ふさがらない傷「一緒に見てほしい」
- 2023年04月16日
「すでに、ふさがらない傷がついている。ただ、1人で見るのはつらいから、一緒に傷に触れて、考えてほしい」
熊本地震で娘を亡くした女性は、こう語りました。
被災した人たちにどう接し、災害をどう伝え続ければいいのか。地震の遺族を講師に招き、ともに考えました。
(熊本放送局記者 西村雄介 丸山彩季 馬場健夫)
「遺族と考える災害報道」
全国で相次ぐ大規模災害。県内でも熊本地震が2016年4月に発生し、多くの人が支援に向かうなかで、私たち取材者も現地に入りました。
その中で生じるのは、取材によって大切な人の命、自宅やなりわいが奪われた人たちの心の傷を深めてしまうのではないかという葛藤。そして「なぜ私たちは災害を伝えるのか」という問いです。
NHK熊本放送局でも、当時を知る職員が転勤し、直接、地震を経験していない職員も増えてきました。一方で、地震から7年がたち、風化を懸念する声もあがっています。
被災した人たちが抱く思いを知らずにいてもいいのだろうかと、ことし3月に研修を開きました。
次女が災害関連死に認定された
宮﨑さくらさん
講師としてお招きしたのは、宮﨑さくらさんです。
地震が発生した2016年、宮﨑さんの次女で重い心臓病があった花梨(かりん)ちゃん(当時4歳)は、熊本市民病院に入院していました。
病院の耐震性が不十分で、地震の発生で倒壊の恐れがあったため、花梨ちゃんは、約100キロ離れた福岡の病院へ転院を余儀なくされました。
その後、容体が悪化し、転院から5日後に息を引き取った花梨ちゃんは、その後、災害関連死と認定されます。
研修では、宮﨑さんに講演していただき、取材を受けるに至った経緯や報道に対する思いなどについても意見交換が行われました。
お姉ちゃんと同じ幼稚園に入る夢
ここからは、宮﨑さんに当日お話いただいた内容をお伝えします。
宮﨑さくらさん:
私の次女の宮﨑花梨です。
先天性の心疾患、「完全型房室中核欠損症」という病気がありました。
根治に向けて手術を重ねていきましょうと、入退院を繰り返していましたが、途中で、根治にいくには難しいと。
「フォンタン手術」、一生付き合う手術になるのですが、投薬をしながら普通の生活が過ごせるよう目指して、熊本市民病院にずっと通院していました。
3回目の手術が終わったら「お姉ちゃんと同じ幼稚園に入る」という夢を持っていました。
それだけが、花梨が手術を頑張ろうと思う支えでした。
回復の兆しが見えた頃、熊本地震が発生しました。
病気に勝ったと認めてほしい
本震は混乱としか言いようがなくて、家が今すぐ崩れるんじゃないかという揺れでした。
スーパーの裏に車を止めて、テレビをつけて、何か情報がないかと見ていたら、テロップに「熊本市民病院が倒壊のおそれ」、そのあとですね、「入院患者が全員避難」と出ました。
私は絶対うそだって。あんな状態の花梨が、避難できるわけがないのに、何でこんな、避難なんてテロップが出ているんだろうって。
先生から電話があって「倒壊のおそれがあるので、転院をちょっと考えるかもしれません」と言われました。
1日1日が山場の花梨を、ほかの病院に転院なんて絶対できないと思いました。
でも、「病院が崩れてしまったら、助けることができないかもしれない」と言われて、福岡の病院に転院することになりました。
投薬もいったんストップ。
人工呼吸器で回復の兆しが見えていた時ですが、搬送のため外して、手動で空気を送るようにしてくれました。
ただ、外はとんでもない渋滞。救急車で到着まで2時間半かかりました。
私が面会した花梨は、花梨ではなかった。面影が全くありませんでした。
透析を止めたので、全身に水分がたまってしまって、顔も、体も、全部むくんでいたんです。
21日の午前5時25分ですね。
資料に、私もなんて書いたらいいか。
書きたくなかったので、空白になっています。
そのあとですね、災害関連死というのを知ることになるんですけれども。
私は当時、反対したんです。そんなことをしても、花梨は帰ってこない、どうでもいいって。
でも、夫が「病気に負けたんじゃない、地震のせいだから。花梨は病気に勝ったんだっていうのを認めてほしい」というので申請しました。
新聞には、「熊本地震で初めての10歳未満の災害関連死」と出ました。
なかったことにしてほしくない
当初、メディアの取材を断っていた宮﨑さくらさん。ある思いから、取材を受けようと思ったといいます。
宮﨑さくらさん:
新聞で「患者の転院状況の検証はしない」と書いてありました。
検証しないってことは、花梨のことは全部なかったことにするんだなっていう危機感がすごくあってですね。
どうしても、なかった事にしてほしくなかった。
あの時の花梨がどうやったら助かったか、みんなで考えてほしいと思うようになった。
熊本だけでなく、どこでもあり得ることだから、全国でそれを検証してほしい。みんなに知ってほしいという気持ちで、取材を受けました。
【災害関連死とは】
建物の倒壊や津波など直接的、物理的な原因ではなく、災害による負傷の悪化や、避難生活などの身体的負担による疾病で死亡すること。精神疾患による自殺や、医療・介護環境の激変なども含みます。熊本地震では熊本県と大分県で276人が犠牲になりましたが、このうち災害関連死は221人と8割を占めています。
災害関連死は「防ぎえる死」
花梨が認定された災害関連死とは、「防ぎえる死」です。
熊本地震で犠牲になった8割の人は災害関連死で、助けられたかもしれない。
今も生きていたかもしれない8割だったはずです。
また、災害関連死は、亡くなった方の「最後の声」です。
災害の経験を、みんなで共有して、全国で検証を続けて、次につなげてもらうことが、遺族として唯一の願いです。
転院したときに、先生から花梨の状況説明があって「熊本に生きて帰れる可能性は1%もないかもしれない」という話をされたんですね。
花梨のことを教訓として伝えてもらうことで、花梨が手にすることができなかったその1%が、次の人が助かる1%につながるかもしれない。
救える命の確率を上げることができるかもしれない。
どこかで必ず災害は起きるし、すべてを防ぐことはできないかもしれない。
ただ、もし教訓を生かしたら、救える命が1人でも増えるかもしれない。
どうにか、また同じような経験をする人を、1人でも減らしたいと思っています。
本当は言いたくない
「2度と繰り返さない」
2018年にあった北海道の地震の報道で、停電で一時、0歳の女の子の酸素吸入機がストップして転院したというニュースをみたんですね。
そのときに、どうしても花梨のことがよぎってしまって。
熊本地震があったけど、教訓を生かしてしてもらってはなかったんだなって、すごく悔しくなりました。
「2度と同じことを繰り返さない」という言葉は、どれだけ重いんだろうと思います。
本当だったら、自分の娘が助かってほしかった。
自分の子どもを例にして、「2度と同じことを繰り返さないでください」って本当は言いたくないんです。
また災害があって、同じようなお母さんが、テレビの前で泣かれる。そして災害関連死を申請して、同じことを話される。「2度と同じことを繰り返さないでほしい」と。
結局繰り返しなんです。私はそれを見たくない。
そういうお母さんも、子どもも、出てほしくないんです。
復興は同じようには進んでいない
熊本では、目に見える復興は終わりに近づいています。
いろいろなところが、元に戻ってきました。
熊本城も、阿蘇大橋もそうですし、仮設住宅もなくなってきました。
どこかが目に見えて崩れているわけではない。でも、みんなが同じように進んでいるわけではない。見えない部分で、進んでは戻って、ということの繰り返しです。
けれど、どうしても、1度傷ついたことは変わらない。
元の姿には絶対戻らない。
家族を亡くした方は、なおさらそうだと思います。
また、時間がたったから出てくる問題というのも、今から出て来ると思います。
どこを見ても書かれている
「頑張れ」に
地震から7年たつと、みんな元気じゃないといけないみたいなところがあるんです。
「頑張れ、頑張れ」って、どこを見ても書いてあるんです。
でも、どう頑張ったら花梨は帰ってくるんだ、っていう気持ちにもなるんです。
「7年ですけど、何かしますか」と言われるんです。
何かしないといけないのかなと。
生きているのが一生懸命だから。
だから、そのまま伝えてもらうのが一番です。
事実を変えることは
花梨の頑張りの否定
これまで多くの取材を受けてきた宮﨑さん。報道への思いも語ってくれました。
宮﨑さくらさん:
正直、取材を受けなければよかったと思ったことは1回もありません。
自分では絶対にできないことなので、伝えて頂くことはありがたいと思ってます。
ただ、つらいのは、話したこととは違う、事実ではないことを書かれること。
取材に来た方に「病院を恨んではない。むしろ感謝しかない」ってことを最初に伝えました。
それでも、「病院に対して強い怒り、恨みがある」と書かれたところがあったんですね。
病院を恨まず、感謝することは、花梨が亡くなったことを、自分の中でどう心に収めるか、出した答えだったんです。
それを変えられるのは、私たちの否定ですし、花梨が頑張ったことへの否定なので、悲しかったです。
病気も花梨の一部
「完全型房室中核欠損症」というのが花梨の病気です。
長いから間違いやすいんですけど、ただ、花梨が生まれてからつきあってきた花梨の一部なので。
何回も聞かれる、何回も確認したうえで間違われるということがあります。
年齢だったり、名前はさすがにないけれども、いきさつも微妙に変わってきてしまって。
私の伝え方が悪いのもあるんですけど、報道に接した方にとってはそれが事実となるので、そこを何度か「うーん」ということがありました。
節目を決められて
「震災から7年で区切り、節目ですね」と言われると、それは私が決めることなのではないかなと思う。
もしかしたら、そう言われてショックを受ける方もいらっしゃるかもしれない。
外側から感情を決めるようなことは、やめたほうがいいかもしれません。
「いまどういうお気持ちですか?」に思うこと
追悼式などで、「いまどういうお気持ちですか」とよく質問されますが、難しいんですよね。
「悲しい」し、「つらい」し、「でも頑張らないといけない」って思っているのも、「あの頃に戻りたい」って思っているのも本当だし、言葉にはできないんですよね。
その中で、なんとか少しずつ言葉にして伝えようと思って、取材を受ける人に話をしていると思うので、それを変えるようなことはしてほしくないです。
例えば「頑張ります」って言ったあと、「でも、まだつらいですよね」と聞かれる。
わかるんです。「悲しいです」って言ってほしいんだろうなって。
言ってしまう時もあるんですよね。
でもそれを言ったあとに、すごく落ち込むんです。なんで言ったんだろうと。
言い方は悪いけど、誘導するような、ご自身の中にある伝え方をしたいと思われていても、皆さんそれぞれに違う人間ですから、そうはいかない。
みなさんが、おっしゃるとおりに伝えていただけるとありがたいです。
「あなたが娘を亡くしたのと
同じ気持ちです」
去年の追悼式でも、「6年たちましたが、どういう気持ちですか」と聞かれました。でも、言葉にはできないわけです。
夫が言うにはですね、「あなたが娘を亡くして6年のときの気持ちと同じです」。
気持ちを表現するのは難しいと思います。無言なら無言の気持ち。分からないなら、分からないという気持ちだと思う。
それを何とか言葉にというのは、しないほうがいい。
そのあときついのは、本人ですから。
SNSの言葉への思い
見えない部分を憶測で、いろいろ言われるんですね。
私の場合、「病院相手に裁判するからお金が欲しい」、「自分の子どもを売ってお金にしている」、「災害弔慰金のために申請したんだろう」とか。
市民病院に花壇を作ったときも「自分の私利私欲のために税金を使わんでくれ」と。
【アイリンブループロジェクトとは】
東日本大震災で亡くなった宮城県石巻市の6歳の女の子、佐藤愛梨ちゃんのご遺族がフランスギクの種の植栽を通して、命の大切さ、震災の記憶を伝えるプロジェクト。宮﨑さんも譲り受けた種を育て、2019年に再建された熊本市民病院の花壇に植えました。
SNSで「あなただけがつらいんじゃない」と言われることもあります。
その方の本心ですから、怒ったりはしません。
ただ、それを子どもが目にするのは心配です。
熊本だけではなく、災害で被災された方は、いろんな言葉をかけられているんだろうなって思うんです。
最近よくSNSで問題になったりもしますけど、どこかで取り上げてもらえるといいなと思っています。
もう傷はついている。
1人はきついから、一緒に見て、触れてほしい
「災害報道について望むこと」を聞きました。
宮﨑さんから語られた、災害報道にあたる取材者、伝える人たちへのメッセージです。
宮﨑さくらさん:
今回の研修に呼ばれる際、「取材で被災した方を傷つけたくない」と言われました。
ただ、私が思うのは、ものすごく大きな、ふさがらない傷はもうついているわけです。
1人で見るのはきついから、一緒にその傷を見て、触れてもらうという感覚が強いと思います。
それを一緒に、悩んで考えていくっていう姿勢、気持ちで被災した方に聞かれていれば、相手の方も分かると思います。
1人で思い出すことはきついですけど、聞いていただきながら、話す、思い出すことは、すごく心強い。
話すほうは、泣きながら話していても、泣くことを出せているからいいと思うんです。
それを出すことがすごく大事だと思うので。
一生懸命、聞く気持ちで十分
皆さん一生懸命、話を聞いて、本当に親身にして下さっていることは伝わります。
どんな仕事でもそうだと思うんですけど、結局は人と人なので、一生懸命、聞くという気持ちがあれば、もう十分じゃないのかなって思います。
取材を通して、メディアの方から、「こんにちは」って声をかけられるだけで、十分だなと思う。
誰かが気にしてくれている、1人ではないということをわかってもらえるためにですね。
大事なのは共感すること
私の仕事は、仏壇屋です。
ご遺族で、ぼそっといわれる方もいらっしゃるんですよ。「骨を家に置いていてもいいのかな、でも悪い気がするんだよね」って。
私は「いやいや、駄目ですよ」とか「いいと思いますよ」とか言わないんです。
ただ「置かれたいんですね」って。
大事なのって、多分、「共感してあげること」だと思います。
それを大事にしないといけないなって思っているんです。
相手が話しやすい空気をつくってあげることですね。
私も「ああ、そうなんですね」って言ってくれると、やっぱり話しやすいですよね。
「今も一緒に生きている」
ほかの人が言ってくれるうれしさ
7年間、なんとか生きてきて、その間に花梨も、自分たちと一緒に成長してるって思っています。
私が入学式って、自分で言っているんですけれど、学校の前にランドセルを持っていって、写真を撮ったりしたんです。
そういう時も記者の方が、花梨の成長に、ずっとついてきてくれて、話を聞いてくれた。すごいうれしくてですね。
また、以前、取材された番組のタイトルが、「いまも一緒に生きている」でした。
自分では、いまも一緒に生きているって思っているんですけど、自分の中だけでは不安定に思う部分もあるんです。ほかの人が言ってくれるのが、すごくうれしくて、いまも支えになっています。
災害を伝えるのは、
未来の命を守るため
「なぜ、災害を伝えるのか」。
問い続けなければならない私たちに、宮﨑さんが思いを語ってくれました。
宮﨑さくらさん:
報道が減っていくのは、しょうがないんです。
どんどん忘れられていくので、全部が全部覚えていてくれって言うことではないですけど、命を助けるために残しておいてほしいことっていうのはあって。
災害というのは、全部つながっています。
災害のたびに、誰かを救うために、教訓が必ずあるはずなんですね。
どうか、それを伝えるためにこれからも一緒に歩んでほしい。
いまから何かできることを、一緒にやらせてもらえたらって思っています。
災害を伝えるのは、未来の命を守るためです。
どうか共に伝えてほしいと願います。
研修後記
会を開いたのは、ご遺族や被災した人たちから報道への思いを聞き、議論して前に進みたいという思いからでした。
局内向けでしたが、記事として公開したのは、多くの人たちに届いて欲しい言葉と思いにあふれていたからです。
宮﨑さんの言葉や思いが、災害から命を守ることのきっかけになってほしいと心から願います。(西村雄介)