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相模原障害者施設殺傷事件 第2回 熊谷晋一郎さんインタビュー

2016年08月30日(火)


Webライターの木下です。
「津久井やまゆり園」の追悼集会の呼びかけ人のおひとりである東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎さんに、改めて研究室で今回の事件についてお話をうかがいしました。熊谷さんは小児科医であるとともに、脳性まひの当事者でもあります。



事件の影響による拙速な対応を危ぶむ


木下:事件後に、NHKのニュースウオッチ9の取材を受けられて、「車いすで町を走るのが怖くなった」とおっしゃっていました。熊谷さんのように小児科医であり、大学の教員をされているような方でも、そういう恐怖感を抱かれたということに驚きました。

20160823_2_001.JPG熊谷:これほど障害者としてのネガティブな感情を経験したのは久しぶりでした。私が障害者の当事者研究のテーマとして扱ってきたのは、主に見えない障害です。なぜかといえば、私のように見えやすい障害は、困りごとやニーズが自分や周囲に伝わりやすく、解決策も見つかりやすい。それに比べて、発達障害や精神障害、依存症などの見えない障害は、理解されなかったり、いろいろなハードルがあるので、そっちを中心に考えてきました。でも、今回の事件があって、自分のような見える障害をもつ人々が置かれる状況の怖さを再認識しました。周囲の人に障害者だとすぐにわかってしまう。素朴に「殴られるかもしれない」という恐怖感をもちました。

木下:障害者差別解消法が4月に施行されたばかりで、今回のような事件が起きましたが、時代が逆行していくような感覚はありますか。

熊谷:追悼集会の趣旨文にも書きましたが、私の実感として時計の針が巻き戻ってしまう恐怖心があります。これは思い込みかもしれないけれど、世の中に優生思想的な言説や言動が目につくようになってきているようにも思えます。事件のせいでセンシティブになっているのかもしれませんし、SNSなどのカキコミを見るようになったからかもしれませんが、障害者が解放される方向に向かっていた流れが、ぐっと戻されたように感じています。
 そのことに関連して、もうひとつ考えさせられたことがあります。私が「時計の針を戻さないために」という追悼集会の趣旨文を書いたのに対して、以前から、京都の自立支援センターで働いている介助者から批判的なメッセージをいただきました。地域における知的障害者の自立生活をサポートする活動をしている方です。彼は「いままで見捨てておいて、いまさら追悼するのは遅いのではないか」と述べ、時計の針が一度も進まなかった当事者がたくさんいるという事実を認識すべきだと言っていると、私はそのように受け止めました。
 ノーマライゼーションの動きによって解放されたと感じている障害者にとっては、今回は時計の針が戻るような恐ろしさを感じるかもしれないけれど、現在も施設に入所しているおよそ11万人の成人の知的障害者にとっては、時計の針が戻るというよりも、半世紀前から進んでいないのだと、メッセージに書かれてきたのです。とても反省しました。そういう意味では、一部の解放された障害者が、世の中で可視化されてきた背後に11万人近い方が、いまだに社会から隔離された状態に捨て置かれていたという事実を突きつけられました。

木下:追悼集会では、真相解明はゆっくり、影響への対応はやすみやかにという話をされていました。今回の事件によって起こる影響とはどんなことを想定されていますか。

熊谷:まず、セキュリティという名目で、さまざまなことで防衛的になっていくことが予想されます。具体的には、薬物依存症に対して、もっと厳しく罰する管理強化の流れが加速するかもしれません。あるいは措置入院をもっと厳しくした方がいいのではないかという方向に動く可能性もあります。あるいは障害者の入所施設の安全管理をもっと強化した方がいいのではないのかという形で、施設がより閉鎖的になる可能性もあります。そういう一連の流れが起きるのではないかと危機感をもっています。これまで進めてきた「一部の少数派を特別な場所に押しやるのではなく、地域の中で支え合いながら生きていく」という共生社会へ向かう実践に対して、隔離や分断のようなバックラッシュが起きるかもしれないと思っています。
 起きた事件の大きさに不安を感じ、短期的な視野ですぐに対応しようと思うのはわかりますが、閉鎖的な環境に置かれた移動能力の低い障害者は暴力の被害者になりやすいとか、薬物使用に対して処罰で対応するよりも地域の中で継続的な支援を受ける方が回復につながるなど、国内外の実践や研究を通じて、すでに明らかになっていることはいくつかあります。いまこそ、誰もが社会の中で依存先を増やしながら、連帯して生きられるような環境をつくっていくことこそが重要だと思います。


依存先の得られない社会を変えていく

 

木下:隔離や分断のバックラッシュに対抗して、「依存先を増やす」というのは、どういうことですか。

熊谷:私は当事者研究を長年行っています。精神障害者、発達障害者、薬物依存症の当事者の方と、障害の種類を超えてさまざまな共同研究を行ってきました。そこで知り合ったダルクという薬物依存症の自助団体の方々から多くを教わりました。彼らから学んだのは、「依存症とは何かに依存する病ではなく、依存先が得られない病だ」ということです。頼れるべき人、依存先がないことから、薬物に依存してしまう。依存症からの回復は、薬物を止めさせることではなく、薬物以外の依存先を増やすことだというのです。
 この依存できる対象の少なさという点では、障害者の問題に関しても似たところがあります。例えば、施設に入所する人にとっては、依存する先は施設だけになります。他に頼れる場所や人がなければ、そこで暴力や虐待があっても、逃げようがない。これは職員の心がけだけでは対応できない、構造的な問題です。また、施設職員も、過重労働で、逃げ場がない。施設を地域から閉じる方向にもっていけば、外出さえもままならなくなり、重度の障害者はつねに施設の中にいて、施設職員にすべての責任が課せられるようになってしまいます。
 障害児の親も依存先が少ない。社会や地域が障害のある子どもの子育てを十分サポートしてくれなくて、頼る先がなく、ひとりで抱え込んでしまう。そこで施設に頼らざるを得なくなる。親もまたプレッシャーを感じ、自分を責めることになります。どんなに愛情深い親でも、依存先が少なく自責的になれば、暴力の加害者や被害者になりやすくなります。
 精神科医も依存先が少ないかもしれません。何名かの精神科医の方が追悼集会のメッセージの中で指摘されていましたが、犯罪の予測と予防という課題は、精神神経科学の領分を超えた社会的・経済的・制度的要因を含みます。しかし、しばしば社会は自らを変化させることなく、問題を処理しようと、原因を一部の少数派に押し付け、精神神経科学的な解釈や対応に丸投げしがちです。そして、事件が起きれば精神科医に非難が集中する。措置入院の強化は、よりいっそう精神科医や精神障害者の頼れる先を減らし、過剰な責任を負わされた精神科医は、退院の判断によりいっそう慎重になるかもしれません。悲観的になり、患者を外に出そうとしなくなるのではないでしょうか。
 孤立する人の「依存先を増やす」という観点で整理していくと、立場を超えて、いろいろな課題が見えやすくなってきます。

木下:依存先を増やしていくためには、具体的にはどうしていけばいいのでしょうか。

熊谷:広い意味での「ソーシャルワーク」が重要だと思っています。専門家に丸投げするコミュニティは、暴力のリスクが高い。困難を抱える人を同胞ではなく、他者化して、医療機関や専門家にすぐにまかせるのではなく、依存先の多い状態で共存していく。そのためにはソーシャルワークの技術が不可欠です。
 例えば、外来をやっていると、学校で席につかない子どもがすぐに医療化されてしまって、「病院で薬を出してもらってください」と教師に言われ、病院にやってきたというケースにしばしば出会います。本来、個々の子どもに合った教育を提供し、本人の能力を最大限に引き出しつつ、共生社会を実現することが目的であるはずの特別支援教育が、教室という社会から一部の子どもを隔離する文脈で導入されるケースです。コミュニティの中で解決すべき問題を、すぐに医療化したり、専門職化することで、逆にいろいろな問題が起きているような気がして仕方がありません。
 孤立した人を見たときに、バッと防衛的になるのか、それともむしろぐっと歩み寄って一人ぼっちにしないか。心の動きをチューニングすることは、慣れるまでは難しいですし、勇気のいることですが、慣れてくるとそちらの方がよっぽど自然になります。


深く考える補助線を与える


木下
:差別や偏見を失くしていく方法と言うのはありますか。「すべての命は尊い」というような言葉だけでは、人の考え方を変えるのは難しいように思いますが。


熊谷:先日、中高生相手にレクチャーをしました。今回の「津久井やまゆり園」の事件についても話しました。意外にも最初は「容疑者の気持ちもわかる」という意見が多かった。もちろん、容疑者を自分とは関係のない特別な人とみなすよりは、良いことだとは思います。しかし、一方で、その「わかる」は、どこかで聞いたか、目にした門切り型の意見を、子どもたちがなぞっているだけであるようにも思いました。表層的な「わかる」であるように感じたのです。
 他者理解や自己理解の過程というのは、もっと深いものだということを伝えるためには、対話の経験や、「深く考えるための補助線」となる知識が必要です。例えば、「進化的なスケールでみたときに、人間は個体としては弱く、集団としては強い。個体の弱さを、互いに依存先を増やすことで補う戦略で生き残ってきた。それなのに、障害者だけ他の野生動物と同じような論理が適応され、自分でやれることは自分でやれと言われる。健常者の方がむしろ依存先が多いのに、障害者だけが依存するな、自立できていないと非難される。これはアンフェアではないか」。
 そう言うと、「なるほど」とうなずいて、短時間でどんどん議論が深まっていきました。「依存症は、依存できない病気なんだ」という話も織り交ぜました。すると結論は出ないけれど、ディスカッションが大変盛り上がりました。そうやって、いろいろな角度から問いを投げかけていって、論理的かつ共感的に考えを深めていくと、ネットの浅はかなカキコミがかすんで見えてきます。「こんなこと学校の授業では習わなかった」と、一部の子どもたちは感想を言ってくれました。印象だけでものをとらえるのではなく、理屈に基づく深い共感で考えを深めていく機会を若い人がもつことが必要でしょうね。


木下:先ほど障害者をコミュニティの中で他者化しないという言葉がありましたが、障害者の置かれた状況を他人事と思わないためには、どうすればいいのでしょうか。

熊谷:いまは誰もが、明日、自分が社会にとって役立たずになるのではないかという不安を潜在的に共有している時代だと思うのです。例えば、ひと昔前なら黙々とノルマをこなす労働者であれば、誰も文句は言いませんでしたが、いまはそういった労働はどんどん機械化され、コミュニケーション能力がない人間は、障害者として扱われるようになった。有用性によって障害者が定義されるのだとすると、労働の機械化や職場の流動化によって、みんな障害者になりそうな気配を感じているのではないでしょうか。
 学生たちと話をしていると、いまの若い人たちはそのプレッシャーを以前よりもより強く感じているように感じます。ではその不安とどう付き合うか。ここに分岐点があります。そのプレッシャーを見て見ぬふりしながら生き残るために、自分の弱みを出さず、自分よりも弱い立場に置かれている誰かを見つけて、暴力的な言動をするのか、それとも、同種の不安を共有する仲間として連帯し、社会の在り方を見直そうとするのか。そういう意味でいまは危機であるとともに、連帯のチャンスでもあります。
 以前だったら、障害者の問題は他人事ですが、いまは社会の側が急速に目まぐるしく変化しますので、自分の身体的なコンディションが変わらなくても、明日から自分が障害者として扱われるようになるかもしれない。そういう不安にふたをせずに、「不安だよね」という考えを共有し、じゃあどんな社会をつくればいいのだろう、生産能力の高い一部の人間だけが必要な資源を配分される社会は正しいのか、という議論を冷静にしていくべき時期ですね。



木下 真

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コメント

 私は、発達障害の1つである、アスペルガー症候群と過剰診断されていた当事者です。
 私は30歳代ですが、とにかく今の社会は、何かできない人を、すぐ「障害者」にしてしまう(もっと極端に言えば、何でもできるような「スーパー人材」になることを強要されている)傾向が強すぎる気がします。
 そのことを、名の知れた大学を卒業していて、IQ(知的能力)も高くて、尚かつ身体・精神障害を伴っていないはずの私が強く感じたほどです。 
 このような風潮を根本から変えない限り、今回の相模原市で起こったような惨劇が2度、3度と繰り返されてしまうと思います。

投稿:ゆうさく 2017年04月01日(土曜日) 14時51分