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『らんまん』を彩った牧野富太郎博士ゆかりの植物

  • 2023年12月25日

バイカオウレンにヤマトグサ、そしてスエコザサ。
NHK高知放送局では2022年10月から1年にわたり「博士のまなざし」で紹介してきました。
これまでの映像を通して植物に情熱を注いだ博士の歩みを振り返ります。
(NHK高知放送局 カメラマン 大和田純平)

牧野博士が見つめた世界

連続テレビ小説『らんまん』の放送に先駆けて、去年の10月から1年かけて放送してきた『博士のまなざし』。季節に合わせて牧野富太郎博士ゆかりの草花や品を30種類紹介しました。

これまで紹介してきた草花や品(こちらから見ることができます)

植物分類学者としての出発点

牧野博士にとって初めて命名したのがヤマトグサ。

ヤマトグサの植物図 
(『植物学雑誌』第1巻9号(1887) 牧野富太郎 高知県立牧野植物園所蔵)

日本において日本人が初めて日本の植物の学名を発表した植物です。
和名に日本を意味する「大和(やまと)」が付けられたこの植物は、牧野博士の植物分類学者としての出発点、

ヤマトグサ
(『植物学雑誌』第1巻9号(1887) 牧野富太郎 高知県立牧野植物園所蔵)

そして日本の植物分類学の出発点となりました。

ヤマトグサの花(垂れ下がった20~25個の雄しべが特徴)

 世界に広まる牧野博士

根を持たず水中に浮遊する食虫植物のムジナモ。
牧野博士の名前が世界に広まったきっかけとなった植物です。

ムジナモの植物図
 (『日本植物志図篇』第1巻第12集(未刊) 第70図版 準備図 牧野富太郎 高知県立牧野植物園所蔵)

ムジナモは5ミリほどの小さく白い花を咲かせます。開花するのは1年に1度、真昼のわずか1時間ほど。

ムジナモの花の植物図
 (『日本植物志図篇』第1巻第12集(未刊) 第70図版 準備図 牧野富太郎 高知県立牧野植物園所蔵)

牧野博士はこの花を世界で初めて発見し、詳細な植物図と合わせて発表。
発表した植物図が海外の権威ある書物に転載され牧野博士が世界に知られるきっかけとなりました。

「幻の花」と呼ばれている

 博士の心に刻まれた思い出の植物

バイカオウレンは牧野博士にとってふるさとを思い起こさせる特別な植物です。

牧野博士が30歳のころ、佐川町に帰郷したときに描いた図
(1892年4月7日 写生 牧野富太郎 高知県立牧野植物園所蔵)

幼少時代、佐川町にある生家の裏庭の斜面いっぱいに咲く姿に心ひかれたそうです。

晩年には、お見舞いの人が持ってきたバイカオウレンの株を手に取り、ふるさとの香りがすると喜んだと言います。


博士の写生図には、葉を用いて朱印を押した葉拓(ようたく)も残されている
(1892年4月7日 写生 牧野富太郎 高知県立牧野植物園所蔵)

亡き妻にささげる

牧野博士の妻である壽衛の名前がついた植物、スエコザサ。
牧野博士は研究生活を支えてくれた妻への感謝を込めて名づけました。

闘病中だった壽衛は、発表を前に54歳で亡くなりました。
牧野博士が妻にささげたことばが残っています。

牧野博士と妻・壽衛
(写真提供:高知県立牧野植物園)

「家守りし妻の恵やわが学び 
世の中のあらん限りや
スエコ笹」

撮影を通じて牧野博士の功績に触れる

牧野博士は94年の生涯で約1500種類の植物を命名しました。なかなか実感がわかない数字ですが、春夏秋冬を通じて牧野博士ゆかりの植物を撮影し、1年間お伝えできたことにその大きな功績を感じることができました。

写真提供:高知県立牧野植物園

また、手書きとは思えない精密な植物図。その中には実物の花よりも拡大して描かれているものもあります。あまりにも詳細に描かれているため、一見すると花のどこを描いているのか分からないほどです。しかしカメラを使って実物の花をズームアップして見てみると、確かに植物図と同じパーツが存在し、驚かされることが何度もありました。

最高峰の植物画と言われるシコクチャルメルソウの植物図
(『大日本植物志』第1巻第2集(1902)第5図版 原図 牧野富太郎 高知県立牧野植物園所蔵)

植物に生涯をささげ、日本植物分類学の父と呼ばれるようなった牧野博士。そのまなざしは、私たちの足元に咲いている花にも向けられていたかもしれません。

これまでの博士のまなざしはこちらから見ることができます。

  • 大和田純平

    高知放送局 カメラマン

    大和田純平

    2020年入局
    高知の文化や自然についてリポートで発信

    自然と牧野博士ゆかりの植物に詳しくなりました

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