宮崎県民は知ってる?新田原=にゅうたばる 地名の由来を調査
- 2023年06月02日
宮崎県新富町にある新田原は、なぜ「にゅうたばる」と読むか知っていますか?
“NEW”田原では?と英語に由来しているという噂もあるこの地名。由来を取材しました。
(アナウンサー 堀井優太)
”NEW”田原?
視聴者からの疑問にお答えする「てげ探」。
今回の疑問は…
”NEW”だったら面白いですが…実際のところどうなのか!?
わたくし、アナウンサーの堀井優太が新富町を尋ねました。
新田原といえば
新富町の新田原といえば、航空自衛隊の新田原基地で知られています。この基地に地名解決のヒントがないかと辺りを歩いていると、疑問を解決してくれそうな表示を見つけました!
建物に取り付けられたエンブレム。英語の「NEW」ではなく「NYU」と新の部分が書かれています。
ということは、新田原の英語説は否定されるのか?地名の成り立ちに詳しい教育委員会の方に取材しました。
地名のヒントは江戸時代にあり
取材をしたのは、新富町教育委員会の樋渡将太郎さんです。
鎌倉時代の初期の文献に「新田」という地名が初めて記されています。
ただ、この時点で「新田」という地名があったことは確認できますが、読み方までは分かりません。
「新田」は「にゅうた」と発音されていたのでしょうか?
さらに話を進めると、江戸時代の文献には「入田」とも記されていることが分かりました。これも正確な読み方は分かりませんが、樋渡さんは「漢字から『にゅうた』と呼ばれていたと考えられる」と話します。
江戸時代は「あて字」も多かった?
ということは、鎌倉時代から江戸時代までの間に、「新田」という地名から「入田」に変わって・・・その後現在の「新田」に戻ったということなのでしょうか?
ところが、樋渡さんによるとそういう訳ではないようです。
実は、江戸時代には、読み方にあわせてあて字で表記することがよくありました。
この「入田」という漢字についても「あて字」の可能性があります。
つまり、正しくは「新田」ですが、「にゅうた」と読む「入田」があて字として使われ てしまったのではないかと、樋渡さんは推理しています。
江戸時代の文献は「にゅうた」と呼ばれていたことをうかがわせる有力な手掛かりといえそうです。
そして、この「にゅうた」という読み方に台地の上のほうを意味する「原」がついて、<新田原>になったと推測されます。
なぜ「にゅうた」と呼ばれていたのか?
そもそも「にゅうた」という地名がついた理由について、樋渡さんはこう推測しています。
古くから柱やモノに色をつける顔料が採れる地域のことを、丹生(にう・にゅう)と呼んでいました。
実際、丹生島など、「丹生」とつく地名は日本の各地に残っています。
現在の新田原付近も、顔料が採れる場所だったのではないかと言われているので、これにちなんで「新田(にゅうた)」と名付けられた可能性があります。
「丹生田」の読み仮名が残って、漢字だけ変わった可能性が高いことが分かりました
となると、”NEW”田原説は…?
すごくユニークではあると思うんですけれども…
歴史から考えますと、英語が語源の可能性は低いんじゃないかと思います。
残念ながら(?)どうやら”NEW”田原ではなさそう。
ですが樋渡さん、「遊びで”NEW”田原をPRか何かに使うのも面白いかもしれませんね」と話していました。
※「にった」がなまって「にゅうた」になったのではないかという説など、記事でご紹介した以外にも諸説あります。
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