障害者の暮らす場所 第3回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園-後編-
2016年10月21日(金)
- 投稿者:web担当
- カテゴリ:Connect-“多様性”の現場から
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▼ グループホームで地域移行を支援
▼ 施設を必要とする人たちがいる現実
▼ レスパイトで地域の母親を支える
▼ 地域の障害者理解を広げるのも大切な役割
→第2回 日本で最初の知的障害者施設・滝乃川学園-前編-
次回のブログ : 第4回 日本初の自立生活運動の拠点「ヒューマンケア協会」前編
Webライター木下です。後編も滝乃川学園・常務理事の米川覚さんの発言を中心にご紹介します。
「ここは入所型の施設ですが、最初からそれを目的としてきたのではなくて、目の前のニーズに対応する中で、そのように変わってきただけなのです。知的な障害があっても、地域で暮らすことを本人が望んで、その条件が整うなら、それがいいに決まっています。いま成人部の入所施設には80人が暮らしていますが、うちが運営するグループホームには130人が暮らしています。施設の人数と地域で暮らす人数が逆転しているのです。そして、直営のグループホームで暮らす人の半分は重度の人たちです。地域で暮らせると判断したら、むしろ私たちは地域移行を奨励するようにしています」
滝乃川学園が運営する地域のグループホーム
知的障害者の親は、本人が家族のもとや施設で暮らすことには理解を示しますが、自立して暮らすことには不安を抱く人が多いと言われています。米川さんたちがグループホームでの生活を勧めると、当初は「施設から追い出す気ですか」と抵抗を示す親が多かったと言います。しかし、ある時重い自閉症の女性がグループホームで暮らし始めると、施設にいるときよりも表現力が増して、活動が盛んになり、通っていた作業所の仕事もレベルアップして、収入も増えるようになりました。
「そのお母さんに、“グループホームでうちの娘はこんなふうに変わったよ”ということを保護者会で何度も話してもらいました。私たちは、“もしうまくいかなかったときは、また施設に戻って暮らせるようになるから”と説得しました。すると、他のお母さんたちも心を動かされて、試してみようかという気になってくれて、いまはいい流れができています」
一方、施設で入所生活を続けざる得ない人たちもいます。高齢化によって障害が重症化している人たちです。今年の4月に、滝乃川学園では高齢者棟を新たにオープンしました。成人部の高齢化が進んだためで、現在50歳以上が5割を超し、60歳以上が3分の1に達しています。車いすの人も増えて、個室も車いすでUターンができる広さに改造する必要が出てきました。入浴も人力だけでは難しくなったために、機械浴ができる設備を設けることになりました。
「よく北欧では入所型施設をすべてなくして、みんなグループホームで暮らしていると言いますけど、北欧はかなりの重装備のグループホームです。同じことを日本でやろうとしても、いまのグループホームの補助金ではとても無理だと思います。医療的ケアを行う人的パワーも必要です。いまの日本の福祉制度の限られた条件のもとでニーズに応えていこうと思うと、施設で暮らさざるを得ない人が出るのも、また事実だと思います」
滝乃川学園には児童部もあり、ここには30人の子どもたちが暮らしています。乳児院出身で身寄りがなかったり、親が突然亡くなってしまったり、虐待によって二次的障害を負って障害が重症化していたりなど、さまざまな事情を抱えた子どもたちが安心して暮らせる場となっています。
「急きょ対応を迫られることもあるのです。行き場がなくなった子どもがいるとなったら、ともかく預かります。それで最初は短期入所でつないでいって、児童部に空きが出ればそこに入れます。そういう対応が可能なのは、施設があって職員がいるからです。もちろん、そういう子どもたちも、成長したら本人の意向を確認した上で、地域で自立生活ができるように支援していきますが、そのためにも施設での手厚いサポート期間は必要だと思います」
他にも強度行動障害と言われ、パニックを起こすと予測のつかない行動を始めたり、暴力的になったり、自傷行為におよぶような、地域での生活が難しい人たちもいます。職員が長い期間をかけて寄り添いながら、どんなときにパニックになるのかを理解することで、それを避ける環境を整えて、落ち着いた生活が可能になります。
地域に頼りにされる存在でありたいと考える滝乃川学園では、地域支援にも力を入れています。地域で暮らす障害者の親たちの相談にのる「相談支援センター」を設けて、さらにヘルパー派遣を行う「地域生活センター」、短期入所で親に一息ついてもらうための「れすぱいとセンター」、学齢児が放課後を過ごすための「放課後等デイサービス」などを運営しています。また、大きな災害があった場合の福祉避難所にも指定されています。
現在は法制化されているヘルパー派遣やレスパイト入所などは、法律にない時代から独自に地域支援として実施していました。
「うちはまだレスパイトという言葉がなかった時代から、地域の障害のある子どもたちを短期で預かる事業を、サマーキャンプやサマースクールという形でやってきました。夏休みは学校が休みですから、母親たちは子育てで疲れ切っていたのです。当時は措置の時代ですから、補助金で給料をもらっている職員を、保護者のニーズがあるからといって勝手に使うなと、東京都からおしかりも受けたのですが、保護者からは本当に喜ばれました。いまは地域移行の時代ですから、むしろ東京都もぜひやってくれと様変わりしています」
常務理事の米川覚さん
地域で暮らすことを理想として、行政もそれを支援してくれるようになってきましたが、米川さんは、知的障害者が地域で暮らしていくために超えなければならない一番のハードルは、地域の理解だと言います。都内各所でグループホームの建設が住民パワーによって阻まれるという事態が生じています。
「何をされるかわからない」「火事が出たらどうするのか」「知的な障害のある人はうるさい」「地価が下がったら保証してくるのか」「グループホームには賛成だが、うちの隣りに建てられるのはいやだ」など、偏見に根ざした反対論を、ときには地元選出の議員などを味方につけながら突き付けてくることもあると言います。
「もし、そのようなことがあれば、私は反対論にはひとつひとつていねいに回答します。そして、“できれば本人たちに会ってくれませんか、施設に来てくれてもいいし、こちらから訪ねていってもいい”ともちかけます。残念ながら拒絶されるとしても、あきらめません。実は、反対している町内会の人に一人ひとり会っていくと、“反対署名はしたけど、陰ながら応援しているよ”と言ってくれる人もいるし、たまたまグループホームの入所者が地域の雪かきを率先してやる姿を見て、目くじら立てて反対していたおばあさんが応援団に変わることだってあるのです。本人だけに任せていたのでは、ハードルは高いので、入所者をバックアップして、地域理解を広げていくのも、私たち施設職員の仕事のひとつだと思っています」
いま滝乃川学園では、高齢者棟を建てたことで生じた更地に、外部のNPOの力を借りながら、市民とともに花を育てるガーデンの建設を計画しています。入所者と市民がともに計画の段階から力を合わせてプロジェクトを進めることに大きな意義を見出しています。
創設者の石井亮一はフィラデルフィアの知的障害者施設を参考に、施設内を川が流れる場所を探してこの地を選びました。川の両側は市民も散策できる遊歩道になっています。
「あのような事件があって、施設を解体すべきという意見もあるようですが、施設でなければ暮らしていくのが難しい障害者の方は一定数います。施設の需要はなくならないと思います。しかし、そうであっても地域で暮らしていくのがやはり理想です。それを実現するためには障害者理解の輪をもっと広げていかなければなりません。滝乃川学園は日本初の知的障害者の施設であり、行政の支援もない中で、100年以上やってきました。“滝乃川学園が地元にあってくれてよかった”と思ってもらえるように、今後も入所者を支えるとともに、地域で暮らす障害者を支える核となる役割を果たしていきたいと思っています」
木下 真
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