
"がん患者・患者家族らしさ"と「わが まま」な生き方 ドラマ「幸運なひと」 脚本家・吉澤智子の体験談
「がんになったら『がんの人』っておかしくない?」
これは、ドラマ「幸運なひと」の作者・吉澤智子さんが、肺がんで亡くなった夫・雅司さんとの日常の中で感じてきたことです。
生前、「俺は運がいい」と話していた雅司さんに“わがまま”をあえてぶつけていたという吉澤さんは、「家族は無理をするほかない。大事なのは『無理の量』を決めておくこと」と話します。
自身の経験をもとに描かれたドラマに込めた思いを聞きました。
(2023年4月14日放送の特集ドラマ「幸運なひと」制作舞台裏をもとに記事を作成しています)

がんになったら「がんの人」はおかしくない?
吉澤さんと雅司さんが結婚したのは2010年。

その3年後、雅司さんはステージ4の肺がんと診断されました。
分かったときにはがんは肺全体に広がり、手術はできない状態だったといいます。
インタビューの日、吉澤さんが見せてくれたのは、雅司さんの四十九日の法要の後に配った挨拶状です。

吉澤さんは、お世話になった人たちに向けたこの挨拶状の中で、雅司さんのことを「幸運な人」と表しました。
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脚本家 吉澤智子さん
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「夫は生前よく『俺は運がいい』と言っていたんです」
「当時は強がりにも見えてちょっと痛々しいなと思った時期もありましたが、四十九日くらい時が経つと不思議なことに笑っている顔ばかり浮かんでくるので、悪くない、幸運な人だったなと心から出てきました」
「人は、足が速い人、背が高い人、お金持ちの人とか、何かで特徴付けられてしまうと思うんですけど、がんになった途端“がんの人”と言われてしまう。同様に、その言葉の先にはかわいそうな人があって、もっと言うと、不運な人、不幸な人とくくられてしまいます。もちろん命にかかわる病だから、そんな幸せだ、幸運だなんて不謹慎だという人もいると思いますが、たまたま亡くなる要因ががんというだけで、がんになった人の人生は決して不幸ではないし、不運でもないというふうに思っていました。このドラマは、人生をちゃんと生ききる、あるいはがんになったことでよけいに輝く人生もあるという、幸運な普通の人の話にしたいと思いました」
吉澤さんはがんになっても続く当たり前の日常を、闘病記ではない形で丁寧に描きたいと執筆にあたりました。

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脚本家 吉澤智子さん
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「別にがんになっても食いしん坊な人は食いしん坊だし、怠け者は怠け者で変わらなくて、夫ががんになっても急にいい人にならないし、聖人君子にはならない。本当にただがんになった普通の人の日常なので、『がんを聖域にしない』ということは常々考えていました。がんになると、周りの人もどうしたらいいか分からないから、優しく大事に手加減して扱うのですが、夫を見ていて思ったのは、それが一番嫌なんだろうなということです。『普通にがんになる前と同じように扱ってよ』という思いがあって、そこにすごくギャップがあるんですよね」
「家族が無理をしないのは無理。無理の量を決めておく」
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脚本家 吉澤智子さん
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「ドラマの中でもつわりで苦しむ咲良が、吐き気止めを飲む拓哉に対して『今この瞬間だけは誰がなんと言おうと私が家庭内しんどい選手権勝てる』とぼやくシーンを書きました。“がんよりつらいカード”はなかなかないので、看病している家族もそれなりに仕事とかいろいろつらくてもそれが言えなくなっちゃうということが結構あって。『がんなんだ』と言われたら『私のこの靴ずれなんて・・・』ということになるじゃないですか。でも今この瞬間、一歩も歩けないのはたぶん私の方、みたいなことがあるので」
(ドラマ「幸運なひと」より 夫ががんになった後、ピアニストになる夢を追う妻・咲良)
「夫と暮らしていると、がんになっても家事分担でケンカはするし、『ちょっとそこどいて』『リモコン取って』みたいなことが当たり前にあって、そこに罪悪感は持たない。ひどい家族だって思うかもしれないけど、がんが日常になると、そこを我慢していると続かないんですよ。お互いフェアに言い合ったほうが普通にいられるんです」

がんが“日常”になったときに、家族が無理をしない看病、継続できる看病をしていくためにはどうしたらいいかということもドラマの中で描きたかったポイントだといいます。
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脚本家 吉澤智子さん
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「今まで私が見た多くの闘病ドラマは家族が病気になると、身を粉にしてすべてをなげうって看病する話が多かった。それはとても美しい話だけど、そうすると現実は生きていけないんです。我慢することは決して美徳ではない。どちらかの我慢で成り立つ関係は続かないので、夫婦でどこまで折り合いを付けていくかなんだと思います。
よく『ご家族大変ですけど無理しないでね』と声をかけられるのですが、無理しないのは無理です。絶対無理するしかありません。大事なのは、無理の量を先に決めておくこと」
(ドラマ「幸運なひと」より)
「ここまでの無理は家族のためにやるけど、これ以上の無理をすると私自身が無理というところを先に決めておいて、それ以上はやらなくても後悔しないと決めてしまう。そうでないと、いくらやってもキリがなくて、もっとできたのではないかと自分を責めてしまいます。
今日一日、病気になった人の横で看病していることが愛情なのかもしれないけれど、今日仕事をしないと来年の仕事はないかもしれないみたいなことがあるときに、さあどっちを取りますかというのは本当に難しい。どうやっても後悔が残るのですが、その後悔をできるだけ小さくしたいわけです」
(ドラマ「幸運なひと」より)
「愛情と罪悪感の綱引きというか、愛情はあるけど愛情だけではダメで、現実的なところもどこかで計算しなければいけない」
“がんの夫がいるかわいそうな私”をやめた
「それ、俺のためじゃなくて夫ががんになった自分がかわいそうで泣いてるんじゃない?」
(ドラマ「幸運なひと」より)
ドラマの前半で、拓哉が咲良に対して声を荒げるシーン。辛辣(しんらつ)にも思える拓哉のセリフは、吉澤さん自身、夫の治療が始まるときに自分自身に投げかけた言葉だったと言います。

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脚本家 吉澤智子さん
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「検査などで悪い結果を聞く瞬間はすごく悲しかったし、夫はもっと生きたいだろうなと涙を流すのは自然なことなのですが、突き詰めると私自身が、自分の将来がどうなるのかということで不安になって落ち込んでいるのではないかと思えてきました。己の不幸に振り回されて心を病む時間は相手にも失礼だし、自分にとってもよくないから、“がんの夫がいるつらいかわいそうな私”というのは何の解決にもならないですよね。
ずっと落ち込むのも根気と才能がいるんですよ。そうはいってもおいしいケーキを食べたら嬉しいし、楽しいテレビを見たら笑っちゃうし、その感情も嘘ではない。限られた時間は楽しい思い出の方がいいなと、私は思っていました」
“自分らしく”は、大事にしているものを守ることから

ドラマでは、抗がん剤の影響で髪が抜ける前に「脱毛ライフを楽しもう」と拓哉がハットを買うシーンが描かれます。これは雅司さんの実体験から着想を得たシーンでした。
雅司さんは、病気をきっかけに帽子を集めるようになり、楽しそうに選びながら会社に通っていたそうです。仕事が大好きだった雅司さんは、治療をしながらも、亡くなる直前まで仕事を続けていました。

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脚本家 吉澤智子さん
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「夫は、拓哉ほど明るいタイプではありませんが、笑っちゃうくらい“ええかっこしい”な人でした。もともと職場でも割と上からいくオラオラ系。よく“自分らしく”と言われますけど、夫は誰かに面倒を見られるとか、弱い存在として扱われることは好きじゃない人だったので、病人でいるということの親和性が低い人でした。
かっこよくいたいと口に出すことはなかったけれど“がんでもかっこいい俺”“がんでも前向きな俺”でいることがひとつのモチベーションになっていたと思います。がんになるとどうしても自分でコントロールできないことが物理的に増えていきますが、気に入った帽子をかぶって好きな仕事を続けるとか、 “できる自分らしさ”を無理せず見つけていくのが大事なのかなと夫を隣で見ていて思いました。プライドを守るとか、大事にしているものを守るのが自分らしくいられることなのかなと思いますね」

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脚本家 吉澤智子さん
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「その一方で、『大丈夫とは言ったけど俺だってしんどいんだよ』と怒られたこともありました。家族からすればそのさじ加減が難しいですが、強いから強いだけの人はいなくて、かっこよく見られたいけどつらいんだというのがたぶん人だと思うし、そういう矛盾する思いというのが人間で、それが出せるのが夫婦や家族なのかなと思います」
「子どもを『持つ・持たない』のエゴをぶつけ合えることが大切」
がんが分かったあと、子どもを持つことを望むかどうかということもドラマのテーマのひとつとして描かれました。吉澤さん自身も、雅司さんのがんが分かった後に妊娠を希望すると決断し、精子の凍結、体外受精を行いました。

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脚本家 吉澤智子さん
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「脚本の打ち合わせのときに、監督から『なんで子どもがほしいと思ったのですか?夫のためですか?』と聞かれましたが、それはちょっと嘘っぽくなるなという話をしました。突き詰めると私の場合は、『子どもに会いたい』『お母さんになってみたい』という私のエゴでしかない。でもエゴを決して悪いこととは思わないし、欲望がなくなると、人間じゃなくなっちゃう、仙人になってしまうなと思っていて、『私が欲しいから産んだの』というシンプルな思いを否定する必要はないのではないかと思うようになりました。
拓哉の主治医のセリフに『子どものために子どもを作った人に僕は会ったことがありません』というのがあるのですが、みんな誰かの子どもで、おそらく私の親たちも、その親たちも、子どものために子どもを産んでいない。私の母は間違いなく自分が子どもを生みたかったからという理由で私を産んでいて、でもそれで私が楽しそうに笑っていたら、それで十分なんじゃないかそうやって人は続いていくんじゃないかという願い、祈りを込めました。そんなうまくいかないよということも、これから私自身が感じていくことかもしれませんが」
「今回は子どもを持つ夫婦の話だから、子どもを持たないということについては描けませんでしたが、子どもを持たなくても、持たないというエゴをぶつければいい。そうやって恐れずに望みをぶつけ合えることがすごく大切なのかなと思います」
「夫婦は人には見せられないものを見せられる関係になること」
ドラマでは、病気の進行を感じる中で、拓哉が咲良の前で初めて涙を流すシーンが描かれます。「寝たらもう起きられないかもしれない」と言う拓哉を抱き寄せ、咲良は「よかった」とつぶやきます。この咲良の一言に、吉澤さんは治療中に自身が感じた“夫婦としての幸せ”を重ねました。
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脚本家 吉澤智子さん
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「恋愛しているときはきれいなところしか見せないのに、夫婦になったとたん、今度は人には見せられないところを見せる関係になるのが夫婦だと思っています。特に、がんになるときれいごとではいられない。生身のつらい話とか、悔しいという思いとか、呪うような気持ちも出てくると思うんですね。受け入れる、諦める、少し譲歩する、その加減を作っていくのがたぶん夫婦で、周りから見るとどうして成立するのだろうと思うかもしれませんが、どこかで許せたり、少し諦めたり、でも私のわがままも聞いてくれるから受け止めてあげようと思えたり、その辺がすごく面白い。
治療中は夫ががんになることがなければ見えなかった夫の本音とか私の本音とかが言えたり感じたりぶつかったりわかり合えたりしたので、あの時間は私にとってとてもいい時間だったなと思います。人とそこまで深く関われるって幸せなことだなというふうにも感じました」
誰しもが持てる“幸運になる力”
がんをテーマにしたドラマのタイトルを「幸運なひと」にしたいと提案した吉澤さん。
そこには、誰しもが幸運になれるという願いが込められていました。

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脚本家 吉澤智子さん
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「自分たちで幸運にしていくんですよね、たぶん。夫も、がんになってショックだというままではなくて『俺は幸運だ』と言い続けた人だったので。運は天から降ってくるものですけど、幸運にしていくのはそこで出会った人間関係と己の心持ちだと感じました。
いまは、傷つけたり、傷ついたりするのが嫌だから、さっぱりした付き合いが賢いという世の中だけど、ちゃんとエゴをぶつけ合うことが幸せで、エゴをぶつけられる人、あるいは受け入れられる人に出会えたときは、それこそが人生の醍醐味(だいごみ)だと思います。私のまま、『わが まま』、自分らしくとか言うけれど、私のままはだいたい醜いものです。友人でも兄弟でも夫婦でも、なんでもいいけれど、その醜さをさらけ出せる人と出会い、人間関係を築けることが尊いことなんじゃないかということを『幸運なひと』を通じて感じてもらえたら嬉しいです」
【次に読むなら】“わかちゃんの夢はみんなで育て続ける” (小児がん)

“夢はみんなで育て続ける” ドラマ「幸運なひと」で紹介した絵本
小児がんと共に生き、絵本作家になる夢を叶えた、おおにしわかさんの絵本「ビーズのおともだち」。この絵本はいま「みんなで育てるもの」として、たくさんの人たちに広がり続けています。彼女の夢の続きをぜひご覧ください。
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