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【南阿蘇鉄道の旅】加勢駅を訪ねる

シリーズ南阿蘇鉄道⑧加勢駅
  • 2023年07月13日

ことし7月に、熊本地震からの復旧を果たし全線で運転を再開する予定の南阿蘇鉄道。
鉄道の魅力や沿線地域の人たちの思いに迫るシリーズの8回目です。
今回は「加勢駅」を訪ねました。

はじめに

筆者がこのシリーズをはじめるときに、一番困ったのがこの「加勢駅」でした。
南阿蘇鉄道の沿線駅のなかで、駅舎に店がない・阿蘇下田城のような温泉や歴史もない・見晴台のようなCMの話題もない。“誰に取材すればいいのだろう?”と。
しかし、そんな駅にこそ温かい地元の人たちの思いや、小さくても豊かな発見があるのではないか。
足を運ぶなかで見つけた、宝物たちのお話です。

小さな無人駅

加勢駅

加勢駅は小さな無人駅。のどかな時間が流れ、ホームに立つと時間がたつのを忘れるようです。

しかし、7年間使われていなかったにもかかわらず、綺麗なホーム。
それもそのはず。地元の人たちが清掃し、時には語らいの場として利用してきていたからです。

駅の隣に住む、本田チエ子さんです。
自宅は被災し、3年間仮設住宅での生活をしたあと、地震前は熊本市内に住んでいたという孫達と一緒に、加勢駅の前の家へ戻ってきました。
全線開通は「とにかく待ち遠しかった。嬉しい」と顔をほころばせる本田さん。免許を返納しているので、ようやく大津や高森まで出かけられると話してくれました。

そんな本田さん。友達2~3人でおしゃべりをする場所は、加勢駅のホームの椅子なのだいいます。
ことし4月に試験運転が始まり、加勢駅にも7年ぶりに電車が止まるようになると、本田さんはお菓子や果物などの差し入れを持ってホームに行き、若い運転士たちに差し入れてきました。

花を育てるのが趣味。
全線開通に向けて、駅のまわりを花で綺麗にし、歓迎の気持ちを伝えたいと話してくれました。

本田さんの、おしゃべり仲間の村上ヒサ子さんです。
駅を見下ろせる高台に暮らしています。この村で生まれ育って88年。長い間、この鉄道を見続けてきました。
そんな村上さんは「まだ来んね、まだ来んねって。寂しかった」と振り返ります。
また、汽車の音が聞こえる。友達と大津まで行ける。楽しみが広がるのだと、話してくれました。

村上さんの家からさらに坂を上ると、パン屋さんがあります。「bread+cafe DACCO」。
徒歩10分ほど。駅から一番近いお店です。一歩足を踏み入れると、おいしそうなパンの匂いが漂います。

営むのは、原園みどりさん。熊本地震では食器などが壊れたりしましたが、幸い建物自体の被災はなく、1か月後からは営業を再開。復興が進むこの地区を見続けてきました。

飲食スペースもあるこのお店。
地元の人たちが集まり、地震で大変だった経験など、とにかく一日中おしゃべりする風景が自然とできていったといいます。
“元どおりにちょっとずつなっていく感じ”だったと振り返ってくれました。

一番人気のパンは、「枝豆チーズバトン」。外はカリっとしているのに、中はチーズが生きてもちもちです。
南阿蘇鉄道の全線開通後は、坂を上っていろんな人に来てもらい、「ほっと一息、ゆっくりしてほしい」と話してくれました。

地元の区長 長野公正さん

加勢区の区長、長野公正さんは、この復興を「すばらしい」とたたえます。
地域の人たちの多くが、地震でつらい思いをしました。
地元の人たちにとって、希望の詰まった全線開通です。

南阿蘇鉄道のむかしばなし

さて、ここからは恒例のむかしばなしのコーナーです。
南阿蘇鉄道がいかに地元に根付き、愛されてきた鉄道であるかを理解するために、この鉄道や南阿蘇村・高森町(=通称「南郷谷」)にまつわる歴史をひもといていきます。

今回は、災害についてです。

南阿蘇鉄道(高森線)が災害の被害を受けたのは、熊本地震が初めてではありません。70年前の6月26日に起きた白川大水害でも大きな被害を受けていて、一時期運休を強いられました。

この水害は阿蘇郡内だけでも死者行方不明者が120人以上いるとされ、阿蘇地域と熊本市内との交通と通信が寸断されました。高森線も、各所でレールや枕木が流失するなどしたそうです。郷土資料によりますと、今回の熊本地震でも被害をうけた「戸下トンネル」の復旧工事が難航し、曲がったレールや土砂を取り除きながら約300人で、不眠不休の作業を進めました。

そして、同じ年の8月4日には、完全復旧。39日というはやさでした。いまから考えるとちょっとびっくりです。村の復興には数年の時間がかかりましたから、鉄道が復旧したあと、地域の復旧工事に貨物列車が活躍したことは、中松駅の「むかしばなし」で触れたとおりです。

その63年後、熊本地震で被災。これまで、7年の歳月がかかりました。その理由のひとつに、「第一白川橋梁」の被災があります。この橋がゆがむなどしたため、架け替え工事をすることになりました。雄大な白川渓谷を堪能できる南阿蘇鉄道の一番の呼び物である、高さ60メートルの橋梁。以前の景観を保ち耐震性を加えた形に生まれ変わり、復旧したのは去年の夏ごろでした。

その後、安全に運転できるよう、何度も何度も訓練を重ね、全線開通に向けた準備が進められています。様々な人の思いが時代を超えてつながり、鉄道を未来へと動かしているのかもしれません。

(これまでのシリーズは下のリンクからご覧ください)

  • 北条与絵

    阿蘇支局・記者

    北条与絵

    2019年入局
    熊本初任地
    熊本市政担当後、阿蘇支局2年目。阿蘇の大自然を駆け回るのが大好き。

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