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北九州ラヴァーズ#9 光石研さん/俳優

ーふるさとで撮影した映画への思い
  • 2023年06月20日

今回の北九州ラヴァーズは特別編!八幡西区出身で俳優の光石研さん、61歳。今月、すべて北九州で撮影した主演映画「逃げきれた夢」が公開されました。5月にカンヌ国際映画祭でも上映されました。

光石さんが演じる主人公の周平は定時制学校の教頭で、突然、記憶が薄れていく病気に見舞われます。人生の岐路を迎えた周平が、家族や友人、教え子と向き合い人生を見つめなおしていく物語です。

ふるさとをこよなく愛する光石さんへのインタビューをまとめてお伝えします。文末では動画もご覧いただけます!(2023年6月14日放送)

聞き手 アナウンサー神戸和貴

オール北九州ロケの主演映画を機にスタジオでお話を聞きました

光石さんの実体験が台本に!?

ー光石さんよろしくお願いします!北九州にいらっしゃるのはいつ以来ですか?
実はね、ことし (2月) 北九州マラソンがありましたよね。あそこに家族が出まして。それでこっそり応援に(笑) 僕はちょっと走れなかったんですけど、走るつもりだったんですけど練習ができなくて。最初は雨で途中から晴れたんですけどね。だからあの辺りをうろちょろしていたんですよ、人知れずマスクをしてね(笑) それが久しぶりだったのかな。

ーご実家は北九州のどちらですか?
今も八幡西区の方で、黒崎です。高校生まで過ごしましたね。

ーふるさとが舞台になった映画で演じるというのはどうでしたか?
いやー本当になんだかくすぐったい感じはありましたね。あの街で走り回っていましたからね。そんな街で自分のなりわいの俳優業を、何か”街に見せる”みたいな感じでね、それがとっても恥ずかしかったんですけど。でもなんか後押ししてくれるし手助けしてくれているんじゃないかと、 街が、土地がね。応援してくれているような、勝手にそんなふうに思って芝居しました。
 

ー街の空気感も今回の映画には重要なんですか?
実はこの映画を撮る4、5年前にたまたま黒崎に帰る機会がありまして、今回の映画の二ノ宮隆太郎監督が「ちょっと同行させていただいてもいいですか?」ということで、僕も「いいよ」と言って監督と2人で黒崎の街をプラプラ歩いて僕が説明していたんですね。「ここが公園だよ」とか「学校だよ」とか。そしたらそれが台本に反映されていまして。後半にそういうシーンがあるんですよ。まさしく監督と僕が黒崎を回りながら言ったことをメモして、そのまんま彼が書いたんです。そんなこともあって、ぜひ地元の人に見ていただきたいです。

ー北九州市出身の俳優、吉本実憂さんとのシーンですね!そんな地元で撮影したこの映画の魅力、注目はどんなところでしょうか?
派手な映画ではなく、小さな街のある男に焦点をあてた映画ですので、どこか共感してくれる部分があると思うんですね。家族が出てきたり、同僚が出てきたり、仲間が出てきたりするんですけど、どこかそういう目線でも見られるので。どんな世代の方でも感動していただけるんじゃないかと思います。

-私は30代で主人公の周平と父親との関係が気になりましたが、会社の先輩は娘との関係に共感していました。光石さんが演じられた周平は、ほぼ光石さんと同世代の役。どんな人物でしょう?
あまり器用な方ではないと思うんですよね。学校の教頭先生なんですけど、一生懸命に生徒との関係を修正しようとしてもうまくいかず、家族との関係を修正しようとしても空回りしてしまうというか。そういうところが見ている人に共感していただけるところじゃないかなと思うんです。僕も60歳を迎えて、周平が直面する悩みだとか仕事だとか家族の問題だとか、そこは僕も同じように背負っていますのでね。とても共感するところですよね。

光石さんが考える「誠実なウソ」とは?

誠実なウソをつくために現場ではさまざまな努力が

ー演じる上で大事にされたことは何ですか?
映像というのは「ウソ」なんですけど。なるべくその「ウソ」を”誠実につきたい”という思いが僕にも監督にもあって。だから父親が出るときに「じゃあ実際のお父さんを出してみよう!」となって、私の実の父が出ているんですけど(笑) 僕が俳優さんと対峙(たいじ)するよりも、本当の父が出たときの光石研の表情はどうなのかと、監督は思ったんでしょうね。そういうところから誠実なウソという感じがするんですよ。だから全編を通して、なるべく「本当にそこにいるおじさん」のようにありたいなと思って演じました。

 ー誠実なウソですか。ロケ地やセリフだけでなく、本当のお父さんだったことは本当に驚きました!光石さん自身が主人公に重ねられたところはどこでしたか?
私も周平と同じような悩みを抱えていますからね(笑) だから何か役作りをするとかね、そういうことがなかったですよね。そこはもう僕が歩けば周平になるんじゃないかと思っていましたので。何か作るとか、演じることの度合いをいつもよりそぎ落としたような気がしましたね。そうなると僕自身に近づくという事なんで、もしかしたら僕にかなり近い割合で映っているかもしれないですね。

 ー誠実なウソの話では、編集を挟まない非常に長いカットがいくつもありましたね。光石さんがずっと1人で話し続けるシーンなど撮影の現場はどうでしたか?
ああいった長回しといわれる手法は、僕らも緊張しますけどスタッフも緊張するんですよね。ものすごくみんなが集中した良いカットになることがあるんです。今回は一点に集中しているようなシーンで、カットがかかるとパッと解放されるような感覚がありましたね。松重豊さんと商店街をしゃべりながら、ずっと歩くシーンもワンカットで撮ったんですけど、あそこは松重さんだからものすごくやりやすくて。それから吉本実憂さんと喫茶店で話すシーンがあるんですけど、あそこも僕は僕で、吉本さんは吉本さんでカメラを回しながら、ずーっと2人で話してカットがかからないところがあって。あそこも緊張感があって現場のみんなが一点に集中しているような感じがありましたね。

ーそういった撮影を重ねることも誠実なウソにつながるんですね。
うん、やっぱりそうですね。なんか僕はあんまり大きなお芝居とかは苦手というかできないんですけど。なるべくリアリティーを持ったお芝居をしたいなとは常々思っていて。それが誠実かどうかはわかりませんが、そんなふうに常に思っていますね。

ー地元北九州へはどんな思いですか?
映画の周平のセリフにもあるんですけど、僕も18歳のときに”家から飛び出したい、この街から飛び出したい、東京に行ってみたい”という思いで出たんですけど。この年になるとね、本当に生まれ育ったところの良さがどんどん思い出されてね。望郷の念というんですか、それが増していって。いつでも帰ってきたいと思っていましてね。だから思いが募るばかりですね。

ーあのやりとりも事実が元になっていたんですか?!
あれも多分ね、監督がメモしていて足したセリフだと思うんです。でもねぇ、ほんとにこんなことあるんですねぇ。映画はよく制作が流れたりするんですよ。いいところまでいっても撮影できなかったということが多々あるもので。監督と5年前に黒崎で歩いていても、まさかこんなことになると思わなかったんだけどね。「いや映画はなかなか難しいぞ」と思っていたんですけど。監督ががんばってくれたおかげで、カンヌの映画祭で北九州弁がながれてね。本当に幸せです。

生まれ育った思い出の公園を案内していただきました!

光石さんが少年時代を過ごした通称”さんかくこうえん”

いやー懐かしいなあ!ここが”さんかくこうえん”です。撮影でも使わせていただきました。僕が子どもの頃からここが三角形の公園だったんですよ。でね、この先は映画館だったんです。そこにも映画館があって。あっちにも映画館があって本当に映画館もいっぱいあってね。ただ僕が子どもの頃よりもずいぶん変わってしまいましたよ。あ、このお好み焼き屋さんは変わっていないなあ。

ーそんなに映画館があったんですね。ではこの環境が今の俳優業に!?
うん、僕自分のデビュー作もそこにあった映画館で見たんですよ。それから歓楽街だから。ちょっと放送できないかもしれないけど、わい雑なキャバレーとかもいっぱいあったんですよね。で、その向かい側に幼稚園があったりとかね(笑) 実家もすぐ近くですから。ここにはいろんな業種の方々が集まってきていましたんで、そういう大人たちを見て育ちましたんでね。それが今の演技ソースになっていると思うんですよ。炭鉱もあって電車に乗ってちょっとでこの街の歓楽街でしたから。ブルーカラーの方、ホワイトカラーの方とか、そういう人たちを子どもの頃からいっぱい見てきましたから。いろんな役をこの街が教えてくれたんです。青年になるまでここにいたんでね。だから僕の基盤というか、未来を作ってくれたところなんですかね。ここで見聞きしたものが全て僕の礎(いしずえ)になっているんですよ。

ーこんなふうに監督に説明したことが台本になったんですね。映画のシーンを撮ったのはどのあたりですか?
この辺りからこうやって歩きながら撮っていたんですよね。この公園は本当にによく遊んだところだったので、待ち合わせにも使ったし。そこでやっぱりセリフを言うことは、昔の思い出まで吸い上げて言うような感じなんですよね。
40年経って今はちょっと街に元気がなくなって残念ではあるんですけど、まだまだがんばっている友達もいますし。今どんどん若い人たちが入ってきて、商店街にお店を作っていると聞きましたんでね。それはとってもいいなと思って応援したいですね。

映画には欠かせない!?北九州の街並み

ーこの北九州のロケ地が映画にもたらしたものってどんなものでした?
北九州は良い意味で都会なところもあるし、時代が止まったようなところもあるし。ちょっと出れば自然、海もあるし山もあるし。どこへカメラを向けてもロケ地になると思うんですよね。東京にはない画が撮れるんじゃないでしょうか。例えば黒崎はちょっと時代が止まったようなあのビルとかもあって、僕の子どもの頃からありましたから。ちょうどいいんでしょうね。
東京では北九州でロケをすることを望んでいる映画関係者が多くて。いろんな画が撮れるし、いろんなことを許していただけるんで。北九州でロケしたいってみんな言っているんですよね。本当に誇りに思っているんで、まだまだぜひ北九州でロケしてもらいたいですね。

 ー主人公・周平の少しさびしい気持ちも表現できたんでしょうか?
黒崎の商店街で歩くのと東京で歩くのと背景が全然違いますよね。同じ歩くにしても背景が違うだけで、あとは俳優が普通に歩けば背景が語ってくれるといいますかね。やっぱり芝居の手助けをしてくださいますよ。

ー同じ北九州市出身の吉本実憂さんとのシーンでしたね。
そうそう、ここで撮影しているときにね、吉本さんのご両親も遊びに来たりしてね(笑)お姉さまもいらっしゃって、そうだそうだ。うちの父は来なかったですけど、あの電柱の端から友達がのぞいていたんですよね(笑) もういいから帰れ!ってそんなふうにやっていました。

主人公と自分がない交ぜになった、不思議な感覚

ー 映画の中ではこの黒崎で周平はある岐路をを迎えて、どういう言葉を発するか迫られるんですが、この街だからこそのシーンでしょうか?
うーん、なんですかね。僕がこの黒崎を出て行って、またここに帰ってきて撮影するということと、周平がちょうどさしかかっているターニングポイントが重なってね。なんだか僕自身と周平という役柄が、ない交ぜになって。リアリティーと、フィクションとノンフィクションが。ふつうにセリフを発するのと違う、ちょっと違うニュアンスになっているのかもしれないですね。僕が気がつかないうちにね。土地が味方をしてくれたっていうのはそういう意味も含めて、ここじゃないとできない、ここで言うセリフはやっぱり違うような気がしますね。

ー光石さんはこれから俳優としてどういったところを目指すんですか?
僕はあんまりアンチエイジングみたいな事はしたくなくて、ちゃんと年をとっていきたくて。年相応の役をやっていきたいなと思いますね。60代に入ったばっかりなので、どんな役を振ってくれるのかそれもすごく楽しみだし。また70代になったらもっとおじいちゃんの役とかね、70代、80代の役にもすごく興味がありますから。その頃になるとちょっとわがままを言っても許してもらえないかと思ってね、入り時間を遅くしてもらったり、早く帰らせてもらったりね(笑) それが言えるくらいまでがんばりたいなと。今はまだ言えないので「よろしくお願いしまーす!」って感じです(笑)

ーまさに今回の映画のお父さんのような役ですね!
ほんとほんと!あれを目指してがんばりたいです。この映画は全編にわたって北九州の街が映っております。北九州のどこにでもいるおじさんの話です。どうか温かい目で見てやってください。いろんな世代の方に見ていただいてもどこか感情移入していただける作品だと思っています。どうぞ宣伝の方よろしくお願いします(笑) 周りのみんなを誘ってやってください!

光石さんすてきなお話をありがとうございました!

 

  • 神戸和貴

    北九州放送局 アナウンサー

    神戸和貴

    愛知県出身、2011年入局。野球を中心にスポーツ中継を担当。趣味は草野球、ゴルフ、筋トレ。

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