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「“そのとき”がくるまで、あなたの気持ちに正直でいて」 宮城県仙台市出身・萩原彩葉さん

「能登半島地震を経験した“子どもたち”へ、私がいま伝えたいこと」

このページでは、かつて東日本大震災などで家族や友人、ふるさとなどを失った“子どもたち”からのメッセージを紹介します。

幼いころの萩原さんと父・英明さん

宮城県仙台市出身の萩原彩葉(さわは)さん、21歳です。
小学2年生のとき、東日本大震災を経験しました。

萩原さんの自宅は内陸部にあり、母やきょうだいは無事でしたが、大工だった父・英明さん(当時36)は仕事で沿岸部の名取市閖上(ゆりあげ)に行っていて、津波に巻き込まれて亡くなりました。

「お父さんとはめっちゃ仲よしだった」という萩原さん。
その後、母ともきょうだいとも友達とも、父のことを話すことはありませんでした。

萩原さん

「お父さんが亡くなったことを最初に聞いたとき、きょうだいや母親はすごい泣いていて、その姿を見て、私まで泣いたら家族みんな死んじゃうんじゃないかって思って。その気持ちはしまって、泣かないように、話さないようにしていました」

萩原さん(左から3人目)とあしなが育英会のボランティア(中央) 2016年

萩原さんが初めて周囲に父の話をしたのは、震災から3年がたった小学5年生のとき。
親を亡くした子どもたちを支援する「あしなが育英会」で出会った、ボランティアの女性に声をかけられたのがきっかけでした。

萩原さん

「『弱い自分を見せていいんだよ』って言われて、自分が思っているマイナスな気持ちや悲しい気持ちを誰かに話してもいいんだなって思いました。話していったら、つらくなったとかではなくて『やっと話せるようになった』という感覚でした。そのときまでずっと我慢してどうにかつなぎ止めていたので、そのタガがなくなって一気に安心しました」

あしなが育英会で過ごす萩原さん 2017年

同じ境遇の仲間やボランティアとの交流を通じて、少しずつ自分の気持ちと向き合った萩原さん。
いまは悩みを抱える子どもたちを支えたいと、保健室の先生になることを目指して大学に通っています。

自分と同じように、能登半島地震で大切なものを失った子どもたちへ。
萩原さんが手紙でメッセージを送ってくれました。

1月1日の地震から今日まで、怖くて、不安で、孤独だと感じるような毎日を過ごしていると思います。
家が崩壊してしまったり、津波で思い出が流されてしまったり、大切な誰かを亡くした人もいるかもしれません。
13年前の東日本大震災の時、小学2年生だった私は何もかも受け入れることができなく、全てが現実なんだと理解できたのは、復旧が進み、復興に向けて前へ進んでいる頃でした。
きっと皆さんも、まだ上手く受け入れられなかったり、吐き出したくても吐き出せない複雑な想いがあったりすると思います。
でもそれでいいんです。
無理に受け入れようとしたり、伝えようとしたりせず、自分のペースで自分の心と向き合ってください。
気持ちやことばが追いつくのは、ずっとあとのことだったりもするんです。
受け入れられる時が来たら、話せる時が来たら、気持ちを貴方のことばで誰かに伝えてみてください。
1人で思い出すと悲しくて、孤独を感じることも、優しい誰かと思い出せば、独りじゃないから大丈夫、と思えるんです。
だから、その時が来るまで、貴方の気持ちやことばに正直でいてください。
自分をうんと大切にしてください。
1日でも1時間でも1分でも早く復興できるように心から祈っています。
そしてそのために何かできることがあれば、精一杯努めます。

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