土から移住したばかりの少年で、あまり広東語は話せなかったという。香港の子供たちから失われたものへと思いを馳せてしまうエピソードだ。
最後に、食堂の人々が毎日、熱心にテレビを眺め、おばあちゃんが大好きだという俳優ブラザー・チュンこと新馬師曾(サン・マーシーチャン)について。1916年生まれの彼は1936年のデビュー作『美滿因縁』以来、300本近い映画に出演した名優で、香港人に親しまれた。1997年になって病状が悪化したがその際、妻と子供が彼の財産を巡って争い、テレビを騒がせることとなる。努力し、財産を築き、長生きしても、遺産を巡って家族が離散する。その姿は金儲けに邁進してきた香港人に苦い思いを残したに違いない。新馬師曾は返還を見ることなく、4月に逝去したことも加え、香港人に新たな人生観を模索させる一因となったのである。(金原 由佳)
【監督・脚本】
フルーツ・チャン
1959年中国広東省海南島生まれ。5歳のときに両親とともに香港に移住。映写技師等、十数種の職業を経て、1980年代に入って映画に辿り着く。ツイ・ハーク、アン・ホイ、イム・ホーらが創設した香港フィルム・カルチャー・センターで脚本、演出などを学ぶ。1982年センチュリー・フィルム・プロダクション入社。助監督をつとめる。1984年ゴールデン・ハーベスト入社。助監督あるいは製作コーディネーターとして活躍。1991年スタッフとして携わっていたトニー・オウ監督の『さよなら・わが愛』が製作延期になったとき、この映画のセットを使って僅かな予算で処女長編映画『大閙廣昌隆(FINAL IN BLOOD)』を撮る。1994年『メイド・イン・ホンコン』の脚本を書き始めると同時に、携わった映画の使い残しフィルムを密かにストックしはじめた。1996年『メイド・イン・ホンコン』の製作開始。1997年『メイド・イン・ホンコン』が完成し、興行的大成功をおさめ、町で見つけて主役に起用したサム・リーが一躍人気者になる。1998年『花火降る夏』が香港にて公開。
【スタッフ】
製 作:ドリス・ヤン、上田 信(NHK)
製作補:飯野恵子(NHKエンタープライズ21)
撮 影:ラム・ワイ・チェン
美 術:クリス・ウォン
衣 装:ウィリアム・ファン
音 楽:ラム・ワイチェン、チュー・ヘンチョン
【キャスト】
チュン:ユイ・ユエミン
ア・ファン:マク・ワイファン
ギンソ:マク・ゲイリー・ライ
ダイ・ワイ:ロビ
【フルーツ・チャン監督からのメッセージ】
1997年の香港の中国への返還に立ち会ったことは私の人生においてとても特別なことであり感情を揺さぶられる出来事であった。私はこの歴史的瞬間から触発された深い感情を表現したいと思った。そうして作ったのが『メイド・イン・ホンコン』だった。この作品で私は香港の若者たちの希望のない世界を通して自分の感情を表した。次作の『去年煙花特別多 The Longest Summer』では、ふたたび新しい社会システムに順応しなくてはならなくなった中年男たちの一群の物語に自分の気持ちを託した。3作目の『リトル・チュン』では、9歳の少年の目を通して時代の変化が香港の家族にどんな影響を与えているかを表したのだ。
欲望の仮面
Mukundo/Mask of Desire
1999年/ネパール=NHK/カラー/105分
●2000年 イェテボリ映画祭
●2000年 サンフランシスコ国際映画祭
●2000年 バンクーバー国際映画祭
●2001年 アカデミー賞外国語映画賞 ネパール代表
【物語】
カトマンズに暮らす若夫婦。夫のディパクは夜間勤務の守衛。貞淑で信心深い妻サラスウォティと2人の娘とともにつつましいが愛情に溢れた暮らしをしている。夫婦の唯一の心配事はまだ息子がいないこと。ある日、世捨て人のサドゥに、男の子を授かりたければトリプラ女神のところへ祈りに行けと言われ、サラスウォティは半信半疑で従う。すると間もなく妻が身ごもり、男の子を出産する。幸せを噛みしめる夫婦だったが、赤ん坊は生後数週間で死んでしまう。悲しみのあまり臥せったサラスウォティは、手伝いに来てくれた姑との仲もうまくいかなくなり、家庭内には一転して暗雲がたちこめる。そんな時、サラスウォティはトリプラ女神の魂の仲介者である祈祷師=ジャアクリニに会えとサドゥに言われたことを思い出す。ジャアクリニであるギタという女性は、若い頃、精神を病んだ夫の自殺によって神経衰弱になり、それがきっかけとなってジャアクリニになったのだった。ギタは若く精悍なディパクに心惹かれてしまう。ディパクに接近していくギタに、サラスウォティの心はふたたび乱れ、ついにある決心をする。もう1度、ギタ/ジャアクリニに治療の儀式をしてもらうのだ。だが儀式は2人の女性の争いに発展し……。
【解説】
シャーマニズムはアジアの国々では今なお人々の生活に根づいており、社会のなかで大きな役割を占めている。ネパールにも伝統的な宗教心に培われたジャアクリ(女性はジャアクリニ)と呼ばれる祈祷師たちがいる。彼らは生来の資質に加えて修行を積むことで世界を統治する見えざる霊力と交感の治療に当たっている。『欲望の仮面』は、そんなネパールの伝統的な信仰心を背景に、現代的な生活を営む若い夫婦とジャアクリニとの心の葛藤を描いている。
前半は、夫婦や子供、嫁と姑といった現代ネパールの家族生活が主に描かれる。ネパールにおいても、伝統に根ざした文化や生活様式は、時代のうねりによって大きく変化し、伝統的なものの価値や意味は薄らいでいる。宗教も、合理的な思考の浸透によって、古来からの儀式や迷信を含めた信仰心が形骸化しているといわれる。そのため、ネパール社会の到るところで古きものと新しきものとの対立や衝突といった葛藤が見られ、それが本作のひとつの大きなテーマになっている。
主人公夫婦とジャアクリニの関係がドラマの中心として展開する後半は、患者と祈祷師の関係に、夫をめぐる妻とジャアクリニの女性どうしの愛情や嫉妬といった欲望が重なり、いわゆる三角関係のドラマとなる。だが、ラストで取りつかれたように相手を攻撃するジャアクリニと妻の葛藤が、悪霊のためなのか、女としての愛や嫉妬のためなのか、判然としないように、ふたりの女性の葛藤には伝統と現代の対立やジャアクリニの個人的なトラウマなどが絡み、ストーリーやテーマを膨らませて興味深い作品になっている。
ツェリン・リタール・シェルパ監督は、インドのデリーで映画製作を学び、1994年からドキュメンタリー映画を撮ってきたネパールを代表する若手監督。わが国では1997年の『祈祷師』がすでに紹介されているが、このチベットの亡命祈祷師を描いたドキュメンタリー映画は、伝統と現代、古きものと新しきもの、父と子などの対立を背景にした現代チベット社会の変化に焦点を当て、明らかに本作とつながっている。本作は監督が初めて手がけた劇映画であるが、ドキュメンタリー映画で培われた際だった映像感覚と手堅い演出力には今後を期待される才能の輝きを見ることができる。(村山 匡一郎)
【監督・制作・原案・脚本】
ツェリン・リタール・シェルパ
1968年生まれ。1992年インドのデリーにあるジャマイア・ミリア・イスラミアで映画制作を学ぶ。1994年チベット国外亡命政府のあるダルマサラでダライ・ラマを撮影する。ドキュメンタリー『拷問の涙』を監督。1996年ドキュメンタリー『美徳と優しさの雨』を監督。1997年ドキュメンタリー『祈祷師』を監督。ツェリン・リタール・シェルパ監督のドキュメンタリー作品は、ライプチヒ映画祭、香港国際映画祭、アジアフォーカス・福岡映画祭等で上映された。1997年、カトマンズで開催された南アジア・ドキュメンタリー映画祭でベスト・フィルム賞受賞。『欲望の仮面』はリタール監督の初の劇映画作品。
【スタッフ】
製 作:上田 信(NHK)
製作補:飯野恵子(NHKエンタープライズ21)
プロデューサー:ロプサン・ツルトリム、アン・クサン・シェルパ、サンパ・ラマ
原案/脚本:ケサン・ツェテン
撮 影:ランジャン・パリット
美 術:サントス・ポウデル、ラジェス・シュレスタ
音 楽:ニュー・バジュラチャーリヤ
【キャスト】
サラスウォティ : ガウリ・マラ
ギタ:ミティラ・シャルマ
ディパク:ラタン・スベディ
導師:ニルマル・ピャクレル
母:ラマ・タパリア
【ツェリン・リタール・シェルパ監督からのメッセージ】
私は、ネパール人が数多く行なう宗教的儀式や信仰に疑問を抱いている。なぜなら、一般的にネパール人はただ儀式をこなしているだけで、もはや誰もその本来の意味を考えていない。完全に形骸化していると思えるからだ。それでも外国からネパールに来る人たちには、ネパールはまだエキゾチックでロマンチックな国として映っている。そして観光客のために形骸化した儀式が延々と行なわれる事態になっているのである。私個人としては、宗教や信仰は(それ自体は純粋なものであっても)非常に観念的なものであるため、これを悪用しようとする者たちの餌食にされやすいと考えている。ネパールだけでなく、世界のいたるところで宗教/信仰の名のもとに不正行為や暴力が平気で行なわれている。『欲望の仮面』では、盲目的な信仰や迷信の危険性に警鐘を鳴らし、なおかつ宗教の真摯な役割には門を閉ざさないという視点を表したかったのだ。
退屈なオリーブたち
City Loop
1999年/オーストラリア=NHK/カラー/80分
●2000年 シドニー映画祭
●2000年 トロント国際映画祭
【物語】
ブリスベンの町外れにある宅配ピザ店。月曜の夜。ここで働く若者6人それぞれの一夜の物語が、時系列をシャッフルした形で進み、ジグソー・パズルを少しずつ完成させるかのように徐々に前後関係が明らかになっていく。まずはドム。閉店した店内にひとりでいる彼は、ゴミを店内じゅうにぶちまけ、電話で悪態をつく。次はその夜の早い時間、ミーシャの話。童貞のミーシャは配達先のアイドルと「やった」とつい見栄で嘘をつく。ロバートとエリンは大の仲良しなのにロバートは親友以上になろうとしない。実はゲイだからなのだ。店主のケイティーはドムと関係を持っているが、この夜、ミーシャに現場を見られ、そのあとみんなが2人の営みをジョークにしているのを目撃してしまう。その場にいたドム自身も一緒になって大笑いしていたことにケイティーは傷つき、別れと解雇をドムに告げる。冒頭のドムの怒りの理由がここで明らかになる。元模範的従業員で現在ドラッグ中毒のステイシーは今夜ひさしぶりに出勤。だが配達先で金を盗み、ハメを外しに繰り出したあげく、深夜、衝動的に川に飛び込んでしまう。偶然その場に居合わせたドムがすかさず助けに川に飛び込む。やがて夜が明けはじめ、川岸の芝生を潤すスプリンクラーが回り始める……。
【解説】
オーストラリアの大都市ブリズベンを取り巻く郊外の一角。そこには、幹線道路が走り、小奇麗なマンションや管理の行き届いた公園があり、主人公である6人の若者たちは宅配ピザ店で働いている。彼らは、消費社会が生みだす豊かではあるが、画一的なこの世界のなかで、それぞれにジレンマを抱え、孤立し、傷つき、出口を探し求める。
『退屈なオリーブたち』では、そんなわれわれにとっても身近な題材が、実にユニークなスタイルで掘り下げられていく。この映画に描かれるのは、6人の若者たちの一夜の物語だが、その物語は時間が前後するかたちで巧みに組み合わされている。観客はそのパズルを解く作業を通して、ドラマのなかに引き込まれていく。
そのドラマから見えてくる人間関係は、彼らがいかに狭いコミュニティのなかを行き来しているのかを物語っている。この映画の原題である“City Loop”には環状線という意味があるが、まさに彼らは同じところをぐるぐる回るだけで、世界は閉じられている。そしてその世界のなかで、彼らがささやかな心の支えとしているのは、ドムとケイティーの関係やロバートとエリンの覗き行為のように、仲間の誰かと密かに特別な時間や感情を共有しているという気持ちだ。
この心の支えは、集団と個人の微妙なバランスの上に成り立っているが、この映画のパズルはそれがどのように崩れていくのかを描きだしていく。ドムとケイティーの関係をミーシャが目撃してしまったことが発端となって、集団のなかでコンプレックスを持つミーシャはアイドルとの関係をでっち上げ、自分たちの関係を笑いの種にするドムにケイティーは傷つく。ロバートはゲイであることを知られたくないという気持ちがあり、集団のなかではことさらエリンと親しくするが、皮肉なことにエリンはふたりの秘密である覗きによって真実を知る。そんなふうにしてこの映画では、いつもと変わらないはずの一夜が、主人公それぞれにとって特別な一夜に変わっていく。
その特別な一夜を締めくくるのが、ドムとステイシーのカップルであることは興味深い。彼らが身勝手で性格的に破綻しているのは、内輪の関係、さらには閉塞的で現実感が希薄な世界に反発を感じているからでもある。そんなふたりは、銃で撃たれそうになったり、川に飛び込むといった体験を経て、呪縛を解かれたように心を開き合うのである。(大場 正明)
【監督】
ベリンダ・チャイコ
クィーンズランド州コフス・ハーバー出身。国立オーストラリア映画学校卒業後、短編映画を製作するかたわら、長編映画の脚本編集も手がけ、短編映画の旗手として、また脚本編集者としても、映画業界で名をなしている。『退屈なオリーブたち』は初めての長編映画監督作品。また、短編小説家としても活躍していて、時には編集者、ジャーナリストとして、シドニー・モーニング・ヘラルド紙などに寄稿している。現在シドニー在住。本作のプロダクション中に女児を出産し、直後から撮影に入った。
【スタッフ】
製 作:ブルース・レッドマン、上田 信(NHK)
製作補:飯野恵子(NHKエンタープライズ21)
原案/脚本:スティーブン・デイビス
撮 影:ジョセフ・デミアン
美 術:ルイジ・ピットリーノ
衣 装:アレックス・バートン
【キャスト】
ドム : サリバン・ステイプルトン
ミーシャ:ライアン・ジョンソン
ケイティー:ヘイリー・マッケレニー
エリン:ケリー・ジョーンズ
ロバート:ブレンダン・コーウェル
【ベリンダ・チャイコ監督からのメッセージ】
通常とはちょっと違う、オルタナティブなストーリー展開の物語に私はいつも惹かれてきました。ですからこの『退屈なオリーブたち』の脚本を初めて読んだとき、即座に監督したいと思ったのです。この映画は観客にとってはまるでパズルをひとつひとつ見つけていくゲームのように見えることでしょう。このユニークな構成ゆえに、私たちスタッフはストーリーの伝え方や、ストーリー自体が生み出す意味について考えさせられました。といっても、これは説教じみた映画ではありません。ユーモアに溢れ、時に馬鹿馬鹿しく、そしてしみじみと哀しくもあります。この作品は、経験のあまりない若い俳優たちと一緒に仕事する機会を私に与えてくれ、同時に、とても熟練したスタッフと働く機会も与えてくれました。特に撮影監督のジョセフ・デミアンは彼自身監督としての経験を持ち、多大な影響を私に与えてくれました。
柳と風
Beed-o Baad/Willow and Wind
1999年/イラン=NHK/カラー/85分
●2000年 バンコク映画祭グランプリ
【物語】
イラン北部の、1年じゅう雨が降る村は今日も雨。小学校の教室には、割れた窓ガラスから雨が吹きこんでくる。雨の降らない地方から越してきた少年レザーは、授業中、生まれて初めての雨に見とれ、心ここにあらず。根負けした先生は外に出て思う存分雨を楽しむよう言う。やはり教室の外にいる少年クーチュキを教頭が叱責している。2週間前に窓ガラスを割ったのがこの少年で、弁償するまで授業を受けられないのだ。とうとう、明朝までにガラスを入れなければ学校に来なくてよしと言い渡された。クーチュキは何度も父親にガラスを買うよう頼んだのだが、父親はお金がないのか応じてくれないのだ。だが帰り道、転校生のレザーが自分の父親から難なくガラス代を借りてくれる。クーチュキはひとりガラス屋に行くが、サイズがわからなくなる。親切なガラス屋のおじさんのおかげでどうにかガラスを手に入れたが、外は風が吹きすさび、柳が大きく揺れている。ガラス板を抱えては歩くのも難儀だ。やっとの思いで学校に辿りついたクーチュキ。でも自分の背丈よりもずっと上の窓にどうやってガラスを嵌めたらいいのか……。クーチュキの多難はどこまでも続く。
【解説】
『柳と風』の主旋律は、教室の窓を割ってしまった少年が「今日中になおせ」と教師からきつく言い渡され、それを成し遂げようとするシンプルな物語である。大人の無理解や非協力的な態度、子どもゆえの「お金がない。交通手段が限られている。段取りが悪い。背が届かない」といったハンデから、その過程にさまざまな困難が待ち受けているのは、子どもを主人公にしたイラン映画ではおなじみのパターンだ。モハメド・アリ・タレビ監督の『ザ・ブーツ』『チックタック』『神さまへの贈り物』といったアジアフォーカス・福岡映画祭やイラン映画祭で紹介された作品にも、いずれもそういったハラハラドキドキの要素は含まれている。
『柳と風』もその流れからはずれてはいない。とはいえ冒頭10分あまりも、主人公クーチュキが姿をあらわさないというのは定石破りの構成だ。乾燥した地域からやってきた転校生が教室で紹介され、割れた窓から振り込む雨をめずらしそうに眺める。それゆえ教師は窓の修理をせかすつもりになるのだし、この転校生が主人公を助ける最初の人物なのだが、雨に打たれながら好奇心で顔を輝かせるその姿は、物語進行上の役割を超え、別のストーリーを予感させるほどだ。それは、アッバス・キアロスタミが書いたこの脚本のほんとうの主人公が雨と風といってもいいからだろう。劇中、ラストまでは音楽は使われないのも、雨と風の音を聴かせたいという思いからだろう。
風の形がさまざまに描かれる。少年たちが訪ねていく発電所では白い風車(?)が、まだ穏やかに回っていたのに、ガラス屋にサイズを確認され不安を増していく少年の耳に風の音はどんどん大きくなり、窓の外では木々が恐ろしいほどに揺れている。さらに、ガラス運搬のためのすべりどめに少年のもっていた本が使われる。風は容赦なくページをめくり、かえって少年の視界を遮る。少年の手に余るガラスは風であおられ、再び雨が降り出せば葉っぱがはりつく。
やや甘すぎた『チックタック』や『神さまへの贈り物』にくらべて『柳と風』は残酷な作品だ。悲劇の瞬間も少年の顔と音だけで知らされる。砕け散る様をみることで得られるカタルシスがないから、それは一層胸に痛い。ぼう然と少年が佇む学校の廊下に、風はさらに容赦なく吹き込んでくる。ラストシーンでも風はやまない。けれど、夕焼け空の美しさ、その空を背景にしたシルエットが示す少年の行動に「希望」というにはささやかだが、「期待」が用意されている。キアロスタミの『そして人生はつづく』『オリーブの林を抜けて』などのラストシーンと呼応するような。
撮影には、前述の3作品でも監督と組んでいるファルハード・サバー。キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』のキャメラマンでもある。録音にも『そして人生はつづく』などで知られるチャンギス・サイヤッドが参加している。(松田 広子)
【監督・脚本】
モハメド・アリ・タレビ
1958年テヘラン生まれ。10歳のとき、アッバス・キアロスタミ監督がその映画製作部とスタジオを創設した児童青少年知育協会に入り、絵画、演劇、小説、音楽そして映画製作を学ぶ。その後、演劇学部で映画テレビ演出を専攻。この大学時代に10本以上の児童向け短編映画を製作する。その後テレビ局に入り、50本以上の短編やドキュメンタリーを制作。
1984年─── "City of the Mice"
1985年─── "The Finishing Line"
1986年─── "The Wilderness"
1987〜89年─ "The Primrose"(シリーズ)
1992年─── "The Boots"
1994年─── "Tick Tack"
1998年─── "Sack of Rice"
【スタッフ】
脚 本:アッバス・キアロスタミ
製 作:モハマド・メヘディ・ダードグ、上田 信(NHK)
製作補:飯野恵子(NHKエンタープライズ21)
撮 影:ファルハード・サバー
編 集:ソホラーブ・ミーレセパスィ
【キャスト】
クーチュキ・プール:ハディ・アリプール
レザー・アルダカーニ:アミール・ジャンファダ
【モハメド・アリ・タレビ監督からのメッセージ】
『柳と風』は、全てのものがいつかは終わるように、ついに完成した。しかし、その過程で築いた友情は、私の中に深く刻まれた。脚本のキアロスタミ監督、撮影のサバー、プロデューサーのショジャノーリとダードグ、素人の俳優たち、ラビエ村の皆さん、オリーブの林を吹き抜けた秋の冷たい風の思い出……それらがすべて私の中に今でも残っている。森の奥深く、鳥の啼き声しか聞こえなかった草原の静寂の中から、キアロスタミ氏に携帯で電話をし、映画のシーンの様子や、自然の美しさ、そして自分の気持ちを話した。彼は常に私の話しに耳を傾け、また、いつも気持ち良く話しをしてくれた。そして、『柳と風』を創る私を励まし、助け続けてくれた。この映画を撮るために、私達は遠い村まで旅をした。自然の中の詩的な人生を体験し、このような新鮮な体験を皆さんに伝えられることは、とても大切なことだと思った。人間は一瞬でもいい、風と雨の間を歩けたら、素晴らしいと思った。