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石牟礼道子のメッセージ

評伝出版の作家に聞く
  • 2024年02月26日

福岡市で開かれた水俣病の歴史をたどる「水俣・福岡展」。会場の展示には、小説『苦海浄土(くがいじょうど)』で 患者などの苦悩を描いた作家・石牟礼 道子(いしむれ・みちこ)さんが大きく関わっています。現代の問題にも通じる石牟礼さんのメッセージをひもとく作家を取材しました。
(熊本放送局 記者 西村雄介)

石牟礼道子の素に接して

水俣病の歴史や被害を パネルなどで伝えた「水俣・福岡展」

初期の貴重な写真ですよね。ここに出てくる人たちは、みんな石牟礼さんが書いている人です。

福岡市の作家、米本 浩二(よねもと・こうじ)さん。

石牟礼 道子さんの晩年に密着し、評伝を出版しました。

テクニックを超えた文学者ということは明らかだった。調べれば調べるほど、とても近づけないと思ったけれども、日記とか、いろんなノートとかみると、ごく普通のみんなが思っていることを、素直に書いている人で、飛躍したことを考えているわけでもなんでもない。日常、当たり前の生活を送っている人だった。共感できる人と分かってきて、大きな人と畏怖する一方、同じ人間だからと思いながら、書いていった。

道をひらいた苦海浄土

作家の石牟礼道子さん。2018年2月、90歳で亡くなりました。水俣病の患者などに寄り添い続けた生涯でした。

水俣病が公害と認定された翌年の1969年、患者や家族の苦悩を描いた小説『苦海浄土(くがいじょうど)』を出版。

“文明の病”の悲劇を社会に広く訴えました。

人とわかりあえないという、生まれつきの絶対的な孤独っていうのを、ずっと意識されてきた人だなと。だからこそ、苦海浄土が書けたんだと思うんです。

米本さんは、この作品を 人間・人権回復にむけての道をひらいた、記念碑的な著作 と考えています。

患者さんの惨苦というか、言語に絶する差別とか病苦があって、悶え苦しんでいるわけで、それを伝えたいというのは、もちろんありますが、根源的な苦しみを理解する能力、力があって、それを書き得た。石牟礼道子さん以外が、水俣にいって、患者さんの話を聞いて、同じようなものがかけるかというと、いままで、ひとつもない。なぜ、石牟礼さんだけが、苦界浄土をかけたのか。その背景には、自分の人生をかけた作品であり、かけているからこそ、できた作品であり、ほかの人はまねできないということだと思います。

無数の民に向け

撮影 塩田武史

あの昼も夜もわからない 痙攣(けいれん)が起きてから、
彼女を起点に 親しくつながっていた森羅万象(しんらばんしょう)
魚たちも人間も空も窓も 彼女の視点と身体からはなれ去り、
それでいて切なく 小刻みに近寄ったりする

「苦海浄土 わが水俣病」

一方で、被害の告発にとどまらないメッセージも 込められているといいます。

米本さん

患者さんと関係ないような、ごく普通の市井の人々、無数の民にむけて書いていると思うんですよ。「日常を慈しんでください。当たり前の生活を送りましょうね」というメッセージを、道子さんは、作品を通して語っている。

「怨」の字に込められた思い

展示されている、患者の救済運動の象徴となった旗。石牟礼さんが発案したもので、怨念の「怨」の字が 染め抜かれています。

根本的な意味に、心に憂いがあって、祈るような心情という意味がこの「怨」にはあるんです。水俣病はなぜ発生したのか、加害と被害の枠をこえて一緒に考えましょうと。

そばに並んだゼッケン。
「死民」という言葉にも、石牟礼さんの思いが込められていたといいます。

これまで亡くなった人たち、声にならない声を背負って、私はやっているという意味ですよね。死者の声を聞く、耳を傾けろ、と。これは多分、人間だけでなくて、猫とか、虫とか、鳥とか、生類、生き物全体を視野にいれた言葉なんですよね。だから、石牟礼さんしか作れない言葉と思います

ごく普通の生活を送りたいという願いが込められている、そういう闘争だからこそ、大勢の人たちが集まって、大きな波となった。そのムーブメントの起点になったのが、石牟礼道子さん。だから、みんなが忘れていることを思い返させてくれた人です、だから、今でも、思い返すべき人です。

大好きな道子さんの文章だから

小説に限らず 短歌やエッセー、能に至るまで、多くの作品を描いた石牟礼さん。
残されたのは、その思想が詰まった膨大な資料です。
米本さんは、9年前に発足した資料保存会の仲間と、日記などの整理を続けています。

石牟礼さんの作品はもともと 分かりにくいとか、難しいとか言われてる部分があるので、それを理解する一助にもなるわけですよ。

米本さん

誰かが手をかけないと散逸してしまうとか、どこにいってしまうか分からないとか、ありますから。ある程度、道筋をつけなきゃいけなくて。終わりが見えない。でもやられなれば、進まない。楽しんでやってますよ、大好きな道子さんの文章だけん。

現代にも道しるべを示す 石牟礼さんのメッセージ。
多くの人に触れてほしいと、米本さんは考えています。

亡くなっても、亡くなっていない

石牟礼さんは亡くなっても 亡くなってはいない。見る度に新しいもんね、文章。いつも手を合わせていたら思う。その時々、表情を変えてくる。

米本さん

真っ暗闇で、どこに行き場がなくても、ふんばってる時に、何となく1歩踏み出して、また、次の局面にぶち当たるみたいなのが、石牟礼さんの生涯だった。そういうふうに、同じ境遇の患者さんたちと、共に歩いて、現実を1つ1つデザインしていった、作り上げていったのが、いわゆる水俣病闘争なんです。だから、人間ドラマとして、入ったら、すごく、入りやすいし、昔のことじゃない。今につながってる。疫病の時代、戦争の時代、モヤモヤして、やるせないでしょ。この時代で、いかに生きるかヒントは、石牟礼さんの著作にある。ですから、おすすめしたいです。知らなかったら、間違いないから。

  • 西村雄介

    熊本局記者

    西村雄介

    2014年入局 熊本局が初任地。公式確認60年となる2016年から水俣病を継続取材。熊本地震・令和2年7月豪雨を発生当初から取材。

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