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北九州ラヴァーズ #3 柴田息吹さん/軍艦防波堤を守りたい

  • 2023年05月08日

 柴田息吹さん(しばた・いぶき) 
1991年生まれ。北九州市在住。
「軍艦防波堤を語る会」会長としてボランティアで軍艦防波堤の清掃や「軍艦防波堤を語る会」の取り仕切り、文化財への登録を求める署名活動などを行っています。 

清掃の様子

軍艦防波堤とは

 

軍艦防波堤

 終戦直後の1948年、極度の資材不足のなか、北九州市若松区の洞海湾で3隻の駆逐艦「柳」、「涼月」、「冬月」が防波堤として再利用されました。全長700mの防波堤でしたが、響灘地区のふ頭整備にともない「涼月」と「冬月」は完全に埋め立てられ、現在、「柳」しかその姿を残していません。

 

「柳」
              資料提供:大和ミュージアム         

【柳】
1917年竣工(しゅんこう)。第1次世界大戦中、地中海へ派遣され輸送船の護衛に従事しました。

 

「涼月」
       資料提供:大和ミュージアム     

【涼月】
1942年竣工。1945年4月、戦艦大和とともに沖縄へ出撃。艦首を大きく損傷するも、星を頼りに後進で佐世保に帰還。3人の乗組員が身をていして浸水などを防ぎました。

「冬月」
       資料提供:大和ミュージアム     

【冬月】 
1944年竣工。1945年の沖縄出撃のさい、沈没艦の乗組員を多数救助。涼月の行方を案じ敵に探知される危険を顧みず電信を送り続けました。

 軍艦防波堤と出会って

柴田さんが軍艦防波堤に出会ったきっかけはインターネットでした。

柴田さん
7年前にウェブサイトを作る題材を探していたときに、たまたま、ネットを見て初めて知りました。北九州にずっと住んでいてこういうところを知るのは初めてでした。画像で見るよりも実際は予想以上に大きくて本当に驚きました。100年以上前のものが、今こうして残っていることがすごく不思議に感じ、本当にひきつけられました。

以来、柴田さんは、軍艦防波堤を語り継いでいる市民グループと交流を深めたりする中で、当時命がけで任務にあたった乗組員たちに思いを寄せるようになりました。

柴田さんと軍艦防波堤連絡会 代表 松尾敏史さん

 軍艦防波堤を後世に残していきたい 

柴田さんは、年に1度、「軍艦防波堤を語る会」の取り仕切りを行っています。今年は、4月2日に開催され、朗読や遺族関係者の話、質疑応答などが行われました。

「涼月」乗組員の遺族 松山達司さん

「涼月」乗組員の遺族 松山さん
伯父たち3人は大破した涼月の弾庫を密封して浮力を確保し船を救いましたが、3人とも死亡しました。伯父は職業軍人ではないのです。新婚だったので、早く戦争が終わって妻のもとに帰りたいというのが本音だったのではないでしょうか。 多くの日本人の心に、広く深く意識されることを願ってやみません。

 松山さんの伯父・涼月乗組員 國場勇さん(当時27歳)
画像提供:松山達司さん

語る会の最後に、柴田さんはこう語りました。

柴田さん
3隻がある場所っていうのは、乗組員数百人分の戦った人たちの記憶がある場所なんです。あの場所というのは戦争に対して直接考える機会を与えてくれる特別な場所だと考えています。あそこは、絶対に今後残していかなくてはならない場所なんです。今、その行動をおこさないといけない時だと考えています。

軍艦防波堤を多くの人に伝えたい 

イラストレーターとしても活動する柴田さんは、軍艦防波堤にちなんだイラストを手がけPR活動にも力をいれています。

若松産ワインのラベルに描いた「涼月」

 

涼月艦長の孫が出版した本の表紙

柴田さんは多くの人に軍艦防波堤を知ってほしいと願っています。

柴田さん
やっぱり多くの人に知ってもらいたいのがいちばんです。得意なことはこれぐらいしかないので、役に立てるのならと思って引き受けました。知ってもらって、実際に軍艦防波堤を見て触れて感じてもらえたら、本当にいいことだと思います。

  • 木原 清華

    北九州局 ディレクター

    木原 清華

    北九州局5年目

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