障害者の暮らす場所 第4回 日本初の自立生活運動の拠点「ヒューマンケア協会」前編
2016年11月17日(木)
- 投稿者:web担当
- カテゴリ:Connect-“多様性”の現場から
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▼ 相模原の事件の背後には施設入所の問題がある
▼ もっとも重視されるべきは当事者のニーズ
次回のブログ : 第5回 日本初の自立生活運動の拠点「ヒューマンケア協会」【後編】
Webライターの木下です。
第4回は、障害者の自立生活を支援するヒューマンケア協会代表の中西正司さんからお話をおうかがいしました。
中西さんは、1986年に日本で初めて、障害者のための本格的な自立生活センター「ヒューマンケア協会」を東京の八王子市で立ち上げました。自立生活のための介助サービスを、当事者自らが事業化し、民間団体として提供していくという画期的ものでした。スタート時は、中西さんも含めて当事者スタッフ4人でしたが、設立から30年を経て、現在は全国127か所に拠点があり、それらを支える「全国自立生活センター協議会(JIL)」の運営も並行して行っています。
ヒューマンケア協会代表・中西正司さん
いま日本では四肢に麻痺のある人たちが電動車いすで町中を移動し、電車に乗り、買い物をし、レストランで食事をする光景が当たり前に見られるようになりました。必要とあれば介助者をともない、社会参加の機会を広げることも可能になりました。中西さんは、身体障害者の間で広がった、このような自立生活の機運を知的障害者や精神障害者の領域にまで広げたいと考えています。そんな矢先に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の事件は起こりました。
「事件の背景として精神障害者の措置入院の問題が取り上げられていますが、知的障害者が集団収容されていることから派生する問題が、今回の事件の本質だと思います。親は自分の子どもを一生面倒見てくれる施設があれば安心なので、負い目を感じながらも、やむを得ず預けてしまうけれど、当事者にしてみれば閉鎖的な環境で一生過ごすことになり、人生がストップした状態になってしまう。知的障害者でも精神障害者でも、そのような人生を本当に望む人はいないはずです。今回被害者の名前が伏せられましたけど、それを望んだのは本人ではなく家族です。誰にとっての人生なのかというのがキーだと思います」
津久井やまゆり園の事件後、市街地から離れた大型施設への集団収容を「障害者の隔離だ」とする非難の声が挙がる一方で、「入所者本位の手厚いサービスに努める施設であれば、障害者の人たちも幸せに暮らせるのではないか」という意見も聞かれました。そのような声に対して、「根本的に間違っている」と中西さんは話します。
「厚生労働省も障害者施策において、“当事者主体”と言いますが、ともすると本人の意見を聞いたふりをするためのカモフラージュの言葉だったりします。それは私たちが言う“当事者主権”とは違います。職員のスケジュールに合わせたお仕着せのサービスを提供することではなく、本人自身が希望を述べて、当事者のニーズに合わせて、システムや制度をつくるのが当事者主権です。どんなにすばらしいサービスであっても、職員や支援者がすべてを決めてしまったら、それはもはや自分の人生ではなくなってしまう。施設を出たら、多少の苦労はあるかもしれないけれど、それでも自分の人生を生きている喜びが得られるし、楽しみも感じられる。初めから無理だと決めつけないことです。」
ヒューマンケア協会では、当事者スタッフを中心に
利用者の相談に応じています
中西さんたちが「脱施設」を強く訴えるのは、劣悪な環境の施設があったり、職員による虐待があったりするからだけではなく、一律に管理されることで、障害者の主体性が確保できなくなり、個性を発揮する機会も奪われてしまうことに大きな疑問を感じているからです。精神が解放されるような環境こそが大切だと言います。
「地域で自立生活をしていれば、自分が主役です。今日は何をしようか、明日は何をしようかと自分で決められる当たり前の生活があるのです。施設のスケジュールに自分を合わせるのではなく、自分がスケジュールを決める。例えば好きな歌手のコンサートにいくことだって自由にできるようになる。恋だってできる(笑)。人間は社会的な動物なのだから、そうやって社会とさまざまなかかわりをもつチャンスを、みんなで共有していかないと」
脱施設の考え方には共感しても、「意思表示の難しく、医療的ケアの必要な重症児者ではとても無理だ」という声が、重症児者の親からは挙がっています。しかし、中西さんはそのような障害者であっても、生活する喜びはあるはずだと言います。
「彼はこういう歌手が好きなのだとか、こういう食べ物が好きなのだとか、周りの人間が推測することはできます。それに沿って生活を作っていく。間違えてはならないのは、意思表示が難しいからといって、意思がないわけではないということ。その意思をきちんとくみ取る力量が介助者には問われます。そして、そこでも当事者のニーズは重要になります。本人の個性に目を向けていけば、自然と見出せるものはあると思います」
また、いまの知的障害者の施設は、高齢者の養護施設としての役割も果たしています。高齢化と重症化は施設の大きな課題になっています。それまで自立生活をしていた人であっても、高齢となったために施設に入所するケースも多くなってきました。
「60歳でも自立したい人はいるので、あまり年齢で差別しない方がいいと思います。ただ、70代や80代になると介助者に指示を出すのが大変なので、施設で暮らす方がいいという人も出てくるでしょう。本人がどうしても施設がいいというなら、本人の意思を尊重して地域に連れ出すことはないかもしれない。でも、そこしかないからと言って、外圧で入所させてしまうのは避けないとね。それと、忘れてはいけないのは、何十年も施設で生活してきたために、地域に出られなくなって、高齢になってしまった人もいます。施設中心主義が生みだしたツケがきているわけで、施設で一生を終わることになる。やはり若い頃から地域での生活を経験させないと。しかし、もし、年取ってからでも地域で生活したいという人がいたら、応援しないといけないです」
木下 真
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コメント
障害者の、暮らす場所を、読ませて頂いて。
ありがとうございます。
とても、わかりやすく、読んでいて、ほっと、しました。
東京には、こんな、所も、あるんですね。
でも、きっと、希望しても、待機者が、多いので、しょう。
精神薬の、話など、この、ブログに、ありませんでしたが。
一部の、良くない施設事例。
良くない、精神薬事例。
両極端に、良い事例も、あり。
本当に、当事者、個人個人、違います。
また、グループホームの、事。
詳しく、書かれておりませんが、金銭的な、問題も、あります。
そして、声の、大きさなどの、問題も、あり、皆さん、違うので、私も、20代の、息子達が、いるため、いつも、悩み、考えてます。
自分が、100まで、生き、健康で、いないと、いけないの、だろうか?
と、いつも考えています。
また、色々な、事例。を、教えてください。
失礼いたします。
投稿:たぬき 2017年10月08日(日曜日) 08時49分
その通りだと思います。親とか回りが決めるのではなく、障害当事者がどうしたいか、当事者が伝えていけるような状態にしていかなければならないと思います。年々介護職をする人が少なくなっています。施設ではなく、どんなに重度でも地域で暮らせるようにと、僕も19年前に施設をできました。それから5年後に事業所を立ち上げて一人でも施設からでて、当たり前の生活をしてもらいたく頑張っています。でも、介助者がいなくてかなり大変になってきています。全国的に大きな動きをしていかなければ又山奥の施設生活になりかねません。メディアでもっと取り上げてください。
投稿:匿名 2017年02月14日(火曜日) 22時23分