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岡山発 パリ五輪でメダルを アーチェリー代表内定中西絢哉選手

NHK岡山「もぎたて!」“ことしにかける”
  • 2024年01月05日

岡山市北区出身で24歳の中西絢哉選手は、2023年8月の世界選手権で銅メダルを獲得し、アーチェリーのパリオリンピック代表に内定しました。初出場となるオリンピックに向けて「パリで活躍して地元・岡山を盛り上げる」と強い決意を語り、世界選手権を上回る“銀”以上のメダル獲得を目指しています。
(岡山放送局 記者 山田俊輔)

“パリこそは” 悔しさを糧に

中西選手は10歳の時に新聞でアーチェリーの記事を見たことをきっかけに競技を始めました。岡山理大付属高校から近畿大学に進学し、2021年の東京オリンピック出場を目指していましたが、最終選考の5人に残ったものの、出場はかないませんでした。その悔しさを糧に、「パリこそは」という強い思いで、2022年に奈良県から母校の岡山市北区にある岡山理大付属高校に練習拠点を移しました。競技を始めた小学生の時から通っていた慣れ親しんだ場所で、再び、オリンピックへの挑戦を始めました。

念願の五輪代表に内定

2023年8月の世界選手権

中西選手は日本代表の一員として、2023年8月にドイツで開かれた世界選手権に出場。男子団体リカーブの3位決定戦はイタリアとの対戦でした。日本は第1セットと第2セットは連取しましたが、第3セットを落としました。しかし、第4セットでは、中西選手が持ち味の安定感を発揮して連続で10点を出し、このセットを奪いました。この結果、日本はイタリアに勝って銅メダル。パリオリンピックの出場権を獲得し、全日本アーチェリー連盟の選考要件により、中西選手は団体と個人の両方でパリ五輪の日本代表に内定しました。

(中西絢哉 選手)
「調子が悪い中で、何とかオリンピックの枠を取ることができたので、とりあえずほっとしたというのが大会が終わった直後の感覚だった。自分の中では、ベストが出せたわけではなかったので、チームの2人がしっかりつないで、なんとか勝てたと思う」

パリ五輪へ ミリ単位の調整の日々

アーチェリーは11月から1月までがオフシーズンです。中西選手はこの期間を利用して、フォームの修正に取り組んでいます。高校3年生の時に練習のしすぎで右肩を痛め、6年たった今も「右肩の不調からくる不安やパフォーマンスの不安定さが僕の中でずっと長い間、課題になっている」と話し、古傷の影響で持ち味の安定したパフォーマンスを発揮できないことがあるからです。右肩に負担をかけずに矢を放てるフォームを確立しようと、ミリ単位での調整が続いています。

この日は、弓を引く右肩の動きや手首の角度、弓にかける3本の指の力加減などを少しずつ変え、監督とともに、理想のフォームを模索していました。

(所属チーム 溝井利和 総監督)
「きれいにスポーンと打てるというのは、本人の感覚の中でしか分からないし、外からは見えない。今は、いろんな事を試しながら、“何かをつかみたいけれど、つかめない”みたいなところ。一番しんどい時期じゃないかなとは思うが、なんとかすると思う」

“初めての五輪でメダル獲得を”

2024年7月に開幕するパリオリンピックに向けて、中西選手は2月に開催される全日本室内選手権、そして、4月ごろから始まる見込みのワールドカップに出場する予定です。「3月末までには、何となく“ことしはこの位置でいこう”というのを決めておかないといけないと思っている」と試行錯誤を重ねるフォームを固める時期の見通しを話してくれました。「自分の強みは大会の緊張感が好きなところ」と答えてくれた中西選手。ふるさと・岡山からパリへ。雪辱を果たしてつかんだオリンピックの舞台でどんな活躍を見せてくれるのか。勝負の1年が幕を開けました。

(中西絢哉 選手)
「僕が岡山に帰ってきたのは、“岡山のアーチェリーを盛り上げたい”という気持ちがあったから。オリンピックはスポーツをしていない人でも知っている大きい大会なので、しっかり活躍することでアピールできたらと思う。出るからには全力でメダルを狙いにいく。世界選手権で銅メダルを取ってオリンピックの出場権を獲得したので、“その時の自分に勝つ”という意味でも、銀メダル以上を目指したい。活躍している姿を岡山県の人たちに届けたい」

  • 山田俊輔

    岡山放送局 記者

    山田俊輔

    2017年入局 岡山県政やスポーツなどを担当

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