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【社会保障70年の歩み】第4回・医療「無保険者3000万人から」

2015年02月06日(金)

「だれでも、いつでも、どこででも」
支払い能力に応じ保険料を納めると、そう重い負担なく医療サービスを受けられる。

この国民すべてが健康(医療)保険証を持つ「皆保険」体制は、1961(昭和36)年の4月から始まった。新聞各紙は「女中さんも小僧さんも」などと、今では禁句の見出しで、その意義を報じた。「骨折の場合はコルセットや副木(そえぎ)などをもらえ、入れ歯もしてもらえる」などと、解説を載せる紙面もあった。
そんな初歩的な説明が必要なほど農林水産業者や商工業者らは「医療保障」と無縁だった。この頃、自営業者らの無保険者は2000万人、被用者(勤め人)保険に入れない零細事業所従業員らも1000万人と推定された。

【社会保障70年の歩み】第3回・生活保護「水と番茶の違い」

2015年01月21日(水)

紅茶を飲むのは、英国人にとって自然なことで、それさえ奪われるのは貧困だ。

英国の貧困研究の大家・ピーター・タウンゼントは彼の「相対的(権利)剥奪(はくだつ)」の考え方を、そんな風に説明した。日本流に言えば、のどが渇いても番茶さえなく、水で我慢するのは「相対的な貧困」である。

生活保護基準は「マーケットバスケット方式」「エンゲル係数方式」を経て、1965(昭和40)年、この相対的な貧困概念の「格差縮小方式」が採用された(~83年度)。一般世帯と被保護世帯との格差を埋めるため、政府見通しの個人消費支出の対前年度比伸び率に格差縮小分が上乗せされた。一般世帯を100%として被保護世帯の消費支出は80年度にはほぼ60%に漕ぎつけた。84年度以降は、一般国民の消費支出の伸びを基本に調整を図る「水準均衡方式」が実施されている(参照・現在の基準額、図1)

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図1:生活扶助基準額(2014年4月時点)

先進諸国の生活保護制度(公的扶助)の共通点は、
 ① 最低限度の生活保障
 ② 所得・資産の資力調査(MEAMSTEST)実施
 ③ 費用は全額租税
の3点といえる。
最低限度の保障は「ナショナル・ミニマム」とも呼ばれる。その水準は、豊かな社会では「基本的保障」と呼ぶ方が適切なのだろう。生活保護制度もその到達点を模索してきた。

【放送を終えて】シリーズ 戦後70年/第2回 高齢者をどう支えてきたか

2015年01月15日(木)

シリーズ 戦後70年/第2回 高齢者をどう支えてきたか、の放送を終え、制作したディレクターに話を聞きました。


・放送が終わってどんなことを感じていますか?
旧沢内村の歴史を辿る番組・・・、まず住民の皆さんがどう見て下さったのかが気がかりでした。おおむね間違いなく伝えられたと感じ、ほっとしています。
今回、高齢化の戦後70年を辿る中で、「老人医療費無料化」を抽出し、その意味と、その後への影響を考えました。本来目指したものの一部だけが取り入れられ広がったことが、歴史の分岐点だったのではないかという問題提起ができたかな、と思います。


・逆に、うまくいかなかったことは?
この「戦後70年」は、今年1年考えていくテーマです。自分の中で勉強を積み重ねる途中経過で今回の番組になった、と感じています。なので、今回の中で「うまくいった」「うまくいかない」というのは、今はちょっと難しいかもしれないです。

【放送を終えて】シリーズ 戦後70年/第1回 障害者はどう生きてきたか

2015年01月15日(木)

シリーズ 戦後70年/第1回 障害者はどう生きてきたか、の放送を終え、制作したディレクターに今の気持ちを聞きました。


・放送が終わって、思うことは?
そもそも、29分という短い時間で70年を描ききれるのかというのが心配でした。
でも今回のシリーズは、「戦後70年の歴史をきちんと通して見ることで、未来へのヒントが見えてくるのではないか」、ということにこだわりたいと思っていました。なので、29分の番組としてはちょっと要素が多すぎるかなと心配はしながらも、あえて70年間の歴史を概観することにしました。
放送が終わって、やっぱりテンポが速すぎたかなという反省もあります。だけど一方で、その後もらった反響の中には、「コンパクトに70年の歴史がわかってよかった」「テキストにしてみんなに共有したい」という声もあったので、多くの人が関心を持つきっかけになったのであればよかったと思います。70年を振り返るために90分の番組を見るのは大変ですけど、29分の番組を見たり、その分の番組の書き起こしを読むのであれば、そんなにハードルが高くないと思うので、「ちょっと関心はあるけどあまり知らなかった」人たちのきっかけになったのであればうれしいです。
 

【社会保障70年の歩み】第2回・生活保護「1年パンツ1枚」

2015年01月06日(火)

「貧しさ」とは、どんな状態なのか。個々人の判断ではなく、社会的かつ客観的に「貧困」の概念と実態を明確にするのは難しい。

そのための「社会調査」が19世紀末の英国で始まった。
海運業者で「産業界の船長」を自認するチャールズ・ブースは、首都ロンドンで1886年から大規模な「貧困調査」に取り組んだ。健康と命を保てる賃金(当時週給21シリング)を「貧困線」として、それ以下の労働者が全住民の実に3割強に達することを突き止めた。
同時に、原因の大半は失業、不規則労働、低賃金等の「雇用の問題」や病気、多子、不潔な住居等の「環境の問題」であることを解明した。飲酒や浪費の「習慣の問題」はごく少数派に過ぎなかった。
次いで、後に製菓業の経営者となるシーボーム・ラウントリーが1899年からヨーク市で、貧困予備群にあたる「第2次貧困線」も設定し、より詳細に貧困実態を掘り起こした。いずれも、これ以下では生命の危機を引き起こす「絶対的貧困」による線引きであった

【社会保障70年の歩み】プロローグ「首相への挑発状」

2014年12月31日(水)

第2次世界大戦における日本人将兵や市民らの死亡者・行方不明者は、広島、長崎での被曝を含め300万人以上に上り、空襲等での罹災者(りさいしゃ)は1000万人を超えた。

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「戦争を知らない世代」が大半を占める今、この悲惨さを肌身で感じるのは難しい。だが、「東日本大震災」の犠牲者約2万人の、実に150倍を超える墓標(ぼひょう)に思いを馳(は)せると、戦争という破壊のすさまじさに、少しは実感がわくのではないか。しかも、天災ではなく、究極の人災である。戦後、日本人の大半は親族・知人を失い、焼け跡にたたずみ、飢餓におびえ、どん底から再出発を期すほかなかった。

【出演者インタビュー】サヘル・ローズさん「一緒に生活しているという意識をみんなが持てたら」

2014年12月26日(金)

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1月6日放送
シリーズ 戦後70年
第2回 高齢者をどう支えてきたか
にご出演されたサヘル・ローズさんにメッセージをいただきました。

 

《サヘル・ローズさんプロフィール》
女優、タレント。
イラン生まれ。4歳のときに両親を亡くし、孤児院で育つ。その後、養母に引き取られ、8歳の時に2人で来日。

 

 

――第2回は、かつて老人医療費の自己負担が無料だった時代を中心に歴史を見つめ、問題はどこにあったのか、また、これから地域で高齢者を支えるシステムをどう作っていけばいいのかを考えましたが、収録を通してどのようなことを感じましたか。

日本は高齢化社会と言われているけれども、それはおじいちゃんおばあちゃんが元気で長生きできる環境があって、国もちゃんとケアをしているからなんだ、というふうに、これまで私は光の部分ばかりを見ていました。でも本当は影の部分もいろいろとあって、私たちが無関心でいたらそれがより大きくなってしまうんですよね。誰だって歳はとりますし、お母さんもおばあちゃんになっていくわけじゃないですか。だから、鎌田先生もおっしゃっていましたけど、本当に家族のことを思ったら、行政や病院任せではなくて、地域で見ることをもっと大切にしなければいけないなと感じました。ただ、正直、今は地域の人同士ではほとんどコミュニケーションが取れていないんですよね。お隣さんのことでさえよくわからない。昔は扉を開けっ放しにして、ちょっとご飯のおかずが余ったんでおすそ分けですとか、風邪を引いたら薬を持ってきてもらったりとかしましたど、今は自分は自分、他人は他人で、関わっちゃいけないのかなとか、迷惑に思ってしまうのかなとか、どうしても遠慮しすぎている気がします。そのせいで問題がより複雑になってしまっている。だから、ある意味、問題は私たちが生み出してしまっているんだということに気づきました。

 

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【出演者インタビュー】藤井克徳さん「障害者政策はその国の水準を測るバロメーター」

2014年12月26日(金)

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1月5日放送
シリーズ 戦後70年
第1回 障害者たちの戦後 権利獲得への道
にご出演された藤井克徳さんにメッセージをいただきました。

 

《藤井克徳さんプロフィール》
日本障害フォーラム幹事会議長

 

 

 

 

――第1回は、戦時中「ごくつぶし」「非国民」と言われた障害者たちが、教育や働く場などの権利をどのように獲得してきたのかを振り返り、今ぶつかる課題をどう乗り越えたらいいのか、考えていきました。収録を通してどのようなことを感じましたか。

70年間を短時間で振り返ってみましたが、非常に貴重な映像が残っていましたし、あれもあったな、これもあったなと、節々のことをもう一度想起させられて、私自身も勉強になりました。

 

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【出演者インタビュー】サヘル・ローズさん「障害のある当事者たちが戦ってきたからこそ、今の社会がある」

2014年12月26日(金)

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1月5日放送(1月12日再放送)
シリーズ 戦後70年
第1回 障害者たちの戦後 権利獲得への道
にご出演されたサヘル・ローズさんにメッセージをいただきました。

 

《サヘル・ローズさんプロフィール》
女優、タレント。
イラン生まれ。4歳のときに両親を亡くし、孤児院で育つ。その後、養母に引き取られ、8歳の時に2人で来日。

 

 

――第1回は、戦時中「ごくつぶし」「非国民」と言われた障害者たちが、教育や働く場などの権利をどのように獲得してきたのかを振り返り、今ぶつかる課題をどう乗り越えたらいいのか、考えていきました。収録を通してどのようなことを感じましたか。

胸に突き刺さる言葉がすごく多くて、障害のある方たちを生きづらくしている問題はたくさんあるんだなと感じました。でも、それは戦後間もないころからあって、たとえば兵士として国のために戦ってきたのに、障害を負って戦場から戻ってきたら居場所がなかったり、支えていく環境づくりが全くされていなかったり、あるいは学校に通いたくても通えない人などもいたわけですよね。今では全部当たり前になっていることが、戦後を通して見ていくと、それは当たり前ではなくて、いろんな方々が苦労されて、悔しい思いをして、生きづらさを感じながら戦ってきた結果なんだと痛感しました。

 

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シリーズ 戦後70年、WEB独自連載を始めます。

2014年12月24日(水)

ハートネットTVでの「シリーズ戦後70年」の放送と合わせて、
ウェブでは「社会保障 70年の歩み」という連載を始めます。

執筆は、宮武剛さん。
宮武さんは現場の記者や論説委員として取材を重ね、その後「月刊福祉」の編集委員長や大学教授として活躍されている方です。医療、介護、年金など、ともすれば難しい制度の仕組みやその変遷、課題についてジャーナリストの視点でわかりやすく伝えてくださいます。
戦後70年の節目に、これまでの歴史を振り返り今後の社会保障のあり方を考えるためにも、ぜひ読んでいただきたいと思います。

【社会保障 70年の歩み】プロローグ「首相への挑発状」、はこちらから。


=======過去投稿(12/19)
シリーズ 戦後70年
WEBの独自コンテンツとして、福マガで編集長を務めていただいた宮武剛さんに、
「社会保障 70年の歩み(仮)」として執筆いただけることになりました。
第1弾は年明けにご案内させていただきます。
お楽しみに!