「これは命に関わる話だ」
岸田首相 キーウ電撃訪問は

「これは総理の命に関わる話だ」
寒さがこたえる1月下旬の夜、取材にそう答えた官邸幹部。
ロシアのウクライナ侵攻から1年。
G7=主要7か国の首脳らは、これまでに次々と戦地ウクライナを訪れ、世界に連帯を示してきた。
しかし、総理大臣・岸田文雄はここまでウクライナ訪問を実現できてこなかったが、取材では、この1年、水面下で何度も実現を模索してきたことがわかった。
そして、3月21日、岸田は予定を変更して訪問先のインドを離れ、ウクライナに向かった。
政権内でも賛否が渦巻く訪問検討の知られざる舞台裏に迫る。
(家喜誠也、高橋太一)
※3月21日に内容を更新しました。
激怒した岸田
「なんで総理執務室で話した内容がすぐに外に漏れるんだ!」
2022年12月、官邸内で岸田は怒りをあらわにしていた。
岸田の「年末キーウ訪問」を具体的に検討する極秘打ち合わせの一部が、外部に漏れたのだ。
「キーウに行くという情報があるが本当か?」
官邸幹部らには問い合わせが相次いだ。
ウクライナは戦地だ。事前に情報が漏れれば、標的になるなど危険性が増すことも懸念される。
日本政府として訪問計画を進めるのか、先延ばしにするのか、高度な判断が問われた。
幻の6月電撃訪問
その半年以上前の2022年4月。
イギリス・ジョンソン首相(当時)がキーウを電撃訪問してゼレンスキー大統領と会談し、追加の軍事支援を約束。その行動力が世界から称賛された。

岸田は、ロシアの侵攻直後から、イギリスをはじめG7各国と足並みを揃えてウクライナへの支援を積極的に進めてきた。
「『外交の岸田』をアピールし、日本として世界に連帯を表明するため、キーウを訪問できないか」
岸田は、夏の参議院選挙も意識しながら、そう思うようになっていった。
戦後、日本の総理大臣が戦地に赴いたことは1度もなく、危機管理上のハードルは高い。
訪問のチャンスをうかがう中、6月下旬までにフランス、ドイツ、イタリア3か国の首脳がキーウ訪問を計画しているという情報がもたらされた。
ドイツで行われるG7サミットに合わせた計画だという。
岸田もG7サミットのためヨーロッパを訪れる予定だったため、そのタイミングなら行ける可能性がある。
「3か国の首脳と一緒に訪問するという案もあるのではないか」
政府内で、政府専用機を隣国ポーランドに着陸させる準備など具体的な検討が加速した。
しかし…
日本政府は、日程調整面で岸田の極秘の外国出張に対する高いハードルに直面することになる。
総理大臣の外国出張にはさまざまな手続きが必要となる。

その1つが「国会への報告」だ。
国会開会中に総理大臣や閣僚が外国出張する場合、衆参の議院運営委員会の理事会に事前に報告することになっている。
フランス、ドイツ、イタリア3か国の首脳の訪問は6月中旬の可能性もある。
日本の通常国会の会期末は6月15日。
事前の調整も考えると、完全に秘密にしておくのは事実上不可能だ。
情報が漏れれば、岸田のみならず、同じく秘密裏に準備を進めている3首脳にも迷惑をかけることになりかねない。
ゴーサインを出すことはできなかった。

6月16日、3人の首脳はポーランドから夜行列車でキーウに到着した。
そこに岸田の姿はなかった。
迫るG7議長 焦る岸田
その後も岸田のキーウ訪問に向けた模索は続いたが、徐々に下火となっていく。
参議院選挙、安倍元総理大臣の銃撃事件、それに旧統一教会をめぐる問題など、夏から秋にかけて国内の課題に注力せざるを得ない状況が続いたためだ。
それでも、秋が深まり、年明けからのG7議長就任が目の前に迫ってくるにつれ、岸田は焦りを感じるようになっていた。
「ウクライナへの支援はG7議長国が引っ張っていかないといけない。各国は議長国の姿勢をよく見ている。後ろ向きだと見られるとG7全体の支援が弱くなってしまう」
このころ、岸田は周辺によくこう話していたという。
そして、秋の臨時国会の閉会日が近づいていた12月。
年末のキーウ訪問の具体的な検討が始まった。
2023年の通常国会は1月下旬にも召集の見込みだった。
「国会への報告」を避けるためには、国会閉会中のこの期間を使うしかなかった。
想定されたのは、岸田の単独訪問。
実現のための最大のハードルは「安全の確保」だった。
ヨーロッパ各国の首脳は、軍隊や特殊機関などが安全を確保しながらウクライナ訪問を実現してきたとされる。しかし、日本は、地理的にも遠く、自衛隊についても、防衛省は、日本の要人の警護のみを目的に海外派遣する明示的な規定はないとしている。

「ヨーロッパまで政府専用機で行くのか、別の手段で行くのか」
「陸路でウクライナに入る場合、どこからどのような手段で入るのか」
政府内では、アメリカやヨーロッパ各国など関係国の協力も得て安全を確保しつつ秘密裏に訪問できないか、検討が進められた。
「基本的にまずは自前で警護の計画を完璧に立てた上で、何かあった際のサポートを他国などにお願いすることになる。計画はかなり用意周到に組み立てた」
(政府関係者)

ただ、同じ時期に、ウクライナへのロシアによるドローン攻撃が激化し始め、危険な状況になってきた。
そして、冒頭で記した極秘打ち合わせの情報漏えいが重なった。
「万が一、総理の身に何かあれば自分たちの責任になりかねない」と考えた官僚が流したのではないかという臆測まで流れた。
結局、年末のキーウ訪問は取りやめになった。
リスクある中、どうする岸田
年が明けて2023年1月。
岸田はG7議長に就任した。日本は国連安保理の非常任理事国にもなった。
1月6日に行われた岸田とゼレンスキー大統領の電話会談。

ゼレンスキー大統領は岸田にキーウを訪問するよう招待した。
「諸般の状況を踏まえ検討していきたい」
岸田はカメラの前でしっかりと前を見据えて語った。ギアが上がったようにも見えた。
ある政府関係者も「ウクライナ訪問は総理の強い希望だ」と漏らす。
ただ、政府内では依然として訪問についての賛否や見通しは割れていた。
「ぜひ総理には行ってほしい。決まる時は突然決まりますから」(政府高官)
「実現できる見通しはない『検討』だと思う」(政府関係者)
「日程が表に出たら実際に狙われるリスクがある。これは総理の命に関わる話だ」(官邸幹部)
5月に予定されているG7広島サミットは、ウクライナへの支援が大きなテーマとなる。
それだけに、岸田はサミットの前になんとしてもキーウを訪問し、現状をみずから見て確かめた上で議論をリードしたい考えだ。
一方、ある政権幹部は「ただキーウに行ったというだけでは冷ややかに見られる。訪問が実現した時、ウクライナへのさらなる具体的な支援もセットで打ち出さなければならない」と語る。
バイデン大統領 キーウを電撃訪問

アメリカのバイデン大統領は2月20日、ロシアによる軍事侵攻が続くウクライナの首都キーウを事前の予告なく訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した。
侵攻開始から1年となるのを前に、アメリカの支援は揺るぎないという姿勢を強調した形だ。
これについて松野官房長官は、21日の記者会見で「侵略から1年を前に、アメリカがウクライナへの連帯を示す動きとして敬意を表す」と述べた。
また「24日にはG7が引き続き結束して対応するべく、ゼレンスキー大統領も招いてテレビ会議を主催し、5月の広島サミットに議論をつなげていきたい。議論を行う中で、法の支配に基づく国際秩序を守り抜くG7の強い意志を力強く世界に示していく」と述べた。
一方、岸田のウクライナ訪問については「現地の安全対策など諸般の情勢を踏まえて検討を行っているが、現時点では何も決まっていない」と述べるにとどまった。
インドから予定変更しウクライナへ
岸田は3月19日、日本をたってインドを訪れ、20日にはモディ首相と首脳会談を行った。
当初の日程では日本時間の21日午後、帰国に向けてインドを離れる予定だったが、岸田はインドを離れ、ウクライナに向かった。ポーランドのプシェミシルで列車に乗り込む姿をNHKの記者が確認している。
21日中にウクライナに到着し、大統領のゼレンスキーと首脳会談を行うものとみられる。
太平洋戦争後、日本の総理大臣が戦闘が続く国や地域を訪れたことはなく、日本の首脳によるウクライナ訪問は、去年2月にロシアが軍事侵攻を開始して以降、初めて。
首脳会談で、G7議長国として、ロシアに対する厳しい制裁などで国際社会の結束を促すとともに、日本としても復興や人道面を中心に最大限のウクライナ支援を継続していく考えを伝えるものとみられる。
(一部敬称略)

- 政治部記者
- 家喜 誠也
- 2014年入局。宇都宮局、仙台局を経て政治部。現在は官邸クラブで安全保障や危機管理などを担当。

- 政治部記者
- 高橋 太一
- 2017年入局。鹿児島局で安全保障の取材を担当し、2022年8月から政治部。現在は官邸クラブで総理番や地方創生などを担当。