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空カラ見ランネ 秋空・熊本さんぽ②

歴史と産業遺産
  • 2023年11月15日

 

ヘリコプターで県内各地の名所や旧跡を訪ねるシリーズ第二弾。
 歴史と産業遺産をテーマに天草から阿蘇まで取材しました。

世界遺産の﨑津集落

天草市の西海岸にやってきました。深く切れ込んだ入り江が広がっています。河浦町﨑津です。風待ち、潮待ちのため、船が立ち寄る港として古くから栄えてきました。﨑津といえば、世界遺産に登録された﨑津集落で、そのシンボルの﨑津教会が見えます。空に向かって伸びる美しい尖塔を持つ教会は、昭和9年(1934年)に、長崎の建築家によって設計されたゴシック様式の教会です。建てられた場所は、かつてキリスト教弾圧の象徴である、踏み絵が行われた庄屋役の屋敷だった所が選ばれたといいます。﨑津集落にはじめてキリスト教が伝来したのは1569年。その後、江戸時代になって禁教令が出されると、信者たちは厳しい弾圧を受けます。それでも﨑津集落では、住民の7割が隠れて礼拝を続け、240年にわたって信仰を守ってきたという歴史があります。そんな歴史を持つ﨑津集落は、教会とともに「長崎と天草地方潜伏キリシタン関連遺産」として2018年に世界文化遺産に登録されています。

世界文化遺産 﨑津集落
ゴシック様の尖塔が美しい

無人島に残る産業遺産

続いてヘリコプターは八代海にやって来ました。八代港から沖合5㎞ほどの海上に、防波堤で囲って埋め立てている島が見えます。大築島です。この島をよく見ると、島の中央部が平らで、ところどころ地面が白くみえます。また両側には小高い丘があって、片方側には階段状に削られた後も残ります。

中央部が削られたあと

この大築島は、かつては石灰石が採掘されていた島で、平らなところは、実は100メートルほどの高さの山があったといいます。海岸沿いに突き出た構造物は桟橋跡で、いまは見る影も無く壊れてしまっています。かつて石灰石はここから船に積まれ、運ばれていきました。この大築島は、明治時代から平成8年まで石灰石の採掘が行われ、島にはセメント工場もあったといいます。

壊れた桟橋跡
平成4年ごろ

島には、最盛期にはおよそ50世帯、250人が暮らしていたということで、小学校や中学校の分校もありました。しかし、島の多くが海面近くまで掘り尽くしたことにより、閉山され無人島となりました。日本の近代化を支えきた島は、いまは浚渫された土砂による埋め立てが進んでいます。大築島ではまた、自衛隊ヘリの発着訓練にも利用されています。それらの理由から上陸は認められていません。

およそ250人が暮らしていた
島の子どもたち
埋め立て工事が進む

地震から復旧の阿蘇神社

ヘリコプターは、さらに東にやってきました。阿蘇市の上空です。カルデラの中には、田畑や町が広がります。刈り取られた田んぼが、パッチワークのように見えます。

阿蘇カルデラ内をのぞむ

町の中に見えてきたのは、阿蘇神社です。2016年4月16日の熊本地震では、国指定の重要文化財の楼門などが倒壊するなど、大きな被害を受けました。

2016年4月 熊本地震直後の楼門

それからおよそ7年半たった今、楼門の修復は、ほぼ完成し、周りを囲っていた覆いも外されて美しい姿が再び見られるようになりました。空から見るとふいたばかりの銅板の大屋根が光を反射して、キラキラと輝いています。大屋根は、これから時間の経過とともに、徐々に落ち着いた色に変わっていきます。楼門はことし12月には、再び門の下をくぐれるようになります。

修復工事はほぼ終わった

動画はこちら

  • 小川耕平

    熊本局・カメラマン

    小川耕平

    平成26年入局 
    学生時代の野球と国内外の1人旅がいまの原点

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