民党総裁選 立候補3氏
プロフィールは

立候補した、石破元幹事長、菅官房長官、岸田政務調査会長のプロフィールです。

石破茂氏

石破茂氏は衆議院鳥取1区選出の当選11回で、63歳。みずからが創設した、水月会、いわゆる石破派を率いています。

石破氏は、昭和32年、鳥取県知事や自治大臣を務めた石破二朗氏の長男として、東京都に生まれました。慶応大学を卒業後、銀行に勤務しましたが、二朗氏の死去を受けて、父親と親しかった田中角栄元総理大臣に勧められて、政治の世界に入りました。

田中派の事務局職員を経て、昭和61年の衆議院選挙に旧鳥取全県区から立候補し、全国最年少議員として初当選し、これまでに連続11回、当選しています。

平成5年に、政治改革法案の取り扱いをめぐって、野党が提出した宮沢内閣に対する不信任決議案に賛成し、自民党を離れ、その後、新生党、新進党を経て、平成9年に自民党に復党しました。復党後は、平成14年に小泉内閣で防衛庁長官として初入閣し、福田内閣で防衛大臣、麻生内閣で農林水産大臣、そして自民党が野党に転じたあとは、谷垣総裁のもとで党の政務調査会長を務めました。

石破氏が総裁選挙に立候補するのは、今回が4回目で、自民党が政権を奪還する直前の平成24年の総裁選挙では、5人の候補者のうち、最も多くの党員票を獲得しましたが、国会議員票と合わせた得票が過半数に届かず、決選投票の結果、安倍総理大臣に敗れました。

第2次安倍政権の発足後は、党の幹事長、そして、初代の地方創生担当大臣として、安倍政権を支えましたが、平成28年の内閣改造で、安倍総理大臣から閣内にとどまるよう打診されたのを固持して以降、閣外で、安倍総理大臣と距離を置きながら、「ポスト安倍」を目指した活動を進めてきました。

そして、安倍総理大臣と争った、前回、おととしの総裁選挙では、党員票の4割以上を獲得するなど善戦しました。

趣味が多彩で、夏目漱石や森鴎外から漫画まで幅広い分野の本を読むほか、料理好きとしても知られ、特にカレーライスは、学生時代に4年間、食べ続けたというほどの好物で、みずからの得意料理として周りにふるまうこともあります。また、かつての人気アイドルグループ「キャンディーズ」のファンであることや、いわゆる「鉄道オタク」であることも公言しています。

岸田氏に負けず劣らずの酒豪で、防衛庁長官時代に中国を訪問した際には、次々に酒を勧めてくる中国側の要人らと飲み続け、中国側が根負けしたというエピソードもあります。

菅義偉氏

菅義偉氏は衆議院神奈川2区選出の当選8回で、71歳。総裁選挙への立候補は初めてです。

いわゆる「たたき上げ」の政治家として知られる菅氏。秋田県雄勝町、今の湯沢市のいちご農家の長男に生まれ、高校卒業後上京し、ダンボール工場に就職しました。その後、アルバイトでためたお金で、法政大学に進み、心身を鍛えるため空手部に入りました。大学を出たあと、民間企業を経て、大学のOBの紹介で、小此木彦三郎元建設大臣の秘書となりました。その後、横浜市議会議員を2期務め、平成8年の衆議院選挙で47歳で初当選。菅氏は当初、当時の小渕派に所属。官房長官を務めていた同じ派閥の梶山静六氏を政治の師と仰ぎます。

平成10年の総裁選挙。派閥としては、小渕元総理大臣を推すことになり、梶山氏は派閥を出ます。政治の師を支持するため菅氏も派閥を退会しました。その後は、加藤派や古賀派に所属しましたが、平成21年からは無派閥で活動しています。

平成18年には、第1次安倍内閣で総務大臣として初入閣し、ふるさと納税の創設や、地方分権改革を推進しました。自民党が野党時代、8年前平成24年の総裁選挙では、安倍総理大臣擁立の中心的な役割を果たし、第2次安倍内閣では一貫して官房長官を務め、在任期間は2800日を超え歴代1位となっています。この間、北朝鮮の弾道ミサイル発射などへの対応、インバウンド需要の喚起、携帯電話料金の引き下げ、ダムを活用した洪水対策の見直しなどに取り組みました。

国会や記者会見では、森友学園や加計学園の問題、「桜を見る会」をめぐる問題で、政権への批判や追及に対応しました。また、公明党の支持団体の創価学会や、日本維新の会の代表を務める大阪市の松井市長や、橋下元大阪市長らともパイプがあるなど、与野党問わず幅広い人脈を持つことでも知られています。去年4月には新元号「令和」を発表し、「令和おじさん」と呼ばれるなど、知名度が上がりました。

座右の銘は「意志あれば道あり」。好きな戦国武将には、豊臣秀吉に仕え、ナンバー2に徹した弟の秀長を挙げ、自身との生きざまを重ね合わせることもあります。

酒はまったく飲めない菅氏。大の甘党で、好物はパンケーキと公言しています。趣味は渓流釣りとゴルフ、海外旅行ですが、官房長官就任後は自粛しています。10年前にはダイエットして、14キロ減量し、今は、毎朝のウォーキングと腹筋100回を続けて体重を維持しています。

岸田文雄氏

岸田文雄氏は衆議院広島1区選出の当選9回で、63歳。総裁選挙は初めての挑戦です。

池田勇人元総理大臣が創設し、その後、3人の総理大臣を輩出した派閥「宏池会」、今の岸田派を率いています。衆議院議員だった祖父の正記氏、父の文武氏に続く「3世議員」の岸田氏は、東京の開成高校から東京大学を目指しましたが、3度失敗し、早稲田大学に入学しました。卒業後は、旧長銀=日本長期信用銀行でサラリーマン生活を送ったあと、父親の秘書を務め、平成5年の衆議院選挙で初当選しました。

平成19年には第1次安倍改造内閣で沖縄・北方担当大臣として初入閣し、自民党が野党に転落後には党の国会対策委員長を務めました。第2次安倍政権発足後は、連続の在任期間では戦後最長となる、4年半余りにわたって外務大臣を務め、安倍総理大臣の「地球儀を俯瞰する外交」を支えました。この間、現職大統領としては初めてとなったアメリカのオバマ大統領の被爆地広島への訪問実現や、慰安婦問題をめぐる日韓合意に尽力しました。党の政務調査会長には3年前に就任し、去年の参議院選挙の公約づくりにあたったほか、新型コロナウイルス対策では、事業者の賃料負担を軽減する新たな給付金の創設を主導しました。

安倍総理大臣とは当選同期で、前回、おととしの総裁選挙では、派内に立候補を求める声があったものの、安倍総理大臣との関係を考慮して立候補を見送り、後継の指名に活路を見いだす戦略をとりました。

座右の銘は「春風接人」。「春風のような優しさで人と接する」という意味のとおり、柔らかい語り口や誠実な人柄は誰もが認めるところです。一方で、大胆さや発信力に欠けるといった声もあり、今回、総裁選挙の立候補に合わせて、初めてとなる著書『岸田ビジョン』を出版しました。

そんな岸田氏ですが、政界随一の酒豪として知られています。外務大臣時代はロシアのラブロフ外相とウォッカを酌み交わし、互角に渡り合ったというエピソードもあるほどです。プロ野球は、地元の広島カープのファンです。また、最近は、ダンベルなどを使った筋トレが日課になっています。