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“なでしこジャパン” 遠藤純選手インタビュー

  • 2024年01月25日

 

新しい年に活躍が期待される福島ゆかりの人に話を聞くインタビュー企画。ことしは、去年のサッカー女子ワールドカップで大活躍し“なでしこジャパン”に欠かせない存在となった白河市出身の遠藤純選手です。自身のプレーや地元への思い、それに今年開催されるパリオリンピックに向けた意気込みのほか、あの“髪色”のわけについても聞きました。

トレードマークのピンクの髪

遠藤選手といえばトレードマークにもなっている、ピンクの髪色。なぜこんな鮮やかな色に染めているのか?

遠藤選手は少し照れながら教えてくれました。ピンク色に染めたのはアメリカに渡ってからとのこと。強豪選手がひしめく海外でプレーするうえで、しっかり目立ち、自分を覚えてもらうことが大切だとの思いから、特に鮮やかな色に染めたんだそう。染めたことで、うれしい効果もあったそうです。

「髪をピンク色にしたことで私を覚えてくれる人が増えて、最近では髪をピンク色に染めてスタジアムに来たり、ピンク色の髪のかつらを被って応援に来てくれたりする人が増えたんですよ!」

2歳からボールを追いかける

遠藤選手は福島県白河市出身の23歳。兄2人、姉1人の4人きょうだいの末っ子です。地元でサッカークラブを運営する父・淳さんの影響でサッカーを始めていた兄姉の姿を追いかけ、すでに2歳からサッカーボールに親しんでいました。幼いころから負けず嫌いな性格で、クラブでは男子に混じってプレーする中で、いまにつながる粘り強さを身につけていきました。

なでしこジャパンに初選出

サッカーに夢中になっていた小学4年生の時、東日本大震災と福島第一原発事故が発生。当時は、放射線の影響で数か月にわたって屋外で練習ができない時期もあり、体育館での練習を余儀なくされたこともあったといいます。

転機となった「アカデミー」

転機となったのは中学生の時。日本サッカー協会の育成機関=JFAアカデミー福島に入り、アカデミーが原発事故の影響で静岡県に一時避難していたのに合わせて単身、静岡に移り住みます。高校時代を含めたアカデミーでの6年間を、遠藤選手は次のように振り返ります。

「全国からサッカーが上手な人が集まってきている中で生き残るために、トレーニングには意識して積極的に取り組んでいました。今の自分があるのはJFAアカデミー福島でサッカーができたおかげです」

高校3年生、18歳の時に初めて日本代表「なでしこジャパン」に選出。その後、日本のプロチームを経て、おととしからはアメリカへ。現在はロサンゼルスのエンジェルシティーに所属し、アメリカのナショナル・ウィメンズ・サッカーリーグでプレーしています。日本、アメリカと活躍の場を移す中で培ってきた強みは、利き足の左足から繰り出す正確なパスと、俊足。日本代表としてこれまで44試合に出場、チームに欠かせない存在です。

左足を武器にW杯で大活躍

2023年夏には、フランス大会に続き自身2回目となるワールドカップに出場。
直前に左ひざにけがを負っていたため、代表に選ばれるかどうか不安だったといいます。

「正直選ばれないと思っていました。その分、ワールドカップでは自分ができることを尽くして代表に選んでくれた人やチームに貢献しようと思いました」

そんな思いで臨んだワールドカップで、遠藤選手は「これでもか」というほど活躍します。1次リーグ初戦のザンビア戦の後半26分、左足から放たれたシュートは見事に相手ゴールをとらえ、自身のワールドカップ初ゴールを決めました。

大会では、アシストも光りました。ザンビア戦では2点目を、第3戦のスペイン戦では先制点を、いずれも左サイドからのクロスで引き寄せました。遠藤選手のアシストからの連携プレーは、なでしこジャパンのひとつの“型”となっています。遠藤選手は自身のプレーをどう思っているのか。

「左からのクロスは武器だと思っています。なでしこのメンバーには、フォワードの足の早い選手もいるし、ボールのキープ力が強い選手もいます。そうした仲間と鍛え合う中で多くのチャンスが生まれていてます。味方の特徴を生かすパスを出したり、受け手の選手にあわせてボールの回転を調整したりと常に意識し、この大会でも回転をかけたクロスやスピードの速いクロスで何度かチャンスを生み出すことができました」

チームは、決勝リーグに進出するも準々決勝で敗れベスト8に。遠藤選手は大会を次のように振り返りました。

「チームとして優勝を目指してきたので、敗退したことは悔しいです。でも、出場した仲間たちが果敢に戦う姿を見て、自分もチームの士気を上げるプレーを心がけました。優勝はできませんでしたが“負け”から学んだことはたくさんあります」

「即決」したアメリカ行き

拠点をアメリカに移したきっかけは、なでしこのメンバーとして出場した東京オリンピックでした。

「東京オリンピックで自分が1対1の局面で勝てないということを肌で感じました。その悔しさを感じていたところにアメリカでプレーする話をいただき、成長のために即決しました。日本でのプレーも楽しいですが、アメリカではより楽しくサッカーができていると感じます」

欠かさぬ故郷への恩返し

年末から年始にかけてのオフシーズンに、アメリカから里帰りしていた遠藤選手。この日は、白河市に隣接する西郷村の体育館にいました。子どものころ、練習に励んでいた思い出の場所です。

実は、遠藤選手がどんなに忙しくても続けているのが、サッカーを通した地元の子どもたちとのふれあい。時間を見つけては一緒にプレーし、交流しています。 

「サッカー選手としての自分を育ててくれた場所なんです。私が恩返しをできる場所はここ以外にないと思っていますし、自分が子どもたちの夢のきっかけになりたいと思っています」

そんな子どもたちに、目標にしている選手を尋ねると…。

子どもたちからの応援は、遠藤選手の励みになっています。

2024年夏にはパリオリンピックが控えています。アジアの出場枠は“2”で、2月に迫った最終予選では日本と北朝鮮、オーストラリアとウズベキスタンがそれぞれ対戦し、勝ったチームの出場が決まります。最後に、パリオリンピック出場権獲得への意気込みを聞きました。

「この試合に勝たなければパリ五輪には出場できません。代表選手全員が出場に向けて戦っているので応援よろしくお願いします!」

  • 矢部 真希子

    NHK福島放送局 記者

    矢部 真希子

    民放ラジオ局を経て2019年入局。福島県玉川村出身。
    郡山支局→県政→郡山支局。遠藤選手が高校生のころから継続取材しています。写真はU-20女子W杯優勝報告の時に。遠藤選手の活躍を親戚のような気持ちで見守っています。

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