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人モノ

国東の絶品ネギをPRせよ!

        どうですか! 切り口から滴るこの水分!  化学肥料や農薬を使わずに作られているコネギ香り、味ともに絶品! ネギしゃぶなどにすると最高です!   どんなところでどんな方が作っているのか国東市の畑を訪ねました         このネギを作っているのは、森夏樹さんサラリーマンだった森さんは、6年前、子供が生まれたことを機に農業に取り組みはじめます 前職のサラリーマン時代は子どもと過ごす時間がまったくなくて子どもと一緒に仕事がしたくて農業がいいなとずっと思っていました本当に楽しくて子供と一緒に遊びながら仕事ができる。理想の状態ですね         鹿児島から移住し、国東にネギを栽培するハウスを構えます農薬も除草剤も使わないネギづくり畑ではニワトリが虫を食べ、雑草はヤギが食べてくれています自然の力をそのまま利用して育てるネギは、地域の人たちにも好評です          森さんのところのネギは、味ももちろんなんですけど、日持ちが全然違うんですね!あれば、やっぱり森さんのところのネギを買いたいなって思います   多くの人に食べてもらいたいと思う反面、家族経営の森さんは、おいしさを広めるまで手が回りませんでした 正直、農家っていいもの作ろうというのが本来の形だと思うし、作るので手いっぱいで時間もない誰かがインターネットとかそっちの苦手な部分をやってくれるのであれば、たぶんうまくいくかなと   そんな森さんに手を差し伸べた人がいます。それが…   若い力が、農家を“売り込む!”         立命館アジア太平洋大学4年の吉川龍さん交換した名刺には…         三雲:一次生産業専門デザイナーというのは? 吉川:農家さんとか漁師さんとか一次生産業をやっている方々のホームページや商品のポップを作って、宣伝をするお仕事をしています   吉川さんは1年生の時、新型コロナで販路が減少した生産者を助ける事業に参加そこで森さんと出会います そのとき感じたのが森さんと自分の「役割分担」の必要性 結局作っただけでは売れないっていう内情があるので、何でネギがおいしいかとか他と何が違うかって差別化してお伝えして、やっと手にとっていただけるっていう流れなんで、そこをとにかく伝えるっていうのが僕の役割になっていますね   吉川さんは独学でwebデザインを学び農家の取り組みを伝えるホームページの作成に取り組みます   そこで伝えるのは、農家の作物にこめた思いや栽培方法へのこだわりいまではイチゴ農家や養鶏場のホームページやパッケージのデザインを担当顔と顔をつきわせるからこそわかる“農家の本音”をくみ取って細かい要望にこたえることで売り上げ向上につなげています   かいま見た厳しい現実から リアルで新しいデザインを生み出す さらに吉川さんは、仮想空間だけでなく、リアルな世界のデザインにも挑戦していますきっかけは畑で見た現実でした 実際にこういうネギが、捨てられている光景を見たときに「え、捨てちゃった」みたいなものがきっかけだったんですけど         私たちが店頭で見ているコネギは、右のもの 全体のごく一部にすぎません 左側の、太いものや、葉分かれが多いものは基準にあわず、私たちの手に届くことはないんです   そこに吉川さんは新たなデザインの種を見つけました この捨てる部分、食べられるんで商品にもともとなってない側をどうするかを考えようっていうので加工商品を作れないかなっていうので   それが、森さんの畑で採れたネギをふんだんに使ったネギ餃子!試作を重ねる現場に潜入!         例えば、色とか。皮の中透けて見えるくらいの緑色とか絶対この形でいきたい、、、!!妥協したくない グッと揉むとたぶんいけるかなって気もするんですけどね 杵築市の餃子店の協力を得ながらの作業さて、お味のほうは?          吉川:ネギ感はこっちの方が断然ありますわ 森:あ、違う?? 全く違います ええ! そんな違わないかなと思ったけど、そんな違うんだ?          吉川さんと森さんの思いがひとつの形になりました         自分が理想とする野菜作りに“飽くなき取り組み”を重ねる農家 それを新たな視点で“目に見える形”にしていく若きデザイナー   森さんと吉川さんの間には年代を超えた信頼関係が生まれてきています 森:正直年齢が息子みたいな年齢じゃないですか。大学生がひょっと現れて、あーだこーだ言ってくるんですね。最初は何だこいつ!でも言っていることがまともすぎて気づかさせることが多かったので、本当楽しく一緒に仕事出来ている。農業の世界でもいままでやったことないことやってみたい 吉川:僕の意見を聞いてくれる方々あっての僕の活動なので、そういう大人の方々に協力していただきながら、話聞いていくなかで、ご自身も気づいてない魅力たくさんあると思うので掘り出しながら、そういう役割を担っていきたいなと思っています   このネギ餃子、これまで廃棄されてきたコネギの活用先として商品化を目指していくことにしています   さらに森さんはいま、農薬を使わないコメ作りに向けて新たな仲間たちと取り組みをはじめています   吉川さんのような、若い、新たな視点が大分の一次産業を、これからも盛り上げていってほしいと思います

執筆者 三雲 紫恩(いろどりOITAキャスター)
2023年01月23日 (月)

ハチミツでふるさと豊後大野を元気に!

みなさんの「ふるさと」ってどんなところですか?  誰しもがふるさとへの思いを抱いているはず もし、そのふるさとがなくなる瀬戸際だとしたら… 今回は過疎化が進み忘れられようとしているふるさとを自らの手でよみがえらせたいと模索している男性のお話です   その模索の“相棒”が、こちら ニホンミツバチです   さまざまな花から蜜を集める習性がありその蜜は「百花蜜」として知られていますよね 実はいま豊後大野の山中で採れるハチミツがひそかな話題になっているんです そのハチミツを集めているのは羽田野弘文さん 羽田野さんは、定年退職後地元・豊後大野に戻って養蜂を始め今年で10年目になります  今年獲れたハチミツを一口いただきました  わぁ!あま~い!濃厚です。   私がうかがった11月はミツバチの越冬準備の時期寒さに弱いため冬に備えて寒さ対策をするそうです 羽田野さんはそんなミツバチに注目しました   小さなミツバチたちの頭脳の高さって すごいなって思いましたね。 みつばちに惚れこんだっていうのがひとつと 巣を作り生活を営んでいるというのに非常に興味ありますし かわいらしいですよね。おとなしいですし     荒廃するふるさとをなんとかしたい   羽田野さんは地元の高校を卒業後東京で観光の仕事を40年以上続けてきました   Uターンを決意したのはふるさとの過疎化でした   私の住んでいたところは山あり谷ありの僻地でございまして 忘れ去られているような地域です 少子高齢化で過疎化していっている 私が通っていた小学校、中学校、高校は すべて廃校になっています 帰るたびにそういう話を身内から聞かされまして なんとか歯止めをかけるじゃないですけど   山あいの地域でできる産業を探していたところたどり着いたのが養蜂でした   奮闘する羽田野さんを妻の弘子さんも応援しています 本当に一生懸命 家庭の方は守っているので 自分の好きなことをやればいいかなと思っています   羽田野さんは養蜂に関する本を何冊も読み養蜂家のところに見学にいくなどして少しずつ知識を増やしていきました   蜂は、羽があるので、山でも谷でも飛んでいける ミツバチを飼うってことは蜜源植物を植えたくなる 蜜源植物、蜜を作り出す花ですね 蜜もできるし、蜂蜜が蜜をとることで、 受粉、実になり種になると循環ができる それが産業になるのではないかと思いまして   いま羽田野さんが力を入れているのが蜜の源となる植物を植える植栽活動です これはプラムの木  荒れた土地を整地し4年前に植えました春には花が咲き、蜜の源となっています   荒地、休耕田を整地して植物を植えることで 植えた木に花がつき、実になり ハチの力を借りて受粉をすることによって草木が成長して 環境も整ってくっていうこのサイクルですね、連鎖   羽田野さんはこれまでにプラムやカボス、ナシなど10種類およそ2000本の木を植えてきました    一人ではじめた羽田野さんの取り組みはハチだけでなくいま人も呼び込み始めています   「ひろちゃ~ん。手伝いに来たよ~」 「ありがとう!今日もよろしくお願いします!」 草刈りや植樹、剪定作業を一緒にすることでなくなりかけていた地域の絆も深まっています。 先駆者でハチミツとかいろいろ花植えとか 地域をちょっとでも活性化しようということで ここら辺が良くなればということで大変ありがたいです   そんな羽田野さんは新たな取り組みをはじめました ハチミツを使った新たな特産品づくりです   考えたのは干し柿をハチミツに漬けたオリジナルスイーツ    私もいただきました(今回の取材、私、食べてばかりですね…) みためは普通の干し柿のようですが…    上品な甘さが口いっぱいに広がっておいしいです  甘い渋柿に輪をかけてハチミツの甘さがありますが  くどくなく、いくらでも食べられそうです   この柿は、地域固有種の渋柿しっかり干して甘みが出たところでハチミツに漬けるタイミングや期間など試行錯誤しながら羽田野さんは商品化にこぎつけました 地域の特産物を作りたかった ここから地域の活性が成り立っていくんじゃないかなって はちみつと加工品であるハチミツ干し柿 こちらの方を軌道に乗せて 地元に貢献できればなと思っております     羽田野さんの養蜂が軌道に乗ってハチミツが販売できるようになるまで6年 そして干し柿のハチミツ漬けはそこから更に4年かかってできあがったもの   それだけの長い時間がかかった分羽田野さんのふるさとへの思いがつまっていると感じます   干し柿のハチミツ漬けは、豊後大野市の道の駅「あさじ」で販売されていますまた、市のふるさと納税の返礼品にもなっています   ゆくゆくは販売経路を拡大したいと羽田野さんは話しています ふるさとを何とかしたいという羽田野さんの思いがふるさとの新たな名物を生み出しましたこれからの羽田野さんの取り組みに注目です!        

執筆者 三雲 紫恩(いろどりOITAキャスター)
2023年01月23日 (月)

気分はお殿様⁉ 人をつなぐうすき"輪"菓子

あ、タイトルの輪菓子は誤植ではありませんよ  この謎は読み進めていっていただければおよそ2分後に解けます…  城下町として栄えた臼杵には 今も当時の風情ある街並みが残っています  その臼杵市で今、 江戸時代にお殿様が食べたとされる 和菓子を再現する取り組みが進んでいます  挑戦した理由 そこでの工夫やこだわりを知るために 臼杵を訪ねてきました    ひとつの古文書に記された謎が謎を呼ぶ  臼杵藩を治めていた稲葉家には ある古文書が伝わっています  それがこちらの「菓子製法」 見せていただいたのは複写したものです  当時の藩主がおやつを選ぶために使っていた メニュー表ではないかとのこと  彩り豊かなお菓子が描かれていますね その数、およそ100種類   ただ、この古文書には、実は大きな問題が…  臼杵商工会議所の吉田さんによると  これお菓子の絵が載っているんですけど、  絵と名前は書いてあるんですが  レシピは一切ないんですよ   え?そんなことってあるんですか?もう一度見てみましょうたしかに絵と名前は書いてありますが 材料や作り方に関する記述は一切なし…    これだけでも十分に謎なのですが さらに謎を呼ぶのがこちら  これ、見た目はしいたけですよねでも赤線のところを見てください 「きんとん」と書かれています しいたけなのに、きんとん?    さらに吉田さんが見せてくれたのは…  吉田:和田さん、これ何に見えます?  和田:これ、お刺身ですよね 鯛のお刺身かなんか?  吉田:ぽいですよね   ただぼくもちょっとわからないですけど  おそらくお菓子であろうと…    刺身のように見えるけど、実はお菓子…  だんだんわからなくなってきました       謎の和菓子に現代の粋人が挑む     お殿様が食べていた 「しいたけ」や「刺身」とはどんなものなのか その謎に挑もうと考えたのがこの方  臼杵商工会議所の中村充さん 300年続く呉服屋の16代目です  中村さん、なぜ再現してみようと思ったんですか? 菓子製法が臼杵市の市報の裏にいくつか載っていて すごいなんかいろどりが良くてきれいだなと思って 僕自身が茶道をしていたので茶道時代の仲間と  このレシピを復刻させて、みんなでこう楽しめたら  何か面白いことが起こるかなと思って  この取り組みをスタートしました    臼杵市内の和菓子屋に声をかけ 再現する作業にとりかかりました  まず挑戦したのが、こちらの芋ようかん  ただ、わかっているのは、この鮮やかな色味だけ  そこで用意したのが、 臼杵産のサツマイモ「紅はるか」  作業に当たった芦刈さん曰く有機野菜のお芋で本当にそのお芋がよくて  色もすごくきれいなので  やっぱり原材料の素材がいいと  すごくきれいに仕上がるんじゃないかなと    「紅はるか」の特徴はその柔らかさ  それを活かすためていねいに裏ごしすることに  すると、どうでしょう♪なめらかな食感の黄金色の芋ようかんに 仕上げることができました  もう一つ再現したのが琥珀糖  寒天という文字がみえますが味の手掛かりは一切なし  ならばそこは現代風にアレンジしてみようということで… 特産のカボスを使い酸味を生かすことで お殿様も味わったことのない現代風の味わいに   特に苦心したのは透き通るような淡い緑色 カボスの皮を一度茹でてからミキサーにかけ 更にそこから煮込むという手間と細かい手順を踏むことで できあがったのが…この透明感、いかがですか?    中村さんたちは この和菓子を“うすき輪菓子”と名付けました さあ、ここで冒頭の謎が解き明かされます!ここまで何分かかりました? 中村さん、「和」を「輪」に置き換えたそのこころは?   この“輪菓子”を通じて人と人とのつながりが  どんどん輪っかのように広がっていってくれたら  うれしいなという思いがあります  そしてこの復刻したお菓子を  臼杵のいろいろな町並みで  いろんな方が召し上がれるようになれば  嬉しいなと思います    中村さんはうすき輪菓子の未来をこんな風に思い描いていますここからはイメージ映像でご覧ください臼杵では訪れた人が和服に着替えて街を歩く そんな粋な取り組みが行われています   参加した人たちに再現した和菓子を食べてもらう その場所は…  臼杵藩主下屋敷の茶室で開かれるお茶会  お茶うけの和菓子はもちろん“うすき輪菓子”  お抹茶と一緒に 「黄金の芋ようかん」と 「カボスの琥珀糖」をいただきます 参加者:自然な甘みでお抹茶にとてもあって美味しかったです    中村さんはこの輪菓子が 臼杵を知ってもらうきっかけになればと考えています    この“うすき輪菓子”の味や歴史を通じて 臼杵の素晴らしい場所を皆様に知っていただいて  盛り上げたいという気持ちがありますし 市の外、県外、日本へとどんどんつながりを増やして  盛り上げていきたいと考えています。     これまで再現されたお菓子は4種類 現在は高校生と5種類目のお菓子を開発中です    うすき輪菓子の販売の予定はいまのところありませんが これからは臼杵市内での販売のほか インターネットなども利用しながら 多くの人に手に取ってもらえるようにしていきたいということです  中村さんをはじめ、プロジェクトにかかわる皆さんが 楽しみながら和菓子の再現に取り組まれている姿が とても印象的でした 「うすき輪菓子」が人と人とをつないでいき 大きな輪になっていってほしいと思います

執筆者 和田 弥月(NHK大分アナウンサー)
2022年12月22日 (木)

新人 和田弥月アナウンサー 大分宮崎県境をグルメ旅!

皆さん、こんにちは。NHK大分放送局新人アナウンサーの和田弥月(わだ・みつき)です。 私は大分市出身なのですが、これからアナウンサーとして成長していくために九州各地のこともしっかり知らなければと思い、大分県とお隣宮崎県の県境の町を旅することにしました。 実は宮崎県に足を踏み入れるのは、今回が初めてなんです!とても沢山の発見がありましたので思い出を皆さんにご紹介します。   まずは大分と宮崎の県境の駅から! 大分と宮崎の県境の旅。この日は晴天に恵まれ、絶好の旅日和でした。まずは大分側からスタート!佐伯市に知る人ぞ知る駅があるのだとか。数軒ほどの住宅の間の坂道を進むと、線路が見えて来ました。宗太郎駅です。駅舎もなくあるのは駅の表示と跨線橋と待合所だけ! 駅舎の代わりにあるのは運賃箱と運賃表。そして時刻表が掲げられています。宗太郎駅の隣りの市棚駅はもう宮崎県。時刻表を見て驚きました。延岡方面行きの列車は朝の1本しかありません!こんなに停車する列車が少ない駅もあるんですね。 跨線橋を渡って可愛いグリーンの待合所に行ってみると、鉄道ファンの皆さんが置いたのでしょうか、メッセージの書かれた石がずらりと並んでいます。面白いメッセージがありました。『秘境駅、何にもないが、何かある…』深いですね。 ちょうど延岡方面行きの列車が来ましたが、乗ることは出来ません。優しく警笛を鳴らしてゆっくり通過していきます。私も県境を越えて、はじめて宮崎県に行きます! おしゃれな延岡駅 宮崎県に入ってまず訪れたのは延岡駅です。とてもきれいでおしゃれな駅ですね。人気のカフェや書店が併設されていて、ここで本を読みながらお茶したいなと思いました。大分にもこんな駅が欲しい! 駅の周辺を歩いていると気になるポスターがありました。鮎やなって書いてありますね。鮎が獲れるのでしょうか?折角、県境を越えて初めて宮崎県に来たんですから、どこにでも行ってみよう!見てみよう!いざ、鮎やなへ…。 延岡市の鮎やなで鮎を堪能! 延岡市内を流れる大瀬川沿いを歩いていると、何かで川をせき止めています。これが延岡の鮎やなですね。仮設の遊歩道が設けられていて、鮎やなの中央付近まで歩いて行くことが出来ます。秋の青空のもと、清流の上を歩くと心が洗われるようです。時間はちょうどお昼時。お腹も空いてきましたね。 鮎やなの近くの河川敷にはテントが張られていて、お食事処になっているようですね。食欲を刺激する香ばしい香りがしてきました。あ~!鮎をたくさん焼いています!炭火でじっくりこんがり!それにしても一匹一匹が丸々と太って大きな鮎ですね。 これまで何度か食リポは経験しましたが、こんがり焼いたお魚にかぶりつくのは初めてです。上手く食リポ出来るかな~?『食べてみてもとってもふっくらしていておいしいです~』ん~、感じた味を言葉にするって難しい~。 日之影町で足湯に浸かる 次に訪れたのは延岡市の隣で、こちらも大分県との県境の町、日之影町です。五ヶ瀬川沿いを歩いていると、列車が停まっていました。よく見ると、これは列車を活用した宿で、車両に泊まることが出来るんですね。聞くところによると、いまから17年前の台風で鉄道が壊滅的な影響を受け廃線になってしまったのだとか。その鉄道の遺産を活かしているのですね。元々、温泉のある駅として営業していた日之影温泉駅は、廃線になったあとも温泉の営業は続けています。ここまでだいぶ歩いたので、足湯に浸かって一休みです。   高千穂町で芸道の神様にお参り 最後にやってきたのは、こちらも大分県と県境を接する高千穂町です。数々のパワースポットがあることで有名な高千穂町ですが、私が訪れたのは「芸道」の神様として知られる荒立神社です。新人としてスタートしたばかりの私ですが、今後アナウンサーとして精進していくために、しっかりお参りさせて頂きました。 境内には「芸道進栄板木」という分厚い板があって、これを木槌で7回心を込めて打つと願いが叶うとされています。数を間違えないように打つのに緊張しました。取材で多くの方と出会えますようにとお願いしました。 旅の終わりは国見ヶ丘 最後に訪れたのは高千穂の町を一望出来る国見ヶ丘です。標高513メートルで雲海の名所として知られています。霧が高千穂の町や山々を覆って、墨絵の世界のようになるとのこと。その幻想的な風景を見に、もう一度訪れたいです。 この日は大分県側からスタートして、宮崎の県境の町を旅して来ました。お隣の県なのに知らないことが沢山あってもっと新しい町の発見をしたいなと思いました。食リポも頑張って地域の名産品の美味しさを上手く伝えられるようになりたいです。みなさん、ありがとうございました!                  

執筆者 和田 弥月(アナウンサー)
2022年11月15日 (火)

一緒にチャレンジしよう! ~"知の巨人"とことん前向きな復活の日々~

大分には“巨人”がいます。日田市出身の漫画家が描いた、あの世界的なヒット作の話ではありません。外国人留学生が学生の半数近くを占める別府市の立命館アジア太平洋大学(APU)の学長、出口治明さんです。世界1200以上の都市を訪れ、1万冊を超える本を読破したことから、“現代の知の巨人”と呼ばれています。その“巨人”が去年、脳出血に倒れました。1年余りの療養を余儀なくされ、右半身に重いまひが残りました。それでも職務に復帰した出口さんは意気消沈するどころか、学生たちに「一緒にチャレンジしよう!」と呼びかけます。 揺るぎない前向きな気持ちはいったい、どこから来るのか。大分が誇る“巨人”の復活の日々を見つめました。 還暦で起業、古希で学長、病に倒れても“挑戦”!? ことし4月1日、別府市内で開かれたAPUの入学式。電動車いすに座ってステージに進み出た出口さんは、脳出血の後遺症でことばが出にくいものの、力強く新入生たちにこう呼びかけました。   『きょう、この別府で、皆さんと会えることを心待ちにしていました。ぜひ、いろんなことにチャレンジしてください。僕もチャレンジを続けます。一緒にチャレンジしましょう。』 およそ1年半ぶりとなった公の場で、出口さんの口から飛び出したのは意外にも“チャレンジ”という言葉でした。大手生命保険会社を経て、60歳でインターネット専門の保険会社を起業。さらに70歳でAPUの学長に就任した出口さん。体に重いまひを負ってもなお、自らに課す挑戦とはいったい何なのか?私は学長に復帰したばかりの出口さんを密着取材することにしました。 突然の病…それでも諦めなかった復帰 出口さんが突然の病に倒れたのは去年1月。県外で脳出血を発症しました。実はその数週間前の年末、私は出口さんにインタビュー取材をしていました。2020年の県内の出来事を出口さんと一緒に振り返ろうという夕方のニュース番組の企画に協力いただいたのです。 記録的な豪雨災害や猛威を振るう新型コロナウイルス、さらには宇宙港の話題まで。膨大な知識に裏打ちされた深い考察を明朗に語ってくれた出口さん。インタビューの最後をこう締めくくりました。 『来年(=2021年)1年を考えれば、僕はよくなるに違いないと信じています』 新型コロナをはじめ、各地で相次ぐ災害や事件事故に、とかく気持ちがふさぎがちになる中、出口さんのこの前向きなメッセージに励まされたのは私だけではなかったはずです。それだけに、出演からまもなく出口さん自身が病に襲われたことを知り、大きなショックを受けました。 ところが、出口さん本人の受け止めは全く違っていたことが1年余り後の取材で分かりました。当時の心境を次のように書面で寄せてくれました。 『早く学長として復帰したいと考えていました。とにかくリハビリを頑張って、復職を果たして、学生の支援に尽力したいということだけを考えていました』『周囲とは反対に、僕自身は楽観的でした」 常々「後悔のない人生が一番」と話してきた出口さん。病という大きな壁が目の前に立ちはだかっても、復帰への希望を決して失わなかったのは、こうした前向きな姿勢があったからかもしれません。 進化を続ける“知の巨人” 復活を強く印象づけた入学式から2週間余りたった4月中旬。学長室に出口さんを訪ねました。 療養前と変わらず机に向かう出口さん。右半身に重いまひが残る状態でいったい、どんな風に仕事をこなしているのか?興味津々の私をよそに、出口さんは利き手とは逆の左手の人さし指でパソコンのキーボードを1つ1つ打ったり、ペンを握って文字を書いたりと、いたって涼しい顔で業務をこなしていました。大学の職員によると、療養中の懸命なリハビリのたまものだとのこと。「出口さん、まだ進化を続けているんですよ。」と冗談めかして話す職員の言葉もあながち嘘ではないように感じました。それでも一瞬だけ、出口さんがさみしそうな表情を見せた瞬間がありました。読書量について質問した時のことです。記者『いまも毎日、本を読んでいるのですか?』 出口学長『はい、でも・・・片手で、本を持つのが・・・難しい。ページをめくるのが・・・難しい』 聞けば、療養前は1日1500ページは読んでいたということですが、いまは1000ページまでペースが落ちてしまったとのこと。忙しさにかまけてすっかり本から遠ざかっている私はぐうの音も出ませんでしたが、出口さんにとっては、本から得られる知識や情報がまさに血肉となっているのだと改めて感じました。 待ちわびた“ごちゃ混ぜ”の学びの場 学長室を訪ねたこの日は、偶然にも出口さんの74回目の誕生日でした。いつも以上にニコニコとした出口さんでしたが、その笑顔の理由は別にありました。新型コロナウイルスの感染対策のため、これまで中止を余儀なくされてきた大学の対面授業が実に2年ぶりに再開されたのです。外国人留学生の入国規制も緩和され、キャンパスには大勢の学生たちが戻ってきていました。早速、電動車いすでキャンパス内を見て回る出口さん。「あっ、出口さんだ!」と、行く先々で学生たちから声をかけられます。出口さんもうれしそうに左手をあげて応じたり、立ち止まって握手を交わしたりしていました。 ある教室の前にさしかかった時のこと。思わぬサプライズが待ち受けていました。学生の1人が出口さんのもとに駆け寄り、花束を手渡したのです。教室のホワイトボードには「おかえりなさい」の文字。学生たちもこの日が来るのを待ち続けていたのです。しばらく教室の隅で授業の様子を見つめていた出口さん。学長室に戻る道すがら、私に感慨深げにこう話してくれました。 『学生たちみんなの集まりが、パワーになって、大学を作っている。みんなが、輪になって・・・混ざって・・・これがAPU』 90を超える国や地域から集まった学生たちが、言語や文化、価値観の違いを乗り越え、文字通り“ごちゃ混ぜ”になりながら、一緒に大学という学びの場を作り上げていく。出口さんは、その現場に再び戻ってくることができた喜びを改めてかみしめている様子でした。 “知の巨人”が挑む新たなチャレンジ 出口さんの密着取材を始めて2か月余りがたったある日。私は出口さんがいま向き合っている大きな挑戦の現場をかいま見ました。その挑戦とは、APUにとって“第2の開学”と位置づける新たな学部、「サステイナビリティ観光学部(仮称)」の設置です。ポストコロナを見すえて観光や地域の開発について専門的に学ぶ、この学部では、日本有数の温泉地でもある別府を研究フィールドに、新たな観光資源の創出や地域経済の発展に貢献できる人材の育成を目指します。 来年4月の開設に向けて準備が進む中、出口さんも連日のように学内の会議に出席し、職員たちに指示を出しています。この日は、新学部の理念をより多くの人に知ってもらうための広報戦略をめぐって職員たちと意見を交わしました。 職員「保護者も含めて新学部をもっとPRすべきではないか」職員「関係者がどんな情報を求めているのか、的確につかむ必要がある」 議論が白熱する中、突然、出口さんが資料の片隅になにやら書き込み、職員たちに見せながら発言しました。 出口「コントでもいい!!」 予想の斜め上を行く出口さんの発言に一瞬たじろぐ職員たち。でもすぐに、その場に笑い声が響きました。真っ正面からの正攻法だけでなく、若い世代を意識した片意地張らないやり方でいこう、ということかもしれません。どんな時もユーモアを大切にする出口さんらしい提案でした。 ハンディキャップを抱えながらも、出口さんが自らに課した新たなチャレンジ。新学部の開設を通じて、どんなことを実現しようとしているのか。取材の最後に出口さんにたずねました。 『新学部では、地域が抱える課題の解決に実践的に取り組むことができる人材を育成していきます。地域の課題を発見することにより、世界の課題がリアルに見えてくる。そして、それをどうしたらいいのか考えて行動できる人になる、世界に向けて行動できる人になる、そういう学びができる学部にすることが新しい学部の成功だと思っています』 長い沈黙を経て、ついに完全復活を果たした“現代の知の巨人”、出口治明さん。とことん前向きなその目は、すでにコロナ後、さらに先の未来を見すえています。

執筆者 清水 一臣(記者)
2022年07月27日 (水)