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トリニータVSヴェルスパ 白熱必至の大分ダービーの行方は

【9年ぶりの「大分ダービー」いよいよ】大分のサッカーファンにとって、待ちに待った日が来ます。サッカー日本一を決める天皇杯2回戦があす、6月7日、レゾナックドーム大分(大分市)で行われます。対戦するのは大分トリニータとヴェルスパ大分。実に9年ぶりとなる「大分ダービー」が実現するのです。実は両チーム、天皇杯で過去2回対戦し、いずれもトリニータが勝っています。▼2014年 大分トリニータ 2-1 ヴェルスパ大分▼2013年 大分トリニータ 2-0 HOYO大分(現ヴェルスパ大分)9年ぶりに公式戦でぶつかる勝負の行方は?!両チームを愛してやまない私、アナウンサーの西岡遼が解説します!【ヴェルスパがジャイアントキリング!?】今回で3度目となる「大分ダービー」。これまでの対戦の中で、いちばんきっ抗した試合になる可能性があると思います。といいますのも、ヴェルスパは、前回の対戦以降、選手層の厚みが増すなど、Jリーグのチーム相手にしっかりと戦える力を備えてきたからです。それは結果にもはっきりと現れています。3年前にはアマチュアリーグの最高峰、JFLで優勝。おととしの天皇杯では、レノファ山口とモンテディオ山形というJ2のチームを相次いで破り、4回戦まで進出。去年は、J3のクラブライセンスも交付され、Jリーグ入りも見えてきました。選手の意気込みも並々ならぬものがあります。過去2回の「大分ダービー」にフル出場している、チーム在籍最長11年目のゴールキーパー、姫野昂志選手は、「トリニータはあの時は『憧れ』だった。そこから『目標』に変わり、今こそ『追いつく時』が来た」と話します。そのヴェルスパで注目なのが、フォワードの半田航也選手です。半田選手は、J2のブラウブリッツ秋田から今季、期限付きで移籍。現在、チーム最多得点を挙げる活躍で、J3昇格を目指すチームにとって欠かせない存在となっています。また、チーム在籍10年目、姫野選手と同じく、9年前の大分ダービーを知るフォワードの中村真人選手にも注目です。 【好調のトリニータ 不安要素も】対する大分トリニータも今季は好調です。リーグ戦19節を終えて2位。J1復帰を果たすため、攻撃的なプレースタイルで勝ち点をつみあげてきました。そのトリニータ、実は不安要素もあるのです。先月以降、主力選手のケガが相次いでいるほか、日程もハードです。今月4日にリーグ戦と戦い、3日後に「大分ダービー」、その4日後にリーグ戦が控えています。下平隆宏監督も、「ヴェルスパは上のチームを食ってやろうという雰囲気で来ると思う。非常にプレッシャーがかかると思っている」と話しています。今回、若手主体のメンバーで試合に臨むというトリニータ。注目は18歳のミッドフィールダー、佐藤丈晟選手です。おととしと去年、高校生で天皇杯に出場し、去年は得点も挙げました。佐藤選手は、「活躍するチャンスの大会だと思っている。ドリブルで持ち運ぶ技術や、利き足の左足の精度を武器に、どんどん点に絡んでいきたい」と意気込んでいます。ほかにも、U20日本代表のフォワード、屋敷優成選手、大卒ルーキーの攻撃的なディフェンダー、松尾勇佑選手、ユース出身の18歳のミッドフィールダー、保田堅心選手にも注目です。  【攻撃的スタイル同士で勝つのは…】練習試合では何度が対戦している両チーム。トリニータの下平監督はヴェルスパの印象について、「攻撃的でプレスをかけるところが、自分たちと似たスタイルだ」と話しています。同じプレースタイルのチームがぶつかる今回の「大分ダービー」。どちらがより多くボールを保持し、主導権を握ることができるかが、試合の流れを大きく左右することになりそうです。天皇杯準優勝の経験があるトリニータか。それとも3度目の正直で悲願の「大分ダービー」初勝利を狙うヴェルスパか。NHK大分では、試合当日の「ぶんドキ」(18:10~)で、試合開始直前の会場から中継で最新情報をお伝えします!また、NHK大分の公式Twitterでは、試合経過を動画付きで随時投稿!どこよりも早くお伝えします。こちらも是非チェックしてください!      

執筆者 西岡遼アナウンサー
2023年06月06日 (火)

宇佐市出身・雷親方 初めて育てた新十両

宇佐市出身で、大相撲の元小結・垣添が師匠を務める雷部屋から、初めて新十両力士が誕生しました。ウクライナ出身の獅司(26)です。5月31日に行われた名古屋場所の番付編成会議で十両に昇進することが決まり、雷親方にとって、ことし2月に部屋を継承してから、わずか3か月での関取誕生です。 (雷親方)「ほっとしました。自分の新十両がかかった場所と同じくらい、今場所は緊張しました。まさか2月に部屋を継承してから、きょうこの場に獅司と2人でいるのが信じられません」 雷親方が徹底させた”体作り” 持ち前の圧力に磨きががかる獅司はウクライナ南部のザポリージャ州出身。相撲の世界選手権の重量級で3位に入った実績があり、3年前に入間川部屋に入門しました。身長1メートル92センチ、体重174キロの恵まれた体格を生かした相撲で、番付を上げてきました。 ことし2月に部屋を継承した雷親方は、獅司に”体作り”を徹底させてきました。 獅司は、しこやすり足、ぶつかり稽古などを重点的に行い、強じんな下半身を作ってきました。また、ことし2月に取材した日には、たまごかけごはんをどんぶりで2杯食べるなど、”食べる稽古”にも積極的に取り組んできました。 その結果、体重は、雷親方が部屋を継承した2月から15キロも増え、持ち前の圧力に磨きがかかりました。ことし5月の夏場所では、西幕下2枚目で6勝1敗の好成績を収め、新十両の座をつかみました。 (獅司関)「雷部屋になってから15キロ太りました。力が出ます」 (雷親方)「15キロ太るのは生半可なことではない。食事も自分で工夫して食べて、体を大きくして、稽古も自分から一生懸命頑張るようになった」  ふるさとウクライナに住む家族への思い獅司は、今もウクライナに住んでいるという両親に毎日電話していて、新十両昇進も報告したということです。 (獅司関)「みんな、うれしいと喜んでいました。ウクライナは大変。もっとがんばります。関取になって、ママとパパを助けます」 (雷親方)「体幹を強くして、腕も脚も強くなれば、もっともっと上で相撲がとれる力士だと思っている。初心を忘れずに、今からがスタートラインだと思って、心変わらず、一生懸命稽古をしてほしいと思います」 新十両として臨む名古屋場所は、7月9日に愛知県体育館で初日を迎えます。名古屋場所での目標についてはこう話しました。 (獅司関)「名古屋場所、15日、がんばります。とりあえず、勝ち越せたらうれしいです」 ”垣添”譲りの真面目さと一生懸命さ日本語を勉強中の獅司ですが、この日の会見では、記者の質問に、ひとつひとつ誠実に答えていました。雷親方も「真面目な性格」と評する獅司。そうした姿は、決して大きくない体でこつこつと努力を重ね、めいっぱい幕内の土俵で暴れまわった現役時代の垣添の姿とも重なります。 名古屋場所、獅司の相撲に、ぜひご注目ください!

執筆者 戸部眞輔
2023年06月02日 (金)

【トリニータvsロアッソ 見どころざっくり解説】

今週13日(土)は九州ダービー。J2第15節 大分トリニータvsロアッソ熊本です。トリニータにとってロアッソ熊本は、去年のJ1参入プレーオフ1回戦でJ1復帰の道を断たれ、悔しい思いをした相手。そのときの雪辱を果たす戦いです。 NHKでは大分県と熊本県の皆さんに午後2時50分から中継でお伝えします。実況を担当する、私、西岡遼が試合の見どころを紹介します!これを見ると、試合観戦がさらに楽しめるかも。  【前線からのプレスで攻撃的に! 大分トリニータ】今シーズン、好調を維持する大分トリニータ。3連敗したこともありましたが、ここまで14試合を終えて9勝1分4敗とし2位につけています。チームを率いるのは2シーズン目の下平隆宏監督。昨シーズン同様、高いボール保持率で試合を優位に進める攻撃的なサッカーです。その中でも特徴的なのが以下の2点です。・前線から果敢にプレスをかけて、高い位置でボールを奪うこと。・攻守の素早い切り替え。ボールを奪われたらすぐ奪い返す、そして、奪ったらすぐに攻撃に切り替える。いずれも選手には豊富な運動量が求められますが、目まぐるしい試合展開は、見ていてとても面白いサッカーだと思います。  【スタイル不変のロアッソ熊本】一方のロアッソ熊本。昨シーズンは、あと一歩で、こちらも悲願の「J1昇格」というところまでいきました。今シーズンはここまで5勝5分4敗で11位ですが、このところ連勝中と調子は上向きです。昨シーズンの中心選手の多くが他のクラブへ移籍しましたが、チームを率いて4シーズン目の大木武監督のスタイルは今シーズンも変わりません。大木監督のサッカーは徹底的にボールをつなぎます。そして素早いパス回しで相手を崩すほか、ドリブルで中央突破を狙います。 【トリニータ、勝利のポイント】 ともに好調なチーム同士の対戦。トリニータが勝つためのポイントになりそうなのは、①    サイド攻撃とセットプレーでの得点②    前線からのプレスで相手に自由を与えないこと もちろん中央攻撃もありますが、得点としてはサイド攻撃と、DFの安藤智哉選手(1m90cm)や同じくDFのペレイラ選手(1m84cm)といった高さを生かしたセットプレーや、MFの高畑奎汰選手の精度の高いフリーキックからのゴールが多くなっています。サイドにボールが入ったときやセットプレーは、目を離せません!  また、多くの選手から聞かれるのが「相手にプレッシャーをかけて、ペースを乱す」ということです。そのためには、今シーズンのトリニータが掲げる「前線からのプレス」が重要になってくると言えます。特に1トップのFW、伊佐耕平選手は、最前線で相手選手を追いかけ、連動したトリニータのプレスのスイッチを入れる大事な役目を担います。ボールを持った相手を懸命に追う伊佐選手の動きにも注目です!   下平隆宏監督は試合2日前の取材で「去年のプレーオフの時に比べると、今季開幕から継続している“前線からのプレス”と“攻撃の組み立て“は質が上がっている」と手ごたえ十分でした。また、前節の金沢戦は勝ったものの、失点が3だったことを重く受け止めていて、守備の徹底をもう一度意識づけして熊本戦に臨むとのことです。   解説は、片野坂知宏さん(大分トリニータ前監督)と、巻誠一郎さん(元日本代表FW、ロアッソ熊本で5年間プレー)という豪華な2人です。キックオフは午後3時。両チームの意地がぶつかり合う”九州ダービー”、是非ご覧ください。

執筆者 西岡遼
2023年05月11日 (木)

甘くてシャキシャキ 杵築のスナップエンドウ

県内では、杵築市を中心に生産されているスナップエンドウ。さやごと食べられる手軽さと甘さが人気です。杵築市では平成14年から生産が始まり、生産量を増やしてきました。 旬の時期に生産者のもとを訪ねて、おいしい食べ方を教わってきました。   関西や福岡で人気! シャキシャキして甘い、スナップエンドウ。県内一の産地・杵築市では、年間およそ120トンを生産しています。   生産を始めて7年目の大村哲弥さんです。合わせて20aの農業用ハウスでスナップエンドウを栽培しています。杵築のスナップエンドウの魅力とは? (大村哲弥さん) 「ハウス栽培が多い杵築では、実の太りもけっこう大きいので、おいしい豆ができていると思います。ことしは、非常にいい出来になっていると思います」 品質の高さが人気を集め、全体のおよそ9割を関西や福岡など県外に出荷しています。その人気の秘密は、収穫作業にありました。 スナップエンドウは傷がつきやすいため、ひとつひとつ丁寧に収穫していきます。期間中、多い年ではおよそ70万本収穫し、出荷に向けた作業を夫婦で手分けして行っています。 (大村哲弥さん) 「妻もけんしょう炎になったり、けっこう大変な目に遭わせていますけど、手をかければかけた分、いいものができるので、それを収穫した時はうれしいです」   燃料費高騰で、ハウスみかんからスナップエンドウへ 大村さんのこの農業用ハウス、かつては、みかんを栽培していました。杵築市では、昔からハウスみかんの生産がさかんで、県内一の生産量を誇ります。しかし、燃料費高騰で収益が圧迫され、21年前から、寒さに強いスナップエンドウに切り替える農家が出てきました。大村さんは6年前、自動車関連の仕事を辞めて、両親のみかん用のハウスを引き継ぎ、スナップエンドウ栽培を始めました。大村さんによりますと、栽培にかかる燃料費は、みかんと比べて6分の1以下で済むということです。 (大村哲弥さん) 「自分が生まれ育った近所にも空きハウスがあったので、そういうのを見ると寂しくなってしまう。スナップエンドウは冬場の作物ですが、あまり油を焚かない作物なので、誰か参入する人でもいたら、できるだけ紹介して、スナップエンドウなどで空きハウスをなくしていきたいなと思います」   生産農家のおすすめ!スナップエンドウの調理法 大村さんおすすめの食べ方がこちらです。 白だしあえと、ベーコン巻きです。まず白だしあえの作り方です。 最初に塩ゆでします。ゆで時間は2分。それ以上ゆでると、しんなりしすぎてしまいます。それを焦げ目がつくくらいに炒めて、薄めた白だしにつけるだけです。 かつおぶしをかけると、さらにおいしくなります。スナップエンドウの甘さとだしのうまみが調和したおいしさが、口の中に広がります。 続いては、ベーコン巻きです。塩ゆでしたスナップエンドウにベーコンを巻いて、塩こしょうで焼くだけです。こちらも簡単に調理できます。まずベーコンとスナップエンドウのシャキシャキの食感から始まり、そこからスナップエンドウの甘さがやってくる、2段階でおいしい料理です。 (大村哲弥さん) 「スナップエンドウは、どんな料理を作っても合うと思うので、新たな料理を色々作ってもらって、楽しんでもらえたらいいかなと思います」

執筆者 戸部眞輔
2023年05月08日 (月)

参院補選 厳重警備の8日間

  与野党一騎打ちの激戦区として全国から注目を集めた参議院大分選挙区の補欠選挙。選挙期間中、与野党の幹部たちが応援のため続々と大分に入る中、岸田総理大臣が遊説先の和歌山市で爆発物が投げ込まれる事件が発生。その後、投票日までの8日間、警察は厳重な警備態勢で警戒にあたり、演説会場は独特の緊張感に包まれました。取材した記者が見た、もうひとつの選挙戦リポートです。  激しい選挙戦の中で…今月6日に告示された参議院大分選挙区の補欠選挙では、与野党の幹部たちが相次いで大分に応援に入り、熱を帯びた選挙戦が繰り広げられました。そうした中、今月15日。和歌山市で選挙の応援演説に訪れていた岸田総理大臣の近くに爆発物が投げ込まれる事件が発生しました。事件に両陣営だけでなく、警察関係者の間にも衝撃が走りました。というのも、翌日には岸田総理大臣が選挙の応援で大分入りする予定だったのです。安倍元総理大臣が銃撃され亡くなった事件からおよそ9か月。民主主義の根幹といえる選挙戦のさなかに、再び暴力が行使された事態にこの日、ある捜査関係者は緊張した表情でこう話しました。 「もう2度と事件を起こさせてはいけない。警備態勢を強化して臨む」  岸田総理大臣来県 展開された厳重警備 和歌山での事件の翌日、岸田総理大臣は予定どおり大分に入り、最初にJR別府駅前で演説を行いました。警備態勢は襲撃する側に手の内を明かすことになってしまうため、明らかになるものではありません。しかし私が見た範囲では別府駅周辺では100人以上の警察官が警戒の目を光らせていたと思います。リュックサックを背負いながら取材にあたろうとしていたところ、合わせて3回、職務質問と手荷物検査を受けました。現場では聴衆ひとりひとりに徹底したチェックが行われていました。警察官の表情からも緊張感がうかがえました。   別府駅前での演説を終え、岸田総理大臣が次に向かったのは佐伯市の青果市場でした。現場近くの建物の屋上にはカメラを設置した上で、双眼鏡で警戒をする警察官の姿がありました。 ここでも徹底して行われたのが職務質問と手荷物検査。また、陣営が独自に検査を済ませた人の胸付近に丸い黄色のシールが貼ったほか、ペットボトルの持ち込みも禁止しました。  そして、岸田総理大臣が最後に演説したのが大分市中心部の商店街でした。商店街の会場には地面が見えないほど聴衆が集まっていました。するとふだんではありえない光景が…。よく見ると飲食店が入る建物の2階で警察官が警戒している様子が確認できました。後日、取材するとフロアを貸し切って、全体が見える場所から警戒にあたっていたそうです。この日、岸田総理大臣が午後6時すぎの飛行機で大分空港から離れるまで一度も緊張感が途切れることなく警戒の取材が続きました。 和歌山の事件を受けて、岸田総理大臣だけではなく与野党の幹部たちが訪れる演説会場では、厳重な警戒態勢が展開されました。立憲民主党の泉代表が佐伯市の商業施設で演説した際も、人が近づかないよう周囲はポールで仕切りが設けられ、演説者の前には防弾パネル、後ろには選挙カーを止めて背後を守りました。岸田総理大臣は投票日の前日も再び大分に入りましたが、厳重な警備のもと、何事もなく、もうひとつの選挙戦は幕を閉じました。   1年もたたないうちに、選挙という舞台で総理大臣経験者と現職の総理大臣が相次いで襲われた事態。投票日翌日、ある捜査関係者はこう話しました。「選挙の応援に駆けつける政治家、そして候補者、関係者、さらに有権者が政治に触れる、選挙の候補者を知ろうという現場の安全をいかにして守っていくか。我々、警察組織の大きな課題だ」

執筆者 中野 克哉記者
2023年04月29日 (土)

背番号10の覚悟

                                                   今シーズン開幕ダッシュに成功したトリニータ。開幕10試合にすべてスタメン出場し、攻守ともにチームをけん引しているのが背番号10・野村直輝選手です。ここまでの戦いぶりや見えてきた課題、そして初めてメディアで話したというトリニータへの思いを語ってくれました。    不安一掃の開幕ダッシュ去年はJ1昇格につながるプレーオフに進出するも1回戦で敗退したトリニータ。チームの主力選手もライバルチームに相次いで移籍しました。在籍4年目のエース、野村選手でさえも今シーズンの開幕前は不安だったそうですがチームは開幕戦、徳島ヴォルティスに勝利してから快進撃を続け、上位をキープしています。 (野村選手)今シーズンは、いろんな選手が入れ替わったところから始まって、どういうチームになっていくのかなと不安な部分がすごく大きかったんですが、思ったよりも結果も出てますし、選手のプレーの質の部分だけじゃない大切さを改めて感じている10試合です」  好調の要因はコミュニケーション今シーズンは選手同士が試合中に意識的にコミュニケーションを行っていることが、チームの好調につながっていると野村選手は強調します。  (野村選手)監督はじめ、スタッフの皆さんがある程度選手に戦術であったり、ピッチの中での変化を委ねてくれる。ある程度余白を残してやらせてくれている分、自分たちで相手を見てどうやらなきゃいけないかというコミュニケーションを多くとっています。僕は決めつけられるっていうのはあまり好ましくなくて、やらされた仕事じゃなくて一緒に作っていくというか、自分たちから動いて作ったゴールであったりみんなで守れたりだとかの方が自分たちも気持ちいい。監督たちとよりいいコミュニケーションが取れていい循環が生まれています。それと勝ち負けだけじゃなくて、そこまでのプロセスだったり、どういった思いで試合に臨まなきゃいけないかとか、そういった組織にどんどんなっていっている手ごたえもあります。そこが今の大分のストロングポイントかなと思います  完敗から見えた課題 それでも… 一方、課題も見えてきたといいます。野村選手が印象に残っているという4月16日の町田戦。注目の頂上決戦は、試合前から警戒していたというセットプレーで先制を許し、その後、自陣でのパスミスが続くなど上手く試合を組み立てることができませんでした。結果は1対3の完敗。しかし、その負けも野村選手はリーグ戦前半で修正点を明確にできて良かったと前向きに捉えています。  (野村選手)ことし取り組んできているハイプレスだとかうまく回避された試合で自分たちの弱さというか、穴みたいなところを突いていかれた感じがして。お互い疲労度がある中でのゲームの運び方とセットプレーの重要性を改めて感じさせられる試合でした。たまに相手も分析してきて、僕らの足を止めるようなボールの回し方だったり、ポジショニングを取ってくる。対策されても『へっちゃらだよ』っていうぐらいのものを見せられれば、このままいいペースで勝ち点を積み上げていけるかなと思います  ファン・サポーターへの思い 長いシーズンを戦い抜く上でやはりかかせないのがファン・サポーターの存在。どんなときもチームを後押ししてくれる人へ、感謝の気持ちを忘れません。 (野村選手)ことしは特に一緒に戦っているっていう感じがするんですよ。ずっと鼓舞するような応援をしてくれて、ピッチの中に仲間が増えるような感覚があって。あとはラスト10分ですかね、自分のコールがかかるとちょっと走れたりするんですよ。より多くの方に声出して手をたたいて応援してもらえたら僕らもパワーになりますね。  副キャプテンとして自分に何ができるか そして、出場メンバーが代わっても戦力が落ちないチーム力が大切だという野村選手。副キャプテンとして、いかにチームを成長させていくか考える日々です。 (野村選手)できるだけみんなの思いを繋げる存在でありたいなとずっと思っていて。やっぱり結果が一番最初にきてしまう世界ですけど、そこだけじゃなくてできるだけ思いの部分をみんな共有しながら若い選手からベテランの選手、スタッフ、サポーターの皆さんとできるだけ思いを大切にするクラブや組織でありたいです。そういった思いの部分を大切にしてプレーする選手はどんどん増えてきていますね インタビューをしたこの日、野村選手が真剣なまなざしで話したのがチームへの思いでした。公開練習や試合後の取材でも、必ず口にするのがチームメイトのこと。いったいなぜなのか。厳しいプロの世界で生き残るために自分の成長のみにフォーカスする選手がいる中で、野村選手は一人ひとりの選手と思いを共有して「個」ではなく「チーム」として成長していくことが、J1昇格へのカギだと考えているからです。 (野村選手)プロの世界に入ってみると意外とイメージと違うことが多かったんです。自分のために、自分が生き残るためにやるっていう姿勢のところに学生の頃とのギャップを感じて、ちょっと寂しい組織だな、寂しい世界なのかなって思ったときもあったりしました。今、僕はチームで歳も上の方で自分のことだけやっておけばいいんですけど、それだけじゃ本当の自分が満足しないというか。選ばれた18人だけじゃなくて、チームみんなの力があってトリニータが動いているっていうのも理解したうえでメンバー外の選手とかも一生懸命やっている選手は自分の目に残るんですよね。自分も出られないときは悔しかったから筋トレとかいろんなことをするんですけど、そういった選手の思いも大事にしたいし、僕のエネルギーにもなる。もし、けがとかでメンバーが代わったりした時に、そういった選手が活躍すると思うし、チームの調子が悪いときに助けになったり、今までそういうことを見てきたこともあったんですよね 野村選手の「仲間一人ひとりの思いを大切にしたい」という言葉の裏にはこういった強い思いが込められていたのです。   必ずJ1昇格を果たす…今シーズン並々ならぬ決意で戦い抜く覚悟です。 (野村選手)ぶっちゃけた話、ことし自分をうまく表現できなかったらもう(トリニータに)いるべきじゃないなって思っていて。そういう覚悟でやっているので。選手としてもそうですけど野村直輝としてチームにどう貢献できるか。ピッチ上だけじゃないところでも何か残したい気持ちがあります。何もできないまま出ていくのも男としてどうかなというのもあったりして、難しいところではあるんですけどこの世界。それでも、ことしはそういったことを含めた1年にしたいと思っています。そして、『ことし1年間この組織でサッカーしてよかった。仕事してよかった』ってできるだけ多くの選手やスタッフ、サポーター、トリニータに関わるすべての人たちが1人でも多く『ことし携わってよかった』って思ってもらえるようなシーズンにしたいっていうのが僕の夢であり目標というか、昇格したときに泣くじゃないですけど、そういうのをイメージしていますね      

執筆者 川又 優キャスター
2023年04月28日 (金)

津波浸水想定エリアの保育施設 見えた課題

この春、新しく保育園や幼稚園に通うお子さんも多いと思います。通い先が、もし津波の浸水が予想される地域だったら…そう考えたことはありますか。 「避難のときに十分な人手があるのか」「浸水の深さを正しく認識できているのか」大分県内で浸水想定区域にある保育園などを取材すると、いくつもの課題があることが分かりました。 取材で見えてきた、不安を抱える現場の声とその背景にある課題。あなたの地域にある保育施設も、周囲の手助けを必要としているかもしれません。 浸水エリアにはどのぐらいの子どもが? 独自に取材 今回、NHK大分放送局では「津波から子どもたちの命を守れるのか」をテーマに取材を始めました。まず行ったのは、県が公表している津波の浸水想定区域にどれだけの保育園や幼稚園などがあるのかを独自に調べることです。 (画像:浸水想定エリア内の保育施設を赤いピンで表示) 調べた結果、浸水想定エリアには少なくとも96の保育施設があり、6000人余りの子どもが通うことが明らかに。また、施設のおよそ6割が大分市に集中していることも分かりました。 保育施設にアンケート 約半数が“避難に不安”  これらの施設に対して、ことし1月から2月にかけてアンケートを行い、85%にあたる82施設から回答を得ました。  この中で「津波が到達するまでに子どもたち全員が安全に避難できるか」を聞いたところ、「できる」が43施設(52%)と半数以上を占めた一方で、「不安がある」も37施設(45%)にのぼりました。 「困難」や「不可能」も合わせると39施設(48%)。実に半数近くです。 ただ、回答した施設のほぼすべてが、津波の避難計画や避難マニュアルを「作成している」と回答。さらに避難訓練を「毎年行っている」と答えていました。(アンケートの詳しい結果は、この記事の最後に掲載) 東日本大震災以降、津波に対しては各地で対策が進められてきました。にもかかわらず、なぜ保育現場の不安が拭いきれないのでしょうか。  「不安がいっぱい」大分市の保育園では… 不安を抱えている施設の1つを取材すると、その理由が見えてきました。取材したのは0歳から5歳まで100人余りの子どもが通う、大分市の「じょうとうこども園」です。このこども園は津波で4メートル以上浸水する想定で、浸水区域の外にあるおよそ1キロ先の中学校を避難場所にしています。毎年行っている避難訓練では30分以内で到着できていると言います。 (画像:じょうとうこども園の周辺の地図と、避難先の城東中学校までの避難ルート) しかし、現場の保育士は次のように訴えます。 「実際に津波が来たら、園までどのぐらいの時間で到達するのか分からない。それまでにスムーズに避難できるのか、子どもたち全員を果たして避難先まで連れて行くことができるのかどうかと聞かれると、不安要素がいっぱいです」(主幹保育教諭・長久寺真美さん) 不安の大部分を占めるのは「実際の避難にどれだけ時間がかかるのか」ということです。 訓練の様子を再現してもらうと、幼い子どもたちの避難は大人のようにはいかず、大変であることがよく分かりました。まず避難を始める前に、まだ歩けない0歳や1歳の子どもは保育士が靴をはかせた後、1人ずつ抱き上げて避難用のカートに乗せます。 カートは2人ひと組で押しますが、1台で運べるのは子ども4人から5人まで。重さに加え、安全を考えると走って押すことはできません。カートに乗せきれない子どもは、だっこやおんぶで運びます。自分で歩ける子も、もし途中で疲れてきたら、抱えて避難しなくてはいけません。 保育士が運ぶのは子どもたち自身だけではありません。紙おむつや着替え、お尻ふきなどを詰め込んだバッグも背負って避難します。 こうした困難に加え、「実際には訓練どおりにはいかない」という問題もあります。訓練の日は28人の職員がほぼ全員出勤し、準備をした上で臨んでいますが、取材したこの日に出勤していたのは20人。もし不意に“本番”が来たときに、100人の子どもたちを訓練と同じようにスムーズに避難させることができるのか…。確信を持てないと言うのが現場の本音でした。 「子どもたちを、そのときにいる人数の職員できちんと避難させることができるのか。災害がもし本当に起きたときを考えると、心配がついて回るというのが実際のところです」(主幹保育教諭・長久寺真美さん) どこに逃げれば… 近くの高いビルに避難できないケースも 取材では、東日本震災を教訓に進められてきた避難対策が十分に機能していない、そんな現実も見えてきました。 「津波避難ビル」の活用の難しさです。 「津波避難ビル」は、避難が間に合わない場合に備え、一定の高さや頑丈さがあるマンションなどを指定するものです。県内でも指定が進められていて、じょうとうこども園から300メートル余りのところにも津波避難ビルがあります。 ここに逃げ込めれば、避難の時間は大幅に短縮できるはずですが…。 「大きいマンションなどは玄関がオートロックになっているので、避難するのはなかなか難しいです。また、子どもたちが集まるとマンションに住む人たちのご迷惑になると思うので、ふだんから訓練を行うというのもできないと思っています」(主幹保育教諭・長久寺真美さん) 津波避難ビルへの避難をためらう施設は多く、アンケートで「避難先にしている」と回答した施設は8か所にとどまりました。 さらに、より深刻な課題を訴える声も見受けられました。「避難の依頼をしたが、住民しか使えないと言われた」「アパートの管理会社から断られ、これまでしていた避難訓練を取りやめた」 近くにあっても逃げ込めず、より遠い避難場所に向かわざるを得ないという施設が相次いでいたのです。 浸水の深さ 正しく伝わっていない実態も明らかに アンケートから見えた課題はこれだけにとどまりません。「施設は津波で何メートル浸水する想定か」と尋ねたところ、33%にあたる27施設が県が公表している浸水想定より低く回答しました。 県の浸水想定が最大5メートルに対して、「2メートルの浸水想定」と認識し、「施設の2階に避難する」と回答したケースもありました。避難対策の前提となる情報が正しく認識されていない状況だったのです。 なぜ、浸水の深さを低く認識している施設が多数あるのか。取材を進めると、その理由が「ハザードマップの表示のしかた」にあることが分かってきました。 (画像:左側が県の浸水想定、右側が大分市の津波のハザードマップ)※取材時のもの 画像の左半分、赤やピンクで塗られている大分市中心部の地図は、県の浸水想定です。こちらはJR大分駅付近まで浸水を示す色が塗られています。一方で、緑や青で塗られている大分市の津波のハザードマップでは、浸水想定エリアが県の想定より狭く、駅の近くは白のままです。  この違いが生じた背景には、異なる複数の地震で津波が想定されていることがあります。 県はそれら複数の想定を総合した「最大の浸水想定」を掲載。大分市のハザードマップは、最大の想定ではない「南海トラフの巨大地震による浸水想定」です。より高い津波が想定される「別府湾を震源とする地震」は、最終的な到達ラインが赤い線で書かれているのみだったのです。 県の浸水想定より浸水想定の深さを低く認識していた施設の8割近い21施設は大分市内にありました。こうした施設に取材したところ、「ハザードマップの色分けをもとに浸水の深さを確認した」と返答があり、別府湾地震の浸水想定を示す赤い線については「初めて知った」と話し、そもそも認識していませんでした。 どう解決していく? キーワードは「地域と一緒に」 これだけ多くの課題を抱えて、津波から子どもたちの命を守り切れるのか。 子どもの防災に詳しい専門家は「非常に深刻な問題がある」と強く警鐘を鳴らします。 「まず、浸水想定を誤解しているということは、日頃の避難訓練の想定とは違うレベルの津波が来るおそれがあるわけで、結果的に子どもの命を守れないことになりかねない。行政がハザードマップの読み方をレクチャーするなど、事態をいち早く解決してほしい」(危機管理アドバイザー・国崎信江さん) 不安の解消や、津波避難ビルの活用については、「地域と一緒に解決する」ことが不可欠だと指摘します。 「不安を抱えている保育施設がこれだけ多い現状を、そのまま見過ごしてしまってはいけない。施設の職員だけでは手が足りないのが保育の現場の実情なので、幼い子どもを避難させる大変さを地域の人たちに理解してもらい、行政や地域の皆さんと一緒になって、1つ1つ課題を解消していただきたい」 取材を終えて 保育園などではふだん、どういうふうに避難訓練をしているのか。今回、取材で実際に見せていただくことで、多くの子どもたちを避難させることは想像以上に大変だと感じました。 そのうえで、東日本大震災の発生から12年の間、津波対策を進めてきたものの、自信を持って「子どもたちの命を守れる」と言えない施設が多くある実情が、アンケートに現れたのだと思います。  津波からの避難は、避難にかかる時間をいかに短くできるかが鍵になります。しかし、施設側の努力だけでは限界があり、地域全体で支えることが重要です。 「 誰かに助けを求めたい、でもどうすればいいか分からない」そんな保育施設の人たちを取り残さないためにも、行政が園と地域をつなぐ役割を果たすなどの支援が必要だと強く感じました。   アンケートの詳しい結果はこちら 対象施設:大分市、別府市、佐伯市などにある幼稚園や保育園、こども園など 計96か所 回答数:82か所(回答率 85.4%) ▼質問:大分県が公表している津波浸水想定で、施設は何メートル浸水する想定ですか 「0.3m未満」:3施設(3.7%) 「0.3m~1m」:13施設(15.9%) 「1m~2m」:17施設(20.7%) 「2m~3m」:22施設(26.8%) 「3m~4m」:5施設(6.1%) 「4m~5m」:10施設(12.2%) 「5m~10m」:1施設(1.2%) 「10m以上」:1施設(1.2%) 「わからない」:7施設(8.5%) 回答なし:3施設(3.7%)   ▼質問:津波のおそれがある場合の避難先はどこですか 「自治体が指定している避難場所」:38施設(46.3%) 「自治体が指定している津波避難ビル」:8施設(9.8%) 「独自に決めた避難場所やビル」:23施設(28.0%) 「施設の高層階や屋上」:11施設(13.4%) 「その他」:2施設(2.4%) 「決めていない」:0施設(0.0%)   ▼質問:津波の到達が予想される時間内に、子どもたち全員が安全に避難できますか 「安全に避難できる」:43施設(52.4%) 「安全に避難できるか不安がある」:37施設(45.1%) 「安全に避難することは困難」:1施設(1.2%) 「安全に避難することは不可能」:1施設(1.2%)   ▼質問:津波を想定した避難訓練を行っていますか 「毎年、複数回行っている」:59施設(72.0%) 「毎年、1回程度行っている」:22施設(26.8%) 「過去に行ったことがある」:0施設 「行ったことはない」:1施設(1.2%)   ▼質問:津波についての避難計画や避難マニュアルを作成していますか 「作成している」:79施設(96.3%) 「作成途中・具体的に作成する予定がある」:2施設(2.4%) 「作成していない」:1施設(1.2%)

執筆者 津波避難プロジェクト 取材班
2023年04月04日 (火)

"激ムズ"!!高崎山自然動物園のサル博士検定

アナウンサーの飯尾夏帆です。大分に来て4年。ずっと取材したかった場所がありました。それは、野生のサルを餌付けしている全国でも珍しい動物園、「高崎山自然動物園」。小学生の時、家族旅行で訪れて以来、大好きな場所です。    ※小学3年生の飯尾。当時はサルがちょっぴり怖くてソーシャルディスタンス… (1)幻の激ムズ検定、復活!その「高崎山自然動物園」は、今月(2023年3月)で開園70周年。それを前に、今年1月、幻の検定が復活しました。その名も、「高崎山サル博士(はかせ)検定」。試験は「筆記試験」と「実地試験」があります。「筆記試験」は、1問2点、計40問で80点。「実地試験」は、1問10点で、計2問。合計100点満点です。 90点以上取ることが出来れば「高崎山サル博士(はかせ)」に認定されるんです。かつて2006年から3回実施されたものの、これまで「博士」になった人はいません。なぜかというと・・・それは難しすぎるから!  (2)博士を出したい!初の“受験対策講座”が開かれたそこで、今回初めて、受験対策の事前講義が開かれました。まずは、筆記試験対策。2時間ほどかけて、高崎山の歴史やニホンザルの特徴を学びました。続いては、実地試験対策。実地試験は、制限時間20分で、指定されたサルを2頭探すというもの。なんと、1000頭近くいるサルを見分けなければならないのです。無謀…だと思いますよね?そこで開かれたのが、「サルの見分け方講座」です。  教えてくれたのは、試験官の下村忠俊(しもむら・ただとし)さん。下村さんは、一目見ただけでサルを見分けられる“敏腕ガイド”です。(下村さん)「あのサルは『オオムギ』って言います。5番目にえらいサル。このサルには入れ墨が入っています。鼻の上と、下にもありますね。」 黄色い丸の中、黒や青色をしているところが、個体を識別するために入れられた「入れ墨」。入っている場所や色が1頭1頭違うんです。こうした見分けるポイントを教わりましたが、そうはいっても、1000頭近くいる中から2頭を探し当てるのは至難の業。どうしてこれほど難しい問題を出すのか?そこには、サルをじっくり見てほしいという下村さんの思いがありました。(下村さん)「高崎山はニホンザルしかいない。でも本当は顔が違うし個性がある。1頭1頭の個性を見てもらいたいので、識別を1番のポイントに持ってきている。」 (3)全国からサルマニアが集結!高崎山サル博士の称号を狙うべく、全国各地から35人の“猛者”が集結しました。さあ、ここからは、個性豊かな受験者たちをご紹介します。 まずは、福岡県から参加した、西竹さんご一家。父の伸一さんが大分に赴任していた5年間に家族で何度も高崎山に通ったそう。高崎山は家族にとって大切な場所になっています。 (父・西竹伸一さん)「娘と2人で来たり、家族で来たり。高崎山に行く時は前の日から楽しみです。」(母・西竹幸呼さん)「1番のコミュニケーションをとる時間」 (娘・西竹栞さん)「3人で話すことはあんまり無いので、そういう面でいったらいいのかな。」 受験勉強は、家族ワンチーム。事前講義で教わったことを、互いにクイズで出し合いました。  ②  仲良しだけどライバル?!隅田さんご夫妻家族での参加はほかにも。 熊本から参加した、隅田翔太さんと亜紀さんご夫妻です。高崎山が好きすぎて、大分で転職できないか本気で考えているほどの高崎山ファン。共通の趣味が「高崎山」。子どもの手が離れた今は、もっぱら2人で高崎山デートしているそう。熊本から高崎山へのドライブは、ナビなしでも運転できるようになったといいます。ただ、夫の翔太さん。事前講義の際のインタビューでは、こんなことを話していました。(夫・翔太さん)「ライバルです。一緒には勉強しない。」(妻・亜紀さん)「私がたくさん質問するのが嫌なのかも?別々に勉強します。」 といいつつ…受験勉強の途中経過を取材すると、2人で勉強する写真が送られてきました。受験期間中に迎えた亜紀さんの誕生日にも、2人で高崎山デートしたそうですよ。ライバルだけど、やっぱり仲良し。夫婦愛でサル検定に臨みます。  ③  カメラ片手に全国行脚“撮りサル”の喜熨斗さん他にもアツい思いを持った人がいます。 事前講義の2日前。カメラを片手にサルを見つめる男性。神奈川県在住の喜熨斗健弘(きのし・たけひろ)さんです。事前講義の日は仕事があり、自習するために別の日にやってきました。喜熨斗さんは、休みの度に全国各地にサルを見に行き写真を撮る、ニホンザル愛好家。コロナ禍でステイホームが続き、人との関わりが薄れる中でたどりついたのがサルの動画だったといいます。 (喜熨斗さん)「自分の中で、猿と言う字を書いて猿分(えんぶん)補給。次の日からの仕事の活力になる。とにかく癒しをもらっています。」  ④  推しサル“マルオ”のために移住 袖澤さん最後は、こちらの女性。おやおや?バッグにサルの写真…? バッグとスマホケースに印刷されているのは、高崎山でも人気のサル『マルオ』。(マルオは穏やかな性格で、観光客とツーショットが撮れると話題のサルなんですよ! 皆さんもツーショットの撮影に挑戦してみてくださいね!)これ、自作なんだそうです。袖澤こずえさんは、コロナ禍であまり高崎山に来られなくなったことを機に、なんと横浜に家族を置いて、大分に移住したという根っからのマルオの大ファンです。  ⑤  高崎山愛を試したい!飯尾も挑戦実は私も・・・・本気でサル博士検定に挑戦しました! 仕事終わりに、大学受験以来の猛勉強。事前講義で習った内容をノートにまとめ、赤い下敷きで、赤字で書いたキーワードを隠しながら受験対策しました。 (4)いよいよ検定本番!そして迎えた1月14日。大学入学共通テストが行われた日、高崎山でも検定試験が行われました。 まずは、筆記試験。高崎山の歴史や、ニホンザルの特徴などの4択問題、40問が出されました。例えば、こんな問題です!皆さん、考えてみてください! 【問】メスザル『サヤカ』が、息子『ゲンキ』を生んだ年齢と日付は? 【選択肢】①10歳の時、6月9日に産みました ②11歳の時、6月10日③12歳の時、6月11日 ④13歳の時、6月12日 さあ、どれでしょう?  …どうです?なかなかの難問ですよね。ちなみに正解は④。私はこの問題間違えました…。 90分間、こうした筆記問題を解き終えた後は、サルを見分ける「実地試験」です。この日姿を現したB群・約700頭の中から、指定された2頭を探します。制限時間は、なんと20分しかありません!さらに、一度でも間違うと点は与えられないというシビアな試験です。  私が探すのはこの2頭。オスの「ハジメ」と、メスの「フウケイ」というサルです。 検定に向けて、週1回は高崎山に通い、ひたすらサルの名前を覚えた私。B群のNo.1からNo.12までは見分けられるようになっていました。「ハジメ」も覚えたうちの1頭。高崎山1のおじいちゃんで、足取りがゆっくりなんです。そして、実地試験開始からわずか1分!ハジメと思わしきサルを発見。 これだと思ったサルをスマホなどで撮影しなければならないのですが… (飯尾)「全然止まってくれない。きゃー!ごめんなさい!怒られちゃった!」写真を撮るために、サルと目を合わせてしまい、飛びかかられてしまいました。高崎山のサルは普段はおとなしく、子どもでも安心して楽しめるのですが、目を合わせるのは要注意です!検定に夢中になりすぎて、サルに申し訳ないことをしてしまいました…。 そうこうしているうちに20分経過。「ハジメ」と「フウケイ」だと思った写真を撮りました。 撮影した写真は、試験官の下村さんに判定してもらいます。(飯尾)「まずハジメなんですけれど、どうでしょうか?」(下村さん)「正解です。」(飯尾)「本当ですか?やった~!でも次が自信ないんですけど、フウケイはどうでしょう…?」(下村さん)「残念です。飯尾さんが撮影したのはハキというサルですね」 私は、実地試験、2問中1問正解しました。10点獲得です。  (5)結果発表?初の博士は出たのか?!検定の結果は、後日、郵送で送られてきました。90点以上が「高崎山サル博士」80点以上が「高崎山サル修士」70点以上が「高崎山サル学士」60点以上が「高崎山サル研究生」です。 さきほど紹介したみなさんの結果は、こうなりました。 高崎山が家族の団らんの場になっている、西竹さんご一家。父・伸一さんは70点で「学士」、母・幸呼さんは60点で「研究生」でした。検定を通して、高崎山への愛が深まったといいます。(母・幸呼さん)「こんなにサルの勉強したのも、こんなにサルの顔を真剣に見たのも初めてでした。 これまでは夫に連れてこられていたけど、次からは私からみんなを誘いたくなるかも。」(父・伸一さん)「来るときはもちろん家族で。今回検定に来られなかった息子と合わせて4人で行きたい。」 高崎山デートを重ねる隅田さんご夫妻。夫・翔太さんは68点で「研究生」、妻・亜紀さんは72点で「学士」でした。 全国のサルを撮影している喜熨斗さんは、74点で「学士」。検定後に電話でお話を伺うと、「今度珍しいサルを見るために海外旅行に行く」との報告が。この検定を通して、サル愛がさらに深まったといいます。 高崎山でも人気のサル『マルオ』が好きすぎて大分に移住した袖澤さん。なんとサルの見分けは2問とも正解。合計82点で「修士」に認定されました!  (袖澤さん)「今まではマルオしか追いかけていなかったのが、色んな子が分かるようになって面白かったですし、高崎山の歴史もそうですし、勉強すれば面白いかもと。また楽しいことを見つけたなと思いました。」 そして、前人未到の博士は…今回…なんと…出ました!!!!!別府市在住の50代男性で、数年前にふらっと高崎山に立ち寄ったことをきっかけにその魅力にはまり、それ以来、週2~3回通い続けている常連さんです。初の”博士”は「一生かけて高崎山の全部のサルの名前を覚えたい」と話していました。  博士が出たことについて、試験問題を作成したガイドの下村さんに話を聞きました。(下村さん)「初めて博士が誕生したことに祝福したい気持ちと、手に届きそうで届かない称号であってほしかったという気持ちの両方があります。それでも30人以上の受験があった中での1人ですので、本当に努力されたのだと思います。祝福の気持ちでいっぱいです。」  3月26日(日)に行われる70周年記念式典で「高崎山サル博士」の表彰が行われる予定です。小学生の頃に訪れた大好きな「高崎山自然動物園」。検定期間中何度も訪れる中で、1頭1頭の表情やしぐさの違いが分かるようになりました。「いつもストーブの前にいるなあ」とか、「きょうも毛並みがきれいだなあ」とか…1頭1頭に愛着が湧いてきて、高崎山のディープな魅力にはまってしまいました。大分を離れても、ずっと見守っていたいです。

執筆者 飯尾 夏帆アナウンサー
2023年03月24日 (金)

自分らしく生きる トランスジェンダー・倉堀翔さんの思い

                                                                                  「嘘をつかずに生きていれば、こんなにも素晴らしい人生を歩むことができますということを、私の人生が証明している」去年(2022年)1年間の中で、私が最も心を打たれた言葉です。お話を伺ったのは、倉堀翔(くらほり・しょう)さん(35[)。大分市出身のクラリネット奏者です。別府アルゲリッチ音楽祭若手演奏家コンサートなど、県内各地でコンサートの依頼が相次ぐ、いま注目の若手演奏家です。倉堀さんは、「出生時に割り当てられた性別」と、「性自認(自分の性別をどう認識しているか)」が異なる“トランスジェンダー”。出生時に割り当てられた性別は、男性。11年前から 女性として生きています。ただ、そう決めるまでにはさまざまな困難がありました。自分らしく生きる倉堀さんに、その思いを聞きました。 (1) 自分の“性”に違和感を覚えた少年時代   倉堀さんが自分の性に違和感を覚えはじめたのは、保育園のとき。男の子用の青色の上着を着せられるたびに、泣いていたといいます。 成長するに従い男女の区別をしっかりつけられるようになると、違和感は、自分が女性だという意識にはっきりと形を変えました。 (倉堀さん)制服(学ラン)に関してはどうしても許せないというか、私は男じゃないっていう芽生えがそこで出てきました。(飯尾)同級生からからかわれり、嫌なことを言われたりした経験はありましたか?(倉堀さん)あります。いっぱい。オカマは日常茶飯事。ショックだったのは、友達の親御さんから、「お前はそんなやつと仲いいのか、家に来ることも許されない」とか、「遊びに来るな」みたいな。生きているだけで批判されるんですよ。普通に生きているだけだと思っていることが、周りと違うことで、批判されて面白がられて…。 (2) クラリネットと恩師との運命の出会い 「音楽は平等」そうした辛さを忘れようと打ち込んだのが、クラリネットでした。そのクラリネットは、人生を変える出会いを連れてきてくれました。 山本勝彦(やまもと・かつひこ)さん。倉堀さんが通っていた大分雄城台高校で吹奏楽を教えていました。バイオリン奏者としても活動していた山本先生の指導は、音楽に対して一切妥協のないものでした。 (倉堀さん)「音楽をする芸術家は絶対に差別はしてはならないし、音はみんな平等です」と。楽器の奏者として成長するのではなくて人として成長してくださいっていうのを、直接言われたわけじゃないけどそこを私は感じ取れたんですよね。  指導を受け始めてから半年が経ったある日。倉堀さんは山本先生に「文化祭で演奏に合わせてダンスを披露してほしい」と声をかけられました。 文化祭の様子 (水色の服を着ているのが倉堀さん、白いタキシードが山本先生)  倉堀さんは、200人ほどの生徒が見守る中、その大役をやり遂げました。その時に山本先生にかけられた言葉が忘れられないと言います。 (倉堀さん)「君はキャラクターが素晴らしい。個性に満ち溢れているから人を幸せにできる」と言われて。普通の人だったら「恥ずかしい」「嫌です」となったと思うんですけど、私はすごく嬉しくて、私を1人の人としてちゃんと個性を認めてくれて、見てくれているんだということが分かる場面だったんですよね。 個性を認めてくれた山本先生。しかし、その別れは突然でした。倉堀さんが2年生の冬、病気でこの世を去ったのです。 (倉堀さん)私も、誰からも尊敬されて慕われて一緒に音楽ができる先生になれたらなっていう夢も与えてくれた。過ごした年数は1年ちょっとしかないんですけど、一生大切になるようなことを教わったなと思います。  (3) 憧れの教師の道へ その時、偽りの自分に気づく                  山本先生の背中を追って、音楽教師の道に進んだ倉堀さん。現在は演奏家としての活動の傍ら、大分高校で音楽の授業を担当。県内各地でクラリネットのレッスンも行っています。 取材にうかがった日、休み時間中にもかかわらず、生徒たちが倉堀さんのもとに集まってきました。生徒たちに、倉堀さんはどんな先生なのか聞きました。  女子生徒「めっちゃ面白い、めっちゃ優しい、何しても怒られない(笑)」 男子生徒「いつも明るくて、みんなに音楽の授業を楽しんでもらおうという感じがすごくするいい先生だなと思います」   新人教師時代の倉堀さん 今でこそ、ありのままの自分を出して教壇に立っている倉堀さんですが、教師として生徒に教え始めた頃は違いました。男性の服を着ながらも「自分は女性なんだ」という思いが、言葉や仕草などに現れていたのです。その姿を見た生徒から心ない言葉を浴びせられ、夢だった教師を1年余りで辞める決断に至りました。 (倉堀さん)「話し方が気持ち悪い」とか、「もうちょっと男っぽく喋ろっちゃ」と。「男なん?女なん?」という生徒の純粋な質問に対して、自信を持って女ですと答えることができない自分がいたんですよね。 しかし、生徒の言葉の中から気付かされたこともあったと言います。 (倉堀さん)そうか、と思ったんですよね。私、いま嘘ついて生きているんだって。嘘をついている人に、信頼して私の授業受けてねと言っても説得力がないじゃないですか。そのとき、自分らしく生きる決心をした。女性として生きようって。 (4) ありのままの自分で生きる 持っていた男性用の服を全て捨て、女性用の服を人生で初めて購入。メイク道具も揃え、女性としての人生をスタートさせました。今は「メイク道具集め」が趣味だという倉堀さんに、自分にとってメイクとはどんなものなのか聞きました。 (倉堀さん)(メイクを)しない日はないと思います。それが私。結局は自己満足でしょうけど、自己満足が生きる勇気をくれたり気力になったりするんだったら、自己満足でもよくない?と思う。  山本先生から与えられた夢を諦めたくないと6年前、再び教職に復帰。 おととし(2021)、クラリネットの全国コンクールで、教え子を2位に導きました。そうした活躍を恩師の山本先生に見てほしかったと感じています。倉堀さんに、「もし今先生に会えたら、どんな言葉を伝えたいですか?」とお聞きすると、涙を流しながら、こう答えてくれました。 (倉堀さん)どんなに願っても、今の自分の成長した姿を見せられないのが本当に寂しい。見てほしかったなとすごく思うんですよね。やっぱりクラリネットを聞いてほしいし。「あなたが育ててくれた私みたいな生徒以上の生徒を育てます」というのが、今の私の夢になっている。出会えていなかったら、多分、今の私はいないんだろうなと思います。 (飯尾)本当に素晴らしい出会いですね。 (倉堀さん)本当にそうですね。クラリネットにも感謝しかないし、(山本)勝彦先生にも感謝しかないです。 取材にあたって、山本先生の妻・律子さんにもお話をうかがいました。倉堀さんについて、こう話してくれました。(山本律子さん)倉堀君、いまは「翔ちゃん」と呼んでいますが、夫が大変可愛がっていた生徒の1人でした。心優しい子で、私とは今も交流があります。夫も今の活躍を誇らしく思っていると思いますよ。 (5) 誰もが自分らしく生きられる社会へ 自分らしく生きる道を歩みはじめて。倉堀さんは今、新たな活動を始めています。それは、教育現場などで自分の経験を話す活動です。 (倉堀さん)私はトランスジェンダーです。生まれたときは男の子でした。しかし、自分の性でとても悩み、苦しみました。今、私は自信を持って言います。私は、女性です。 これは、去年(2022)の12月上旬、国東中学校の生徒と保護者に向けて行った講演会での言葉です。大勢の人の前で「私は女性です」と言い切る倉堀さんに勇気づけられる人が多いと感じました。私もその1人です。  制服の見直しなど学校現場でも多様性が重視される中、自身の経験を伝えてほしいと、倉堀さんのもとには大分県内各地の学校から講演の依頼が相次いでいます。  この日、講演を聞いた中学生は、倉堀さんの言葉をどのように受け止めたのでしょうか。  (中3 男子生徒)どんな人でも過ごしやすい社会にしていけるように、日々そういうことを考えて過ごしていきたいと思いました。 (中3 女子生徒)1人1人やっぱり人間は違って、1人1人それぞれの人間だから、私たちが勝手に決めた普通というものを取り除いて、みんなで違いを認め合っていけたらと私は思いました。 倉堀さんの言葉は、子ども達にしっかりと届いていました。 インタビューの最後に、倉堀さんにこれからの夢を聞きました。 (飯尾)約10年前に女性として生きることを決めました。次の10年はどういう10年にしたいですか?」(倉堀さん)私みたいに希望を持って夢を追いかけられるような、差別がなくなる世の中にしていきたい。こうありたいとか、こういう自分でありたいとかいう自由は誰にも邪魔をされてはいけないと思うんですよね。自分はこうありたいというものを自由に選択して、自分らしく生きていってほしいということを伝えていけたらなと思います。 去年(2022年)12月だけでも5回、講演に立った倉堀さん。今後も依頼があればこうした活動を続けたいと言います。次の10年に向けて、倉堀さんの挑戦は続きます。

執筆者 飯尾 夏帆アナウンサー
2023年03月24日 (金)

センバツへ!一回り大きくなった大分商業

3年ぶり7回目のセンバツ出場となる大分商業。春夏通じて22回目の甲子園は、県内最多です。センバツに向けて、持ち味の守備力に加えて打撃力向上に努めるチームを取材しました。  堅い守備でつかみ取ったセンバツ出場 大分商業の伝統は堅い守備。WBC日本代表の源田壮亮選手もこのグラウンドで鍛えられました。その伝統はことしのチームも継承しています。秋の公式戦の失点は、1試合平均1.5点。しまった試合運びでセンバツ出場をつかみました。 守りの中心は2人の投手 先発をつとめるエースの児玉迅(こだま・じん)投手は、ストレート130キロ台中盤ですが、バッターの手元で伸び、切れ味で勝負します。この冬は、主に下半身を鍛え、終盤でも球威が落ちない体づくりに取り組みました。 児玉投手「まっすぐには自信があります。球速以上のものを出してバッターをつまらせて打ち取るのが強みだと思います。練習してきた分、 自信はありますし、甲子園という舞台に向けてしっかり仕上げていきたいと思います」 ピンチの時にチームを救うのが、飯田凜琥(いいだ・りく)投手。秋は出場6試合全てリリーフで登板。防御率は0.96でした。決め球は、バットの芯を外す鋭いスライダー。 さらにこの冬、スライダーとは反対方向に曲がる変化球など、新しい球種を習得し、バッターに狙い球を絞らせません。 飯田投手「甲子園でもピンチでマウンドに上がることがあると思います。抑えてしまえば流れを全部こっちに持ってくることが出来るので、負けん気で強気のピッチングをしていきたいです」  勝利のカギは打撃力向上 一方の攻撃。ランナーが出るとバントや進塁打でチャンスを広げて点を奪うのが大分商業の野球です。秋の公式戦はホームラン0と長打力こそありませんが、8試合で76本のヒットを打っています。 去年8月に就任した那賀誠監督は、打撃力のさらなる向上が甲子園で勝ち上がるポイントと考えています。 那賀監督「非力だったんです。九州大会の他の出場チームは力強くて、 打線全体としては格段に体格も太さという面で劣っていたんです。 九州大会を終えて、選手たちももっとしっかり体を作ろうという意識は高くなったと思います」  ウエイトトレーニング強化! そこで、この冬はウエイトトレーニングに力を入れてきました。器具も新調し、週2日程度、90分。打撃や守備の練習を削って筋力アップに時間を割きました。さらに、月1回は県外の専門トレーナーから指導を受け、トレーニングの質を高めました。 こうした成果を特に感じているのが、4番の羽田野颯未(はだの・かざみ)選手です。 羽田野選手「秋の時は160㎏ぐらいのバーベルを担いでスクワットをするのが限界だったんですけど、   今では200㎏担いだ状態でスクワット出来るようになりました。   以前はズボンがOサイズだったんですけど、太ももが大きくなって、XOサイズにあがりました」  トレーニングの結果、打球のスピードと飛距離が大きく伸びました。他の選手も体重が平均5~6キロ増え、強い打球が打てるように。攻撃のバリエーションを増やした大分商業。持ち前のつなぐ野球を進化させ、甲子園に臨みます。  いざセンバツへ 大道主将「要所で一発も出せる力もついてきました。   小技と一発のバッティングを絡めながら1点ずつ重ねていきたいと思います。   守備から流れを作って攻撃につなげていく自分たちの野球ができたらしっかり勝てると思います」

執筆者 西岡遼アナウンサー
2023年03月17日 (金)

新米師匠 雷親方の挑戦

  宇佐市出身、大相撲の元小結・垣添の雷(いかずち)親方が、ことし2月、定年を目前にした入間川親方から部屋を継承し、「雷部屋」の師匠となりました。初めて臨む春場所を前に相撲部屋の経営に奮闘する姿を取材しました。  県産材を使った新しい看板宇佐市出身の雷親方。引退から11年、44歳で幕下以下7人の弟子を預かる師匠になりました。 新たに掲げた部屋の看板には、大分県産のクスノキが使われています。県内で木材業を営む弟の雅俊さんから贈られました。 「僕の宝物ですね。本当に弟が僕にいいものをプレゼントしてくれました。この看板を光らせなきゃなと思っています。師匠としては1年生。自分の経験を教えられたらいいなと思っています」  大切にしている“けがをしない体作り” (現役当時の垣添)現役時代、スピードを生かした相撲で、小結まで番付を上げた雷親方は、同じ武蔵川部屋の横綱・武蔵丸などとの激しい稽古で力をつけました。その一方で、両ひざのけがに苦しめられた土俵人生でもありました。そんな雷親方が大切にしているのは、けがをしない体作りです。弟子たちには、稽古開始から1時間は相撲を取らせず、しこやすり足などで体を鍛えさせます。年齢も性格も違う7人の弟子たち。雷親方は、一人一人に声をかけ、その力士に合ったアドバイスを送るようにしています。 「自分も現役時代、両ひざを手術しました。けがをすると、気持ちは前向きでがんばりたいと思っても、体がついてこないんですよね。気合が抜けるとけがもしやすくなりますし、集中した稽古で、本場所でけがをしない体を作っていくことが大事です」 “世界一”のおかみさん 師匠ともなると、後援者との連絡や弟子のスカウトなど、相撲部屋の経営のすべてに責任を持つため毎日が大忙しです。そんな雷親方には、強力な味方がいます。妻の栄美(えみ)さんです。 実は栄美さん、相撲の経験者で、世界大会での優勝経験もあるトップクラスの選手でした。今は、たくさんの人に雷部屋について知ってもらうために、情報発信を担当しています。新たにSNSのアカウントを立ち上げ、稽古の様子やオフショットを公開しています。 雷部屋では、部屋のみんなでちゃんこを囲みます。栄美さんは力士たちとの距離を縮めようと、積極的に話しかけています。 「若い子からしたら、私はお母さんたちと年齢が変わらないと思うんですよね。少しでも支えにならなければと思っています。たぶん親方に言えないこともあると思うので、そういうことをこれからは聞いていけるようにしたいです」  稽古は厳しく 土俵を離れれば家族のように 土俵を離れれば家族のように接したいという雷親方ですが、「稽古は厳しく」というのがモットーです。 自らスカウトしてきた序二段の雷道(いかずちどう)です。 東京の強豪校で柔道をしてきましたが、相撲の経験はありませんでした。柔道の癖で投げを狙うことがある雷道。雷親方は、相撲の基本である「前に出る攻め」を徹底させます。こうした稽古の成果が出て、雷道は先場所、初めて6勝1敗の好成績を収めました。 「前は相撲にならなかったんですけど、先場所はまわしを取って前に出るという相撲が増えてきたので、基礎をやったから、相撲ができていると思います。親方は優しくて、ちゃんと自分たちを見てくれているいい親方だと思います。部屋で一番強くなりたいと思います」 師匠として第一歩を踏み出した雷親方には、夢があります。   「一生懸命稽古して勝った時の喜び、負けたときの悔しさ、自分が現役時代のことを思い浮かべながら指導していきたいです。稽古も私生活も大変つらいと思うんですけど、頑張れば、いいことが倍になって戻ってくると考えてやってもらいたいです。今、大分の力士が部屋にはいないんですけど、ぜひ僕ががんばって勧誘して、ひとつでも番付を上げられるような力士を、また、お客さんから応援していただけるような力士を育てたいです」  

執筆者 戸部眞輔アナウンサー
2023年03月10日 (金)

国東の絶品ネギをPRせよ!

        どうですか! 切り口から滴るこの水分!  化学肥料や農薬を使わずに作られているコネギ香り、味ともに絶品! ネギしゃぶなどにすると最高です!   どんなところでどんな方が作っているのか国東市の畑を訪ねました         このネギを作っているのは、森夏樹さんサラリーマンだった森さんは、6年前、子供が生まれたことを機に農業に取り組みはじめます 前職のサラリーマン時代は子どもと過ごす時間がまったくなくて子どもと一緒に仕事がしたくて農業がいいなとずっと思っていました本当に楽しくて子供と一緒に遊びながら仕事ができる。理想の状態ですね         鹿児島から移住し、国東にネギを栽培するハウスを構えます農薬も除草剤も使わないネギづくり畑ではニワトリが虫を食べ、雑草はヤギが食べてくれています自然の力をそのまま利用して育てるネギは、地域の人たちにも好評です          森さんのところのネギは、味ももちろんなんですけど、日持ちが全然違うんですね!あれば、やっぱり森さんのところのネギを買いたいなって思います   多くの人に食べてもらいたいと思う反面、家族経営の森さんは、おいしさを広めるまで手が回りませんでした 正直、農家っていいもの作ろうというのが本来の形だと思うし、作るので手いっぱいで時間もない誰かがインターネットとかそっちの苦手な部分をやってくれるのであれば、たぶんうまくいくかなと   そんな森さんに手を差し伸べた人がいます。それが…   若い力が、農家を“売り込む!”         立命館アジア太平洋大学4年の吉川龍さん交換した名刺には…         三雲:一次生産業専門デザイナーというのは? 吉川:農家さんとか漁師さんとか一次生産業をやっている方々のホームページや商品のポップを作って、宣伝をするお仕事をしています   吉川さんは1年生の時、新型コロナで販路が減少した生産者を助ける事業に参加そこで森さんと出会います そのとき感じたのが森さんと自分の「役割分担」の必要性 結局作っただけでは売れないっていう内情があるので、何でネギがおいしいかとか他と何が違うかって差別化してお伝えして、やっと手にとっていただけるっていう流れなんで、そこをとにかく伝えるっていうのが僕の役割になっていますね   吉川さんは独学でwebデザインを学び農家の取り組みを伝えるホームページの作成に取り組みます   そこで伝えるのは、農家の作物にこめた思いや栽培方法へのこだわりいまではイチゴ農家や養鶏場のホームページやパッケージのデザインを担当顔と顔をつきわせるからこそわかる“農家の本音”をくみ取って細かい要望にこたえることで売り上げ向上につなげています   かいま見た厳しい現実から リアルで新しいデザインを生み出す さらに吉川さんは、仮想空間だけでなく、リアルな世界のデザインにも挑戦していますきっかけは畑で見た現実でした 実際にこういうネギが、捨てられている光景を見たときに「え、捨てちゃった」みたいなものがきっかけだったんですけど         私たちが店頭で見ているコネギは、右のもの 全体のごく一部にすぎません 左側の、太いものや、葉分かれが多いものは基準にあわず、私たちの手に届くことはないんです   そこに吉川さんは新たなデザインの種を見つけました この捨てる部分、食べられるんで商品にもともとなってない側をどうするかを考えようっていうので加工商品を作れないかなっていうので   それが、森さんの畑で採れたネギをふんだんに使ったネギ餃子!試作を重ねる現場に潜入!         例えば、色とか。皮の中透けて見えるくらいの緑色とか絶対この形でいきたい、、、!!妥協したくない グッと揉むとたぶんいけるかなって気もするんですけどね 杵築市の餃子店の協力を得ながらの作業さて、お味のほうは?          吉川:ネギ感はこっちの方が断然ありますわ 森:あ、違う?? 全く違います ええ! そんな違わないかなと思ったけど、そんな違うんだ?          吉川さんと森さんの思いがひとつの形になりました         自分が理想とする野菜作りに“飽くなき取り組み”を重ねる農家 それを新たな視点で“目に見える形”にしていく若きデザイナー   森さんと吉川さんの間には年代を超えた信頼関係が生まれてきています 森:正直年齢が息子みたいな年齢じゃないですか。大学生がひょっと現れて、あーだこーだ言ってくるんですね。最初は何だこいつ!でも言っていることがまともすぎて気づかさせることが多かったので、本当楽しく一緒に仕事出来ている。農業の世界でもいままでやったことないことやってみたい 吉川:僕の意見を聞いてくれる方々あっての僕の活動なので、そういう大人の方々に協力していただきながら、話聞いていくなかで、ご自身も気づいてない魅力たくさんあると思うので掘り出しながら、そういう役割を担っていきたいなと思っています   このネギ餃子、これまで廃棄されてきたコネギの活用先として商品化を目指していくことにしています   さらに森さんはいま、農薬を使わないコメ作りに向けて新たな仲間たちと取り組みをはじめています   吉川さんのような、若い、新たな視点が大分の一次産業を、これからも盛り上げていってほしいと思います

執筆者 三雲 紫恩(いろどりOITAキャスター)
2023年01月23日 (月)

ハチミツでふるさと豊後大野を元気に!

みなさんの「ふるさと」ってどんなところですか?  誰しもがふるさとへの思いを抱いているはず もし、そのふるさとがなくなる瀬戸際だとしたら… 今回は過疎化が進み忘れられようとしているふるさとを自らの手でよみがえらせたいと模索している男性のお話です   その模索の“相棒”が、こちら ニホンミツバチです   さまざまな花から蜜を集める習性がありその蜜は「百花蜜」として知られていますよね 実はいま豊後大野の山中で採れるハチミツがひそかな話題になっているんです そのハチミツを集めているのは羽田野弘文さん 羽田野さんは、定年退職後地元・豊後大野に戻って養蜂を始め今年で10年目になります  今年獲れたハチミツを一口いただきました  わぁ!あま~い!濃厚です。   私がうかがった11月はミツバチの越冬準備の時期寒さに弱いため冬に備えて寒さ対策をするそうです 羽田野さんはそんなミツバチに注目しました   小さなミツバチたちの頭脳の高さって すごいなって思いましたね。 みつばちに惚れこんだっていうのがひとつと 巣を作り生活を営んでいるというのに非常に興味ありますし かわいらしいですよね。おとなしいですし     荒廃するふるさとをなんとかしたい   羽田野さんは地元の高校を卒業後東京で観光の仕事を40年以上続けてきました   Uターンを決意したのはふるさとの過疎化でした   私の住んでいたところは山あり谷ありの僻地でございまして 忘れ去られているような地域です 少子高齢化で過疎化していっている 私が通っていた小学校、中学校、高校は すべて廃校になっています 帰るたびにそういう話を身内から聞かされまして なんとか歯止めをかけるじゃないですけど   山あいの地域でできる産業を探していたところたどり着いたのが養蜂でした   奮闘する羽田野さんを妻の弘子さんも応援しています 本当に一生懸命 家庭の方は守っているので 自分の好きなことをやればいいかなと思っています   羽田野さんは養蜂に関する本を何冊も読み養蜂家のところに見学にいくなどして少しずつ知識を増やしていきました   蜂は、羽があるので、山でも谷でも飛んでいける ミツバチを飼うってことは蜜源植物を植えたくなる 蜜源植物、蜜を作り出す花ですね 蜜もできるし、蜂蜜が蜜をとることで、 受粉、実になり種になると循環ができる それが産業になるのではないかと思いまして   いま羽田野さんが力を入れているのが蜜の源となる植物を植える植栽活動です これはプラムの木  荒れた土地を整地し4年前に植えました春には花が咲き、蜜の源となっています   荒地、休耕田を整地して植物を植えることで 植えた木に花がつき、実になり ハチの力を借りて受粉をすることによって草木が成長して 環境も整ってくっていうこのサイクルですね、連鎖   羽田野さんはこれまでにプラムやカボス、ナシなど10種類およそ2000本の木を植えてきました    一人ではじめた羽田野さんの取り組みはハチだけでなくいま人も呼び込み始めています   「ひろちゃ~ん。手伝いに来たよ~」 「ありがとう!今日もよろしくお願いします!」 草刈りや植樹、剪定作業を一緒にすることでなくなりかけていた地域の絆も深まっています。 先駆者でハチミツとかいろいろ花植えとか 地域をちょっとでも活性化しようということで ここら辺が良くなればということで大変ありがたいです   そんな羽田野さんは新たな取り組みをはじめました ハチミツを使った新たな特産品づくりです   考えたのは干し柿をハチミツに漬けたオリジナルスイーツ    私もいただきました(今回の取材、私、食べてばかりですね…) みためは普通の干し柿のようですが…    上品な甘さが口いっぱいに広がっておいしいです  甘い渋柿に輪をかけてハチミツの甘さがありますが  くどくなく、いくらでも食べられそうです   この柿は、地域固有種の渋柿しっかり干して甘みが出たところでハチミツに漬けるタイミングや期間など試行錯誤しながら羽田野さんは商品化にこぎつけました 地域の特産物を作りたかった ここから地域の活性が成り立っていくんじゃないかなって はちみつと加工品であるハチミツ干し柿 こちらの方を軌道に乗せて 地元に貢献できればなと思っております     羽田野さんの養蜂が軌道に乗ってハチミツが販売できるようになるまで6年 そして干し柿のハチミツ漬けはそこから更に4年かかってできあがったもの   それだけの長い時間がかかった分羽田野さんのふるさとへの思いがつまっていると感じます   干し柿のハチミツ漬けは、豊後大野市の道の駅「あさじ」で販売されていますまた、市のふるさと納税の返礼品にもなっています   ゆくゆくは販売経路を拡大したいと羽田野さんは話しています ふるさとを何とかしたいという羽田野さんの思いがふるさとの新たな名物を生み出しましたこれからの羽田野さんの取り組みに注目です!        

執筆者 三雲 紫恩(いろどりOITAキャスター)
2023年01月23日 (月)

ボタンボウフウでまちおこし!

おいしそうなソフトクリームまわりに振りかけられている緑色の粉なんだと思います?ちなみに抹茶ではありませんこの粉になるのはある植物大手化粧品メーカーが化粧水や栄養補助食品として注目しているんです大分県内では豊後高田市の香々地地区でこの植物を活用したまちおこしをしているということで取材に行ってきました 香々地で味わえるボタンボウフウ 取材には体力も必要まずは甘いものを食べて元気をつけて…と自分に言い訳をしてみましたがこの粉の正体はセリ科の植物 ボタンボウフウ葉っぱがボタンの葉に似ていることからこの名がつきました専門機関の調査では野菜の王様といわれるケールよりも鉄やビタミンなどを多く含んでいるとのこと地元では「一株食べれば一日長生き」沖縄では「長命草」とも言われているそう   おすすめの食べ方は「天ぷら」葉をそのまま揚げていますお味のほどは?西垣:かめばかむほどボタンボウフウの風味が広がります思ってたよりも苦みが少なくて食べやすいです!ほかにもボタンボウフウを刻んで入れた卵焼きなどどんな料理にもあうんですやはり先人はいいものを知っていたんですね 自生から栽培への挑戦 海沿いに生えていたボタンボウフウを採ってくるだけではいつかなくなってしまいますそんなボタンボウフウを栽培していこうと取り組んでいるのが渕秀幸さんです本職は90年近く続く和菓子屋さん10年ほど前からボタンボウフウを使ったまちおこしに取り組んでいますここがボタンボウフウの畑です海沿いに生えていたのを畑に持ってきて植えたのが最初です 1年中採れますが主な収穫時期は春と秋なんだそう 地域を活性化させる産業に育てたい! 渕さんが住む香々地地区は人口の減少などで旧豊後高田市と合併過疎と高齢化が進むふるさとを元気にしたいと海に近い香々地ならではの特産品としてボタンボウフウに注目しましたボタンボウフウで地域おこしをしているところが沖縄にあると聞いて人が少なくなった香々地地区の新たな産業になればなと 畑での作業には地元の農家や地域おこし協力隊の人たちがあたっています収穫量も安定商品化も幅広く行えるようになりましたお茶や青汁、まんじゅうなどなど次々と新商品が開発され道の駅や「昭和の町」で販売され人気を集めていますそれにあわせ渕さんたちは畑を今の2倍に拡大地域を支える産業としての足掛かりを作っていますまだ知名度もないんで皆さんに知ってもらって我々もおいしく食べられる方法や産業として成り立つ方法を今後も探っていって地域の雇用につながるようなものにしていければと   外からのものをありがたがるのではなくもともと地域にあったものに注目する 地域おこしの大切な視点だと思います豊後高田では去年第1回となるボタンボウフウフェアを開催渕さんたちの取り組みが実をむずびつつありますさらなる可能性を秘めたボタンボウフウ今後の展開に期待したいところです

執筆者 西垣 光(いろどりOITAキャスター)
2023年01月23日 (月)

いまを生きるために死を考える

みなさんは「死」についてどれだけ考えていますか?誰もが迎えることとはいえ遠い将来のこと、と考えているかもしれませんいま大分市内で「デスカフェ」というイベントが開かれ多くの人が関心をもって訪れていますどんな場所なのか取材してきました どんな”最期”を迎えたいか考える場 この日のカフェに参加していたのは10人ほど一人で参加する人や友人と参加する人などさまざまですこのカフェではゲームをしながら和やかな雰囲気のなかで死について考えよりよく生きる方策を探します 使うのはトランプのような「もしバナカード」このカードには「意識がはっきりしている」「大切な人とお別れする」などの言葉がかかれています自分の余命があと半年だと想定し最期をどのように過ごしたいのか自分の大切な価値観は何かをカードとともに考えますルールは「自由に、思いのままに話すこと」そして「それを否定しないこと」ほかの人のいろいろな意見を聞いてさらに考えを深めていきますこちらの男性が選んだのは… 「最終的に残ったのが、 ”私の価値観や優先順位を知る” ”意思決定支援者がいる” ”意識がはっきりしている” 自分が何を望むのか家族と確認することで口論を避けられる」 ”自分以外の人に自らの意思をちゃんと伝えていきたい”という思いがあふれていました 大分でデスカフェが始まったのは2022年1月口コミで人気が広がり月1回だった開催がいまでは月2回になっています主宰している木原寛さん神奈川で貿易の仕事をしていましたが高齢の両親と暮らすために大分に戻りこのカフェを開くようになりましたこれまでは死は縁起が悪い、むやみやたらに話すもんじゃないって避けられていた話題だと思うんですけど死を見つめることによってやり残したことはないか、いまをどう生きようっていうのを考えるきっかけになればと思っております 実際に行動に移した人も 家族のことを思って行動にうつした人もいますデスカフェに初めて参加したという小崎和子さん最近自分の死について考えることが多くなったといいますコロナ禍で終活アドバイザーの資格を取ってみたりして死とは何だろうって考えたときに聞いてみたいな、話してみたいなって思って参加しました ご自宅にうかがって拝見したのが…小崎さん)こちらになります西垣)わ~ ご家族で家族に声をかけ葬儀に使う遺影を撮影したそうなんです次男が小学校に入学するタイミングで記念撮影しようというときにいっしょに撮りました小崎さんの写真を選んだのは次男の響君その理由を聞いてみるとママ、髪型が違う かわいい!小崎さんは葬儀の準備で忙しい家族が写真選びに困らないよう先に準備することにしたそうです私が急に亡くなって夫が私の写真を選んだ時に「あら、もう少しいい写真あったんじゃないかな?」ともしそんな写真が選ばれたら残念な気持ちになりそうだったのでちゃんと自分の目でさきにお気に入りの写真を決めておきたかったというのがありますね   小崎さんにとって家族と死を考えることがどのように生きていくのかを考えるきっかけになっているようです取材しながら私だったら何を重視するか考えてみました私は「意識がはっきりしている」を選ぶかなと思いますいろいろな人にちゃんと挨拶をしてお別れしたいと思ったからですみなさんはどんなことが大切だと考えますか?デスカフェについてはまるっと終活大分支援協会のホームページをご覧ください

執筆者 西垣 光(いろどりOITAキャスター)
2023年01月23日 (月)