ページの本文へ

NHK福島WEB特集

  1. NHK福島
  2. 福島WEB特集
  3. 【なぜ?】福島の人形浄瑠璃のルーツに迫る

【なぜ?】福島の人形浄瑠璃のルーツに迫る

  • 2024年01月29日
(2023/12/15に「しらべてmeet!」で放送しました。)

今回の「しらべてmeet」では、 視聴者の方からの依頼を調査してきました。 

須藤

「先日、県内の人形浄瑠璃の1つ高倉人形の公演を見ました。その時に東北に人形浄瑠璃があるのは珍しいと聞きました。なぜ珍しいのか? なぜ福島にあるのか? 教えてください。 」(湯川村・井原里さん より)

人形浄瑠璃とは?

 およそ130年ぶりに復活したという高倉人形については、はまなかあいづTODAYでもお伝えしました。その公演の様子がこちらです。

高倉人形は郡山市高倉を中心に盛んに上演されていた人形浄瑠璃です。江戸時代から明治20年ごろまで行われ、1つの人形を3人で息を合わせて操ります。

一時的に途絶えてしまいましたが、地域の人たちの手で復活しました。郡山市高倉でこの高倉人形の一座が作られて、当時は巡業して各地を回っていたそうです。郡山だけではなく会津や米沢、仙台、水戸も行っていたという記録があります。

人形浄瑠璃というのは江戸時代に入る頃から主に大阪などの関西で親しまれてきました。3人で人形を操るスタイルを「三人遣い」 と言います。

福島の人形浄瑠璃、どういったところが珍しいのか?まずは人形浄瑠璃の東北の分布を見ていきます。

人形浄瑠璃には他にも多様なスタイルがあるんですが、疑問を寄せてくださった方が見た高倉人形のような「三人遣い」の人形浄瑠璃は東北地方で4つ。しかも中通りにしかないんです。

ほかの三人遣いの人形浄瑠璃は、
・二本松市の川原田地区の「川原田(かわはらだ)人形」
・須賀川市の関下地区の「関下(せきした)人形」
・郡山市の上行合地区「上行合(かみゆきあい)人形」です。
これらは明治や大正に廃業したと言われていて、地元の人でもどんな規模でやっていたか ? など分からないことも多いんです。

この4つのうち「上行合人形」が当時のまま残っているという情報を入手しました。

県立博物館の保管庫に潜入!

案内してくれたのは民俗学が専門の学芸員の大里正樹(おおさとまさき)さんです。普段は入ることができない保管庫に特別に入れてもらいました。

ここには大正5年ごろまで使用されていたという上行合人形に関する道具がおよそ250点保管されています。全身が残っている保存状態のよい人形はわずか数体しかありません。その人形の1つがこちら。

衣装には松の模様や日の丸が描かれ、袴を着させるなど精巧に作られています。口や目は動かすことができ、場面によって表情を変えられるようになっています。舞台の最初の演目で使用されていたといいます。地区の人が江戸時代後期に水戸の人形座から購入したとされています。公演が行われなくなったあとも地域で保管され、2003年に県立博物館に寄贈されまし た。

公演が行われなくなっても地域に愛され続けてきた証として、上行合地区にはこんな行事が残っていたそうです。

これは昭和の終わりに撮られた写真です。行われていたのは 「虫干し」です。虫に食われないように夏に衣装や人形を干していました。一緒に作業しながら地区の人たちで食事をするのが慣習だったそうです。この虫干しは昭和の終わり頃まで続きました。

こうした三人遣いの人形がどこから来たのか。須賀川市の関下地区を取材すると、人形のルーツを知る手がかりを得ることができました。

ルーツの手がかりが須賀川市関下に

こちらは関下にある地蔵堂。地区の人が祭りなどの行事の際に集まる憩いの場です。地蔵堂の中に人形浄瑠璃の名残りがあると聞き、鍵を管理する地元の方に開けてもらいました。

中に入ると、天井に数々の人形浄瑠璃の「衣装」 がつるされていました。大正時代まで実際に使われていたものと見られています。地元の人たちがその都度直しながら大切に使っていたそうです。

でもなぜこの地区に人形浄瑠璃があったのでしょうか?通りかかった地元の方に話を聞くと。

ある人物が大きく関わっていたといいます。

こちらは関下地区で受け継がれている資料。 

それによると、丹波国(現在の京都や兵庫の北部あたり)で生まれた人物だとされています。名前には物語の語り手を表す 「太夫 (たゆう)」の文字。この地区の人形浄瑠璃のルーツは関西で経験を積んだこの人物だったのではないかと地域の間では伝わっていたようです。

取材を通して、人形浄瑠璃が盛んだった関西から中通りへ技術が伝わり地域の人たちに受け継がれてきたらしいということが分かりました。ただ、こうした三人遣いの人形浄瑠璃があるのはなぜ東北でも福島だけなのか?これについては明確な答えが見つかりませんでした。

色々な専門家と話していると、「中通りは奥州街道が通り、東北新幹線が通るなどいわば交通の要衝。仙台や水戸、米沢方面など各地に巡業しやすい場所だからこそ人形浄瑠璃の一座が組まれていたかもしれない。」とのことでした。

ということで、今回のまとめです。 「人形浄瑠璃は関西から伝わり中通りで盛んに行われた。 各地に巡業しやすい中通りだからこそ一座が組まれたかもしれない。」

須藤

それぞれの人形が地域の人たちに愛されていたということを今回の調査を通して感じました!

  • 須藤健吾

    NHK福島放送局 アナウンサー

    須藤健吾

    茨城県出身。主にリポーターを担当。子どもの頃、怪獣の人形が好きで遊んでいました。怪獣たち(街なかにモニュメントがあるんです!)に会いによく須賀川市を訪れています。

ページトップに戻る