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なんで宮崎空港に「からくり時計」がある?知られざる誕生秘話

  • 2023年05月01日

視聴者から寄せられた疑問・質問にお答えする「てげ探」。今回はこちらの質問の後編です!

宮崎空港のからくり時計は、どのように動いているのか?中がどうなっているのか知りたいです。(787真一さん)

前編では、視聴者からの疑問にお答えしました。
前編の記事はこちらからご覧いただけます。↓↓

【前編】宮崎の玄関口 宮崎空港の“からくり時計”を徹底調査!

さて、後編では、からくり時計の誕生秘話に迫ります。
からくり時計は空港ビルのリニューアルに合わせて 設置されたものですが、なぜほかのモノではなく、からくり時計になったのか。 いきさつをよく知る人物に直撃しました。

 からくり時計の誕生秘話

宮崎空港ビルの長濱保廣会長。34年前、総務部長として空港ビルのリニューアルに関わりました。

当時の社長がね、南国宮崎、そして神話のふるさとを空港で感じていただけるようなものをモチーフとして持っておられたので、それをどうやって形にするかがなかなか難しいところだった。

 こちらは当時の完成予想図です。この時はまだからくり時計を作ることは決まっていませんでした。

高さ20メートルの 大きな吹き抜けの空間に、何か空港のシンボルに なるようなものを作りたいとアイデアを練ったと言います。 壁一面に壁画を施すのはどうか。それともステンドグラスの大きな鳥のモビール?どれも決め手に欠けていました。しかし、そんな時、あるモノに出会いました。

参考にさせていただいたのは、こちらです!

東京・有楽町にあるマリオン時計です。大手精密機器メーカーが1984年に制作。商業施設の“顔”として時を刻み続け、人々の待ち合わせ場所として今も愛され続けています。

たまたま東京に行ったときにね、有楽町のマリオンでみんなが集まっているんですよ。その時間に合わせてね。その時間の時にわくわくしているという感じ。いいな~と、”これは”という感じがした。

好景気に沸いた1980年代半ばから90年代のはじめころ。日本列島にからくり時計ブームが到来しました。全国100か所以上の街頭やビルに、地域色豊かな からくり時計が登場。人々の目を楽しませました。

そんななか、宮崎空港では宮崎を代表する「神楽」をからくり時計のテーマにすることに。人間に近いなめらかな舞を表現するため、当時としては最先端の技術が使われました。幅は2メートル40センチ、高さは1メートル50センチ。 およそ7000万円をかけて制作されました。当時、西日本にあるからくり時計の中では最大級だったそうです。

からくり時計に込めた思い

宮崎空港は地方の空港ですが、やはりなんていうんですかね、新しいもの、機能だけじゃなくて、地域の文化、情報、経済を空港から発信しようと。宮崎から旅立っていく、旅行する人たち、学校に行く人たち、就職していく人たちの今後の安全と成功するようにと、そういう願いを込めた。そういう意味を知っていただくと、よけいに親しんでもらえるんじゃないかと思います。

さらなるこだわりも…!

待ち時間にわくわくしてほしいという、からくり時計のコンセプトが空港にピッタリですよね。宮崎には飛行機で県外から来る方も多いですから、空港の“顔”でもあり、宮崎の“顔”でもありますよね。そして、最後の映像に映っていた、からくり時計とステンドグラスのコラボレーションも私は大好きです!

そうなんです。 あのステンドグラスは4年前に作られたばかりですが、最初からセットで作られたかのような一体感がありますよね。そして、このからくり時計、子どもたちにも親しんでほしいと、さらにこだわりがあるんです。まず、演奏時間は2分40秒。これは当時、子どもが集中できる時間がカップ麺が出来上がる3分間が限界だと言われていたことから来ているんです技術者が東京から高千穂の神楽を見にきて研究するなど、とにかく細部にこだわって作られました。

知られざる誕生秘話と思いが込められたからくり時計。宮崎空港を利用される際は、ぜひ注目してみてください!

  • 山本華子

    宮崎局・記者

    山本華子

    1日でからくり時計を10回観ました。お囃子が頭から離れません

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