ページの本文へ

読むNHK福岡

  1. NHK福岡
  2. 読むNHK福岡
  3. 普通の高校生の私が平和大使になった理由

普通の高校生の私が平和大使になった理由

  • 2023年10月17日

「高校生平和大使」と聞くと、長崎・広島の高校生の活動というイメージが強いかもしれません。

でも、知っていましたか?
福岡で活動している高校生平和大使もいることを。

福岡在住の高校生平和大使、田代明衣さん。平和について「普通」の高校生と同じくらいの感覚でいたという田代さんは、なぜ、高校生平和大使を目指したのでしょうか?

そのきっかけや、思いを取材しました。                     

「平和についてはそこまで・・・」

福岡県の高校3年生、田代明衣さん。高校生平和大使として、毎月1回、県内の街頭で有志とともに署名活動を行うなど活動しています。

福岡市の繁華街・天神で署名活動

平和な世の中、そして、核兵器のない世の中を目指して署名を集めています。よろしくお願いします。

高校生平和大使は、1998年にインドとパキスタンで相次いだ核実験に危機感を持った長崎の被爆者らが核兵器廃絶の声を国連に届けようと地元の高校生2人を派遣したのが始まりで、その後、核廃絶の署名を集めて国連に届ける活動が全国に広がりました。

被爆地の長崎・広島の高校生の活動というイメージが強いかもしれませんが、これまでに北は北海道、南は沖縄まで、全国各地の高校生が参加してきました。

取材中も平和大使として熱心に活動していた田代さんですが、実は、あるできごとが起きるまで、平和についてそこまで考えたことはなかったと言います。

高校生平和大使 田代明衣さん

田代明衣さん
「小学6年生の時に修学旅行で初めて長崎の原爆資料館に行って写真などを見て、すごく心が痛くなったとか、そういう感情的な体験はあったんですけど、自分自身が日常の中で平和活動を行っていこう、というところまではいかなくて」。

きっかけはウクライナ侵攻

そんな田代さんが平和活動に参加するようになったきっかけは、2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻でした。

実は、父親の仕事の都合で、軍事侵攻の直前まで8か月ほどウクライナで暮らしていた田代さん。帰国後に軍事侵攻が始まったことをニュースで知り、衝撃を受けたと言います。

田代さん

帰国する前は、本当に何かが起きるっていう気配はほとんどなくて。コロナがやっと落ち着いて、みんなが学校生活を楽しんでいる様子もありました。(軍事侵攻を知ったときは)本当に起きてるのかなって、夢なのかなって思っちゃうくらい、すごく衝撃的でした。

突然、壊されたそれまでの日常。田代さんは日本に帰国した後も、ウクライナに残った父親や現地の友人とのやりとりを続けました。離れた場所にいても、現地の人たちが生死と向き合っていることを強く感じさせられる瞬間があったと言います。

田代さん

たとえば、家族とか友人と電話をすることがあったんですけど、空襲警報が電話越しに聞こえてくるんですね。で、その時にもし、ミサイルが近くに落ちたらどうしようとか、そのようなことを考えてしまうことが多くて…。

「自分が日本で座っているだけでは何も変わらない」。

自分にできることをしようと考えた田代さんは、侵攻前のウクライナの町並みを映した動画を現地の友人などから集め、YouTubeで公開。戦火に包まれたウクライナの街にも何気ない日常があったことを知ってほしいという思いを込めました。

平和大使として

田代さんが高校生平和大使の存在を知ったのは、動画を作る過程で、ウクライナへの軍事侵攻に反対する高校生平和大使の動画を見たことだったと言います。

同世代の高校生が、自分ごとではないことに対して率先して活動している様子に強く引きつけられた田代さんは、自分も加わりたいと高校生平和大使に応募。

署名活動などの経験を積んで、ことし、福岡県からはただ1人、高校生平和大使に選ばれました。

第26代高校生平和大使の結団式

ことし8月にはスイス・ジュネーブにある国連のヨーロッパ本部に派遣され、核兵器廃絶などを求める署名を提出しました。

田代さんも、自分の思いを込めてスピーチをする機会がありました。

国連でのスピーチ

田代明衣さん
"...We are all human beings. I will work for the realization of a peaceful world in the future."
(・・・私たちはみんな人間です。私は将来の平和な世の中の実現に向けて活動します)

また、国際社会で平和や人権を守ろうと活動している人たちとの交流を通して、たとえ少数であっても自信をもって意見を発信する大切さを学んだという田代さん。平和大使としての活動を続けていく気持ちを強くしました。

伝え方の難しさ

一方で、活動を通して、平和の大切さをどう伝えるかについて難しさを感じている部分もあると言います。

福岡市の繁華街・天神で署名活動

平和大使の主な活動の1つである毎月の署名活動では、核兵器廃絶や平和への訴えに足を止めてくれる人もいるものの、なかなか広がりが感じられないと言います。

田代さん

長崎・広島県は被爆者の方が身近にいて、家族がいて、日頃から戦争とか平和について話すことが多いみたいで、そういう背景があると、署名に参加してくれる人も多いみたいです。『私の県って、平和に、平和とか戦争に対して危機感持ってる人本当に少ないんだな』っていうのがすごく衝撃的でした。

当事者にならないと、平和について自分ごととして考えるのは難しい。自身の体験からもそう感じた田代さんが今、取り組んでいるのは、いかに相手の関心に結びつけてアプローチするかということです。

田代さん

正しい知識と、わかりやすい伝え方、これをまず、大事なポイントとして伝える。 あとは、私たち自身の思いをどう伝えるか。熱意というのを発信する、それがすごく大事だなと思っています。

署名を集める田代さん

自分ごととして平和について考えてもらうには…。

田代さんの模索は続きます。

取材後記

平和の伝え方というのは、私たちメディアにとっても大きな課題だと感じています。

戦争を知る世代が少なくなる中、今の平和な日常が日常であり続けるには、ありきたりなことばですが、一人ひとりの意識が大切なのだと。戦争や平和をテーマに取材していると、そのように感じることが多々あります。

どのようにすれば自分ごととしてとらえてもらえるのか。自分の立場からも考えなければと、取材を通して改めて思いました。

  • 小島萌衣

    福岡放送局記者

    小島萌衣

    2015年入局。
    沖縄局、長崎局を経て23年から福岡局。

ページトップに戻る