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Road to Tokyo via Rio 「"リオへの道は東京に通ず"~リオパラリンピックを振り返って~」

2016年12月01日(木)

こんにちは、キャスターの山田賢治です。
南半球で初めて行われたパラリンピック、リオデジャネイロ大会が終わって2か月が経ちました。私は現地で閉会式の実況や選手へのインタビューを担当しましたが、今でもブラジル滞在中のことを思い出し、ポルトガル語でいえば、“サウダージ(懐かしさ、憧憬、思慕、切なさ…)”の状態です…。

現地で感じたこと、それはすぐに、「4年後の東京ではどうなる?」という問いに変わりました。“リオ”は“東京”に向けて何を教えてくれたのか。帰国してから選手やコーチに取材したことも加えて、書き記します。

20161128_001.JPGリオデジャネイロと言えば、このコカパバーナの海岸。パラリンピックのシンボルマーク「スリーアギトス」のモニュメントがありました。しかし、これはバスの車中から(残念!)。治安の関係で、街中に出られませんでした…。

 

 “暖かく温かった”リオ


南半球、ブラジルの9月は冬から春に差し掛かる頃。とは言っても、日本の9月とほぼ同じ気温で、暖かな日が多くありました。アルゼンチンの国境近くの街では、桜が咲いていたそうです。ちなみに、大会期間中のリオの最高気温は37度5分。屋外の取材では、かなりのエネルギーを消耗しました。

その“暖かさ”(暑さ!)もさることながら、会場で触れたブラジル国民の“温かさ”には感動しました。ボランティアの人たちの声かけや障害のあるお客さんへのサポート、さらには競技会場の声援…。今回が4回目のパラリンピック出場となった、卓球の別所キミヱ選手は、「これまで出場した中で、今回の印象が一番強いです。大会の盛り上がりが本当にうれしかった。段差などバリアはあって不便な部分はあったけど、ブラジルの人たちの温かさで、その障害をすべて打ち消しました」と話しています。

確かに、競技会場の熱狂ぶりは想像以上でした。耳を覆うくらいの歓声と拍手。スタンドで自然発生的に始まる“ウェーブ”。ハーフタイム中に流れる音楽に、立ちあがって腰を振り始める人たち。まさにラテンのノリで、その場、その時間を楽しんでいるようでした。そうした姿を見ると、こちらまで笑顔になります。選手からは「会場が盛り上がると、試合への意気込みが変わります。テンションが断然上がりました!」との声も。

さあ、4年後の日本では?「選手を応援しに行こう!」も大事ですが、その前に「パラの競技、おもしろそう!会場も楽しそう!ちょっとみんなで見に行こう!」というムーブメントを東京パラに向けて作り上げることが必要ではないかと思います。

20161128_002.JPGオリンピックバーク入口付近。地元の子どもたちが教育の一環で、学校単位で訪れていました。またボランティアの人が、テニスの審判台に座り、拡声器で、会場案内や様々な言語の「こんにちは」で観客を迎え入れていました。


また、こんな出来事がありました。
サッカー王国ブラジル。常に勝つことを求められ、納得いかないプレーには、観客から容赦なくブーイングが起こります。目の見えない選手が出場するブラインドサッカーもブラジルは金メダル候補で、国民の期待も高まっていました。

ところが、初戦のモロッコ戦。先制点を奪ったのは、なんとモロッコでした。そこでやはりブーイングが!ところが、意外なことが起こります。数秒経って、そのブーイングが自然とスーッと消えて、会場全体で拍手に変わったのです。それは、見事なシュートを決めたモロッコの選手への賞賛でした。

自国代表の選手を応援する目的で会場に行ったものの、“想像を絶する”選手のパフォーマンスを目の当たりにして、“ブーイングどころではない”“国は関係ない”、ということに観客全体が気づいたのでしょう。

試合後、競技を初めて見たという、地元の人に話を聞いたところ、「障害者スポーツというカテゴリーではなく、単純にスポーツとして楽しんで見ている自分に気づいた」「かわいそうとか障害者なのにすごいとかそういう目線ではなく、本当に質のある試合をするからスポーツとしてすごく楽しめた」という声が返ってきました。

ブラジルでは、開会式は有料のテレビ局1社が生中継しました(ちなみに、放送開始の2003年以降で歴代視聴率ナンバー1だったそうです)。そして、大会期間中、ブラジル選手の活躍でパラリンピックへの注目度が上がり、さらには競技自体の魅力が知れ渡ったことから、チケットの売り上げは急上昇。ロンドン大会に次ぐ、210万枚にも達しました。さらに、無料で競技が見られるアプリはダウンロード数がおよそ110万。そうした“パラ人気”から、開会式とは打って変わり、閉会式は3つの放送局が生中継したそうです。

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車いすバスケットボールの会場。観客のスタンディングオベーション。


20161128_004.JPG頭上の画面には、音楽に合わせて踊るトム君(リオパラリンピックマスコットキャラクター)が。その動きを見た女の子も思わずダンス!

 

 金メダル“ゼロ”をどう考えるか

 

今回、日本選手団で最も衝撃が大きかったのは、金メダル“ゼロ”という結果。金メダル10個を目標にリオに乗り込みましたが、会場に「君が代」が流れることはありませんでした。一方で、銀メダル10個と銅メダル14個を獲得し、総メダル数は24個と、前回ロンドンの1.5倍となりました。この結果をどう見たらいいのでしょうか。

数字だけをみると、掲げた目標に大きく届かなかったことから「惨敗」です。この結果に、現地に行った複数のコーチは、「相当の危機感を感じなくてはいけない」と厳しくとらえていました。一方で、帰国後、周りからの「よくやった」という声に戸惑いも。「こんな結果なのにみんなやさしい。なぜ“ゼロ”を厳しく追及しないのか」や「“障害者スポーツ”は、メダルは二の次ととらえられているのか」という声もありました。

“パラリンピックだから、メダルを獲らなくてもいい”という考え方はありません。これはオリンピックと同じです。でも大事なのは、本番の結果よりも、メダルを目指せる環境がパラの選手にあったかどうかです。仮にメダルに届かなかったとしても、「大舞台で自己ベストを出すなど、最大のパフォーマンスを出すことができたのか」を検証しなければ、先にはつながりません。検証すべきは、メダルを獲れたか獲れなかったかという結果というより、そこに至った道のりです。

帰国後、選手やコーチからは、こんな声が。
「今の日本のトレーニング環境でメダルを獲れ、というのは大変厳しい(競技団体関係者)」
「地元には指導者がいない。一人で頑張っているが、競技力の向上には限界がある(選手)」

まず普段の練習環境を整えることが急務です。日本パラリンピアンズ協会によると、パラリンピックに出場した選手でさえ、5人に1人が施設利用を断られた経験があると答えています。また、専門性を持ったコーチが少なく、「的確なアドバイスがもらえない」という不安な声も、多くの選手から聞かれます。こうした課題の解決には、各競技団体や選手に任せるのではなく、国も含めて、もっと組織横断的に対策を打つ必要があるのではないでしょうか。

障害者スポーツの管轄は2014年に厚生労働省から文部科学省に移り、オリンピック選手がトレーニングする、東京のナショナルトレーニングセンターや国立スポーツ科学センターを共同利用できるようになりました。これは大きな一歩ですが、常に使える訳ではありません。今、さらに共同利用を進めるために、ナショナルトレセンを拡充する方向で動いています。

しかし、東京だけでなく、さらに全国各地に練習拠点が必要で、トップ選手も初心者も、いつでも自由にスポーツにアクセスできる環境が必要です。パラリンピック6大会連続で出場し、日本人初のパラリンピック殿堂に選ばれた河合純一さんは、「パラスポーツの練習環境はまだまだ田畑の土を耕したくらい。これから水や肥料を与えて“実”を育てないと」と言います。まだまだ発展途上なのです。

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帰りのリオの空港で、陸上、アメリカのタチアナ・マクファーデン選手と。27歳でパラ4回目の今回、金メダル4個、銀メダル2個を獲得しました。マクファーデン選手は、高校生のときに、障害者スポーツの地位向上のために訴訟を起こしました。その結果、アメリカ全土の障害のある生徒たちが平等にスポーツする権利を勝ち取って、のちに「タチアナ法」が作られました。


課題は、練習環境だけではありません。
ある競技の監督に「海外が強かったのか、日本が力を発揮できなかったのか」という質問を投げかけたところ、「やはり後者です。ここ一番の強さが足りない」と返ってきました。東京パラリンピックで、日本は、多くの競技に開催国枠があり、予選なしで出場することができます。しかし、出ることだけが目的ではなく、そこで勝つためには、本番までに意識的に国際大会に出て、世界のレベルを知り、何が通用して何が通用しないのかを実感することが必要ではないでしょうか。その後のトレーニング方法も変わってくるでしょう。また、一朝一夕には難しいですが、国内でも選手層を厚くして、競争意識を高められることが理想です。今、選手層が薄いことで、「代表を一旦離れても、また戻れるという安心感を持っている選手がいる」と指摘するコーチも。これでは強くなれません。

 

 変わった世界の勢力図

 

外国勢に視点を移します。今大会、最多の金メダルは中国。その数、107個(クラス分けの多い競泳で37個、陸上で32個)。国内の選手層が厚く、競争意識が高い中で、障害者アスリート専用の施設での集中的なトレーニングが功を奏した結果でした。また、結果に対して非常にシビアで、銀メダルを獲得したある競技では、金メダルを逃したということで、代表チームが解散したほど。すぐに“次点”の選手たちが待っているのです。

 

リオで大躍進した国としては、まず、金メダルの数で今回3位に躍進した、ウクライナ。中国同様、国主導で、選手を集めて強化を図っています。地域ごとにある体育館に障害者が集まって様々な競技を行い、そのプレーの様子を指導員が見て、能力が高い人をスカウトする仕組みがあるそうです。また選手には、頑張らねばならない理由があります。ウクライナの障害者の雇用はほとんど進んでいないことや差別が大きいことから、メダルを獲ることで報酬を得て、さらに社会に認められたいと考えている選手が多いとのことです。

他にも、2014年のアジアパラでも大躍進を遂げたウズベキスタンが、リオでも活躍しました。前回ロンドン大会では1個だったメダルが、今回は何と31個。その中で、視覚障害の選手が獲得したメダルは、競泳、陸上、柔道で合わせて27個でした。国を挙げて、全国の各盲学校の子どもたちをスカウトし、強化・育成した成果だということです。


20161128_007.JPG会場では、パラスポーツの体験コーナーも。陸上のトラックで、アイマスクをしたお父さんのガイドランナーは、小さな娘さん!また、子どもたちがボッチャやシッティングバレーボール、車いすバスケットボールを楽しんでいました。


注目の地域は、アフリカです。これまで、いわば“パラリンピック後進地域”でした。しかし、大会を重ねるごとに、参加する国の数だけでなく、エントリーする競技も増えてきました。今回、アフリカ勢で特にメダルの数が多い競技は、やはり陸上です。その中でも強さを発揮したのは、視覚障害のクラス。ケニア(6個)やナミビア(5個)のメダルは、すべて視覚障害の選手でした。さらに、脳性まひのクラスでも、アルジェリアや南アフリカ、チュニジアの選手の活躍が目立ちました。チュニジアではさらに低身長症のクラスで6個のメダルを獲得しました。義足やレーサー(陸上競技用車いす)といった技術や費用が必要な種目は、これからでしょう。さらには、陸上以外でも、団体競技で確実に力をつけています。東京では、どこまで強くなっているか、注目です。

そして、南米の国々です。リオパラリンピックをきっかけに、IPC公認の大会が南米で増えたことから、選手の強化に力が入ったそうです。陸上を中心に今年にかけて、次々と新しい選手が出てきました。その結果、今回リオでは、コロンビアが17個(ロンドンでは2個)、ベネズエラでは6個(ロンドンでは2個)のメダルを獲得しました。

翻って、4年後の2020年。
アジアの選手団に話を聞くと、「東京パラは、自分たちにとっても“ホーム”。メダルを獲りにいく」と話しています。中国だけでなく、イラン、韓国と国を挙げて力をつけている中で、日本もともに躍進することが求められます。

20161128_008.JPGリオから帰国したメダリストを招いた、ハートネットTV「メダリスト凱旋インタビュー」。
生放送に出演した選手のみなさんに、メッセージやサインをしてもらいました。


 パラが導く、インクルーシブな社会

 

パラリンピック競技を見ていると、障害の「ある人」と「ない人」という区分けしていることや、選手を国や地域で分けていることに、意味がないのではないかと感じるほどです。人と人のあらゆる仕切りを外す力が、パラリンピックから生まれるのではないでしょうか。

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閉会式の会場、マラカナンスタジアム。“リオの終わり”と“東京の始まり”を感じさせたセレモニーでした。閉会式後半に突然の豪雨が。大会期間中にヒートアップした熱を冷ますようかの雨でした。


私が担当した閉会式の実況で印象的なことがあります。リオから東京へのパラリンピック旗のハンドオーバーセレモニーのあとに、東京大会のプレゼンテーションがありました。その制作チームから、私は現地のオフィスで、事前に内容の説明を受けました。日本でプレゼンの構成を検討していたとき、クリエーティブスーパーバイザーを務めた椎名林檎さんがこんなことを繰り返し話していたそうです。

「格好いいのやらない?その人に障害があるっていうのは後でいい。たまたま障害があったという感覚でいいんじゃない?」
その言葉に、心が熱くなりました。まさにその通り、だと。

私はその後、台本のコメントを変えました。
当初、「ダウン症のダンサー2人が登場してきました」と書いてあった台本。
それを、「ダンサー2人が登場してきました。(少し間を置いて)彼らはダウン症です。」と修正しました。彼らには、自分たちがダウン症であるかどうかは関係なく、“ダンサー”という誇りがあるでしょう。それを大事にしたい、という思いがあり、「ダウン症」は後で加えました。私は続けて、「障害のある人もない人も支え合う社会を表現します」とコメントしました。
些細なことかも知れません。でも大事なことだと思っています。こうした感覚を“普通”に持っていたい。「障害の有無」は、人を区別する要素ではありません。パラリンピックは、“自分たちの無意識を意識できる”、大きな機会となるはずです。

 

リオデジャネイロパラリンピックは、様々な力を私たちに与えてくれました。
4年後の東京パラリンピックで、私たちは世界にどんなメッセージを発信できるのでしょうか。
そして、2020年以降の日本に何を残せるのでしょうか。

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コメント

キラキラワクワクのお話の中にある現状と未来への鋭い指摘がグッサリと胸に刺さりました。
東京2020に向けてまだまだ日本は伸び代を残しています。
そろそろ勝利を目指すパラスポーツへ舵取りする必要があると感じました。
反省して足踏みしてたらドンドン追い越されます。
前に向って進まなきゃ!

投稿:もんちゃ! 2017年01月30日(月曜日) 15時55分

山田さん、本当にお疲れ様でした。リオパラリンピックの報告を、投稿をずっと楽しみに待っていました。拝見して納得のいく内容に同感と感動に嬉しく思います。障害者スポーツを拝見する機会がほとんどない現実ですが、放送を通じて少しずつ広がってきていると感じています。リオパラリンピックの感動を思い出しながら、東京大会に向けて日本中が応援して行けたら理想的ではないでしょうか!ガンバレニッポンの心が広がっていくことを祈っています‼︎山田さん、感動をありがとうございました、これからもよろしくお願い致します‼︎

投稿:清満 2016年12月04日(日曜日) 21時12分