扇千景元参院議長 死去 89歳 各界から追悼の声

女性で初めて参議院議長を務め、国土交通大臣などを歴任した扇千景氏が、がんのため、3月9日に東京都内の病院で亡くなりました。89歳でした。

扇氏は神戸市出身で、俳優として宝塚歌劇団で活躍したあと、昭和52年の参議院選挙の旧全国区に自民党から立候補して初当選し、繰り上げ当選も含め5回当選しました。

この間、自民党のほか、新進党や自由党などにも所属し、自民党と連立政権を組んだ保守党では党首を務めました。

そして、平成12年の第2次森内閣で、建設大臣と国土庁長官を兼務して初入閣し、省庁再編に伴い、初代の国土交通大臣を務めました。

小泉内閣でも再任され、道路公団の民営化問題などに取り組み、所属していた保守新党が解党して自民党に合併したことに伴い、自民党に復党しました。

平成16年には女性で初めて参議院議長に就任し、中国の国会にあたる全人代=全国人民代表大会との議員交流などに取り組みました。

平成19年の参議院選挙に立候補せず、政界を引退しました。

夫は、3年前に亡くなった歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんです。

扇氏は、がんのため3月9日に東京都内の病院で亡くなりました。

89歳でした。

四代目中村鴈治郎さん「今頃は大好きな父のもとで喜んでいる」

亡くなった扇千景さんの長男で歌舞伎俳優の四代目中村鴈治郎さんは「母らしく、最期まで気丈な姿でした。かつては女優もしておりましたが議員生活が長かったので、息子ながら、母親というよりも議員としての顔を強く感じていました。また、議員を引退してからは父の面倒をずっと見ており、父にかかりっきりでしたが、父が亡くなってからのこの2年以上は母ひとりでしたので、一緒に食事をするなど同じ時間を過ごすことも増えてきました。そんな折に、母親だと改めて実感したものです。最期は私たちの母として、苦しまず、穏やかに旅立っていきました。今頃は大好きな父のもとにいて、きっと喜んでいると思います」などと、コメントしています。

また、次男で歌舞伎俳優の三代目中村扇雀さんは「この度、母が89歳で身罷りました。入院して一か月ほどでしたのでスッと安らかに永眠いたしました。悔いのない人生であったと思います。銀行員の娘として生を受け宝塚の生徒として舞台を踏み、映画で父と知り合い兄と私を産み女優から参議院議員に転身し参議院議長まで務め上げ、歌舞伎俳優である父の231年振りに復活した坂田藤十郎襲名を支え内容の濃い人生だったと思います。私は母に似ていると言われることが多く血液型も同じで性格も似ていたと思います。親子として共に過ごす時間は少なかったのですが多くのことを教えられました。今は母の子であったことをただただ感謝しています」などと、コメントしています。

自民 茂木幹事長「女性活躍の道を切りひらいた第一人者」

自民党の茂木幹事長は記者会見で「数々の要職を歴任する中で、常に『女性初』という言葉を背負いながら、その重責をしっかりと果たして『女性活躍』の道を切りひらいた第一人者だ。心よりご冥福をお祈りしたい」と述べました。

自民 二階元幹事長「国家の発展に大きく貢献された」

かつて自由党や保守党などでともに活動した、自民党の二階元幹事長は「政治活動をともにさせていただいた思い出もあり、初代の国土交通大臣や女性初の参議院議長として国政で大いに活躍され、国家の発展に大きく貢献された。ご冥福を心からお祈りします」というコメントを発表しました。

山東昭子前参院議長「チャレンジ精神あふれエネルギッシュな人」

自民党の山東昭子 前参議院議長はNHKの取材に対し「最後にお会いしたのは、去年の安倍元総理大臣の『国葬』の時で、元気そうに話していた。常に勇猛でチャレンジ精神にあふれ、エネルギッシュな人であり、芸能と政治の両方の仕事をして本当にすごい人だと思っていた。ご冥福をお祈りしたい」と述べました。

公明 山口代表「女性活躍の草分け的な存在」

かつて新進党でともに活動した、公明党の山口代表は記者団に対し「とても明るくて風格があった。私が衆議院選挙の小選挙区で非常に厳しい戦いをしていた際には、一緒に選挙カーに乗って、有権者に親しく、力強く語りかけて応援してくれた恩人でもある。女性活躍のいわば草分け的な存在としての役割も果たされ、亡くなられて残念だ」と述べました。

立民 小沢衆院議員「果敢に取り組むすばらしい政治家」

新進党などで活動をともにした、立憲民主党の小沢一郎衆議院議員は、みずからのツイッターに「大変驚いている。同志として政治行動をともにした際のエネルギッシュな姿が目に浮かぶ。とても存在感があり、積極的にアイデアを出して果敢に取り組んでいくすばらしい政治家だった。心からご冥福をお祈り申し上げる」と投稿しました。