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相模原障害者施設殺傷事件 第6回 児玉真美さんインタビュー

2016年09月21日(水)


Webライターの木下です。
広島在住のフリーライターの児玉真美さんに相模原障害者殺傷事件についてお話をうかがいました。児玉さんは、福祉を取材テーマとするフリーライターであるとともに、重症心身障害者の娘さんをもつ当事者家族でもあります。児玉さんは「安楽死」「〈無益な治療〉論」など医療と障害をめぐる生命倫理の問題に強い関心を抱き、欧米の最新事情を紹介するとともに問題提起を続けています。今回の事件の容疑者にある種の社会の空気が影響している可能性も見過ごせないと話します。

  “うちらの子”が殺されたという恐ろしさを感じた


木下
:まず、フリーライターとしてではなく、重症者の親として、今回の事件に接してどんなことを思われたのか、聞かせていただけますか。

児玉真美さん。広島駅に隣接するホテルにて。

児玉:事件当日の朝、寝ぼけ眼でニュースを見ていましたが、事態がわかった瞬間、立ちすくんでしまった、という感じでした。ベッドで無抵抗なまま、知的障害のある人が刺された光景が、「映像」として頭に浮かんでしまって、そして刺されたのがうちの娘になっていました。我が子が刺される様子を見てしまったために、私自身が大けがを負ったような身体感覚を1か月経っても引きずっています。生理的な生々しさをともなった恐怖ですね。


木下:怒りのような感情はなかったのですか。

児玉:もちろん、どこかに怒りはあるのでしょうけど、あまりに恐怖と衝撃が大きくて、言葉は出なかったし、頭の中を整理することもできませんでした。
 実は、こういう体験は2回目なのです。去年の年末、ETVでナチスが行った障害者の虐殺を扱った番組を見たときに、同じような感覚に襲われました。現地を訪ねた日本障害者協議会代表の藤井克徳さんがガス室の壁に触れながら、「殺された人たちはどれほど悔しかっただろう」とおっしゃった。その言葉を聞いたときに、あのガス室に、体も不自由で知的障害のある人たちが、裸ですし詰めにされて、窒息して死んでいく「映像」が頭に浮かび、その中にやはり我が子がいたのです。
 想像の世界でしたけど、私は思わず我が子に駆け寄った。そして声をかけて、体をつかもうとした瞬間に、すっと私の体が娘の中に入っていった。すると、「あ、この子は知的な障害があるけれど、自分たちが社会の総意によって殺されることを知っている」とわかった。そんなふうに殺されていく人の絶望感が生々しく想像されたというか……。自分で生み出した光景なのだけれど、すごくリアリティがあって、そのときにもしばらく心の傷が癒えなかったですね。内容はすばらしかったですが、親としては心に重くのしかかる辛い番組でした。

木下:その辛さというのを、もう少し詳しくお話しいただけますか。

児玉:自分の娘はひとつ間違えば、こんなふうにして社会にとって必要のない存在として殺されかねない存在なのだと思い知らされました。そして、今回現実にああいう事件が起きてしまった。それで、ETVの番組での経験がフラッシュバックしてきたのだと思います。
 重症心身障害児者の親って、どこかに、同じような重い障害のある人は“うちらの子”という感覚をもっているので、「津久井やまゆり園」の入所者が殺されたという報道に接したときも、「うちらの子が殺された」という悲痛な思いになりました。うちの娘が殺されたのと同じことなのだと思います。


 人を能力だけで測る価値観がじわじわと広がっている


木下
:児玉さんはフリーライターとして、生命科学や生命倫理をテーマとしてこられました。これまでのお仕事との関連からは、今回の事件をどうご覧になっていますか。

児玉:植松容疑者の情報はほとんど出てきていませんから、彼の行動が社会の動きとどう関連しているのかは推測でしかわかりません。事件について、いろんな人がいろいろなことを言っておられるのをネットで読んでいると、この事件の前に、それぞれの人がこの世界をどのような場所と思い描いておられたか、ということが事件の読み取り方の違いの根底にあるような気がしています。私はこの10数年間、障害児者の周辺で起こっている世界の出来事を追いかけてきて、この世界がすごい勢いで障害者にとって恐ろしい場所になっているという懸念をずっともっていました。今回の事件はやはり、そのじわじわと広がる空気の中で起こったことではないかと思います。

木下:世界にじわじわと広がっている空気とは何ですか。

2015年びわこ学園の第35回実践研究発表会にて

児玉:まずひとつには、ものすごい勢いで生命科学に関する技術が進んできて、人間の体も能力もいかようにもコントロール可能なのだという幻想が広がりつつあることです。そしてグローバル経済の進展によって、あらゆるところに経済優先の考え方が浸透し、それらの生命科学のテクノロジーの背後に強大な利権が生じていて、その幻想を後押ししています。例えば、新しい薬や先端医療技術については、まだ研究が緒についたばかりという段階から華々しく喧伝されて、もうどんな病気でも簡単に治せる時代がすぐそこにきているかのように人々の期待と夢があおられていきます。人が生まれてきて、生きて死んでいく過程で病んだり不自由になったり、老いるということは、本当はどんなに科学が進んでも人間の力でコントロールし得ることじゃないと思うのですが、そうした幻想に乗じてアンチ・エイジングやピンピンコロリなどを謳い文句にしたマーケットが創出されては、そのマーケット自体が次々に消費されていく。
 そうした幻想が広がり、科学技術に対する人々の期待と信頼がどんどん高まるにつれて、いつの間にか、人間を単に「生物学的な機能と能力の総和」ととらえる人間観が広がり始めているのではないでしょうか。もともとは医学をはじめとする科学の専門世界の限定的なものの見方に過ぎなかったはずが、社会の中でも人間を見る価値基準のスタンダードになりつつあるような気がします。
 人間とは、もっと奥深くて、人と人との関係の中で、尊厳や共感をもってつながりあって生きていく存在のはずなのに、個体ごとに機能と能力の高さだけで人の価値が測られ決まっていくような怖さがあります。


 「死ぬ・死なせる」という解決法でいいのか

 

木下:植松容疑者の発言の中には、「安楽死」という言葉が出てきました。

児玉: 安楽死と言うと、日本の多くの方は、終末期の余命いくばくもない人の耐え難い苦痛を取ってあげるための最終の救済手段をイメージされるのだと思います。ところが、オランダやベルギーなどの最先端の国々では、それとまったくかけ離れた現実があります。
 例えば、ベルギーでは生まれつき耳の聞こえない40代の双子の男性が、ほどなく目も見えなくなるとわかって、2人揃って安楽死したり、性転換手術の失敗で絶望した方が、安楽死を希望して認められた事例もあります。精神障害者の安楽死も増えているし、2014年には年齢制限を撤廃して、子どもの安楽死も可能になりました。また、ベルギーの集中治療医学会は、医師が余命いくばくもないと判断したら、本人の同意も家族の同意もなしに、安楽死させて良いという方針を出しています。
 オランダでは2012年に「機動安楽死チーム」を派遣し、自宅で安楽死させる制度が発足しました。その制度を運営している団体が次の目標として目指しているのが、高齢の自殺希望者にはお医者さんの力を借りなくても自殺できるように「安楽ピル」を購入できる制度です。いったん「死ぬ・死なせる」が権利として容認されると、そんなふうに、どんどん基準がゆるくなっていくのです。

木下:そうやって、死の基準をゆるくする理由は何なのでしょうか。

児玉:私はただ世界の出来事や議論をインターネットで追いかけてきたライターで、系統的に研究しているわけではないので、憶測の域を出ませんが、安楽死を進める国は、もともと福祉先進国ではないかと思うのです。オランダもベルギーもスイスもそうだし、アメリカで医師による自殺ほう助を認めるオレゴンやカルフォルニアも医療と福祉に先駆的な努力をしてきた州と言えるのではないでしょうか。
 社会保障を手厚くすると、財政的にも制度的にも行き詰まる。それを打開する解決策として安楽死や自殺ほう助の話が出てくるのかもしれません。日本の「尊厳死」「平穏死」の議論でも、最近はあからさまに医療コスト削減の話とセットで語られるようになりました。
 皮肉なことに、医療が高度になるにつれて、医療費が膨大に膨らむと、コストや手間のかかる高齢者や重度の障害者を切り捨てようという方向に進んでいく。一方では、先にお話したように「機能や能力の低い人」は「価値が低い人」とみなされつつあり、そういう流れが一緒になって「重い障害があってQOLの低い生は生きるに値しない」「治療にも値しない」という価値観が、少しずつ広がっていきます。
 すごく怖いなと思うのは、「死ぬ・死なせる」が問題解決の方法として提示されてしまうことです。いわゆる生老病死にかかわる苦しみの解決方法として一番割安な「死ぬ・死なせる」という解決法が選択肢のひとつとなり、社会がそれを法律によって制度化してしまう。すると、一人ひとりを「社会で支える」視点がなくなってしまうような気がするのです。さらに生きる苦しみを解決して終わらせることが個人の責任になってしまう。


 支援なき地域へと追い込まれている家族

 

木下:植松容疑者は、時代の空気を読んでいると思われる一方で、施設に収容されている障害者の世話をする体験から、意思表示の難しい障害者を無価値と考える思考にいきついています。そのことから大規模施設を問題視する論調もあります。

児玉:事件の後、さまざまな立場から発言する人たちがいて、「施設に入所していたから殺されたのだ。みんなが地域で暮らせるようになっていたら、殺されなかった」という人もいます。確かに、社会が目指していくべき方向性としては、私も親としてそうあってほしいと願っていますし、そうして誰もが地域で暮らせる社会を目指して努力してくださる方々のお陰で、制度も法律も変わってきたことに感謝もしています。
 でも、施設だから入所者はみんな悲惨な生活を強いられていて、施設職員は満足なケアを行っていないと決めつけるのは事実と異なる一面的な見方ではないでしょうか。施設にも一人ひとりの入所者に豊かな生活をしてもらおうと努力しているスタッフはいっぱいいるし、そこで暮らしている人たち一人ひとりにも仲間やスタッフと関わりあい、つながりあって過ごす、日々の「暮らし」があるわけです。今回の事件をめぐる議論が、施設か地域生活かの二者択一で論じられていくことには危うさを感じています。

木下:しかし、社会全体の方向としては、施設から地域へという流れになっていますよね。

児玉:地域で充分な支援を受けることができて、重度障害のある人たちも幸せに暮らしているケースがたくさんあることは、私も知っていますし、それは私たち親にとっても希望です。
 一方で踏まえなければならない現実もあります。実は、重症児者、特に医療的ケア児を中心に「地域移行」はこのところ急速に進んでいるのです。医療の進歩で救命率が上がり、それにつれて経管栄養や痰の吸引といった医療的ケアを必要とする子どもたちが増えました。そして、病院のNICUや小児科でベッドが不足してきたことから「退院支援」「地域移行」にという方向性が打ち出されています。しかし、そうして帰っていった地域には支援が圧倒的に不足し、結果的に多くの家族が過重な介護負担に喘いでいるのです。
 在宅の介護者の実態データを調べてみましたが、訪問看護ステーションで障害児を受け入れているところは3割しかない。在宅障害児の介護者の8~9割は母親で、いざとなっても介護を代わってもらえる人もなく、短期入所すら3割しか利用されていない。見るに見かねた関係者の方々が支援の必要を訴え、懸命にネットワーク作りや支援整備の努力もしてくださっていますが、全国的に見ればまだまだ限られた地域での実践だし、「お母さんががんばり続けられるように」と家族介護を前提にした支援に留まっているのが現状です。
 そんなふうに、重症児者で、いまもっとも切実なのは「支援なき地域で、家族が疲弊している」という現実。むしろ相模原の事件で多くの人が説いておられる「地域移行」とは似て非なる「地域移行」が、急速に進行している問題なのです。
 その他に、施設か在宅かを問わず、重症者の高齢化と、それにともなう重度化という問題もあります。「津久井やまゆり園」で被害に遭われた方の中にも高齢者がおられますが、高齢化するとガンなど成年期の病気への対応も必要になってきます。でも、特殊性、個別性の高い重症者の障害特性を踏まえた適切な治療を受けられるだけの医療資源が地域にあるのか、そもそも受け入れてもらえるのかは、大いに疑問です。
 データの裏づけがあるわけではありませんが、私たち重症児者の親は、施設か在宅かを問わず、医療も支援もじわりじわりと受けにくくなっていくのでは、という不安を感じています。受け入れてもらえる病院や事業所がなければ、または施設や事業所に人が足りなければ、医療も支援も諦めるしかないのか。たまたま出会いに恵まれた人だけが救われていくのか。親自身の高齢化の問題も深刻ですし、そういう厳しい現実を前にすれば、なおさらに「親亡き後」も切実さを増して感じられてきます。
 そんな中で、あの事件をきっかけに地域移行の必要性が一面的に強調されることで、そうした重症児者の「支援なき地域への移行」の過酷な現実に目が向かなくなるような気がして、心配です。


 強いものだけが生き残れる社会は誰も幸せにしない


木下
:重症者の地域移行は、他の障害者よりも慎重に進める必要がありそうですね。


児玉:みなさん、重度とか、最重度という言葉をとても安易に使われます。いろいろなご家族や支援者が、「どんなに重度でも」と言って、うまくいっているケースを語られますけど、それぞれにご自身の手と目の及んでいる範囲だけを見て、「どんなに重度でも」とか「最重度でも」という言葉を使っておられて、医療的ケアや配慮を必要とする重症児者は多くの場合、置き去りにされている気がします。
 重症心身障害児者は、重度の身体障害と重度の知的障害が合併した障害と定義されていますけど、重症児者のニーズとは重度身障者のニーズの「1」と重度知的障害者のニーズの「1」とを合わせて、その両方の「2」になるというのではなくて、2つの障害があって、そこにさらに医療的ケアや医療的配慮の必要が加わることによって、非常に個別性の高い、まったく独自のニーズが生じてくるということなのです。そのような理解を踏まえて、新たな支援の枠組みを考えてもらわないと、親はさらに追い込まれてしまいます。
 今回の事件を受けて、ネット上では「親が施設に厄介払いしていたくせに」「障害児者の親は社会に迷惑をかけるな」という心ないメッセージが投げかけられ、一方では一部の識者から「脱施設」が声高に説かれると、すでに追い詰められている重症児者の親は、助けを求めることも、発言することもできなくなるのではないかと、それが何より気がかりです。

木下:今回の事件で教訓とすべきは、何だと感じられていますか。

児玉:もともと他者を「どうせ障害者」「どうせ外国人」「どうせ貧乏人」「どうせ女」などと見下して、人よりも優位に立ちたい欲求は、誰の中にも潜んでいます。でも、もう一方で誰もが「よき人でありたい」「社会をよき場所にしていきたい」という素朴な願いももっていると思うのです。しかし、自分自身が追い詰められると、余裕がなくなり、「どうせ」と誰かを差別する意識を卑しい心根だとチェックする心が働かなくなってしまうのではないでしょうか。いま、いろいろな要因で、そんなふうに追い詰められている人が増えてきているような気がします。植松容疑者もその一人だったのかもしれません。
 事件以前から感じてはいたのですが、本来みんながもっていた素朴な共感力や寛容さみたいなものが社会から削ぎ落とされていくような不気味さが、あの事件でまた深く感じられています。人間の社会は決定的に大切なものを手放そうとしている、その瀬戸際のところにきてしまっているのかもしれません。
 私たちは一体どういう社会であろうとするのか、その選択を迫られているという気がします。人が生きるということは、弱さや生きづらさを必然的に抱えるものなのだと確認し合い弱いものを切り捨てる社会にはしないという決意を示していくことが必要でしょう。強いものだけが生き残れる社会というのは、結局は誰も幸せにはなれない社会だろうと思います。

 

木下 真

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 第1回 追悼集会に寄せられたメッセージ
 第2回 熊谷晋一郎さんインタビュー
 第3回 中島隆信さんインタビュー
 
第4回 竹内章郎さんインタビュー
 第5回 高谷清さんインタビュー
 第6回 児玉真美さんインタビュー

 ヤマケンボイス 分かち合いたい―「津久井やまゆり園」を訪ねて―
 相模原市障害者殺傷事件に関して
 【相模原市障害者施設殺傷事件】障害者団体等の声明

コメント

記事拝見いたしました。
現在私は老人介護や障がい児のデイに勤めていたす。
昔は障がい者は家の物置に隠す
そこから支援施設ができ障がい者はまとまって生活すべきだ
となり現在は地いき移行
どんなに高齢が進んでいても歩けるうちはグループホームへ
地いきで生活させる。
子供達も地域で生活できるように電車の乗り方金銭管理様々な
勉強をしますが現実に地域で一般の人と肩を並べるのは難しいのです。
地域で暮らすという事は
介護面で入浴から着替え、調理・排泄介助
看護面で痰吸引、鼻腔栄養・経管、服薬管理・発作の理解
など様々なことが必要となり
24時間ヘルパーさんと看護師さんが必要になるかと思います、
だから今家族が負担している部分が大きいく
施設にお願いしている部分があるわけです。
老人と違うのは
専用のヘルパーや看護師が一人に対何人か必要なところだと思います。
働く雇用の問題として
夜は1人か2人
施錠は勿論します。
でもこれ以上人員は給料上増やせないのでは?
夜勤手当てと資格手当てをいれて
20万いけばいいところです。
もしくはもっと安いです。
好きじゃないとできない仕事です。


投稿:チャム 2016年10月27日(木曜日) 01時09分