広島 原爆投下から76年
追悼の祈り 核兵器ない世界へ

広島に原爆が投下されて6日で76年となります。新型コロナウイルスの感染拡大で例年どおりの追悼は難しくなっていますが被爆地・広島は6日、犠牲者を追悼する祈りに包まれるとともに核兵器のない世界の実現に向けた訴えを国内外に発信しています。

広島に原爆が投下されて76年となる6日、広島市では午前8時から平和記念式典が開かれ、被爆者や遺族の代表をはじめ、菅総理大臣のほかおよそ90の国の代表などが参列しました。

この中には原爆が投下された直後に降ったいわゆる「黒い雨」の裁判で国が上告を見送り、ようやく被爆者と認められた人もいます。

被爆者の平均年齢はことし84歳近くとなり高齢化が一層進む中、被爆の記憶を次の世代にどう伝えていくのかが課題となっています。

被爆地、広島は6日、犠牲者を追悼する祈りに包まれるとともに、核兵器のない平和な世界の実現に向けた訴えを国内外に発信しています。

平和公園 コロナ感染防止でことしも閉鎖

平和記念式典が開かれる広島市の平和公園は新型コロナウイルスの感染を防ぐため、ことしも去年と同様に午前5時に閉鎖されました。一般参列者のための席も設けられていません。

午前8時からの平和記念式典には例年多くの人が出席しますが、ことしも新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、広島市は午前5時から午前9時まで、会場となる公園南側一帯を閉鎖しました。
閉鎖が始まった午前5時になると広島市の職員がロープをはって公園への入場を規制し、中に立ち入らないよう呼びかけていました。

一方、午前5時から午前7時の間は公園内にある原爆慰霊碑への参拝に限って入場が認められ訪れた人が祈りをささげていました。

平和公園を訪れた男性は「入場が制限されているとは知らなかった。多くの人が犠牲となっていまの暮らしがあることを思いながら慰霊碑で祈りたい」と話していました。

被爆した男性「亡くなった兄と妹に会いたい」

5歳の時に爆心地からおよそ1.5キロで被爆した広島市中区の81歳の男性は「兄は学徒動員中に被爆して亡くなり、当時、自宅にいた妹は原爆の爆風で天井が落ちてきて頭に大けがをして亡くなったが、自分はたまたま外にいて助かった。先ほど原爆慰霊碑で『生き残ったきょうだいはみんな健康で頑張っているので安心して安らかに眠っていて下さい』と祈ってきました。亡くなった兄と妹にいまでも会いたいです。
核兵器廃絶に向けての取り組みが問題となっているが、当然、日本には参加していってほしい」と話していました。

被爆2世の男性「母の被爆体験をしっかり伝えたい」

家族3人で広島市の原爆ドームを訪れた被爆2世の53歳の男性は「母が被爆者で、友人をすぐ目の前で亡くしたことを聞かされています。母の被爆体験をしっかりと伝えていきたいです」と話していました。
また11歳の息子は「戦争はなくなってほしいです。自分より年下の子どもにはけんかをしてはいけないと教えてあげたいです」と話していました。

母らが被爆の男性「平和を当たり前と思ってはいけない」

爆心地からおよそ2キロ離れた所に住んでいて、母と兄と姉の3人が被爆したという73歳の男性は、原爆ドーム前で「無心になって何も考えずにただただ手を合わせました。戦後76年たちましたが、その間、日本が戦争していないこの平和を当たり前と思ってはいけないと考えています」と話していました。

夫が被爆者だった女性「核兵器のない静かな時代に」

亡くなった夫が被爆者だったという広島市西区の83歳の女性は「あのようなことは二度とあってはならないと思います。夫から、父が被爆してすぐに亡くなり、母は被爆からおよそ20年後に若くして亡くなったと聞いていました。夫から聞いた話を子どもとともに書き留めているので、原爆の記憶を風化させないようにこれからは私たちが伝えていきたいです。早く、核兵器のない静かな時代になるよう祈っています」と話していました。

祖母を亡くした女性「戦争はあってはならない」

祖母を原爆で亡くした広島市の被爆2世の71歳の女性は、原爆ドーム前の元安川で祈りをささげながら「広島に生まれた意味を考えないといけない。広島に生まれたからこそ平和の尊さを考えないといけない。コロナ禍で大変な世の中で多くの人が苦しんでいるが人の命を奪うような戦争はあってはならない。核兵器の廃絶を願っています」と話していました。