島に基地が? 悩める人たち

「以後予算(1543)が増える鉄砲伝来」
「一騎打ち 以後ようせん(1543)鉄砲伝来」
歴史のテストに向け、語呂合わせで覚えた西暦1543年のポルトガルからの火縄銃の伝来。その舞台となった鹿児島県の種子島が今、国策に揺れている。
その国策とは、島影が望める近さの無人島・馬毛島への在日アメリカ軍の空母艦載機訓練の移転計画だ。計画への賛否が最大の争点となった地元・西之表市の市長選挙で、住民たちは何を考え、どう行動したのか。島の将来を思う1人の住民の視点から追った。
(高橋太一)

馬毛島計画とは

並んで火縄銃を構える陣笠をかぶった男たち。
その火縄銃の轟音とともに始まる「鉄砲まつり」は、種子島の夏の風物詩だ。

1543年にポルトガル人によって鉄砲が伝えられた種子島。
この島の鍛冶職人たちが製造方法を学び、その後、鉄砲は日本各地に広がる。
ご存じの通り、戦国時代の戦術に革命的な変化をもたらした。


「鉄砲まつり」のほか、鍛冶職人の銅像などが鉄砲伝来の記憶を伝えているが、今では農業や漁業が盛んなのどかな島だ。
種子島から西に12キロ離れたところにある島が馬毛島だ。
かつて、500人余りが暮らしていたが、次第に人口が減り、41年前から無人島となっている。


そこに政府は、在日アメリカ軍の空母艦載機の離着陸訓練を移転させるという。
空母艦載機は、“日米同盟の要”とも言われる、在日アメリカ軍の空母に搭載される戦闘攻撃機だ。洋上に浮かぶ、わずか数百メートルの甲板に確実に着陸するためには高い技術が必要で、パイロットは陸上の滑走路を空母の甲板に見立てて、何度も離着陸の訓練を行う。

なぜ馬毛島に

この訓練は「FCLP」=「Field Carrier Landing Practice」と呼ばれ、現在は小笠原諸島の硫黄島で行われている。
しかし、艦載機の拠点がある山口県の岩国基地からの距離は約1400キロ。

しかも海上を飛び続けるため、「緊急時に着陸できる場所がなく危険だ」として、アメリカ軍は30年以上、より近い場所への移転を求めてきた。そこで移転の候補地に挙がったのが、馬毛島だった。
岩国基地から馬毛島までの距離はおよそ400キロと硫黄島の3分の1以下。


ルート上には複数の自衛隊基地などがあり、パイロットの安全が確保できることや、人が住む種子島から10キロ以上離れていることなどが、防衛省が馬毛島を選んだ理由だ。
さらに、中国が東シナ海などへの海洋進出を強めていることも念頭に、安全保障上の地理的なメリットも考慮したとみられる。すでに島のほとんどが国有化され、去年末から周辺海域で事前のボーリング調査が始まっている。

最大の争点は「馬毛島」

この調査が始まり、年が明けると、西之表市内は一気に選挙モードになった。
市長選挙が1月末に迫っていたからだ。

現職の八板俊輔(67)と、自民党が推薦する新人、福井清信(71)が真っ向からぶつかる構図。いやおうなしに最大の争点は「馬毛島」となった。

「騒音や漁業への影響が避けられず、失うものの方が大きい」などとして計画に反対する現職の八板。
これに対し、新人の福井は「協力と負担に応じた地域振興策を国に要望していくべきだ」と計画への賛成を訴えた。

島の10年見つめてきた区長の苦悩

こうした状況を複雑な思いで地域を見つめていた人がいた。
西之表市で、区長を務める、窪田良二(53)だ。


母親のルーツは馬毛島。両親は馬毛島で出会い、結婚した。
小学校のころ、母親と一緒に馬毛島を訪れたことを、おぼろげに記憶している。鹿が島を走り抜ける雄大な自然を見て、子どもながら“楽園のようだ”と思ったという。
そんな“思い出の島”の運命は、10年前に大きく動いた。
日米両政府の共同声明で、馬毛島が在日アメリカ軍の訓練移転の検討対象になったことが明らかになったのだ。


それ以来、馬毛島関連の動きを伝える新聞記事を切り抜いてきた窪田が、事態が急変したと感じたのは、おととし11月。島の買収をめぐり、防衛省と地権者が一定の合意に達してからだ。
防衛省は去年1月には島の環境調査を開始。
そして8月には、馬毛島に整備する、滑走路や港湾施設などの施設の具体的な配置案を提示した。


防衛省説明に募る不満

馬毛島をめぐる動きを長年にわたって報道で知るしかなかった窪田の地区でも、去年11月、防衛省による説明会が初めて開かれた。
計画が住民から遠いところで進んでいると不満が募り始めたころだった。

説明会はおよそ2時間。
防衛省側から、施設整備の必要性などが説明されたのに対し、住民からは率直な質問が相次いだ。
しかし――。

自衛隊の訓練の期間はどれくらいで、種類はどんなものがあるのか?
「現在、細かく検討させておりまして…」

再編交付金は、どのくらいもらえるのか?
「あらかじめ、これでいくら、これでいくら、まとめていくら。だからOKしてくれみたいなことはやりません」


窪田にとって、防衛省側の回答は、納得のできるものではなかった。
説明会のあと、自衛隊の戦闘機などの訓練も年間約130日間行われることも明らかになると、窪田は私たちの取材に対し、防衛省に対する不満をはっきりと口に出すようになっていた。


「とにかく住民に対しての説明会を急ぐ。焦っていると思う。でもその説明会では、すべてがきちんと答えられない。『住民を一番に考えて動いてる』と常々言ってるわりには、住民軽視っていうのはぬぐえないかな」

移転計画に地域再生への期待も

しかし、窪田たち住民には、計画に期待せざるを得ない事情もある。

西之表市の人口は、昭和34年のおよそ3万3600人をピークに減少の一途をたどり、現在はその半分以下の1万5000人足らず。少子高齢化と人口流出に悩んでいる。空き家も目立つようになってきた。


この状況を見透かしたかのように、防衛省は、馬毛島への自衛隊施設の整備に伴い、隊員の宿舎を種子島側に建設する計画を公表している。

隊員150人から200人とその家族が種子島に住むとしていて、地元では人口増加や消費拡大に期待する声が多く上がっている。さらに、再編交付金など、基地や訓練を受け入れる代わりに得られるメリットも見込まれることから、地域経済の活性化や住民サービスの向上に期待する住民もいる。

防衛省に対する不信感はあるし、騒音や環境への影響を心配する人の気持ちはわかる。
ただ、区長として長年、地域が衰退していく実情も見続けてきた。
その両方をよく知る立場だけに、窪田はどうしたらいいのかわからなくなっていた。

“草の根“VS組織

住民の間で計画への賛否が分かれる中、現職と新人の2人による選挙戦も次第に熱を帯びていった。

現職の八板は、騒音や漁業への影響の懸念を訴えたほか、日米地位協定の存在で、アメリカ軍の行動に歯止めがかけられなくなることを“最大の問題”と主張。計画受け入れによる交付金に頼らず、地元の魅力を生かした施策で地域を豊かにすると訴え、組織に頼らない草の根の選挙戦を展開した。

これに対し、新人の福井は「すでに、賛否を検討する時期は過ぎている。協力と負担に応じた振興策を国に要望すべきで、国としっかり交渉していく」と主張。
クリーニング店を経営し、地元の商工会長を務める福井。建設業界や農協など幅広い団体からの支援を受け、組織戦となった。


消えた第3の候補

実は、当初、市長選は3人による争いになると見込まれていた。

第3の候補者は、警視庁出身で元西之表市議会議員の濱上幸十。
計画への賛成を訴えて立候補を表明していたが、「賛成派の福井さんと濱上さんで票が割れて、共倒れするのが一番怖い」という声が早くから上がっていた。
こうした中、告示の2週間前、濱上が突如、立候補の辞退を表明。
濱上は、組織的に一本化に向けた動きを強める自民党の意向を汲んだと、事情を打ち明けた。
選挙の告示と同時に、馬毛島での計画に賛成する福井への自民党の支援は強化された。計画を進めるためにも、なんとしても「賛成派分裂」を避けたい政府・与党の思惑が見え隠れする。

迫る決断のとき

投票日が近づき、地域の住民たちは選択を迫られていた。
しかし、西之表市で取材する私たち取材班に表だって賛成・反対を口にする人は少なかった。


地域のつながりが強い種子島。ある飲食店の店主は、「賛成反対、両方の立場の客がいる。自分がどっちの意見、ということは言いたくない」と打ち明けた。
「馬毛島のことで意見の違いが出てから、取引しにくくなってしまった相手がいる」と話す経営者もいた。

根拠が不明確なうわさ話も広がっていった。
「自衛隊の宿舎は○○地区にできるらしい」
「地元が反対していては、宿舎は隣接する自治体にできてしまうのではないか。西之表市に騒音だけが残るのは勘弁してほしい」

限られた情報の中で、住民たちは互いに疑心暗鬼となり、町は重苦しい空気に包まれていった。

選択を迫られていたのは、計画への賛否を決めかねていた区長の窪田も同じだった。子や孫の世代に何を残すのが正解なのか。

ならば2人の候補に直接会おう!

投票日の2週間前、窪田はある決心をした。
2人の候補に、直接面会して市の将来に向けたビジョンを聞くことにしたのだ。


はじめに訪れたのは、計画に賛成の立場の福井。
地元の消防団で、20年以上の付き合いがある。

「計画を受け入れた上でしっかりと交渉していく」と主張する福井に計画を受け入れたあと、地元の声を反映させられるのか、単刀直入に聞いた。
「市長になったら、一番先に、国にものを言ってかないといけない。国の行動を止める勇気も必要。その勇気はありますか?」


「市民の皆さんが不安に思ってることを払拭した上で、これは駄目、これはお願いしますというふうに国との交渉が始まると思うんですよね。市民の皆さんの声を聞いて、それから県、国と交渉していく」
計画を受け入れた上で、政府と対等に交渉して地元の利益を最大化できるのか。

窪田は確信を得られないまま、今度は、計画への反対を訴える八板の事務所に向かった。
「国が馬毛島の99%を国有化する中で、島をどう活用するのか、アイデアはありますか?」

「方向性としては、自然とか文化・歴史を生かした研究あるいは観光関連での利用というのはいま目指してる訳です」


「賛成する人たちは、多額の交付金に期待しています。交付金なんかに対して、代替案はありますか?」
「今すでにかなりの交付金をいろんなところからもらってるわけですね。基地由来の交付金というのは、なくても今までやってきてるわけだから、基地ができないと、交付金がなくなるっていう論理がだいたいおかしいですよ」

基地を受け入れないものの、具体的な将来ビジョンが不明確だと感じた窪田。
納得がいくまで質問を続けようとすると、八板の声色が変わった。
「ちょっと待って下さい。中立って言われましたが、窪田さんの今の質問からすると、中立というふうには聞こえない。賛成する側の方々の代弁的な質問のように私には受けとめられたんだけど」


子や孫の世代に影響を与えるかもしれない選択を前に賛成・反対の両候補にあえて厳しい質問をぶつけた窪田。自分の気持ちが伝わらないもどかしさとともに、事務所をあとにした。

「賛成派が反対派を批判する。反対派が賛成派を批判する。そのことだけで批判する。馬毛島の話が出てこなければ仲がいいのに。馬毛島の話だと賛成か反対か、ってなる。それが嫌だね」

選挙がもたらしたものは

迎えた投票日。開票の結果、勝ったのは計画反対を訴えた現職の八板だった。
投票率は80.17%。有権者1万人ほどの選挙で、福井との差はわずか144票の大接戦だった。


当選が決まった直後、事務所であいさつした八板は、支援者たちに力強く語った。
「高い投票率の選挙で支持していただいたことは、市民が国の計画にノーと言っているということだ。国と話し合い、この問題の解決を図っていきたい」

選挙の2日後、八板は、さっそく防衛省に対して、事前のボーリング調査の中止や工事に向けた環境影響評価を行わないよう求める要請書を防衛省に提出した。
要請書には、みずからが再選されたことについて「改めて民意が示されたと認識している。地元の理解は得られていない」とあった。

この内容に敏感に反応したのは、計画に賛成する住民グループだった。
今月8日、市役所を訪れ、市長の対応について「選挙結果は賛否がきっ抗しており、市の現状を憂い、将来への不安が示されたものだ。市民の分断を助長させるような対応は、融和を進めなければならない行政の長として極めて軽率だ」などと鋭く反発した。


新しいリーダーが決まったものの、選挙戦でもたらされた分断は続き、さっそく表面化している。

馬毛島はすでに99%が事実上、国有化されている。


計画に反対する八板が市長に再選されたが、今後、政府の手続きが適切に行われれば、西之表市に計画を止める法律上の権限はなく、実際、選挙後も政府は計画推進の態度を変えていない。

では、反対派が勝利した選挙結果はなんだったのか。地域に分断をもたらしただけではなかったのか。
今回の選挙の意味を捉えかねていた私たちに、窪田は選挙のあと、訴えるように話してくれた。


「今は選挙をしてほしくなかったというのが本音です。賛否の立場に関係なく、住民が不安に思うことはまだたくさんあった。もっと説明を聞いてから選挙に臨みたかった。防衛省は、住民の疑問に丁寧に回答するまでは、計画を進めてはいけないと思うんです。一旦止めてでも、きちんと住民に説明する時間を取って、容認派と反対派が少しでも近づけるようにしていってほしい」

『これは、けんかではない』

私たちが窪田を取材していた1月中旬。
忘れられない光景がある。
窪田は、自身が運営する地区の児童クラブで子どもたちの前に立っていた。
黒板には「考えよう馬毛島」の文字。


馬毛島の問題を種子島の将来を担う子どもたちにも考えてもらいたいと、窪田が開いた勉強会での一場面だ。

窪田は、力強く、でもやさしく子どもたちに語りかけていた。
「馬毛島に自衛隊基地を持ってきていいよっていう人たちと、馬毛島はすごくいい島だから自然を守ろうよっていう人たちが、今、一生懸命、お互い気持ちよく付き合って議論している。これは、けんかではないんだよ」


「これは、けんかではない」
たとえ国策であっても、それが地域の分断の上に成り立つものであってはいけない。
私たちには、窪田が子どもたちへの語りかけを通して、自分自身に言い聞かせているように聞こえていた。
(文中敬称略)

 

鹿児島局記者
高橋 太一
2017年入局 去年まで奄美支局 現在は県政、安全保障などを担当 離島を見ると地方の重要課題がはっきりと見えます。