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【被災地の声】穴水町 全壊の衣料品店 それでも届けた小中高の制服 小林英夫さん・由紀子さん夫婦

  • 2024年04月17日

能登半島地震で大きな被害を受けた石川県穴水町の、小さな衣料品店「バルこばやし」。

店主の小林英夫さん・由紀子さん夫婦は、町の人口が減り、なじみのお客さんが少なくなっていくなかでも、ひとりひとりへのきめ細やかな気配りを絶やさず、お客さんとの関係性を大切にしながら店を営んでいました。

しかし、地震で店は全壊。先代の父親も亡くしました。「再建は無理だ」と何度も自分に言い聞かせました。

それでも「これだけはやらなければいけない」と決めたことがありました。

それは、地域の子どもたちに新しい制服を届けること。

どこまでも「地域のために」という姿勢を貫き続ける、小林さんの声です。

穴水に根ざした小さな衣料品店

さかのぼること1年前。去年3月に、私(記者)は地域の人口減少の影響をめぐって、石川県穴水町の駅前商店街にある衣料品店「バルこばやし」を取材していました。

しかし、元日の能登半島地震で穴水町は震度6強の揺れに襲われました。

お世話になった小林さん夫婦のことが気になりながらも、大変な時に連絡してもいいものか。

はばかられる思いの中で少したって連絡をとると、2人は無事でしたが、お店は倒壊。

そして、大切な家族を失ったことを知りました。

以下、英夫さんと由紀子さんが話してくれたことをもとに、夫妻の思いをつづらせていただきます。

小林英夫さん(左)と由紀子さん(右)

町を地震が襲ったあの日

あの日は元日で、家族みんなが夕方から小林さん夫婦の自宅近くの両親が暮らす実家に集合する予定でした。

「6時からみんなで食事をしよう」ということになり、妻の由紀子さんは準備のため先に実家に行っていました。

県外の大学に通う息子も帰省中で、高校生の娘もいましたが、息子が台所のドアのところに立っていた時、ぐらっと大きな揺れが来ました。

小林英夫さん
  「揺れた瞬間、『あぁもうダメだ』と思いました。『2階が崩れてくる』と。それぐらい今までと全然違う揺れでした」

「揺れが収まると、はだしで家から飛び出しました。げた箱やら何やら倒れて大変な状況だったんですけど、飛び出してまずお店のほうに行ったんです」

突然の悲しみ

店は、大きく開いた壁が店の前の道路をふさいでいて、一目見て厳しいとわかる状況でした。

地震直後のお店

その後、近くの実家を見てきた息子が走ってきました。

「お母さん(妻の由紀子さん)は無事だけど、おじいちゃんはちょっとダメかもしれん。家も壊れてる」

実家は倒壊。

由紀子さんの父親の洋一さんが亡くなりました。

久しぶりにみんなで集まるはずだった正月の団らんを前に突然大切な家族を失い、大きなショックと受け止めきれない悲しみに包まれました。

父 洋一さんが残してくれたもの

昭和42年のお店の様子

倒壊した店は、小林さん夫婦が父親の洋一さんから受け継いだものでした。

由紀子さんの曽祖父が明治23年に呉服店として開業、それ以来、地域の人たちに親しまれて130年以上の歴史を重ねてきました。

洋一さんがよく口にしていたことばがあります。

「お客さんを喜ばせてあげたい。自分らのもうけだけじゃダメや」

自分たちの売りたいものではなく、お客さんの望むものをちゃんと用意する。

父の経営についての考え方は、小林さん夫婦が地域の人たちが気軽に集まる店をつくりあげていく際の土台となってきました。

20数年前、地元のお店を紹介するパンフレットの中に、洋一さんのことばが残っています。

当時、金沢市から穴水町にUターンしてきたばかりだった英夫さん、由紀子さん家族を紹介する内容です。

「バルこばやし」が掲載された20数年前のパンフレット

「若手家族が金沢から穴水へ帰って来ました。日々仕事、子育てに追われる中、唯一家族がそろっての趣味はスキー。寒い冬をみんな仲よく楽しんでいます」

3世代がそろい、忙しくも楽しく過ごしていた当時の様子が伝わってきます。

自分に言い聞かせた「もう無理…」

全壊した店の建物

しかし、店の建物は全壊。

地震の後、英夫さんは「店の再建はもう無理だ」と考え続けていたと言います。

英夫さん  
「あの状況ですからまず店は100%無理だろうと。もうできないと。できないことの理由を自分に言い聞かせてる感じ、もう無理、無理やって」

小林英夫さん

英夫さん  
「もう店がない、お父さんお母さんの家も壊れてしまっている。自宅も一部損壊で建ってるけど、次(地震が)来たらどうなるんだろうという不安もある。そうなると無理だろうということしかなかったです。それを自分に言い聞かせる、その作業しかなかったです」

最低限・・・ やらなきゃいけないこと

そんな状況の中で、ひとつ、頭から離れないことがありました。

毎年正月明けのこの時期に行ってきた、地元の学校の子どもたちに新しい制服を届けることでした。

英夫さん  
「この時期って毎年本当に制服のことでいっぱいになるんですよ。いろんな準備で結構神経を使うので。

店はもうダメだろうという思いと、でもうちらこの仕事させてもらってて、特に子どもたちのためには最低限そこまではしてあげんといかんよねという思いだけはあって。

本当に理屈じゃないんですけどそう思いました」

店の見学に来た小学生の寄せ書き がれきの中から見つかった

英夫さん  
「『こんな時期だから、もし間に合わなくても誰も文句言う人いないと思いますよ』という言葉をいただいたんです。

でも僕らとしては間に合わせてあげたかったんです」

小林さん夫妻は自宅の一部に被害を受けて、現在は家族とともに富山県に避難しています。

先代の父親を失い、日常だった穴水町での生活やなりわいも失った中でも、入学式までに子どもたちに制服を届ける役割だけはなんとしても全うしたい。

小林さん夫妻は自然とそう考えるようになっていました。

英夫さん  
「子どもたちの節目ですよね。そこに自分たちが関わってきているし、この穴水町では小中高とそれがつながっていくんです。

僕らが採寸会で測った子なんかはもうだいたいわかるから。僕らにとっては意味のある、関わり合える機会なのかなと思います」

寄せ書きの中にあった英夫さんと由紀子さんの写真

由紀子さん  
「かわいいんですよね、子どもたち。パワーをもらえるというか、キラキラしているというか。この子こんなに大きくなったんだって成長がみられる。

採寸するときに『ああすごい違う子になってる』とか。

制服も振り袖と一緒で“晴れ着”なんですよね、節目節目の。それに関われるのがうれしいのかな、やっぱり」

「みんな大きくなりました」

3月19日、小林さん夫婦は地元の穴水高校に向かいました。

入学する生徒の制服の採寸を行うためです。

集まった生徒たちのほとんどは3年前、中学の入学時にも採寸した子たちです。

「もうみんなだいたい知ってる。みんな大きくなりました」

一人ひとり丁寧に声をかけながら、今後の成長を見越して、少し大きめのサイズを見積もります。

「足の長さがどうかな。あ、ちょうどいいね、いける」  
「きつかったら言ってよ」

子どもたちの中には、被災して仮設住宅で暮らす生徒もいます。

「地震があったので、何事もなくというか、元気で顔見れたのでよかったです」

手渡すことができた制服

穴水町の海をイメージした色とデザインの制服

4月2日。完成した制服を生徒たちに手渡しに、再び学校へ向かいました。

サイズが合っているか、最終的な確認のうえで渡していきます。

制服の採寸を行う小林さん

英夫さん「オッケーオッケー、肩大丈夫?」  
生徒「大丈夫です」

制服を受け取った子どもたちは、明るい表情です。

生徒:「サイズもいいですし。似合っている気が少しあります」

生徒: 「地震の中でも制服を作ってくれた人たちに感謝したいです」

手渡した穴水高校の制服

自分の役割を全うした英夫さんも、ほっとした様子でした。

英夫さん

「本当にどうなるか分からないというのがあったのですごく心配でした。でもこうやって渡すことができてよかったです」

「みんなで同じものを着て、誰かが着てないとかじゃなくて、全員が着てそれでよかったなと思っています。

本当に普通に高校に通って、その中で自分の夢見つけてもらって、またその方向に行動を取ってくれたら最高です」

できるものなら、もう1回

地震から3か月。小林さん夫妻の今後の生活やなりわい再建の見通しは立っていません。

住まいはどこに構えるか、店は仮設なのか建て直すのか。

もし再建したとして、人口が減る穴水町で60代、70代になっても続けられるのか。

まだまだ見えないことばかりで、苦しい思いを抱えて日々を過ごしています。

英夫さん  
「本当の気持ちで言えば、やっぱりここでやりたいですよね。環境も食べ物も人も、本当にいいんです。ここでやりたい。やれるならなりたい。

ただ、再開するにしてもお客さんにとって存在意義のあるお店になれるのかという不安がどうしても残るんですよね」

仕事もお店もない、見通しが立たない苦しい日々の支えになっているのは、声をかけてくれるお客さんや地域の人たちの存在です。

「あんた元気か、大丈夫やったか」

心配して電話してくれたり、街で会ったら涙を流しながら思いを伝えてくれたり。

物の売り買いだけをしてきたわけではなく、町の人との会話や友達や家族のような関係がある。

地域のお客さんの人となりはもちろん、服のサイズや色の好みまでほぼ頭に入っていて、お客さんが選んだ色よりも似合う色を提案したりもできるような距離感。

そんな関係性を大切にしながらここまで店を続けてきたからこそ声をかけてもらい、気持ちをつないでいくことができる。

英夫さんと由紀子さんは、そんな地域とのつながりに、心から感謝していると言います。

小林由紀子さん 

由紀子さん  
「こんなにも思っていただいていたんだなって、感謝ですね。みんな被害がひどいのにこんなにもお声かけていただいて。ありがたいです」

小林英夫さん

英夫さん  
「そういった方々とのつきあいがあるので、はい店無くなりました、だからはいさよならってことはできない、言えない。

できるものなら、できるものならもう1回そういった昔のような会話ができたらいいなって思います」

英夫さんは今、地域の人たちへの感謝の思いとことしも子どもたちに制服を届けることができた安心感から、少し気持ちに変化が出てきたと話しています。

英夫さん  
「できない理由を探せばいくらでもあるので。

ただ、少しでもやるためにはどうしたらいいかという気持ちに変わりつつあるので、それを探してクリアにしていけたらいいなと思っています」

英夫さんが採寸に使ったメジャーなど仕事の道具

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  • 大西咲 

    社会部 記者

    大西咲 

    2014年入局
    熊本局、さいたま局などを経て社会部で厚生労働省担当
    被災後も小林さん夫婦や町の人の温かさは変わらず、あらためてこの町が好きになりました

  •  原祢秀平

    金沢放送局 記者

     原祢秀平

     2018年入局
    北海道での勤務を経て去年4月から現所属
    誰かのために行動する人たちの姿に、能登地方のこれからを伝え続けようと思いました

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