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水俣と福島 葛藤を分かち合って

フミダス!ガマダス 水俣病シリーズ5
  • 2023年06月08日

東日本大震災の経験を伝えている福島県の男性が、5月、水俣市を訪れました。 

水俣病について学んだ男性は何を感じたのか。

場所は遠くとも通じ合う、水俣と福島の思いを取材しました。

(熊本放送局 アナウンサー 佐藤茉那・記者 西村雄介)

模索する人たちとつながりを

「水俣病で奪われたものは、命や健康が一番大きいですけど、それ以外にも、それまであった豊かな暮らしも奪われた」

ことし5月、水俣市を訪れた木村紀夫さんです。

福島県の海沿いにある大熊町に生まれ育ち、東日本大震災で父親と妻、7歳だった娘を失いました。

教訓を後世に残したいと、被災した経験を語り部として伝え続けている木村さん。

活動するにあたって、ほかの地域の社会問題も知っておきたいと、これまで沖縄や広島にも足を運び、今回、熊本大学大学院の石原明子准教授の案内で、水俣を初めて訪れました。

(水俣病センター相思社 葛西伸夫さん) 
「高度経済成長、大量生産、大量消費時代、プラスチックなしには、好景気は得られなかった。それを支えたのがチッソ。これが止まると成長が失速する、だから止められなかった。水俣だけじゃない、国家の問題だった」

(木村紀夫さん)
「次にどうつなげていくかっていうところで、いろいろ模索されている人たちとつながれたらいいなと思って来ている」

原子力なんかなくたって

震災の発生後、津波に巻き込まれた3人を捜し続けた木村さん。 

最後まで行方がわからなかったのが、娘の汐凪さんでした。 

「1日でも早く娘を見つけたい」

その願いを妨げたのは、原発事故でした。 

大熊町にあった自宅周辺は事故で放射線量が極めて高くなり、 避難指示が出されて近づくことができなくなったのです。 

(木村紀夫さん)
「原子力なんかなくたって、家族がいれば、それで十分だと」

(木村紀夫さん)
「行方不明の汐凪を探さなきゃならないっていう思いがあっても、それができない。させてもらえない。お願いもできない。しょうがないから、自分1人でやろうと思っても、それもさせてもらえないっていう状況なので」

捜索から5年9か月。

身につけていたマフラーと遺骨の一部が見つかったのは、 自宅からわずか200メートルの場所でした。

(木村紀夫さん)
「もうちょっと汐凪を感じられるかなと思ったんですけど。なかなかこういう形になってしまうと、汐凪に会えたなという気持ちにはなかなかなれなかったですね。見つかって良かった、なんてなかなか思えないですよ」

原発がある町での葛藤

同じ思いをする人を2度と出したくないと活動を続けている木村さん。

水俣でもみずからの経験を語りました。

(木村紀夫さん)
「汐凪だって生きていた可能性は0ではないよねと。やっぱり置き去りにせざるをえないような状況をつくってしまったのが、原発事故だった」

(木村紀夫さん)
「自分たちは、この電気をふんだんに使った生活をしているわけですよね。それでいいのかなぁって、もやもやが増えていきます。汐凪に言われているような気がして。ゴミを作り出しながら、今、豊かな生活を享受している。ぜいたくに、楽をして生きるために犠牲がある、それでいいのかなって。人って、そんなことやっていいのか、ほかの生き物にも迷惑をかけて、未来の人たちにも迷惑をかけて、そういうことを自覚して生きていくべきなんじゃないか」

一方で活動への迷いがあります。

(木村紀夫さん)
「原発があるから、表現、反対なんだけど、反対って言えないとかね。家族が、お父さんが、原発の職員だから、なかなかね、言えないとか。社会的には、どっちかっていうと少数派の声で、私なんか、なんて言うのかな、福島でそれを表現できないっていうもどかしさがある」

つながる水俣と福島

翌日、木村さんが訪ねたのは、水俣市に近い芦北町の漁師で、水俣病で父親を亡くした緒方正人さんのもとです。

水俣も、発生当初から水俣病について語ることをタブー視する風潮があったといいます。

町の中で患者とチッソの従業員がともに生活をしていたからです。

それでも、緒方さんは水俣病について発信し続けました。

(緒方正人さん)
「隠していれば楽なようにも思えた瞬間もあった。しかし、それでは悔いを残すんじゃないかと思ったので、全部、さらして生きることに決めた。その覚悟と選択は、やっぱり、ずっとそれでよかったと思ってます、後悔したことはない。何も恥じることはない」

福島で講演をしたこともある緒方さん。

水俣病と原発事故。ともに「経済的な豊かさを求める社会」がもたらした被害であり、ひとりひとりが考え続けなればならない問題だと話します。

(緒方正人さん)
「共通しているのは、国策であるっていうことがまず、捉え方として非常に大事なところだと思う。国や政府の関係者だけでもない。あらゆる人々が、罪深い場所として、記憶し続けていく。そのために、長く伝えていく必要がある」

 木村さんもまた、同じ思いで、伝える活動を続けてきました。

(木村紀夫さん)
「場所がら難しいということはあるんだけれども、少なくとも、それをちゃんと表現してもいいんだと。それが世の中、多少、変化していく、小さな動きにもなる」

水俣と福島。 

4時間にわたって思いを語り合いました。

(緒方正人さん)
「タンスの引き出しみたいに入れとってもいいから、今、答えが出ないんなら、持ちかかえたまま、いつか、ほかのことがきっかけで、ヒントになって、つながるかもしれんから」

(木村紀夫さん)
「こういう話って、なかなか本当にこう、社会の中で、大熊のなかで言えない話なので、自分の中では そういうことを思ってるんだけど、まあ1人で考えてるか、孤軍奮闘しているとか、そんな状況なんですよ。そのなかで、やっぱり、そういう話をして、共感してくれるそういう後押ししてくれるようなお話がたくさん聞けて、ありがたいなと。それを力に変えていけるなと、思いました」。 

(緒方正人さん)
「もう1人の自分を見るような気がしてですね。その命の問題が根底にあるんですよね。水俣でも、福島でも。今の社会で共通項をともに探しているので、また共同してやれることも出てくるような気がします」

苦悩と葛藤を水俣で分かち合った木村さん。

つながりを支えに前に進みます。

(木村紀夫さん)
「緒方さんに肯定されているような気持ちがするんですよ。ふだん抑圧されているんだろうな、おれ、みたいな、福島で。改めて感じるというか、抑圧されているなんて、あまり思ったことはないけれども、ああ、どっかで、そんな感じなんだって、そういう場で気がつくというかね。自分もそこでちゃんとやんなきゃならないなって、勇気をもらって帰るみたいな感じですかね、諦めることはできないなって。改めて感じました」

取材後記

木村さんと緒方さんは、語りづらい環境のなかで伝えようとしているという点以外にも、 水俣と福島にはたくさんの共通点があると話していました。 

例えば、水俣病と原発事故。

どちらも、経済の豊かさを社会が求めた結果生まれたもので、 魚やネコなど、ほかの生き物も巻き込んだ環境問題であること。

さらには健康が奪われるなど、 補償金では解決できない問題が多いことなどがあります。

木村さんも緒方さんも、同じ課題について一緒に取り組んでいけるのではないかと話していました。 

また、2人とも、水俣と福島だけの問題ではないと話していました。 原発の問題は電気を使っている人、みんなに関わるという木村さんの言葉を聞き、 地域を越えて、ひとりひとりが考えていく必要があると感じました。

こちらから動画をご覧になれます。

  • 佐藤茉那

    熊本局アナウンサー

    佐藤茉那

     神奈川県横浜市出身
    2020年入局 初任が熊本
    定時ニュースや中継リポートを担当。熊本の取材で印象に残っていることは、水俣病の語り部のかたへのロングインタビュー。

  • 西村雄介

    熊本局記者

    西村雄介

    2014年入局 熊本局が初任地。公式確認60年となる2016年から水俣病を継続取材。熊本地震・令和2年7月豪雨を発生当初から取材。

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