2016年12月01日(木)
こんにちは、キャスターの山田賢治です。
南半球で初めて行われたパラリンピック、リオデジャネイロ大会が終わって2か月が経ちました。私は現地で閉会式の実況や選手へのインタビューを担当しましたが、今でもブラジル滞在中のことを思い出し、ポルトガル語でいえば、“サウダージ(懐かしさ、憧憬、思慕、切なさ…)”の状態です…。
現地で感じたこと、それはすぐに、「4年後の東京ではどうなる?」という問いに変わりました。“リオ”は“東京”に向けて何を教えてくれたのか。帰国してから選手やコーチに取材したことも加えて、書き記します。
リオデジャネイロと言えば、このコカパバーナの海岸。パラリンピックのシンボルマーク「スリーアギトス」のモニュメントがありました。しかし、これはバスの車中から(残念!)。治安の関係で、街中に出られませんでした…。
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2016年09月19日(月)
リオパラリンピックも閉会式を終えました。
閉会式はまるで巨大なライブ会場そのもの・・・観客席の人たちは、大いに沸き、踊りまくっていました! この12日間、競技会場で見てきた盛り上がりが集約されていた感じです。
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2016年09月19日(月)
夕闇の押し寄せたマラカナンに、熱い戦いの繰り広げられたパラリンピックの終焉を見届けようと、カリオカたちが集まってきます。最終日の今日はパラリンピックがリオの人々の心にどんなインパクトを与えたのか、マラカナンで出会ったブラジル人の方々に率直な意見を聞いてみることにしました。
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2016年09月19日(月)
リオパラリンピックの最終日、競技の最後を飾ったのはオーストラリア対アメリカの車いすラグビー決勝戦。2度のオーバータイム(延長戦)の末、59対58の1点差で金メダルに輝いたのはオーストラリアでした。
とても20代には見えないオーストラリアのバット選手、どこかの俳優さんに似ている気がするアメリカのアオキ選手など、パワーや技、そしてスピードで会場を盛り上げました。
そして!もう一人、会場の盛り上げに欠かせないのが、このコラムでも何度も書いてしまっている会場DJです。
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2016年09月18日(日)
競技会場にいることを、アスリートたちを同じ空間にいることを、そして大勢の人たちと一緒にいることを、楽しみつくすリオの人たちとの時間も残り1日になってしまいました。
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2016年09月18日(日)
これは競技場に作られた車いすのお客さん用の席。各会場に設けられています。
すべての人が会場に来て、観戦を楽しみ、そして帰るまで、支障なく過ごすことができる・・・ざっくり言いますと、それがパラリンピック会場における「アクセシビリティ」です。
「すべての人が」というのが重要です。
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2016年09月18日(日)
「あーあ・・・」それがミックスゾーンの私の前にやってきた山本篤選手の第一声でした。金メダルだけを見つめてやってきた彼にとっては、この日出した自己ベストも日本記録も十分ではなかったのでしょう。その繰り返される落胆の「あーあ」という声がその後のどんな言葉よりも彼の気持ちを物語っていたと思います。
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2016年09月17日(土)
持たしていただいたメダルの感触は、ちょっとざらっとした独特の感じがあって、そして重い・・・。陸上競技のT52のクラスで400m、1500mと、佐藤友祈選手が獲得した2つの銀メダルです。T52は下半身と体幹、そして手にも障害があるクラスです。
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2016年09月17日(土)
リオの盛り上がりや選手たちの素晴らしいパフォーマンスは世界中のメディアによって伝えられています。会場にはレースを終えたばかりの選手たちがインタビューに答えるミックスゾーンと呼ばれるエリアが設けられ、そこで各国のテレビ局が選手たちにインタビューをしています。
今回は競泳会場で選手たちの健闘ぶりを伝える3カ国のリポーターに、それぞれの国でのパラリンピックの盛り上がりについてお話を伺いました。
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2016年09月17日(土)
ボッチャ個人戦、BC3クラスの金メダリスト、ジョン・ホ ウォン選手(韓国)。
脳性まひのウォン選手は、口にくわえた棒でボールを押し、投球します。
銀メダリスト、グリゴリオス・ポリクロニディス選手(ギリシャ)。
難病の脊髄性筋萎縮症のため筋力の低下があり、頭につけた「ヘッドポインタ」でボールを押し、投球します。
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