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相模原障害者施設殺傷事件 第3回 中島隆信さんインタビュー

2016年08月31日(水)


Webライターの木下です。
相模原障害者殺傷事件の植松容疑者は、「障害者を抹殺することが世界経済の活性化につながる」と衆議院議長宛の手紙の中に書いています。生産活動に携わることが不可能な重度の障害者と経済との関係についてどのように考えればいいのか。『障害者の経済学』という著書があり、経済の視点から障害者福祉について研究されている慶應義塾大学商学部教授の中島隆信さんにお話をうかがいました。中島さんは脳性まひの息子さんがおられる当事者家族でもあります。


社会との接点をなくすことで差別や偏見が生まれる


木下:今回の事件報道をご覧になって、どんな感想をおもちになりましたか。

20160823_3_001.JPG中島:「津久井やまゆり園」に行ったことはないですが、似たような収容型・隔離型の大きな施設は見たことがあります。あの手の施設はできればなくしていった方がいいと思いました。
 町はずれに広い敷地を取り、内部にグラウンド、屋外プール、体育館などがある。自己完結型で無理に外に出なくても、施設内ですべてが足りてしまう。言葉は悪いですけど、社会との接点の少ないソーシャル・デス(社会的死)の状態だと感じました。実際には地域との交流もあったようですが、それでも限界はあると思います。
 事件が起きてから、ネットのカキコミに「容疑者の行為は許されないが、考え方には一理ある」と書かれているものがけっこうありました。こういうカキコミが生じる背景には、このような隔離型の施設のイメージが関係していると思います。「社会と何のつながりもない人を、どうして税金で養うのか。いてもいなくてもいい存在なのではないか」。そのようにソーシャル・デスによって、バイオロジカル・デス(生物学的死)が正当化されてしまうのです。どんな人間も社会的に隔離することは可能なので、障害者だけではなく、難病患者でも、認知症患者でも、無価値とみなして抹殺しようとする悪意が生じる。大変危険です。
 そのような考え方が生じないようにするには、人をソーシャル・デスの状態に置かないことが大切です。差別や偏見はソーシャル・デスから生じるからです。それに障害者を社会から隔離するというのは、社会的損失につながります。なぜなら、人は相対的には何らかの長所をもっているわけで、社会はその能力や存在価値を活用することができなくなるからです。経済学では比較優位()という考え方をします。


※すべての能力に差がある2者がいた場合、能力の高いものに業務を集中させるよりも、各々の優位な能力を活かす形で分業した方が、結果として全体の生産性を上げることができるとする考え方。


障害者を支えるのは経済を超えた共同体の意思


木下
:比較優位の考え方はわかりますが、どのようにしても生産活動に従事できない重度の障害者はいます。今回の植松容疑者だけではなく、その人たちに税金を投入するのはおかしいと主張する人たちはいます。そのような意見に対して、経済学の立場から反論することはできますか。

中島:経済学でそのようなことを説明するのは難しいと思います。通常の経済学とは別の価値観が必要になります。GNPを唯一の価値とするなら、働ける人だけで社会を運営すればいい。しかし、それでは社会はうまく回っていきません。働けなくなったら見捨てられる社会だと思ったら、働くインセンティブは下がります。日本から脱出したくなります。経済学者の中にはセーフティーネットにあまり予算を割くべきではないという人もいますが、それでもセーフティーネットは一切要らないという人はいません。ただ、その理由は経済学だけではなかなか説明できないと思います。
20160823_3_002.JPG 障害者や病人、高齢者などの働けなくなった人を支えようというのは、近代国家が社会保障制度を整えてから始まったことではなく、それ以前から共同体として行っていたことです。たとえ、税金を投入しなくても、私たちは働けない人を支える意思を共同体としてもっています。だとすれば、支えることは当然のこととして、どのようにすればその仕組みを合理的なものにすることができるのかを、私たちは考えるべきだと思います。
 その際に大切なのは、特定の人に大きな負担が偏らないようにすることです。できるだけ、負担やリスクをみんなで分け合っていく。たとえば、家族だけに、もっと言えば母親だけに極端に負担がかかるなら、障害児の殺人までが同情の対象になってしまう。それは障害児が悪いのでも、家族が悪いのでもなく、社会がそうした悲劇的な結末を避ける努力を怠った結果です。共同体の共助の力が弱まっている現代社会では、行政が介入し、税金を投入して負担やリスクの分散をはかるのには合理性はあると思います。ただ、そのコストがあまりにも大きいなら、下げていく努力はするべきでしょうね。

木下:ナチスは障害者を抹殺することが、ドイツ国民を経済的に豊かにするのだというプロパガンダを行いました。経済優先の考え方が優生思想を生むのだと言っている人たちもいます。

中島:いつの時代でも社会の中に優生思想的な考えをもつ人は一定数います。そのことはあまり驚きません。そのような人たちをナチス的だといって批判するのは簡単です。それよりも、障害者が社会との接点を失うことなく、みんなで負担やリスクを分け合い、障害者が無用な存在だと思われないような社会を実現していくことが大切です。それが、悪意が暴発することのないようにするための知恵や工夫だと思います。


木下 真

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 第2回 熊谷晋一郎さんインタビュー
 第3回 中島隆信さんインタビュー
 
第4回 竹内章郎さんインタビュー
 第5回 高谷清さんインタビュー
 第6回 児玉真美さんインタビュー

 ヤマケンボイス 分かち合いたい―「津久井やまゆり園」を訪ねて―
 相模原市障害者殺傷事件に関して
 【相模原市障害者施設殺傷事件】障害者団体等の声明

コメント

比較優位の考え方はある、としつつ、でも経済学では説明できない、ただし我々共同体が障害を持つ人を助けようとしてきた、という説明に、学者としての中島先生の誠実さと、社会人として、親としてのヒューマニティを感じた。その意味では、後者についての社会的な合意こそが重要な印象も持った。障害に関する先生の著作でもう少し考えてみたい。

投稿:qak 2017年12月30日(土曜日) 21時48分

中島先生の言葉が、とても勉強になりました。

投稿:ゆお 2016年09月03日(土曜日) 20時30分