キハ40がやってきた!なぜ東北から兵庫・北条鉄道へ?

兵庫県の真ん中あたりにある加西市を、1両の列車がのんびり走る第3セクターの北条鉄道に、新車両がデビューしました。

新車両といっても、新しくはないんです。作られたのは1979年。
かつて東北を走っていた元国鉄車両「キハ40形」です。

なぜ東北の旧国鉄車両が兵庫に?

(神戸放送局・小田和正)

熱いぞ!北条鉄道

今回の主人公の「キハ40形」。
でも私は鉄道ファンでもなく、兵庫県出身なのに北条鉄道も知りませんでした。

きっかけはことし4月、北条鉄道で行われたイベントの取材でした。驚いたのは、ホームに駅舎にあふれる多くの鉄道ファンの姿。そんなに有名でもない田舎の鉄道に(失礼!)、全国各地から人が集まっていたのです。

「どうしてこんな騒ぎになるのだろう」

そんなモヤモヤした思いから、取材を始めることにしました。

北条鉄道は兵庫県加西市と隣の小野市の13.6キロの区間を結ぶローカル鉄道で、駅の数はわずかに8つ。保有する車両はことし3月にデビューしたキハ40形を含めて4両という、かなりこぢんまりとした鉄道会社です。

それでも路線の歴史は古く、営業開始は今から100年以上前の1915年、その後国有化されて「国鉄北条線」として多くの通勤・通学客を運んできましたが、国鉄改革に伴って1985年に今の第3セクター「北条鉄道」となりました。

経営は厳しく、地元の市長選挙のたびに北条鉄道の廃止・存続が問われてきました。利用者を増やそうと、上りと下りの列車が行き違うことができる設備が2年前、途中の駅に設置されました。

これで1時間に1本だった運行が、30分間隔で運行することも可能になりました。この設備のおかげで所有する2両の車両を同時に走らせることができるようになったのです。(上の写真の左がキハ40形です)

一方で課題も生まれました。予備の列車の確保です。

列車は4年に1度、1か月の定期点検が必要です。その間にほかの列車が故障すると運行に支障が生じます。「もう1両なければ、運行がままならなくなる」ということで、キハ40形がやってきたわけです。

「いい車両、ありませんか?」

取材をすると、はじめから「キハ40形の導入ありき」ではなかったそうです。

北条鉄道の運転士で、車両の修理や点検も担当する坂江大宗さん(25)に教えてもらいました。新たな車両を製造するとどのくらい費用がかかるか調べたところ、なんと2億円以上かかるということで、赤字続きの北条鉄道にとってはさすがにハードルが高すぎます。そこで中古の車両を購入することにしたそうです。

「いい車両はありませんか?」

坂江さんは、全国各地のJRや私鉄に問い合わせました。

(坂江大宗さん)
「当時の上司から『運転士もいろんな仕事を経験しなければならない。全国の鉄道会社に車両をもらえないか聞いてみろ』と言われて取り組むことになり、全国各地、思い当たる会社にメールを送りました」

しばらくするとJR東日本から「連絡をください」と返事があり、条件を伝えると「秋田のキハ40形なら渡せる」ということでした。坂江さんはおととし11月、秋田に向かいました。

そこで対面したのが、秋田と青森の県境の風光明美な沿岸部を走るJR五能線で40年あまりの間、地元の人たちの足として活躍し、まもなく引退を迎える予定のキハ40形の車両でした。

(坂江さん)
「うまく運転できるかどうかや部品は確保できるのか、不安もありました。しかし説明を聞いて、この車両はエンジンも新しく載せ替えられていたこと。車両の前と後ろに運転台があることなどを聞いて、『これはいける』という気持ちになりました」

ただ、第3セクターの北条鉄道では、車両の購入には株主である地元・加西市や市議会の同意が必要です。車両自体は300万円と新しく造るより格安ですが、秋田からの輸送費や改修費も加えるとあわせて2900万円ほどかかってしまう計算でした。

市の執行部や議会からは「保有する車両よりも重いが、安全面で大丈夫なのか」とか「40年も走っている車両だがまだ使えるのか」など懸念を示す質問が相次ぎましたが、社員たちは「北条鉄道のレールならば、車両が重くなっても耐えられる」「このままでは運行に支障を来し、乗客に不便をかけてしまう」と、安全性や車両の必要性を粘り強く訴えました。


そして去年12月。
待ちに待ったキハ40形が加西市にやってきました。はるばるやってきた車両の姿を見た坂江さん、その時の様子をこう振り返ります。

(坂江さん)
「秋田で見た車両が本当に加西市までやってきたと半信半疑のような気分でした。車両をレールに乗せて運搬作業をしている中で、運搬されるキハ40形の姿とふだんの加西市の風景が重なってだんだんと現実味が強まっていき、北条町駅までの運搬作業を終えて、ああ、やっと来たんだと思いました」

あえて「東北色」のままで

「この列車ならファンに喜んでもらえて集客につながるのでは」

実は自身も“電車好き”の坂江さんの勘は、見事に的中します。

「北条鉄道沿線にお住まいの皆様、全国の北条鉄道のファンの皆様、キハ40と鉄道を愛する皆様のご支援により、北条鉄道でのキハ40気動車運行を実現させ、皆様にお披露目したい」

北条鉄道が去年9月、クラウドファンディングを呼びかけた際の文章です。
市に捻出してもらう費用ではまかないきれない部分、たとえば車内照明のLED化や運賃の表示板の多言語化などの資金が必要でした。それが、募集開始からわずか1日で目標を達成し、2か月で1300万円が集まったのです。

私も、坂江さんの案内で車両を見せてもらいました。
坂江さんが「東北で走っていたなごりがあるでしょう」と説明してくれました。

例えば車輪の近くについている小ぶりの箱。この中に入っているのは砂です。走行中に砂をレールに排出すると、積もった雪を溶かすそうです。

また、警笛にはふたが。降ってくる雪が入り込まないようついていて、音を鳴らす瞬間にだけ開きます。

車内も大きく改装されていません。JRの路線図や座席も五能線を走っていた時のまま。窓のサッシには傷や落書きも残り、レトロな雰囲気が漂っています。

車内の東北のなごりはあえてそのままにしたものですが、車体のカラーについては改修にかけられる資金が限られていたため、JR時代のカラーのままになっています。それでも、結果として「東北を走っていた頃と同じ」と鉄道ファンにとても好評だということです。

私は記事の冒頭で、「なぜこんなに人が?」と疑問を感じたのが取材のきっかけだったと書きましたが、こうした社員の思いやちょっとしたこだわりが多くの人の心に届いたのだと納得しました。

(坂江さん)
「初めて昼間の時間をキハ40形が走ったとき、見送る人たちの数がとても多く、写真を撮りに来た人の長蛇の列ができていました。1日中、人が途切れない。北条鉄道ってすごくマイナーなのに、この車両が入るだけで全国区になるんだと。その人気に本当に驚きました。あの光景は忘れられないです」

キハ40だけじゃない!北条鉄道の魅力

キハ40形の導入後、記念切符など関連グッズの売れ行きも好調。また、車両を目当てに訪れる乗客数も増加しています。広がりの輪を支えるのが、これまでまいてきた種の数々。そう、実は北条鉄道の魅力は、キハ40だけじゃないんです。

各駅の駅長を務めるのは、個性豊かなボランティアの人たちです。
制服を着て列車を見送る駅長もいれば、中には結婚相談を受け付ける駅長まで。個性豊かな地域の人たちがその得意分野をいかして盛り上げてきました。

このほか、2年前からは駅にやってこないともらえない、御朱印帳ならぬ「鉄印帳」の販売も始めています。

「注目してください」市も鉄道に期待

もちろん、全国の地方鉄道が厳しい状況の中で、北条鉄道も経営の厳しさが解決したわけではありません。今後の課題は赤字額の圧縮です。

毎年の2000万円から3000万円の赤字を補填しているのが地元の加西市です。北条鉄道の社長も務める西村和平市長は、北条鉄道に観光を結びつけることで将来に希望を見いだそうとしています。

地元の人たちを運ぶ「地域の足」としてはもちろんのこと、外から人を呼び込む「観光の目玉」の1つにしていけば、会社に補填しているお金も「市のPR対策費」として捉えることができる。その費用対効果は高い、と考えているということです。

(加西市 西村和平市長)
「補填している2000万円という金額で『加西市と言えば、田園風景を走る北条鉄道!』というようなブランドイメージを、新たに作ろうと思って作れるものではない。それを思えば、赤字の負担が損失だとは思わない。今年度は運輸収入で最高額を目指していて、キハの効果を継続できるかが大事だ。そして最後は黒字化する。注目していてください」

「キハを呼んだ男」

今、社内で「キハを呼んだ男」と呼ばれているという北条鉄道の坂江大宗さん。
取材の途中で、ちょっと運転席に座ってもらいました。

キハ40形は目線の高い設計となっているそうで、ブレーキの強さを調節する操作が特殊だそうです。

「キハを呼んだからには一番詳しくなりたい。一番うまく運転できるようになりたい」

そんな思いから、時間をみつけては構造を勉強しているそうです。

(坂江さん)
「例えるなら、オートマチック車が全盛の今、ミッション車を運転しているようなものです。この車両が走れなくなるまで、長く運転していたいと思います」

熱く夢を語ってくれました。

創業以来、赤字が続いている北条鉄道。
それでも会社発足から38年、キハ40形をはじめさまざまな知恵と工夫で初めての黒字を目指して、社員やファンの思いを乗せて今、走り始めています。

私も地元兵庫出身の記者として、北条鉄道のファンの1人として、その走りを見続けていきたいと思っています。

神戸局記者
小田 和正
2014年入局。金沢局、鹿児島局を経て21年から地元神戸で勤務。
「言葉にできない」ほどの魅力あふれる兵庫県で、日々言葉を紡いでニュースをお届けしています。