ページの本文へ

NHK福島WEB特集

  1. NHK福島
  2. 福島WEB特集
  3. 民謡・会津磐梯山「小原庄助さん」の謎🔍

民謡・会津磐梯山「小原庄助さん」の謎🔍

身近な疑問を徹底取材! しらべてmeet!
  • 2023年09月30日

福島県を代表する民謡、会津磐梯山。
その歌詞は…

会津磐梯山は 宝の山よ
笹に黄金がなり下がる

磐梯山を誇りに思う歌い出しから始まり、突然変わったフレーズが登場します。

小原庄助さん なんで身上つぶした
朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上つぶした

なぜ謎の人物が寝て、酒を飲んで、お風呂に入って財産をなくしたことが歌詞に含まれているのでしょうか?

民謡・会津磐梯山の源流は?

民謡を歌い継いでいる会津民謡研究会

謎を解くため訪ねたのは、会津で民謡を歌い継ぐ会津民謡研究会。
まずは、会津磐梯山ができた経緯を聞いてみました。

会津民謡
研究会

会津には会津盆唄という盆踊り唄がありました。それがもととなり、今の会津磐梯山ができたんです。

もととなったという盆踊り唄の歌詞はこちら。

会津磐梯山は 宝の山よ
笹に黄金が なり下がる
会津磐梯山 おらがとっつあんの山だとさ
とっつあんが死んだら おらの山
あまり長いとみなさま飽きる
またの会う日を楽しみに
まずはここらでとどめます

「会津磐梯山は 宝の山よ」など、共通の言葉はありますが、「小原庄助さん」のくだりは一切登場しません。

「小原庄助さん」は後から登場した?

なぜもとの唄には小原庄助さんが出てこないのか。
研究会の会長、星勝雄さんによると…

会長
星勝雄さん

もとの唄ではつまらないなということで、昭和9年に初めて会津の盆唄に小原庄助さんが加えられたそうです。

昭和初期、ラジオやレコードが普及し始めた時代。日本の各地域の民謡の価値を見直そうと、新たに節回しや歌詞を歌いやすく作り変える「新民謡運動」という動きが起こりました。
会津伝統の盆踊り唄も「会津磐梯山」として生まれ変わった形でレコード化されたといいます。

昭和9年に発売されたレコード「会津磐梯山」

そんな生まれ変わった盆踊り唄に、地元の人たちの一部は猛反発。
「会津の郷土芸術を冒とくした」として当時の民謡研究会がレコード会社に抗議を申し込むという波乱も起こりました。

当時の新聞に取り上げられた抗議申し込み

しかし、当時大人気だった芸者歌手の小唄勝太郎が歌ったことで「会津磐梯山」は大ヒット。
「小原庄助さん」の登場する唄が会津地域にも浸透していったといいます。

なぜレコードに挿入された?

ここで気になるのが、なぜレコード化されたときに「小原庄助さん」が唄の中に登場するようになったのか。その謎にせまった人物が石川県白山市にいました。

山岳文化を研究している桶川和気夫さんは、民謡・会津磐梯山について調査する中で衝撃の事実に行き着いたといいます。

桶川さん

「小原庄助さん」の初登場は昭和9年に出た小唄勝太郎の会津磐梯山ではない。それ以前にも”小原庄助さん”が出てくる唄があった。

桶川さんの調査によると、会津磐梯山のレコード以前に「小原庄助さん」という名前のレコードが存在したことが判明したという。

その歌は大阪府にある国立民族学博物館に音響資料として収蔵されており、実際にディレクターが聴き取ったところ…

お月様さへ夜遊びなさる 主の夜遊びなぜ止める
エサッサ エッサッサ 小原庄助さん なんで身上つぶした
朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上つぶした
平井権八吉原通い いつも心は小紫
エサッサ エッサッサ 小原庄助さん なんで身上つぶした
朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上つぶした…

なんと、会津磐梯山に含まれる「小原庄助さん なんで身上つぶした」の部分がそっくりそのまま歌われていたのです。

さらに昭和初期に発行された民謡辞典に「小原庄助さん」という唄が俗謡として掲載されていたりと、会津磐梯山以前の「小原庄助さん」の存在を示す資料が見つかりました。

昭和初期に刊行された「日本民謡辞典」
桶川さん

小原庄助さん自体は架空の人物だと思うが、放蕩者の代名詞として「小原庄助さん」という唄がお座敷唄で歌われていたのではないか

さらに、会津磐梯山と「小原庄助さん」というお座敷唄を結びつけるのが、会津磐梯山の作詞家・長田幹彦。お座敷を舞台にした作品を多く残した小説家です。

長田幹彦が残した作品の中には会津の奥座敷、東山の芸妓を描いたものもあることから、東山を訪れたときの経験から会津の盆踊り唄とお座敷のイメージが重なったのではないかといいます。

現代も続く東山芸妓
桶川さん

会津の盆踊り唄とお座敷文化が融合して、会津磐梯山に「小原庄助さん」が織り込まれることになったのではないか

調査結果

昭和9年に現在よく知られている形に生まれ変わった、民謡・会津磐梯山。
その際に会津地域の伝統的な盆踊り唄と、東山のお座敷文化が組み合わさった結果「小原庄助さん」の歌詞が唄に登場することになったのではないか…ということが分かってきました。
そんな異なる文化同士が融合を果たしたからこそ、会津磐梯山という現代に至るまで長く愛される唄が生まれたのではないでしょうか。

 

 

「しらべてmeet!」は調査依頼募集中!身近な疑問を徹底取材します。
投稿はこちらの投稿フォームからお願いします。

  • 小原 芽生

    福島放送局 ディレクター

    小原 芽生

    「おはら」ではなく「こはら」です。朝寝が得意です。

ページトップに戻る