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水俣病に若い世代はどう向き合う?

フミダス!ガマダス 水俣病シリーズ1
  • 2023年07月31日

「水俣病に若い世代はどう向き合えばいいのだろう?」

神奈川県出身で、熊本放送局に赴任して3年目のアナウンサーの私が、水俣病を取材し始めて感じた大きな疑問です。 

その答えを、水俣病と関わりがある人たちの言葉と思いから探っていきたいと、私を含め熊本放送局の若手が中心になり「フミダス!ガマダス」の新シリーズを9月、立ち上げました。

そのきっかけは、友人からかけられた「ある言葉」でした。

(熊本放送局アナウンサー・佐藤茉那、ディレクター・吉田渉、記者・西村雄介)
(2022年9月公開記事)

語り部・杉本肇さんとの出会い

そもそも、県外からきた私が水俣病を知りたいと思ったのは、水俣病の被害者で、今は語り部をしている杉本肇さんにラジオ番組でインタビューをしたことがきっかけでした。

3時間を超えた対談時間は私にとってかけがいのない貴重な時間となり、どんな質問にも丁寧に答えてくれた杉本さんの言葉は、どれも強く印象に残っています。

(杉本肇さん)
「水俣というのがですね、いろんな亀裂が生まれたんですね。触れられなかった時代。話せなかった時代が長く続いていて。それが水俣の歴史なんですね」

ここ最近まで、水俣病の話題はタブー視されており、水俣で語ろうとする人はひとりもいなかったと言う杉本さん。

ではなぜ、そこまで水俣病は語られなかったのか。

杉本さんの言葉をきっかけに、私自身、もっと水俣病を取材しなければと考えるようになりました。

「なぜ水俣病を伝える?」答えられないもどかしさ

ところが、杉本さんのインタビュー番組の放送後、水俣病の話を県外の友達にしたところ、思わぬ反応があったんです。

「まだ水俣病ってやってるんだ」

「歴史の教科書では見たけど」

「もう患者は増えないのに、なぜ伝えるの?」

この反応は正直ショックなものでした。

一方で、自分は直接取材しているから知りたいと思ったけれど、そうでなかったら、おそらく、その友達と同じように考えていたのではないかと思います。

「なぜいま水俣病を伝えるのか」という問いに上手く答えられない自分自身にもどかしさを感じました。

この思いがきっかけで始まったのが、今回の企画です。

私自身が感じたもどかしさ、そして疑問となった「若い世代は、水俣病とどう向き合えばいいのか」を考えていきたいと、シリーズを立ち上げることにしたんです。

水俣病をよく知る熊本の若者たち

まず始めたのは、熊本で暮らす若者たちが水俣病についてどう思っているのか、熊本市中心部のアーケード街でインタビューをすることでした。

(佐藤)
「水俣病ってどんなイメージですか?」

(男子高校生)
「なんかいろいろ麻痺したりとか、うまくしゃべれなくなったりとか」

(女子高校生) 
「メチル水銀でいろんな方々が苦しい思いをした」

(男子大学生)
「確か1956年なんですよ。発症が。たしかそのくらいだった」

県外からきた私にとって驚きだったのは、多くの若者が水俣病について基本的な知識を持っていることでした。

1956年に公式確認された水俣病。

工場排水に含まれるメチル水銀によって海の魚が汚染され、それを食べた人たちに中毒症状が発生しました。その歴史は、熊本県では、小学校の授業で必ず習うことになっています。

「終わった話」「聞きづらい」の声も

ただ一方で、こんな声もありました。

(女子高校生)
「まだあってるんだってレベルです。調べようとは思わんくない?もうちょっとテレビでやっとったりしたらさ、コロナみたいにさ分かるけど、ないしね」

(女子高校生)
「友達がつらい思いをしているときに聞きにくいときもあるから、それと同じで。水俣病にかかった人もつらい思いをしているから、聞きにくい部分があります。

(20代・社会人)
「肌感覚ではもう終わってしまったこと、過去のことって感じで。戦争みたいなイメージのままいるんですけど。困っている人がいまもいるのかとかは全然分からないし」

街なかの若い人たちは本当に水俣病のことをよく知っていましたが、一方で、「過去のこと」「聞きづらい・ハードルが高い」「関わりがない」といった声が多く聞かれました。

「過去のこと・終わったこと」という声もありましたが、実際は、患者として認めて欲しいと裁判が今も続いています。

ただ、そうした「水俣病のいま」のことは、なかなか知る機会がないこともあり、歴史上の知識はあったとしても、今に通ずることだとは感じていない人が多いことが分かりました。

では、こうした若者の声を当事者はどう受け止めているのか。私が水俣病に関心を持つきっかけになった語り部の杉本肇さんに再び話を聞きに行きました。

喜んで語る語り部はいない

祖父母と両親が水俣病の患者だった杉本さん。

年間100回を超える語り部活動を通して、若い世代と向き合ってきました。

(佐藤)
「県外の同級生なんですけど、水俣病ってまだやってるんだって」

(杉本肇さん)
「おお、『まだやってるんだ』って・・・」

(佐藤)
「私自身、その声にうまく答えることができなくて、すごくもどかしい気持ちになりました」

街で出会った若者たちの声も聞いてもらいました。

(街の若者の声)
「聞きづらい。そのことで思い出させてしまったら。相手のことを思ったら、聞きづらい」

(杉本肇さん)
「そうですね、それはもう当たり前のことだと思うんですね。僕たちもそうだったし。語り部さんも喜んで語っている人はだれもいません。辛い過去を回想して思い出すのは辛いことだからです」

それでも水俣病の経験を伝え続けるのには、杉本さんのこんな思いがありました。

(杉本肇さん)
「それをヒントに、生きる希望を持てるんじゃないかなっていうふうに思っています」

水俣病の経験が誰かの力に

「水俣病の経験が、聞く人それぞれの助けになる」

そう考えるようになったきっかけは、語り部をしていた母・栄子さんの存在にありました。

(杉本肇さん)
「うちの母に言わせますと『病気はなんとかなる。だけど差別が怖い』。これが一番、私たちは死に追い込まれるような、そんな経験をしていますと」

当初、原因不明の病とされた水俣病。杉本さん一家は、地域で激しいいじめを受けてきました。

そのうえで、母が辛い記憶をなぜ語るのか、若い頃は理解できなかったといいます。

しかし、母の死後、全国から届いたのは、800 通を超える手紙でした。

そこで目にとまったのは、いじめを受けていた生徒からの「勇気をもらった」という感謝の言葉。

苦難の日々だった水俣病の経験が誰かの力になると、気づかされたといいます。

(杉本肇さん)
「差別の問題とか、いじめの問題とかですね、それを自分が受けたときにどう対処していくかは、水俣病の患者さんに学んだらすごくいいヒントになるんじゃないかなというふうに思います」

(佐藤)
「聞き手側がおのおの、ヒントをなにかつかみ取っていく?」

(杉本肇さん)
「そうなんですよ。僕たちもこうしたらいいということはあまり言わない。僕たちは経験したことを伝えて、聞いた人がどう感じるかということがとても大切」

水俣はいつでも待っている

最後に、改めて聞いてみました。

「若い世代は水俣病にどう向き合えばいいのか」。

(杉本肇さん)
「困難に直面して弱くなる経験は誰しもが持っているんじゃない?って思います。ただ君たちがその立場に立った時に、もう1回その水俣を学んでいただけたらいいなと思います。患者さんのいろいろな経験あるいは闘いですね。これは貴重な財産だと思うんですよね。そういうことをもう1回学べるようにいつでも、広く、待っているのがこれからの水俣じゃないかなと」

取材後記

今回、熊本市内の街なかでインタビューをした理由は、熊本県内の若者がどのくらい水俣病について知っているのかや、どんな認識を持っているのかを、探りたいと思ったからです。

街ゆく人に「水俣病について話を聞きたい」と声をかけたところ、ほとんどの方が足を止め、自分の知っていること・思いを素直に話してくれました。

そのなかで、放送でも紹介した「聞きづらい」「終わったこと」という声以外に、「他県の人から水俣病について聞かれたら、熊本県民として教えられるようになりたい」「子どもたちにこれからも語り継いでいかないといけないことが何なのか知りたい」などという声もありました。

私自身、アナウンサーとして「なぜいま水俣病を伝えるのか」を考えていましたが、同じような思いを抱いている人が多くいることが分かりました。

この企画では、テーマを『若い世代』としていますが、語り部の杉本肇さんは「資料館が完成した平成5年よりも前に育った人のほうが水俣病の教育を受けておらず、若者よりも知らないことが多い」と話していました。

調べてみると、熊本県内の小学5年生全員が水俣病について学ぶ『肥後っ子教室』も、ここ十数年の話。同じ県内に暮らす人たちでも、年代によって知識の量や認識が全く違うのかもしれません。

住む地域の違い、年代の違い、境遇の違い・・・。人や立場によって様々な認識をされている『水俣病』を、私もこの企画を通じて、いろんな角度から見つめていきたいと思います。

 

▼放送した内容はこちらからご覧いただけます。

  • 佐藤茉那

    熊本局アナウンサー

    佐藤茉那

     神奈川県横浜市出身
    2020年入局 初任が熊本
    定時ニュースや中継リポートを担当。熊本の取材で印象に残っていることは、水俣病の語り部のかたへのロングインタビュー。

  • 吉田渉

    熊本局ディレクター

    吉田渉

    2019年入局 熊本局が初任地
    2年目から水俣病の取材を継続

  • 西村雄介

    熊本局記者

    西村雄介

    2014年入局 熊本局が初任地。公式確認60年となる2016年から水俣病を継続取材。熊本地震・令和2年7月豪雨を発生当初から取材。

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