陸前高田市は、市街地の大部分が津波で被害を受け、多くの住宅が流されました。津波で被災した世帯は、市の全世帯の半数を超える4063世帯。死者・行方不明者は1757人に上りました。陸前高田市で建設された合わせて2168戸分の仮設住宅には、震災の年には5600人が入居しましたが、ことし1月末の時点で、1200人余りに減り、災害公営住宅への入居も進んでいます。

陸前高田 復興の定点観測映像

一中仮設住宅がある高台から撮影した陸前高田市の旧市街地の映像。被災直後から7年近くの町の移り変わりの様子がご覧になれます。

一中仮設 閉鎖へ

『陸前高田市立第一中学校仮設住宅』、通称「一中仮設」は、震災から1か月たたない2011年4月、被災地の中で最も早く入居が始まりました。間取りは、1DK、2DK、3K。最大で150世帯が入居しました。

しかし、仮設住宅の集約化で、2018年3月、閉鎖されることになりました。

一方で、宅地などを整備する「土地区画整理事業」の停滞で、自宅再建を目指していてもまだ土地が引き渡されていない人もいます。

震災から7年近くたち、2月の時点で「一中仮設」に入居していたのは30世帯余り。

これまで暮らしの拠点としてきた仮設住宅を去るにあたって、入居者たちはどんな思いを抱えているのか。仮設住宅を出たあと、どこで生活を続けていくのか、それぞれの思いを取材しました。

家族亡くした悲しみから

津波で夫と3人の孫を亡くした菅原眞佐子さん(75)。悲しみから立ち上がることができたのは仮設の人たちとの交流からでした。

断念した新居の再建

仮設の自治会長を務める、みんなのまとめ役の菅野英子さんは、最近まで目指してきた元に住んでいた集落での自宅の再建をあきらめました。

やっと家族で新居へ

清水敬二さん、葉子さん、小学6年生で長女の咲希さん。一家は、新居を建て移ることになりました。

父ひとり息子ひとり

津波で妻と次男を亡くした吉田寛さん。長男芳広くんとの仮設暮らしは7年になりました。

VRドキュメント 仮設の7年

今回の取材を元にした、360°VRドキュメント。

あの日あのとき

海から2キロ近く離れている第一中学校付近まで津波は押し寄せました。高台にある中学校には、数多くの避難者が殺到。あの日何が起き、人々はどう行動したのか。証言から振り返ります。

避難所・仮設の記録

中学校の体育館は、最大1500人が集まる避難所となりました。震災の約一か月後に被災地で最も早く入居が始まったグラウンドに建てられた仮設住宅には一時150世帯が入居しました。

ありがとう一中仮設

仮設で暮らした住民たちからのメッセージです。